第7話 乖離
九江家今朝の献立は白ご飯に焼き鮭と味噌汁、ほうれん草のおひたしとたくあんです。
「なんてこと言うのさ!?」
親父が朝から凄いこと言うものだから、びっくりして味噌汁を吹き出す羽目になった。
九江卿人がメイスを作って貰ってから数ヶ月、冬も近づいてきて、何とか使い物になるようになってきたと思ったある朝のこと。
朝食中、急に親父から話があるといわれて聞いてみれば。
「お前らもう寝たのか?」
である。
もちろんまっとうな意味ではない。
隠語だ。
冗談も大概にして欲しい。
つうか主語を正確に言ってないから、俺の勘違いかもしれない。
「念のため聞くけど、僕と、だれが?」
「雪華以外に誰かいるのか?」
ああそうだね! 他にいないもんね!
俺の質問もおかしかったね!
「あら? まだだったの?」
おふくろまでそんなこと言うの!?
「してない! てゆうか部屋隣なんだから毎日聞こえてるでしょ!?」
「『ちゅーしようよ』」
「うぐっ!」
おふくろの雪華の声真似が上手すぎる。
状況が鮮明に思い出されて顔から火が出そうだ。
「あらかわいい」
「あんまり僕で遊ばないで・・・・・・」
親父は、あからさまにホッとした顔をしている。
息子に対してそれはないよ。ちょっと悲しくなってきた。
「考えてみてよ、僕らはまだ8つ・・・・・・もうすぐ9つだけど、早すぎるでしょう?」
「あら、お父さんは10歳だったそうよ」
「三春っ!」
珍しく親父が名前でおふくろを呼ぶ。
は? 10歳?
親父は真っ青な顔で止めてくれと目が懇願している。
「詳しい話は今度ね、とにかく自分の息子なら不思議じゃないと思って、不安なのよ、お父さんは」
ああ、成る程・・・・・・。息子だから心配なのね・・・・・・。
俺に経験は無い。前世含めてだ。いわせんなちくしょう。
「不安も何も、そんな気はないよ」
「・・・・・・雪華ちゃんのこと嫌い?」
眉をひそめるおふくろ。
そりゃあ毎日一緒にいて、一緒に遊んで、夜には同室で寝ているのである。おまけに雪華の好き好き攻撃。
これで雪華の事を嫌いだなんて言ったらぶっ飛ばされる。
「好きだよ、ホントに。でもまだそういうの興味ないんだ」
「そう、それならいいわ」
あっさりと納得してくれた。
好きなのは間違いないし恋愛感情らしきものがあるのも本当だ。
ただ中身は20代だからね。子供に手を出すとかあり得ないし。そういう対象でみていない。
・・・・・・子供に恋愛感情を持ってる時点で危ないと言われてしまいそうだ。
この辺説明が難しいのだけど。記憶が安定しても肉体が幼いのに精神が成人しているせいか、理性が感情に引っ張られる事がある。
今は大人の女性がおばさんに見えてしまうし、逆に雪華は同年代として認識している。
そこに大人の理性が入るせいで矛盾した内容になってしまう。俺自身勘弁してほしいと思っているのだ。
「下品なことを言ってごめんね? お母さん、卿人が雪華ちゃんの事をちゃんと想ってるか心配だったの・・・・・・」
おふくろは申し訳なさそうに、そんなことを言う。
自分でも、はっきり好きっていうのには若干抵抗がある。主に前世の件で。でもここで好きだと言わないのはただ逃げているだけだろう。少なくとも誠実ではない。
すると突然リビングのドアがバアン! と開く。そこにいたのはもちろん。
「卿人! 今わたしのこと好きって言った!?」
雪華だった。胴着姿で箸と茶碗をもっている。それでどうやって扉を開けたんだ?
「言ってない」
「嘘だッ!」
「嘘じゃない、行儀が悪いからご飯ちゃんと食べてきなさい」
「うっぐ・・・・・・はーい・・・・・・」
目も合わせずに怒る。
それが効いたのか、とぼとぼと帰って行く雪華。ドアが開けたままだったので閉めておく。蝶番も留め金も壊れていない。
ホントどうやって開けたんだろう。
「ほんとうにあなたたち仲が良いわねえ、なんでわかったのかしら?」
「仲がいいで済ますのか、今の? まあでも、今ちゃんと言ってやればよかったのに。せっかく来たんだからよ」
「食事の席を途中で立ったうえ、茶碗と箸をもったまま人の家に突撃してくる人間に優しくする道理はないね」
まったくいただけない。懲罰モノである。さっき自分が味噌汁吹いたのも許せない位なのだ。
「母さん、こいつに果国の教育してたか」
「いいえ、この子の性格だと思うわ」
隠す気のないひそひそ声でそんなことを言う。
ちなみに、果国はほぼ日本と同じような文化をしている。茶碗も箸も湯飲みもある。風習や風俗もほとんど同じようなので、果国的な発言を無意識にしてしまう時があるみたいだ。
今回もそれに当てはまった。
そこまで考えてふと思う。今更なんじゃないかと。
「そんなに心配なら、雪華を僕の部屋立ち入り禁止にしたら? 果国の教育って意味なら男女は分けた方が良いんじゃ無い?」
お前が言えよと言われそうだが、俺が言って雪華が聞くようならこんな事は言わないし、俺としては来てくれてる方が嬉しい。
親父は俺の言葉に対し、難しい顔で。
「それも考えた。最近のお前らの様子見て思ったんだよ。早熟すぎやしねえかってな」
そうかなあ、ただ遊んでるだけなんだけど。もちろん隠語じゃなくて純粋に。
おふくろは湯飲みに口を付けるとふぅ、とため息をひとつ。
「卿人、最近急に大人びてきたよね」
ぴくっ、と食器を片付ける手が反応してしまった。気付かれたかな。
でもなんて説明しよう・・・・・・。前世の記憶があるんだ、なんて言ったら治療教会行きだよなあ。
「お母さんさみしいわ。こうやって大人になっていくのね・・・・・あ、でも雪華ちゃんが貴方の部屋に行くのを止めたりしないわよ」
危惧してたのとは違ったみたい。ふぅ、と俺は胸をなで下ろす。
おふくろはそれを別の方向に勘違いしたみたいで、にっこりと笑って見せた。
「そんなに心配しなくても卿人から雪華ちゃんを取り上げたりしないから、安心して?」
「そうそう、まぁ、なんだ、お前が雪華と仲良くしてるのなら問題ないって事だ」
「まとめかたに無理があるよ」
「それは俺の切り出し方が悪かった、済まねえ」
「うん」
ちゃんと子供にも頭を下げて謝れる。前世の親父もそうだったけど、親父の美点のひとつだ。
ぴんぽん
チャイムが鳴る。そう、この家。チャイムがある。もちろん電気じゃなくて魔道具だ。
親父が窓から下を覗く、裏口の方に誰かいたようで、手招きした。
「炎華だ。なんか持ってきてる」
階段を上る音が聞こえ、リビングのドアがノックされる。
親父がドアを開けると、背の高い少年が入って来た。
「おはようございアッス!」
朧炎華。朧家の長男で雪華の兄だ。今年15歳になり成人を迎えた。ろくに整えていないぼさぼさの黒髪にはちまき、胴着。なぜか胴着の腕部分がちぎれてノースリーブになっている。ちなみにどこで見かけてもこの格好をしている。腕に筋肉が付ききっていないので正直似合っていない。黒曜石の眼光鋭く鼻の頭に傷がある。
炎華は慇懃に頭をさげ、同時に手にもった風呂敷を差し出す。
「この度はウチの妹がご迷惑をおかけしましたッス! これは詫びの品ッス!」
「おはよう炎華くん。あらあらいいのに、ウチの卿人に会いに来ただけなんだから」
炎華は頭を下げたままギロリと俺を睨む。
「ッス! それはどうでもいいんッス! ウチの雪華の見苦しいところをお目にかけたことが問題なんッス!」
「ホントに良いのよ? あの姿にウチの卿人はメロメロだったんだから!」
炎華の瞳にさらに力がこもる。
「ッス! 朧家総意の詫びッス! 受け取って欲しいッス!」
「あらそう? じゃあ遠慮無く・・・・・・あらお父さん! お父さんの好きな果国のお酒よ!」
それはおふくろが好きな酒だった。ついでに言うと親父は果国酒が嫌いだ。
おふくろは喜色満面、親父は苦笑している。
「ッス! 喜んでいただけたようで光栄ッス! これからも雪華を宜しくお願いしますッス!」
こちらを睨んだままにやりと口の端をあげる。
「うんうん、もっと卿人に宜しくさせるわ!」
「んぎぎ・・・・・・よ、宜しくお願いするッス!」
ギラン! と憎しみの炎を瞳に宿す。
せわしない野郎め。
ちなみに俺はこの会話の間、ずうっとにやにや笑いながら炎華を見ていた。
どうしてもウマが合わない相手、というのがいる。性格が合わないわけでもない、嫌いなところがあるわけでもない、むしろ人間としては好ましいとさえ感じている。
それなのにどうしても相手のことが好きになれない、そんな相手。
俺にとって、そしておそらく向こうにとってもそのウマが合わない相手。
つまりお互いが何の理由もなく大っ嫌いなのである。
俺は立ち上がり、炎華に声を掛ける。
「炎華兄さん! いつも有り難うございます! 送っていきますよ!」
「ッス! 感謝しますッス!」
顔を上げ、俺を見下ろした炎華はニコニコと笑っているが口元が引きつっている。
その涙ぐましい努力は評価しよう。
「では失礼するッス!」
両親に頭をさげ、退出する炎華。俺はその後を小走りで追う。
バタン、とリビングの扉が閉まり、廊下を並んで歩く。
突き当たりの階段にさしかかったところで、ドスの利いた声が隣から降ってきた。
「おいガキ」
「何ですか?」
俺も慇懃無礼に答えてやる。
「手前ぇ三春さんに言われたからって本気で雪華と宜しくするんじゃねえぞ?」
「は? 宜しくされてるのは俺の方なんですけど?」
「嘘つくんじゃねえよ、雪華が手前ぇなんかに宜しくするわけねえだろうが」
この短い会話ですでに「宜しく」がゲシュタルト崩壊している。
「雪華がなんて言って飛び出したか当てましょうか? 『卿人がわたしに愛を叫んでいる気がする!』じゃないですか?」
「ぐぬ・・・・・・軽々しく雪華を名前で呼ぶんじゃねえよガキ」
「すみませんねぇ、お兄様」
「お前にお兄様なんて呼ばれる筋合いはねえ!」
「お兄様、お兄様。ウチの母親の機嫌をいくら取っても逆効果ですよ? お兄様」
「っせえよ! わかってんなら余計なことすんじゃねえ! あとお兄様って呼ぶな!」
「しかもあのお酒自腹ですよね? そこまでして僕に嫌がらせするなんてもはや尊敬に値します、お兄様」
「お前いい加減にッ!」
「あ、お兄様、人がいますよ?」
階段を降りると、早番の従業員さんが店内の掃除を始めていた。
「ぼっちゃん! おはようございます!」
俺を見つけてにこっと挨拶してくれたのは、バイトのサラーラお姉さんだ。そばかすの浮いた顔は愛嬌があってかわいらしい。
「あ、炎華くんもいらしてたんですね、おはようございます! 相変わらずのファッションですね!」
「おはようございまッス!」
「おはようございますサラーラさん、今炎華さんをお見送りするところだったんです」
がっちりと肩を組む俺と炎華。身長差があるのでかなりいびつだが。
俺も炎華も貼り付けたような笑みを浮かべている。特に炎華は無理をしているのか、顔面の神経を総動員しているのだろう、血管が浮き出ている。
サラーラさんは俺たちの様子にクスッと笑う。
「相変わらず仲がおよろしいんですね~」
「そうなんですよ! 今日もたくさんお兄様とお話していたんです!」
「ッス!」
「まるで本当のご兄弟みたいですね!」
「それでは僕はお兄様を送っていきますので」
「失礼しまッス!」
肩を組んだまま裏口を抜けて訓練場に出た瞬間。
「誰が兄弟だゴルァ!?」
炎華は俺の肩を両手でがっちりと固定すると、頭突きを仕掛けてきた。鼻に頭が当たるように迎撃してやると、直前で頭突きを止めやがった。流石の反応速度である。
「お兄様、突っ込む相手を間違えてますよ」
「てめえが余計なこと言わなきゃ良いんだろうが! 殴らせろオラ!」
「おお、こわいこわい! 瞬牙流次期当主は言うことが違いますねぇ」
ものすごい力で襟首をつかまれ殴られるが、にやにやと笑いながら紙一重で捌いていく。
内心冷や汗だらだらだ。
一発でももらったら気絶する自信がある。そのくらいの一撃。
気は込められていないので流石に殺される事は無いだろうが。
瞬牙流時期当主というのは馬鹿にしたわけではない。父親の暁華さんにも将来を嘱望されるほどの才能の持ち主だけど、俺が入念に怒らせたおかげでパンチが単調だ。なのでギリギリではあるが捌けている。
「黙って食らえコラァ!」
「おやおやこんな子供にも攻撃が当てられないんですかお兄様? ハエが止まりますよお兄様? ご両親が泣きますよお兄様? 申し訳ないと思わないんですかお兄様ァ!?」
調子に乗ってぺらぺらとまくし立てる。自分でもかなり悪のりしているのは自覚しているのだけど、口の方が止まってくれない。
ぶち。
という幻聴が聞こえそうなほど、炎華の額に血管が浮き上がる。
「○ねコラァァァァァ!」
あ、マズイ。怒らせすぎた。
練り上げた気の乗った、速度、威力共に十分な一撃が飛んでくる。見切りに身体がついていかず、見えるけどよけられない!
とっさに両腕を重ねてガード。
腕に直撃。みしりと骨が嫌な音を立て、支えた頭に衝撃がはしる。
一瞬、意識が飛ぶが何とかこらえた。
「ぐぅぅ」
「オラもう一発だオラァ!」
・・・・・・最初っから勝てないのはわかってんだよ!
そもそも体格も実力も違いすぎる。おまけに武器も盾も無い。
本来なら絶対絡んではいけない相手。
それでも喧嘩を売ったのは、単純にプライドの問題だ。
わざわざ自腹を切ってまで俺に嫌がらせをしに来たんだ。だまって帰したら男が廃る。
俺が一度後ろ下がるような動きをすると、つかんだ襟首を引き寄せる炎華。その動きに逆らわず飛び込んで、痛む両腕を酷使し片足を取ってそのまま体当たり気味に突っ込み、足を支点に回転する勢いで襟の拘束を外しつつ後ろに回り込む。
間髪入れずに飛び退くと、目の前を蹴りが通り過ぎた。
距離を取って対峙する。
炎華は余裕の笑みでこちらを見下ろしていた。
「良いのか? 間合いが離れたぞ?」
ああ、落ち着かせてしまった。
無理矢理動かした両腕も使い物にならない。
こうなったらもう降参しないといけないんだけど。
しゃくに障る。
目の前に魔法式を展開、マナを走らせ、望んだ効果を発動。
「『イグニッション』!」
唱えた魔法は、極々初歩の強化魔法。時間は短く、効果も微々たるものだが一時的に全能力を引き上げてくれる。
炎華は笑みを浮かべたまま、こちらが魔法式を展開、発動するまで待っていた。
「手前ぇ魔法使ったらもう遊びじゃ済まねえぞ!」
わざと魔法を使わせたんだろう、警告の言葉はどこか楽しそうですらある。
「先に気を乗せたのは炎華兄さんの方だろ!」
低い姿勢で突っ込む。小手先の技では読まれてしまうからとにかく、速く。
「特攻? 良い度胸だ! 正面から潰してやるよ!」
ぎりぎりと力を溜めている右足。
間合いに入った瞬間、うなりを上げて凶悪な前蹴りが放たれる。
直前でフルブレーキを掛け、身体をのけぞらせて蹴りをやり過ごし再び突っ込む。
「読めてないと思ったか!」
高速で振り下ろされる右足。前蹴りはフェイントでこちらが本命。
そんなことは俺だって読んでたよ!
さらに姿勢を低く、地面すれすれまで身体を倒して軸足を払いにかかる。
だが炎華の軸足は鋼のように堅く、大地に根ざしたようにびくともしなかった。
逆にこちらが脚を痛め、完全に動きが止まってしまう。
「寒椿!」
炎華の雄叫びと共に、目に見えるほどの気を纏った足が俺の脇腹に突き刺さる。
バラバラになりそうな衝撃と共に全身へ気が駆け巡って・・・・・・。
俺は意識を失った。
寒椿:冬の庭を彩る白、ピンク、赤色の華やかなお花。
花言葉は「愛嬌」「申し分の無い愛らしさ」
炎華は踏みつけるように使いましたが、
朧流では気を乗せた「かかと落とし」にこの名が付けられています。