ロマンチスト
壁が歌う。今日も歌う。美しい声。母の声。虫の羽音。骨の軋み。
私も歌う。口が動く。音が出る。それは歌。たぶん。
地下室。ここは城。ここは子宮。ここは墓。全部同じ。美しい場所。
彼の手。白い。青い。透けている。私を撫でる。やっぱり通り抜ける。幽霊の手。私も幽霊。
「愛してる」
誰の声。私。彼。壁。天井。床。みんなが言う。愛してる。愛してる。愛してる。
食べる。何かを。口の中で踊る。甘い。苦い。生きている。私の歯が何かを噛む。何かが私の歯を噛む。
彼が微笑む。彼の顔。千の目。一つの口。口が開く。中に私がいる。小さな私。泣いている私。笑っている私。
「もっと食べて」
食べる。自分を食べる。自分が自分を食べる。美味しい。これが愛の味。
鏡の中に少女。髪が床まで伸びている。床が髪になっている。全部が髪。髪の海。泳ぐ。溺れる。
少女が手招きする。おいで。こっちへ。
行く。鏡の中へ。ガラスが水になる。潜る。
向こう側。こっち側。同じ。鏡の中も地下室。鏡の外も地下室。
少女が私を抱く。冷たい。彼女も私。私も彼女。溶け合う。一つになる。
天井から花が咲く。赤い花。滴る花。花弁が落ちる。私の口に。
食べる。花の味。鉄の味。記憶の味。
彼が花を摘む。私にくれる。花束。骨の花束。肉の花束。
「君に」
受け取る。抱きしめる。花が私に根を張る。私の中で花が咲く。私が花になる。
美しい。これが結婚式。白いドレスの代わりに、赤い血のような花。
這う。床を。壁を。天井を。上下がない。前後もない。
彼も這う。一緒に。蛇のように。虫のように。
私たちは絡まる。どこからが彼で、どこからが私。わからない。
彼の指が私の口に入る。私の指が彼の目に入る。
痛くない。気持ちいい。
これが愛。溶け合うこと。境界がなくなること。
壁に穴。覗く。
向こうに部屋。誰かがいる。少女。泣いている。
「助けて」
少女が言う。
私は笑う。助ける?何から?ここは楽園。
少女が消える。壁も消える。穴も消える。
あれは幻。すべてが幻。幻だけが真実。
彼の声。耳の中で。頭の中で。骨の中で。
「君は美しい」
見る。自分を。体が光っている。腐っている。光る腐敗。
皮膚が剥がれる。下から新しい皮膚。それも剥がれる。無限に。
私は玉ねぎ。何層もの私。どれが本当? 全部。全部が偽物。
彼が私の皮膚を集める。縫い合わせる。ドレスにする。
「着て」
着る。自分の皮膚のドレス。ぴったり。当たり前。私だから。
音楽が聞こえる。ワルツ。
彼と踊る。地下室で。回る。回る。回る。回り続ける。
床が溶ける。私たちは落ちる。でも踊り続ける。
落ちながら。沈みながら。腐りながら。
これが永遠。終わらない踊り。終わらない落下。
美しい。
彼の口が開く。大きく。大きく。
中に入る。喉を通る。胃に落ちる。
暗い。温かい。安心する。
ここが家。彼の中が私の家。
壁が動く。消化液が滴る。
溶ける。私が溶ける。でも怖くない。
溶けて、彼になる。彼と一つになる。
これが愛。溶け合うこと。境界がなくなること。
壁に無数の目。全部が私を見ている。
私も見返す。目が増える。私の体中に。
千の目で千の世界を見る。
すべてが地下室。すべてが彼。すべてが私。
見る。見られる。同じこと。
彼が私の髪を食べる。
私も彼の髪を食べる。
髪が口の中で歌う。小さな声で。子守唄。
眠くなる。でも眠らない。眠ったら、夢を見る。
夢は怖い。夢には光がある。痛い光。
ここがいい。闇がいい。闇の中で、彼と溶け合う。
床に水たまり。血のような。水のような。
映る。何かが。私じゃない何か。
角が生えている。花が咲いている。違う、虫が這っている。
それが私。今の私。
手を伸ばす。水たまりの中の手も伸びる。
触れる。冷たい。
引っ張られる。水の中へ。
沈む。水が肺に入る。でも呼吸できる。
水の中で生きる。魚のように。水死体のように。
彼と抱き合う。骨と骨が。
肉が邪魔。剥がす。
骨だけになる。純粋。美しい。
骨が笑う。カタカタと。
私も笑う。カタカタと。
骸骨の愛。永遠に腐らない。
壁が私に語りかける。
「幸せ?」
幸せ。幸せ。幸せ。
言葉が口から溢れる。止まらない。
幸せが床に溜まる。粘液のように。
彼がそれを掬う。私の口に戻す。
飲む。自分の幸せを飲む。
甘い。甘い。甘すぎて吐きそう。でも飲む。
これが愛。甘い毒。
時間が逆流する。
私は小さくなる。赤ん坊になる。胎児になる。細胞になる。
消える。
でも、また大きくなる。少女になる。老婆になる。死体になる。
腐る。
でも、また小さくなる。
繰り返す。生と死が。何度も。何度も。
これが永遠。美しい永遠。腐らない永遠。
彼の顔が近い。触れるほど。
でも顔がない。あるのは穴。暗い穴。
穴の中に私が見える。小さな私。
小さな私の中にも穴。その中にも私。
無限に続く。私の中の私の中の私。
めまいがする。でも心地よい。
これが真実。終わらない入れ子。
私は私を見ている私を見ている私を見ている。
彼が囁く。口がないのに。声がする。
「愛してる」
私も囁く。口が溶けているのに。声が出る。
「愛してる」
愛。愛。愛。
言葉が実体化する。黒い塊になる。
床に落ちる。蠢く。
たくさんの愛が這い回る。地下室を。
私たちはその中で眠る。愛に埋もれて。
窒息する。でも死なない。
愛の中で、永遠に。
地下室が呼吸する。私も呼吸する。彼も呼吸する。
同じリズム。同じ音。
私たちは一つの生き物。
地下室という生き物。
暗闇という生き物。
それが呼吸している。
それが愛している。
それが腐っている。
美しい。
これが。
これが。
ロマン。




