「第十話」盗み聞き
周辺の目立たなそうな場所をくまなく探した。路地裏、下水道近く……しかしそこにいるのはドブネズミや蛆虫ばかりであり、あの華奢で可愛らしい少女はどこにも見当たらなかった。
「はぁ……はぁ……!」
走りながら、心の中に後悔が募っていく。怪しげなあの女を取り逃がしていなければ、何か吐かせることができたかもしれない。いいや、そもそも俺がシュナに付いて行っていれば……「もしも」が膨らむ度に、ああしていればこうしていればという思いが、いつもは冷静なはずの思考を鈍らせていく。
そうしている間にも、空の色は青からオレンジ色へと変わっていく。
周囲が暗くなり、行き交う人々の顔が見えなくなってくる。
もしもこのままシュナを見つけることが出来なければ、否が応でも夜が来る。そうなってしまえば事態は最悪を迎えることになるだろう……夜は人の顔が見えない、誰が誰だか判別することが難しい。自分の立場上人に顔を覚えられるわけにもいかないことから、当てずっぽうで声をかけるという手段は無い。
焦りながらも考える。こうしている間にも取れる選択肢の幅は狭くなっていき、やがてなんの身動きも取れなくなる。それだけは、それだけは避けなければならない。
同じ思考、考えがぐるぐると回っている……そんな張り詰めた俺の耳に、どうでもいい会話が流れ込んできた。酔っ払った中年と、おそらく酔っていないであろう男の会話だ。
『朝から飲み過ぎだ、馬鹿野郎』
『うるせぇ、やってられるかこんな人生! 金はみんな王族貴族の手の中、そのしたにいる俺らにはな~んも残っちゃいねぇ!』
薄暗闇の中、俺は横目でその会話を見て聞いていた。現実逃避のようなものだ、打開策も何もないこの状況で……俺は今、何も考えずに名前も知らない二人の会話を聞いていた。貴族への悪口はいつもであれば大好物なのに、今はちっとも楽しくない。
『だがらよぉ、俺は証拠を押さえたぞぉ……あいつらをいい暮らしから引きずり下ろすための、ガルベルの野郎がやらかした決定的な証拠をよぉ!』
『ああ? あんだそりゃ』
『路地裏で小便してる時に見たんだよ! あいつはなぁ、コソコソちっこい女のガキを担いで歩いてたんだ。しかも突然おっかねぇ声は出すわガキを殴るわ……紳士にあるまじき行為ってやつだろ!?』
気がつけば、俺はその酔っ払った男の胸ぐらを掴んでいた。
「な、なんだおめぇ!?」
「その女の子の髪の色は!?」
「いきなり何すんだこのやろ……イテテテテッ!?」
「いいから答えろ、五秒以内に答えないならお前の腕をへし折る!」
「くっ、黒だ! 真っ黒な黒髪だぁ!」
俺は男の腕を離し、そのまま逆方向に走り去る。背後から罵声が飛んでくるが、今はそんな事を考えている場合ではない。
ガルベルがシュナを攫った。
その事実が、俺をシュナの元へと導く……それが分かったことが、いちばん重要なのだ。
俺は町中を疾走しながら、彼女と出会ったあの屋敷を目指した。辺りはすっかり暗くなっており、引き締まった気持ちが緩むことはなかった。




