第四章:沈黙の記録と、泡の子ら(前編)
泡の都市。
その最下層に、誰にも知られていない「泡の小学校」があった。
色あせた壁。割れたガラスの窓。誰もいないはずの教室。
しかし、そこには確かに「生活の痕跡」が残っていた。
「……誰かが、ここで“暮らしてる”?」
アークは薄暗い教室の隅に積まれたノートや、かすかに灯るランタンを見てつぶやく。
「この場所……“記録保留区域”ね。
記録される前の存在、もしくは記録から外された存在が留まる場所」
フィオナの声に、セラが小さく頷いた。
「でも……こんなに生活感のある場所、初めて見た。
泡の中なのに……まるで“普通の学校”みたい……」
そのときだった。
「うぉーっす! 新顔さん、いらっしゃーい!」
突然、元気な声が廊下から飛び込んできた。
「っ!?」
アークとセラが一斉に振り向く。
現れたのは——小柄な少年。いや、少年のように見えるが、どこか年齢不詳な雰囲気を纏っていた。
髪はふわりとした金色で、瞳は虹彩が混ざったような淡い色。
動きが軽く、表情はころころと変わる。だが、その笑顔の奥に、かすかに“孤独”が滲んでいた。
「君たち、“泡の外”から来たんでしょ? 噂になってたよー、“ゼロ”って子が現れたって!」
アークが一歩前に出る。
「君……名前は?」
「おー、聞いてくれる? 嬉しいなあ。
僕はカリス・ネビュラ。このへんじゃ“案内役”って呼ばれてるよ!」
「案内役……?」
「そ! この泡の階層には、僕らみたいに“記録されなかった子どもたち”が暮らしてる。
名前を忘れられた子もいれば、記録から“弾かれた”子もいる。
でも、ここでなら——僕らは“確かに生きてる”んだ」
セラが、カリスの言葉に目を見開く。
「あなたたちは……泡の記録に存在しながら、“自分”を保ってるの?」
カリスは指を立ててニカッと笑った。
「そゆこと! まあ、僕は特別な例なんだけどね〜。
記録の破片を“繋ぎ止める力”があったから、こうして形を保ってるのさ」
その一瞬、アークはカリスの背後に——ほんの一瞬だけ、
歪んだ歯車のような“刻印”の光を見た。
(今の……刻印? いや、でも……なんか、違う)
「で、君は“ゼロ”でしょ? アーク・クロノ。泡の記録がざわついてるよ。
『選んだ』『刻んだ』『歯車を動かした』って」
「……そうだ。俺は、刻印者。
止まった世界に、もう一度“時間”を刻むために目覚めた」
「いいねぇ、それ。ヒーローっぽくて好きだな」
カリスがくすぐったそうに笑う。
「じゃ、今日は君たちに“泡の子ら”を紹介してあげるよ。
まだ他にも、僕らみたいな子がたくさんいるんだ。……あ、ただし注意点ひとつ!」
「なに?」
「この階層には、**“泡を守る存在”**がいる。
彼らは“泡の均衡”を維持するために作られた“記録守護体”。
……たまーに、外から来た者を『異物』と判断して、排除しようとするからね」
「……なんだと」
「安心してよ、僕がついてるからさ! たぶん!」
「たぶん!?」
思わずセラがツッコみ、アークが苦笑する。
「なんか……ノクターンと気が合いそうなやつだな……」
「ノクターンって誰? へぇ〜、気になるな〜」
賑やかに見えるその交流の裏で、泡の都市の記録層がわずかに揺れていた。
遠く離れた記録観測機構では、ひとつの“報告”が上がっていた。
「泡下層に異常波動。
記録の未定義領域に、刻印者ゼロの反応あり。
……“計画段階”に移行しますか?」
静かに肯定の意が返る。
その瞬間、記録に“ノイズ”が走った。
第四章:沈黙の記録と、泡の子ら(前編) 完