「第二話」クリスのアジト
誰も居ないゴミ屋敷。そこに積み上げられたゴミを跨ぎながら進むと、そこには地下室のような隠し扉があることが分かる。俺が重い鋼鉄の扉を片手で開くと、その下には階段と、これまた深い闇が溜まっていた。
目を覚ましたシュナが、俺の腕の中で身体をよじらせる。瞼を擦り、寝ぼけた様子で隠し扉の向こう側を見た。
「ここが、クリスの家?」
「まぁな。階段降りる時に身体に響くかもしれねぇけど、我慢しろよ」
「うん」
ああ、とうとう連れてきてしまった。俺はシュナの善性を信じたが、最悪の事態に腹を括ったわけではない。今一度ため息をついた俺は、開いた扉を閉めたのちに、階段をゆっくりと降りていく。暗闇の中では、足音がよく響いていた。
「着いたぞ」
俺は、いつも通り真っ暗な部屋の中に帰ってきた。なんてことはない、しばらくすれば目も慣れるはずだ。そう思っていた俺の腕の中で、シュナが拳を握っていた。──次の瞬間、その手の中に入っていた光が、部屋の中を大きく照らしたのだ。
「便利でしょ、これ。ボクがクリスを捕まえた時にも使ったやつだよ」
照らされた部屋の全体像を見るのは、これが初めてだった。適当に置いたソファー、そこら中に落ちているゴミ……思っていたよりも照らされた部屋は広く、そして想像を絶するほど汚かった。
「お前……魔法使って大丈夫なのか?」
「平気だよ。クリスのおかげでちょっと休めたし、これくらいならどうってことない」
ニッコリと笑ってみせたシュナの顔は、とても疲れていた。でも何故か凄く安心しているような、今にも眠りにつきそうな、でも離したらそのまま消えて無くなってしまいそうな、そんな複雑な感情を抱かせる笑顔だった。
だが、赤の他人である俺では、そういう部分に踏み入るのは憚られる。そもそも彼女がどう思っているのか聞いていないし、客観的に見ればこれは拉致である。自己満足でやっていないだろうか? そもそも何がしたくて俺はこんなことを──。
「クリス」
「えっ? あ、ああ……今下ろすよ」
「そうじゃなくて」
そっと、ソファーに寝かしつけたシュナが首を降る。彼女は屈んだ俺の顔に手を伸ばし、そっと触れてきた。手はなんだかぬるま湯のような暖かさで、どうしてか脱力してしまう。
「凄い、怖い顔してる。……怒ってる?」
あながち間違いではないような、でも決して彼女が想像するようなものではない。俺は自分自身の選択の甘さに憤っているわけであって、シュナに対するそういった感情は一切ない。
「お前のせいじゃねぇよ」
俺がそう言うと、シュナは「そっか」と、ホッとした顔をしていた。すると彼女は、せわしなく首を動かし始めた。何か探しているのか、それとも何かを警戒しているのだろうか? ──暫くの思考の果てに俺は、思い当たる節に辿り着いた。
「安心しろ、『玄武玉』ならここにある」
「……」
シュナはそれを見てホッとしたような、少し悲しそうな顔をした。
俺は事実としてだけではなく、感覚でも思い出す。自分の最終目標を達成するためには、シュナの目的を犠牲にしなければならないという、誤魔化しようのない事実を。
「……先に言っとくけど、俺は譲る気ねぇから」
「うん、分かってる」
即答したシュナの落ち着き様、そしてその奥に潜む悲しげな声が、余計に俺を揺さぶった。まるで自分よりも大人に優しくされているようで、気味が悪くてならない。これじゃあ、俺がガキみたいじゃないか。
むくり、と。シュナが起き上がった。
「おい、寝てろって」
「大丈夫、そんなことより……」
近づいた俺の肩を、シュナは掴んだ。少女とは思えないほどの力……いいや、重みがそこにはある。俺が背負っている業に負けず劣らずの、そんな執着にも似た願望が。
「ボクは、クリスを知りたい。どうして君が、『玄武玉』を必要とするのかも」
「……」
不意に、思考が呆けたような感覚になる。閉ざしていた何かがこじ開けられたような、入れるはずのない間合いに土足で踏み入られたような……それでも嫌な気はしないという、奇妙で不思議な心地である。
「……母さんの仇を、殺したいんだ」
たっぷりと間を置いた後に、俺はそう答えた。