4話 会議
部屋の掃除は頼斗の頑張りにより三十分ほどで終わった。といってもボクが面倒だから切りのいいところで区切ったのだ。
一通り埃ははき出して、迷路を形成していた机と椅子を部屋の中心に二つ向かい合う形で配置した。それ以外の机とオカルトグッズどもは勝手に処分していいのか判断が付けられなかったので、隅にまとめて放置した。
ボクは頼斗に、話は長くなるから、と言われ仕方なくまだ埃っぽい椅子に腰掛けた。ボクがドアに近い方で、頼斗が窓に近い側の椅子に座った。
「それで、ここで何をするの?」
重労働(三十分の掃除)のせいで体力と気力を根こそぎ持っていかれたボクは、汚いとわかっていても倦怠感には勝てず、埃っぽい机に突っ伏した。
「ん? もちろんアキラの想像通りの事だ」
何も想像してないんだけどな。どうやらボクと頼斗の間には決定的な認識の齟齬があるようだ。ボクは体を起こし表情を窺った。瞳が、アキラならわかるよな、と訴えていた。
ボクが頭の上に幾つもハテナマークを浮かべていると、頼斗は「よろしい、そろそろ始めよう!」と無駄に叫び、椅子の上へと立ち上がった。そして意味も無く拳を振り上げ、天(天井)を突き、雄々しく叫んだ。
「第一回新属性模索会議の開始をここに宣言するっ!」
「……はい?」
思わず間抜けな声を上げてしまった。頼斗はボクをも毒電波で犯そうというのか?
椅子の上から見下ろしてくる頼斗は、実に生き生きとした笑顔を浮かべていた。そんな顔でウインクされても反応に困る。
「ごめん……状況が全くといって理解できないんだけど」
「なーに単純な話だ。俺とオカルト部の部室改め新属性研究部の部室にて、新属性について語り合うのさ! 素晴らしいだろう?」
どこに素晴らしさを見出せばいいのかボクにはわからない。テンションについていけず呆然としているボクを置いてけぼりに、頼斗は椅子の上に立ったまま会議の目的について意気揚々に語り出した。
「人類は常に萌えというのを求め、飢えている。別に三次元では愛されない悲しい連中ばかりが二次元へと走る訳ではない。確かに昨今の日本では、『三次元なんて要らないと思います』という言葉を本気で口にしている人間も居るが、そんなのは稀だ。リアルの人間もいけるけど、二次元も欲しい! というのが人類の大半を占めている。そう俺の直感が訴えている」
直感かよ。なんとも説得力の乏しい根拠だ。こんな人間に成長してしまって、小学校の校長が今の姿を見たらきっと失望の色を隠せ無いどころか、溢れる涙を止められないはずだ。
ボクの失望が濃厚になるのと対極に頼斗の独壇場であるオタクトークのボルテージは熾烈を極めていった。
「萌えを求め続け、ツンデレやヤンデレなどの属性という概念が生まれた。いわゆる、萌えの対象をキャラ自体というより、性格などのある種のカテゴリーに求める傾向が現れたのだ。人々はそれぞれに自分の好みの性格や特性――属性を持つようになった。それにより、語呂の良い呼び方というのが属性には求められた。ツンデレとてその名称がつくまでは、長々と説明文のように語らなくてはならなかったものだ。つまり、新属性とは新しい性格なども示すが、既存の性格に新たな名称を与える事も含まれるのである。この会議では、基本的には既存のものに新たな名称を与えるという事を目的に活動したいと思っている」
「……それにボクも参加しろと?」
「そうだっ!」
とりあえず熱意は伝わってきた。同調する気にはこれっぽっちもなれないがね。
「まだ語りたいところだが、そうしていたら本題に入れないので続きは明日にしよう」
「明日もあるのか!?」
素っ頓狂な声を上げるボクをスルーしつつ頼斗は椅子に座り直した。
「それじゃあ会議を始めようぜ!」
どこまでも我が道を進む気らしい。頼むから他人を巻き込まず一人で突っ走っていって欲しいものだ。
絶対に後悔させない、という頼斗の言葉が頭の中でグルグルと回り始めた。
「一体……何をするんだ?」
ボクは眩暈と頭痛を感じるのを額に手を当て考える振りをして誤魔化した。
「まずは簡単に属性について語ってやるよ。そうしてから新属性について考えよう」
頼斗は頬杖を突いて、ん~と唸り出した。何も考えなくていいからボクを帰らせてくれ。
しかし、ボクの願いは天邪鬼な神様によって逆の結果を生み出した。ポンッと手を打って頼斗が何か閃いた事を示した。
「やっぱり例えとして使うならツンデレだな。アキラでもツンデレぐらいわかるよな?」
無視していても帰宅が早くなる訳ではなさそうなので、ボクは一応会話はする事にした。
「ツンツン頭の戦闘狂がデレること?」
「違うっ! なんか該当する人居るけど違う! ツンデレといってもまだ細分化できるから正しくはないんだが、要するに人前ではツンツンとした態度を取り、好きな人と二人っきりになるとデレデレとしてくる奴の事だ」
「…………」
「どうしたぼぉーっとして?」
「なんでもない」
頼斗は気付いているのだろうか? 気付く訳がないか。今となってはその方のが嬉しい。
「とりあえず属性っていうのはわかったよな? ツンとデレの態度を要約して、ツンデレって呼ぶんだ。そんで今日の会議はこれから俺が考えた新属性を言うからそれのイメージを一緒に作って欲しい」
頼斗は制服の胸ポケットから青色のメモ帳を取り出してページを捲った。目的のページが見付かったのか、手の動きが止まる。
「え~と、まず一つ目は、『腐幼女』だ!」
「ふようじょ? なんだその怪しい響きは」
ふふん、とナルシスト的に鼻で笑い頼斗は説明を始めた。
「腐った幼女、と書いて腐幼女だ。腐女子という言葉があるだろう? そこから連想して考え付いた属性さ。腹黒な幼女、巨乳幼女、変態的な幼女とかはよく居るけど、BL好きの幼女って居ないような気がするんだよ!」
イメージ映像として姫野さんがやおい本を読んで興奮する姿が浮かんだ。
「それに需要はあるのかな?」
ボクは先ほどイメージした姫野さんから考えるに、BL好きの女を男が好きになるとは余り思えなかった。
「盲点だったぜ!」
なんて死角が広い奴なんだ。というより思慮が浅過ぎるだけなのかな。
頼斗は悔しそうにメモ帳の、おそらくは腐幼女のページを破り捨てて、オカルトグッズの山へと投げ込んだ。さらば腐幼女よ、呪いの人形たちとお幸せにな。
捨てた事で未練を完全に断ち切った頼斗は、すぐにテンションを上げ直した。本当に起伏が激しい奴だ。いや、情緒不安定といった方のが正しいな。
「次のやつはさっきのとは比べものにならないほどの傑作だ。その名も『ツンツン』!」
「つんつん? デレは無し?」
「そうだ」と自信満々に頷く頼斗。「もうデレの無いツンツンラッシュ! すべての主人公を絶望の淵へと追いやるぜ!」
「ちょっと女王様キャラっぽいな」
「まあそこから高飛車的要素を弱め、暴力性と鞭を取り除いた感じのイメージかな」
女王様にデフォルトで鞭が付いていた事には驚きだが、デレをくれないなんて果たして付き合っていける人間は存在するのかな。……脳の端っこが違和感を訴えている。頭を抱えて悩むが、違和感の正体は掴めなかった。
「とりあえずだな、このツンツンというのを大いに体感してもらうためにショートストーリーを作ってある。それを聞かせてやろう」
ちょっと偉そうな態度にいらついたが、正直気になるので無言によりその物語を語る事を頼斗へと促す。
「まあ登場人物の名前は、ツンツン役にアキラ、その彼氏に俺としよう」
「何故!?」
「その方のがリアリティがあるかな、と。そう思うだろう?」
「まあそうだけど……。何か気に入らない」
本音を言えば冗談や創作でも頼斗の恋人という位置付けは勘弁して欲しい。
「では、俺の脳内劇場の始まり、始まり~」
頼斗は、妄想という人類に授けられた最も穢れた力を全力で展開させる。頼斗の妄想空間が、モヤモヤモヤという男子のみの教室を彷彿とさせるおぞましき擬音と共に世界を侵食した。
そして、頼斗はゆっくりとツンツン物語を紡ぎ出した。
*
「そんなに一緒に帰りたいのなら、あたしの荷物をすべて持ちなさい!」
校門にてアキラは帰宅を共にしようとする頼斗に向かってそう言い放った。
「ああ、わかった」
頼斗がそう答えると、アキラは地面に転がしてある学生鞄と大量に荷物が詰まったスポーツバッグを指差して、頼斗へと運ぶように促した。
「んいしょっと! うお!? な、なんだこれ、何が入ってんだよ?」
学生鞄はなんなく持ち上げる事ができたが、スポーツバッグの方は異常に重かった。同姓の中で力がある方の頼斗であったが、持ち上げるのでやっとであった。スポーツバッグがやたらと汚れていたのが気になったが、背中に背負わなくては到底歩く事などできそうにないので頼斗は渾身の力でアキラのスポーツバッグを背負った。
「なに? あなたがあたしと帰りたいって言ったんでしょ? それぐらいでへばってだらしないわね」
足元がふらつく頼斗を置いて、アキラはどんどん先を急いだ。
「ちょっと待って、もう少しだけペース落としてくれ」
搾り出すような声を聞いてアキラは後ろを振り返った。目に入ったのは、今にも荷物へと押し潰されそうな頼斗の姿だった。その情けない姿にアキラは嘆息する。
「はぁ……はぁ……もう、無理……」
遂には足を止めてしまった頼斗にアキラは盛大に溜息をつくと、一旦足を止めた。
「もう少し……ゆっくり歩いてくれ……」
アキラは呼吸を荒げる頼斗の姿を見てほくそ笑み、つかつかと苛立たしげな足音を立てて引き返してきた。
「遅いわね、仕方ないわ」
「荷物持ってくれるのか?」
僅かな希望を抱いた頼斗は、顔を上げアキラの表情を窺った。その顔には頼斗の期待する回答を示してくれるような優しさは宿っていなかった。
「は? あんた馬鹿? 家に帰ってすぐ必要になるものだけバックから出すのよ」
「えっ? 他の荷物はどうすんだよ?」
そう訊くとアキラはあからさまに嫌悪の表情を浮かべ、止めの一言を鋭く放った。
「あんたがあたしの家まで運ぶに決まってるでしょ!」
アキラをよく知る頼斗なので、当然そう言われるとわかっていた。しかし、わかっていても実際に言われるととても辛いものだ。頼斗は重過ぎる荷物をどう運ぶか解決策を考えたが、その間にアキラはバッグから必要な物を回収し終わり、帰路へと着いてしまっていた。
「ちょ、これ無理だって!」
早足のアキラは歩みを止める気配は無い。
「知らないわよ。今日中に運んでよね。それじゃ」
「待てって! おい! くそ……流石にこれを一人で運ぶのは無理だって」
頼斗は悪いとは思ったが、遠ざかっていくアキラの背中を見送ってからスポーツバッグを開けてみた。一体何を入れればここまで重くなるものなのか不思議でならなかったのだ。それに、自分がこれほどの苦労して運んでいるぐらいなのだから、アキラには到底持ち運びなど無理だと思えたのだ。頼斗はその謎も解明したかった。
「ってあれ!? なんであいつ石なんて入れてんだよ!?」
とりあえず重さの原因と、アキラが持ち運びができた理由がわかった。アキラは頼斗が校門に現れるまでにバッグの中に石を詰めたのだ。だが、どうしてそんな事したのか理由は見当もつかなかった。いや、つく事にはついた。しかしそれは、遠回しな拒絶という悲しいものであった。
*
頼斗はツンツン物語を語り終えると、ふぃ~っと暢気に息をついた。
「…………」
「どうしたアキラ、顔色が悪いぞ?」
まるで挑発するように頼斗は言った。いや、挑発しているのだろう。一体何を企んでいるんだ? どうして今更あんな話をした?
ボクには頼斗がやろうとしている事がまるで推理できない。じりじりと人の精神をいたぶるのを好むような最低な性癖は持っていなかったと思うが……。
服の中でじっとりとへばり付くような汗が出ているのを感じた。
「頼斗……何が目的なんだ?」