魔法少女で稼いだ金をホストにつぎ込むのはやめなさい
「ごめんねナオト〜! 死んじゃったかと思った〜!」
死んじゃった、じゃなくて君が殺したんだよルナ。
僕はその言葉を飲み込み、“ナオト”のふりをして静かに微笑んだ。
とにかく今は致死量の血痕が付着した凶器を彼女の目に触れないようズボンへ隠すことに集中しなくてはならなかった。
こうなってしまったのは僕にも責任がある。
ルナを魔法少女にしたのは僕なのだから。
10年前、妖精界からやってきた僕はたまたま目に留まったくまのぬいぐるみの中に入った。妖精の体は人間には見えないし触ることもできないから依代が必要なのだ。
そのぬいぐるみの持ち主がルナだった。
以来10年。魔法少女となったルナと僕は辛いときも苦しいときも楽しいときもずっとずっと共にいた。
時にはルナの手の中で。時にはルナのポケットで。時にはルナの肩の上で。
そうじゃなくなったのはいつからだったか。
考えるまでもない。この男が現れてからだ!
ルナは僕を手にとってくれなくなった。ポケットの中のスマホが鳴ると夜中であっても家を抜け出すようになった。そして繁華街の一角にある下品なホストクラブで、ルナの肩にはこの男の腕が回されていた。
そう、この腕が!
「う゛ん゛!!」
「えっ、なに? どうしたの?」
おっと、危ない。
僕は齧りついた己の腕から何食わぬ顔で口を離した。
「なにが?」
「どうしちゃったの? なんか変だよ?」
さすがルナは賢い子だ。
さっきだってそうだった。
この男はルナを口車に乗せ、散々金を貢がせて利用していた。そのことに気付いたルナは初めてこの男を突き放したのだ。二人の会話の内容はあまり聞こえなかったが、そうに違いない。
しかし、まぁ、なんというか。
幼い頃から悪との戦いに明け暮れ、お友だちと遊ぶ時間より武器を持っている時間のほうが長いくらいだったルナは手加減というものを知らない。
強大な悪を滅してきたルナのマジカルステッキはこの男の脳天をやすやすとカチ割った。
悪は滅びた。完。
といきたいところだが人間相手ではそうもいかない。
死体が残れば事件になるし、傍らに転がった凶器からルナが捜査線上に浮上することは想像に難くない。
だから僕は一肌――もとい、ぬいぐるみの体を脱ぐことにした。
息絶えたこの男の体に入ることで死体と事件をまるまる隠蔽することに決めたのだ。
ルナの綺麗な瞳を守るために。
「ナオト?」
「ルナ、実は――」
言いかけて、僕は頭を振る。
ルナに真実を伝えようかと思ったが、やっぱりダメだ。
ルナは優しくて強くて、しかし幼くて脆い。
人を殺したなんて事実を受け止めることができるとは思えない……。
「実は、この街を離れることにしたんだ」
「えっ……そんなの聞いてない!」
「もう決めたことだから」
ルナには真実を隠したままでいく。
適当な理由で別れを告げ、あとは山なり海なりに移動してこの体を捨てる。
それでまたぬいぐるみに入ってルナのもとへ戻るのだ。これですべて元通り。これが最適解。ほかに方法はない。
「だからルナ。これからも元気で――」
「ナオトがいなくなったらルナ死ぬ」
「分かった。いなくならない」
作戦変更。他に方法を考えるんだ。
大丈夫大丈夫。やりようはある。
え? やりようある? この男死んでるのに?
「ナオトってさ、いつも急に勝手なこと言うよね。さっきだってそうじゃん。約束すっぽかしてさ――」
分からない。僕はナオトじゃないから。
どうしてルナが怒っているのか。なんて言えば機嫌を直してくれるのか。そして不意に声を掛けてきたこの金髪の女がなんなのか。
「ナオト、今朝うちにパンツ忘れていったでしょ。はい」
押し付けられたこの布切れがなんなのか。
僕にはまったく分からない。
金髪女は颯爽と去っていく。ヒールが地面を蹴る音が徐々に遠くなり、繁華街を包む喧騒すらどこか遠くに感じる。
僕の元には頼りない布切れと、ルナの曇った瞳だけが残った。
「違うんだルナ。なんのことか本当に」
「脱いで」
「え?」
「ズボン脱いで」
僕にはなにも分からない。
この男の性格、生活、交友関係、なにもかも。
それでも一つだけ分かることがある。
この男、ノーパンだ。
「……ダメだよルナ。こんな道端で」
「違うんでしょ? 違うならできるよね? なんでできないの?」
“魔力”とは感情のエネルギーだ。
悪への怒りそのものが魔法少女の力の源。
それが今、行き場を失い渦を巻いている。
「ルナ、落ち着いて」
「落ち着いてる!」
思わず後ずさる。
凄まじいエネルギーが頬を炙るのを感じる。
どうして人間はなにも感じないのか。
分かる者が見れば、遠くからでも魔力が柱のようにそびえ、周辺を照らしているのが分かるだろう。
電灯に群がる虫のように、“分かる者”が集まってきた。
「まずい……」
「まずいってどういうこと!? やっぱりさっきの女と――」
「そんな場合じゃないよ!」
それはすでに、人の目にも捉えられる距離にまで迫っていた。
空を覆い尽くす蛾の大群。
しかし一匹一匹が空に浮かぶ満月を覆い隠すほどに大きい。
悲鳴、怒号、慟哭、混乱。
ネオン照らす繁華街の細道を人間が波のように押し寄せる。
「ルナ、変身だ。みんなを助けないと!」
「は?」
ルナの手が僕の胸ぐらを掴んだ。
それは人間の目では捉えられない速度で行われ、気付くとルナの濁った瞳が目前に迫っていた。
見たことのない色をしたそこには、見慣れない男の恐怖に固まる顔だけを映していた。
「話逸らさないでよ」
「こっ……このままじゃルナも死んじゃうんだよ!?」
「いいもん。このままナオトと心中する」
言葉が出ない。
そんなふうに言われたことは今までに一度だってなかった。
あぁ、ルナは変わってしまったんだ。
そりゃそうか。10年も経ったんだ。ルナだって大人になる。
――いや、本当にそうだろうか?
生命の危機に瀕したせいか。頭の中を走馬灯が巡る。
思えば、ルナが戦うのを嫌がったことは一度や二度じゃない。
お気に入りの服が破れたとき。好きなアニメの録画を忘れたとき。大事に取っておいたプリンが腐ってしまったとき。
ルナが感情に任せて無茶苦茶なことを言うのは初めてじゃない。
そのたびに僕は彼女を宥め、戦いに赴かせてきた。
破れた服を繕い、アニメのDVDボックスを取り寄せ、バケツいっぱいにプリンを作った。
「ねぇ! なんとか言ったら――」
ルナがギョッとした顔で固まる。
僕がズボンのベルトに手を掛けたからだ。
「なっ……ナオト……?」
そんな不安そうな顔をしなくても大丈夫。
なんてことはない。
この男なんかより僕のほうがよっぽどうまくやれる。
ルナを誰よりも知っているのは僕なんだ。
ルナの子供の時の夢だって。
……そう、知っていたんだ。彼女が本当になりたかったのは英雄でも戦士でもない。
望まない戦いが彼女を歪めてしまったのだろう。本当に申し訳ないと思っている。
だから、その歪みは僕が引き受けなければならない。
僕はズボンの中に手を突っ込み、隠していたマジカルステッキを取り出した。跪き、彼女に差し出す。
ルナの将来の夢は――素敵なお嫁さん。
「ルナ、結婚しよう。この戦いが無事に終わったら」
ズボンを脱いでみせろという要求にはまったく答えていない。これは単なる目眩ましだ。
でも真実はどうあれ、それはルナが一番欲しがっていた言葉だったのだろう。
ルナは蕩けた顔でマジカルステッキを手にとった。
「……はい」
“魔力”とは感情のエネルギー。
溢れる魔力を遺憾なく発揮し、ルナは迫る敵を千切っては投げ千切っては投げ。空前絶後の大活躍を見せつけた。
どさくさに紛れて逃げ出す暇もないほどの速度で敵を片付けたルナ。僕の手を取り向かったのは市役所であった。
様々な戦いを乗り越えてきたが、ここまでの修羅場は初めてである。とにかくひとまずの危機を乗り越えた安堵感でいっぱいで、これからのことなど一つも考えてはいなかった。
しかしこの“体”はこの手の修羅場が初めてではないらしい。
男の戸籍がバツだらけであること。
そしてこの男が現在も既婚であり、婚姻届が受理されなかったのはまた別の話……。