(4)行方知れず
巫女装束の年配の女は、天音と同じように廊下の角からまろび出た。
一体どう言いくるめられてか、随分と遠くに追いやられていたようで、すっかり息が上がっている。
「あ、天音様、どうかお戻りを……。髪を結って綿帽子でお顔を隠していただかねば。お願いでございますから」
「いやよ。烏も来たし、もう帰る」
「そんなぁっ!?」
「……な? この通り、手が付けられぬ。動き回るわ、始終質問攻めだわで世話役もくたくただ」
「んんん…………まぁ、そうだな。すまん。俺の説明も足りなかった。おい天音」
それなりに同情を示しつつ、気を取り直した烏は、目の前の天音を軽々と抱き上げた。左腕に乗せて重心を崩し、わざとこちらの首筋にしがみつくよう仕向ける。
「きゃっ! な、何?」
「悪いな。こんなんでも将来、親戚になる連中だから。今のうちに恩を売っておいて損は――」
「こら」
二の滝が苦笑しつつ、半睨みのゆるい拳骨で烏の頭を小突く。
天音は大人しく烏を見つめ返した。
「しんせき……。ね、あんたがこの間言ってたアレ、本気なの? 私、れっきとした人間なんだけど」
心なし目許を染めた少女が、もごもごと言い募る。烏はにやり、と笑みを浮かべた。
「本気以外に何か? ――さ、世話役どの。さっさと仕上げてくれ。このじゃじゃ馬姫は俺が運ぶ」
「はい」
「~~~、じゃじゃ馬じゃないし、姫でもないったら! ばか烏!」
「ハイハイ」
明らかにほっと表情を緩ませた女に続き、天音を抱く烏と手ぶらの二の滝が廊下を進む。突き当たりに戸が見える。
やがて、後ろから愚痴っぽい独り言が聞こえた。
「まったく。お前も弟にも困ったもんだ……。こうまで、人間の娘に……」
「! そうだ、二の滝。次男坊はどうした? 慣例なら右の部屋で控えてんだろ。まさか、花嫁が消えたってこと、バレてんじゃねえだろうな」
「あぁ。それは――」
先導の女がすらりと木戸を引き、通された四畳半ほどの板間で天音を下ろす。
姿見の前で、てきぱきと彼女の髪が結われてゆくのを眺めていると、二の滝はようやく口をひらいた。
曰く。
「え、……嘘だろ。花婿まで? 見張りは? 誰も付けなかったのか」
「残念ながら。うちの者は全員、半人前まで花嫁探しに出ている。右の部屋には封じの術を掛けておいたんだが、破られて」
「おいおい」
呆然と呟く烏の両肩に、険しい顔の二の滝が正面から手を置く。そのまま、実にすまなさそうに頭を垂れた。
「正直、もう他に手だてが……。頼む、一の杜。協力してくれ。弟を探して欲しい」
「はあぁ????」
なかなか力強い拘束だった。のけ反りたいのに離してもらえない。
――うっそだろ、と再度呟くと、鏡のなかで着々と花嫁姿に仕立てられる天音に、じとり、と睨まれた。
* * *
やしろ前の大広場は、妖たちの熱気で沸き立った。
目深に綿帽子を被った天音の手を引き、やんやの喝采を浴びる二の滝は、この場を収めるべく片手をあげた。たちまち潮が引くように喧騒が止む。
二の滝はそれを確認したあと、す、と腕を下ろした。
「皆、我が家の寿ぎによく集まってくれた。礼を言う。こちらが弟の妻となる璋子どの。このように、支度は万事整ったのだが、今度は弟が主様が連れていかれてな」
どっ! と酔客らの一団から笑いの渦が起こる。
方々から「何でだよ」などと突っ込みの声が上がるなか、「大丈夫か」「主様がなぜ」といった心配そうなざわめきも広がった。
二の滝はそれらに目を遣り、鷹揚に頷く。
「いかにも。なにしろ、人の子の乙女を妻にのぞむ身だ。特別な心得などもあるのやも知れぬ。――が、そろそろ頃合いかと。な? 一の杜」
「あぁ」
それまでずっと黙りこくって腕を組んでいた、傍らの烏が不遜な仕草のままで応える。
その過去を知るものは、皆、はっと息を飲んだ。
――――霊峰・室伏山の筆頭守護職“一の杜”の長男坊がその昔、人間の亡者に懸想し、あろうことか現世と幽世を往き来していたのは有名な話だ。
やがて、乙女の魂を失った青年は自棄になり、あちこちの荒くれども――離れ妖に喧嘩を吹っかけて回っていた。
結果、大いに地脈を乱してしまい、力ずくで杜の主から調伏――つまり、粛正されそうになったことも。
「では、頼む」
「そっちこそ」
「……」
烏天狗の青年たちが、意味深に目配せを交わす。
ふたりの間には口許を袖で隠し、しずかに佇む白無垢の花嫁。
やがて黒羽を顕にした烏は組んでいた腕を解き、勢いよく上空へと羽ばたいた。