表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
5/6

(5)それは、駆け落ちとは言わない

 夏の夜は短い。月の軌道は低く、それでも昇りきってはいない。

 とりあえず客たちはいい。(怒っていたが、天音も)

 あえて身を切る話題を提供し、『過去』を酒肴(しゅこう)にした。天音が扮する花嫁の初々しさも手伝い、それなりに場は()つだろう。


 小一時間程度ならば。


 ばさり、と翼を打ち、静寂に包まれた神域のはるか高みを滑空する。同じように動き回る霊力や気配に、皮肉にも目はあちこち泳いだ。

 人里に繰り出す輩までいる。知らず、苛立ちが募る。


(くそっ。こうも同族が散らばってちゃ、かえって探しづらい。年寄りは頭が固ぇし。次男坊は、てめぇの嫁を探しに行ったに決まってんだろうが…………って、待てよ? となると)


 空中で急停止。そのままの姿勢で留まるため、忙しなく翼に風をはらませた。

 唐突に、不自然なほど見当たらぬ花嫁の璋子(しょうこ)こそが怪しいと思えた。


 いくら“神気”を分け与えられたとはいえ、不可思議な能力があるわけでもない。術者でもない、ただの人間がどうやって逃げおおせた?


 聞けば(よわい)二十六。通常であれば、とっくに道理のわかる成人だ。

 麓の町で雇われ美容師をしていたという。見初めた次男坊が惚れ込み、人間に化けてたびたび勤め先に出入りし、かなり強引に説き伏せたとか。


 他人事ながら、聞くだけでくらりとした。――他人事だからこそ。


 烏天狗は、おおむね好いた異性への執着が強い。仕方がない。本能に起因する。なにしろ(つがい)なのだ。


「生涯にただ一度だけ、のな」


 長い長い妖としての生を連れ添ってくれる、大事な伴侶。次男坊の立場で、自分ならばどう動く?

 もし、花嫁が本当に逃げたのだとすれば。


 宙に浮かび、顎に指を添えて思案した烏は、はっと瞠目した。


「……ッ、まさか!?」


 いや、ありうる。()()()()()()


 翼の一打ちで方向転換。

 闇に沈む、広く波うつ山なみに視線を凝らし、ぽっかりと穴が空いたように同族が立ち入らない場所を探した。

 そのなかに、峰の奥に夜露がかかり、月光を反射して霧のようにけぶる谷がある。

 そこへ、落ちるように飛んだ。




 予感が正しければ。

 『そこ』に役者は揃っているはずだった。



   *  *  *



「――璋子、寒くないか? すまない。おれが父上たちに、うまく伝えられなかったばかりに」


「ううん。(あかつき)さんは悪くないわ。わたしがどっち付かずだったの。…………だめよね。覚悟が足りなかった。まさか神様とか妖怪とか、もののけなんて。お婆ちゃんの昔話でしか聞いたことなかった。御山(おやま)に、本当にいたのね」


「うん」


 染みる沈黙。ぴちょん、と水がしたたる。真っ暗な洞窟のなか。

 夏なのにひどく冷えるのは、ここが昼間でもひんやりとした岩室だからだろうか。

 恋人が『霊力』を使えば身内にばれてしまうだろうと、璋子は持参したスマホをライト代わりに点けた。

 電池がもたらす機械的な明かりは、ここでは異質なほど明るい。

 地面に置かれ、天井に向けられた白い光は、祝言(しゅうげん)から逃げたふたりの顔も均等に照らしている。

 璋子は綿帽子のない白無垢姿。

 暁、と呼ばれた烏天狗は黒い袴姿。

 両者ともに、全身しとど濡れている。それで、光を挟んでぺたりと座りこんでいる。


 すると、ホゥ、ホゥ、と傍らで暢気な声がした。

 一風変わった(フクロウ)だった。

 梟は、特有のとんでもない角度まで首を傾げる。しかも、喋った。


「なんじゃなんじゃ、情けないのう。もう『駆け落ち』は終いか。ん?」


「主様っ! あんまりです。彼女は……璋子は、本当は、おれになんて嫁ぎたくなかったのに」


「え!? あああの、ちょ、暁君?」


 慌てて相手の言を止めようとする璋子に気づかず、やや童顔の烏天狗は両手を梟のそばに打ち付けた。

 現代的な感性を持つ璋子から見れば、ほぼ、手のひらによる床ドン。

 梟はスマホから三歩ほど離れている。にも拘わらず、淡く輝いていた。

 瞳は金。星々を閉じこめたような羽毛は銀。瞳孔も銀。それで作り物めいている。 

 が、紛うことなき山のヌシ。その仮の姿だった。


 人間からは畏怖を込めて土地神と崇められる存在に、暁はこんこんと説明口調で食ってかかった。


「良いですか。お聞きくださいませ、主様。“神気”を受ければ、清らかな乙女は(はふ)(びと)となり、我らと同じ“層”に生きる者となる。つまり、もう人の世には戻れないのです。なぜこんな大事なことを……おれが父上たちに捕まっている間に。確認もとらず!」


「あ、あのね。暁君、それは」


 そろそろと指を伸ばす璋子に、手を伸ばしそうになり、暁は、ぐっと堪えた。また眉を険しくする。


「璋子は黙ってて。この際いちど、誰かが主様に言わなきゃいけない。将来的に、また犠牲者が出てしまう前に」


「犠牲」


「そうだよ。だって」


 ――――本当は、人の世に未練があるだろう? 貴女が選んだのは、『妖の恋人(おれ)』じゃない、と。


 泣きそうな顔を歪めた刹那、ぱりん、と、かすかに破砕音が響いた。洞窟の入り口を隠す瀑布の音が途切れ、そうしてまた落ちる。

 

 ほほぅ、と感嘆したように梟が鳴いた。


 砂混じりで段のある岩場を悠々と歩む気配。下駄の音。

 暁はとっさに璋子を背に庇ったが。


「あ」


 ぽかん、と口を開けて凍りついた。ある意味予想どおり。同時に、どこまでも想定外だった。




「見つけたぞ。この、考えなしのド阿呆……!」




 水の煙幕を通り過ぎたにしては、男は一滴も濡れていない。

 代わりに宝石じみた雫を肩に、頭に無数に被っている。それらをぶるりと振るって払い落とすと、氷と思わしき粒が一斉に散って、ぱららっと(ひょう)のように転がった。


「早かったの。坊。つまらん」


「こんの、くそ(ジジイ)……! 山の連中の手前、貴様なんぞを主様とか崇めなきゃなんねぇの、そろそろ嫌んなるぜ」


「一の杜の、若……?」


 呆然と問う若年の同胞を、見た目と言動よりも老成した中身を抱える青年は、やれやれと見下ろした。




評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ