3話 部室
山の陰に沈み掛けた夕日に近い空と、夕日から距離がある空はオレンジ色の明暗により色彩の層をつくってコントラストを演出していた。どこか哀愁を感じさせる夕日と、一日の別れを告げるような蜩の鳴き声に胸が苦しくなった。ボクは夕日から目を背けるように目線を少しずつ下げていき、人工の光を灯し始めた寂しい商店街を見下ろした。
ボクが小学生の頃には、もっと活気がある通りだった。こんな黄昏時には夕食の買い物に来た主婦で溢れ返るほどだった。なのに今ではシャッターを下ろしている店の方が多く、人の姿もまばらだ。
町は変わっていく。そして、そこに住む人も変わってしまうのだろうか?
ましてや、故郷を離れた者は、その本質を大きく変えてしまうのだろうか?
「なんて、哲学的な事を考える柄じゃないな……」
ボクは机に突っ伏して、怠慢を貪り続けていた。それもこれもすべて頼斗が悪い。放課後は待たない、と言おうと思ったのだが、結局タイミングが見付からず別の意味で待つ羽目になった。遅くとも三十分もすれば来るだろう、と考えていたのだが、HR終了後教室から飛び出して一時間ほど経過した今でも頼斗が戻る気配は無い。
「だるいな~」
一度体を起こし、大きく伸びをする。
ふと、自分のまとう制服に意識がいった。なんら変哲の無い紺色のブレザーに紺色のスラックスだ。無意識が気にした事はおそらく女子の制服の事だと思う。
悠橋学園は県内有数の進学校であるが、私立ゆえに運営側の趣味が物凄く服装やら行事やら校風やらに影響している。その一つが、女子の制服だ。本来ならば長くて嫌がられるスカートも悠橋学園では反対だ。短過ぎて困るのだ。更に、ニーハイソックスの着用が義務付けられている。要するに、学園側は絶対領域を求めているのだ。
せめてもの慰め(あるいは批判からの言い逃れのため)なのか、女子生徒は男子と同じスラックスタイプの制服を選ぶことができる。といっても、ほとんどの生徒がスカートを選択する。
この事から、頼斗の妄言によってオタク文化が爆発的に広まる下地は整っていた事がわかる。中学時代にもう少し真面目に学校選びをするんだったな、と非常に後悔している。
本当に困ったものだ。どうしてボクは悠橋学園に来てしまったのだろう。夢に見た学園ライフはもっと輝かしく、貴いものだったのだが……。現実は厳しいという事か。
自嘲気味に鼻で笑い、ボクは暮れなずむ空を見上げた。
「なにそんなおっさんみたく哀愁を漂わせてんだよ?」
「黙れ下郎」
「なっ!?」
ちょっと前から背後に立つ頼斗の気配には気付いていた。だけどあえて無視していた。
「待たせたのは悪いと思ってる。本当だ。でも、後悔させないのは絶対だから、な?」
なにが、「な?」だよ、この野朗。
鞄を肩に掛け、ボクは椅子から立ち上がった。すると、背後に控えていた頼斗が慌ててボクの肩を掴んでくる。
「ちょ、待て!」
「きゃーこの人痴漢ですー」
ボクは肩に乗せられた手を乱暴に払ってドアの方へと歩いていく。
「待てって! そんな棒読みで言っても誰も助けに来る訳がないだろう! ってそんな事はどうでもいいんだよ。いいから、帰るな」
頼斗がボクの肩を再び掴んだ。くそ、無駄に成長した手足をしやがって。
「放せこの手長猿! ジャングルに帰れ!」
「いや、俺の故郷はここだし! 第二の故郷は秋葉だし!」
「じゃあ第三の故郷としてアマゾンのジャングルを加えておけ。そしてボクは帰る」
縄抜け術をもってしてボクは頼斗の魔の手から逃れた。自由を得たボクは全速力で教室からの脱出を試みたのだが、やはりスペックが段違いのようだ。ボクが一歩進む内に頼斗は三歩進むほどの性能を持つ。
ボクはそれでも諦めずに走った。だが、まあ結果は予期していた通り、廊下にて捕縛された。どこから出したんだろうな、この縄。頑丈な作りをしているらしく強引に縄を抜けるのは無理のようだ。
「ふっふっふっ、もう逃げられんぞアキラ」
「完全に言動が悪役キャラだな……」
ボクは運命に屈服し廊下の床に座り込んだ。床が地味に冷たい。そんな惨めなボクを頼斗が凶悪な笑みを浮かべつつ見下ろしていた。
「言う事を聞けばこの縄を解いてやろう」
ボクは完全に悪人面を顔に貼り付けた頼斗を気だるげに見上げた。
「お願いではなくて、もう脅迫なんだな」
「いや、純粋な取引だ」
「どこら辺が?」
「言う事を聞けば、縄を解くというところがだ」
「……どちらを選んでもボクに利益が一切無いのは気のせいか?」
「気のせいだ」
どうやら頼斗の持つ常識やルールは、ボクのそれと全く異なるものらしい。昔から少し強引なところがあったが、こんな無茶をされた記憶は無い。
「はぁ~、やれやれこんな子に育てた覚えはないんだけどな」
ボクは入学式の時に顔を真っ赤にし体育館から出ていった頼斗の母を思い出し、そんなセリフを呟いた。
「いや、あんた誰だよ?」
「まあそんなネタはいいんだ。とりあえず、もう少し頭を使って考えてみてくれ」
「何をだ?」
「この状況をだ」
ボクがそう言うと、頼斗は腕を組んで真剣に何か考え始めた。
「サッパリだな」
「見事な回答だよ……。頭を使ったのかさえ疑問だな」
ボクの言葉のどこら辺にテンションが上がる要素があったのかは不明だが、頼斗は一番星を見つけてはしゃぐ子どものように瞳を輝かせた。
「ふっ、愚問だな! 俺は文より武に生きる男、頭はヘッドバット以外には使わない!」
文武両道プラス変人ロードをまっしぐらしてると思うが、どうやら頼斗は自分の事を武に生きる人間だと思っているらしい。人間とは摩訶不思議な生き物だ。でも、考えてみると頼斗は運動のイベント以外には余り燃えていなかった気がするな。
「それでどうやって解決する気なんだ?」
「ん? それは、こうやって」
何やらボクに頭を向けて振りかぶろうとしたので、
「止めろ! 実践しなくていいから!」
と必死なって制止を掛けた。見捨てられた子犬のような顔をされたが、ボクには的確な返答が浮かばない。
関われば関わるほど頼斗に幻滅していく。
懐かしき、幼気なきみ、何処かな。
よくわからない自由律俳句が読めてしまうほどに残念な気分だ。これでボクが自暴自棄になってもきっと許される気がする。だから、これからの暴挙をどうか見逃してくれ。
「はぁ~わかったよ、この後付き合うから縄を解いてくれ。もう勝手にしろ」
ボクは軍門に降り、頼斗の言い成りとなった。残酷な神様が余りの不憫さに慈悲を授けてくれる事を祈って……。
頼斗に連れられて向かった先は、特別棟だった。教室や職員室、生徒会室などがいわゆる本館にあり、この特別棟と呼ばれる場所には主に文化部の部室がある。築何年か非常に気になる木造の建物だ。ついでに耐震強度も気になるところである。基準を満たしていないような気がしないでもない。今だって廊下を歩くだけで、ギシギシと何やら危険な呻きが聞こえる。
一抹の不安と、最悪な未来への絶望を胸にボクは頼斗の一歩後ろを歩く。
頼斗はボクとは違いまるで遠足に行く小学生のようなハイテンションである。何かのアニソンを口ずさむほどだ。
ボクは床の軋む音と頼斗のアニソンの奏でる不協和音に辟易としつつ、目的の場所まで歩いた。三階の北側の一番奥にある空き部屋の前で頼斗は足を止めた。
「アキラ、ドア開けてみろよ」
中世ヨーロッパ風の異世界を舞台にしたRPGに出てきそうな古びたドアを指差して、頼斗は不敵に笑った。
自分で開けろよ。というテレパシーを送ったのだが、どうやらボクと頼斗の間には以心伝心能力は無いらしい。
「どうした? 早く開けろよ」
頼斗が急かすので、ボクはやれやれと肩を落としつつドアノブに手を掛けた。そのまま気が変わらないためにも間髪を容れずドアノブを捻り、ドアを開け放った。
「うわ……」
ドアの向こう側には凄惨な光景が広がっていた。
乱雑に置かれた用途不明の物体群。部屋の四隅にはすべて蜘蛛の巣が張り、ドアの真正面にある部屋唯一の窓には気味の悪い謎の文字が赤いペンキで描かれている。無造作に置かれた机によってさながら迷路を演出していた。床には埃の層までできてしまっている。
「ここって、元々は何部が使用してたの?」
恐る恐る中へと踏み込むと、一歩進むごとに埃が宙に舞った。
「あ~三年前まではオカルト研究部が使っていたらしい」
頼斗の言葉にすぐに納得がいった。散乱している用途不明の道具をよくみると、呪いに使うようなものばかりだ。よくもまあここまで集めたものだ、というぐらいに不思議アイテムの山が幾つも形成されている。
ボクはしゃがみ込んでその道具の一つを手に取った。
「……これって確実に人を呪い殺すための道具だよね」
手に取ったのは、人を形取った藁人形だった。藁人形にはまるで着せ替え人形に服を着せるみたいに『呪』と書かれた白い紙が巻かれている。よく見ると人間の頭部に当たる部分に髪の毛が埋め込まれていた。それが落ちていた付近にはたくさんの釘も落ちていた。
「怪しい事をやってて学校側に潰された部活って聞いたよ」
ボクが部屋内の異常さに身震いしていると、頼斗もまた自身の抱いていた想像の範疇を超えていたのか、部屋の惨状に息を呑んでいた。
「怪しい事、ね。そりゃあこの藁人形は不味いよ」
ボクは背筋が粟立つのを感じてその藁人形を元の位置に戻しておいた。
「それで頼斗、ここで何をするつもり?」
「ふふっ、教えてほしいか?」
「帰っていいか?」
「いや、ちょい待て! 説明するから」
慌てて取り繕う頼斗であったが、既にボクのやる気はゼロだ。
まあここまで来たのだから最後まで付き合うけどね。後々文句を言われるのも面倒だし。
ボクは後ろでごちゃごちゃ言っている頼斗を無視し、窓の方へと行く。今にも外れそうな窓を開け空気の入れ替えを試みた。外から入ってくる風に埃が吹き荒れる。
頼斗はボクに無視されている事に気付いたのか、それとも説得を諦めたのか、難しい顔をして部屋内を眺めていた。
ボクは窓を開けた後、掃除用具を探した。もしかしたらどこかに埋もれているかな、と考えたがドアのすぐ側に掃除用具入れを見つけ安堵する。中を見ると、ぼろぼろなほうきが一本だけ入っていた。
「ま、無いよりましか」
そのほうきを、部屋内を見渡して何やら吟味する頼斗へと差し出した。
「ん?」
何を意味するのか理解できないのか、頼斗は首を傾げてキョトンとした。ボクは笑顔を浮かべて頼斗の胸へとほうきを押し付ける。
「働け♪」