第34話 決意3
今回は卿人君です
雪華は、仰向けの九江卿人にまたがり馬乗りになると、自分の指先をぺろりとなめて顔を近づけてきた。
その表情は恍惚としていて、熱に浮かされたように朱が差している。
「卿人、わたしちゅーしてからずっと我慢してたの・・・・・・いいよね?」
「な、何を?」
「もう、わかってるくせにぃ」
俺の胸に舐めた指先をつうっと滑らせる。
ぞくぞくと背筋を走り抜けたのは、快感か、寒気か、怖気か。
雪華はそのまま拳を握りしめて・・・・・・え?
「卿人が悪いんだからね?」
雪華は恍惚とした表情のまま、俺の顔面に拳を振り下ろした。
「どおうわあぁあ!?」
盛大に叫びをあげて勢いよく上体を起こす。
ぜいぜいと呼吸が荒い、自分でもうるさいと感じるほどに心臓が早鐘を打っていた。
「夢か・・・・・・」
ほう、と深く息をついて、額から垂れてきた冷や汗をぬぐう。
実際にあのパンチを食らったら確実に死ぬ。
悪夢以外のなんでも無い。
まったく、なんであんな夢見たんだ俺。
雪華が俺を○すなんてあり得ないだろう。
・・・・・・いやわかんねえな。
著しく機嫌を損ねたらあり得るかもしれない。
頑張ろう。
心を落ち着けようと思考を走らせて、夢の中で襲ってきた雪華がいないことに気がついた。というか自分の部屋ですらない。
床ががたがたと揺れている。
天井の材質はどうやら布のようだ。幌、かな?
つり下がっているいくつかの魔法式ランプの明かりを頼りに辺りを見渡すと、かなり広い空間であることがうかがえる。
畳敷きで50畳くらいはあろうか、旅館の大部屋みたいで大勢でもゆったりと寝ることが出来そうだ。 タンス等が置かれ、荷物が散乱している。倒れるのを危惧してだろう、背の高い家具はない。
俺はその進行方向、右の端っこの方で布団に寝かされていたみたいだ。
壁は、丸みを帯びた天井からそのまま荷台部に繋がっている布製。幌だとは思ったけど、やっぱり幌だった。
そして中央には人の大きさほどもある大きな魔鉱石が鎮座している。
表面にはびっしりと魔法式が刻まれており、絶えずマナが循環しているのが見えた。
何かしらの魔法道具であると予測できるけど、何かは解らない。
簡単なサスペンションの効いた独特の振動と、幌。
どう考えても馬車なのだけど、それにしては広すぎる。
すくなくとも、地上を走る乗り物でこのサイズの物を俺は知らない。前世含めてだ。
大型の屋形船がこんな感じだったような? テレビでみた知識なので信用は出来ない。
それにこれは船ではない、乗り心地は完全に馬車だ。
この世界の馬車は簡易にだがサスペンションがついており、街道であれば酷い揺れ方はしない。もっとも、明らかに街道をはみ出すようなサイズだからどこを走っているのやら・・・・・・。
なんて考えている場合じゃない。
どこだ、ここは。
落ち着け、思い出せ。
サハギン・ロードと戦って、倒して、雪華とキスして、そう、キス、して。
そうなんだよなあ、雪華とついにキスしたんだよなぁ・・・・・・。
・・・・・・。
でへ。
いやいやいやいや! そうじゃない。浮かれすぎだ。
ええと、その晩風邪引いたんだよな。
ふたりとも顔が赤いって言われて、咳も出始めてさ、風邪だろうから早く寝ろと大人達に言われて、じゃあ明日は寝込むかなあとか思ってたら突然雪華に唇を奪われたんだよな。
「卿人と一日離れることになるから先払いね!」
とか意味不明なこと言ってたっけ。
それでお互い余計に熱が上がってしまい、丸一日寝てて。
ん?
じゃあ俺は夜中寝てる間にこれに乗せられたと?
全然気付かなかった・・・・・・。
熱があったとはいえ修行が足りないな。
とりあえず身体のチェック。
熱はない。
咳も出ない。
身体もだるくない。
んん?
これ多分神聖魔法か回生気功掛けられたな。病み上がりにしては体調が万全すぎる。
誘拐とかではなさそうだけど、なんなんだ?
幌の出入り口には布が掛かっていて、ここからでは外の様子をうかがうことが出来ない。
体内時計は昼過ぎくらいだけど・・・・・・。
とりあえず外を見てみようか。
そう思ったところで、進行方向側の布がめくりあげられ、入って来た人がいる。
「お、卿人君お目覚めだね? おはよう」
クラフターズのリーダー、超絶イケメンエルフ種のノートル・ウィルフォレストさんだった。
「おはようございます・・・・・・ええっと」
何から質問した物かと思案したところで、ノートルさんからストップが掛かる。
「まぁまぁ、疑問だらけだろうけど、とりあえず何か食べようか? 昨日はろくに食事もしてないだろう?」
そう言って、パンと・・・・・・え? この香り・・・・・・。
「コーヒー?」
「おや? よく知ってるね? 帝国領の一部でしか生産されてないんだけど」
「ああ、いや、奇特な行商人さんがいて、その方に少し分けて貰ったことがあるんです」
もちろん嘘だ。
転生してからコーヒーなんて口にしたことは無い。
やっぱり名前は一緒なんだな。奇妙な符合は慣れたものだけど。
「ふうん、なるほどねぇ」
怪訝そうな顔だったけど、とりあえずは納得してくれたようだ。
いただきますを言って、差し出された硬い麦パンとコーヒーをいただく。
コーヒーには多めに砂糖が入れてあり、気を使ってくれたのがうかがえる。
「はふ・・・・・・」
「うん、飲めるようで良かった。いま他の飲み物は切らしててね、水じゃどうかと思ってコーヒーにしたんだけど、いけるみたいだね」
ノートルさんがほっとしたようにニコニコとしている。
俺も思いがけず糖分がとれたので落ち着いた。
「うんうん、回復魔法もきちんと効いてるみたいで安心したよ。未成年に掛けたのは初めてだからねぇ」
「あ、ノートルさんが治してくれたんですか? 有り難うございます」
「ホントは駄目なんだけどね。これから説明しなきゃけないから」
そう言うと、表情を引き締めた。
俺も居住まいを正して向き直る。
「さて、じゃあ確認から。どこまで聞いてる?」
「何も聞いてません」
「何も!?」
「はい、なんで僕がクラフターズと居るのかも解っていませんし、なんで連れ出されたのかも心当たりは何にもありません。いったいどうなってるんです?」
「ああ・・・・・・おかしいと思ったんだ。あの弟子は何を考えて・・・・・・」
ノートルさんが頭を抱えていてる。
どうやら親父が暴走したらしい。
ノートルさんは何かを諦めたのか、咳払いをひとつして説明してくれた。
「卿人君、落ち着いて聞いてくれ。君は1年間クラフターズの弟子になる」
「はぁ」
すげえ間抜けな声が出た。全然理解出来ていない。
「クラフターズの理念は知っているね?」
「魔法道具を造って人びとの生活を向上させること、でしたっけ?」
「そう、だから我々は旅をしながら魔法道具を造り、各地を回り、魔法道具と娯楽を提供し続けている」
「はい」
「つまり我々の弟子になると言うことは一緒に旅をするということなんだ」
「・・・・・・はい?」
俺のやっぱり間抜けな返事にノートルさんが苦い顔をする。
「てっきり我々は君が了承しているものと思っていたんだ。我々と最初に会った時は覚えてるかい? あれより前に君の父親から打診を受けていてね、説得はしておくから出立の日にそのまま連れ出してくれないかと言われていたんだ。周りが面倒だからこっそり連れて行ってくれと、あとの話は俺がつけておくからってね」
そうか。
でもそんなことしたらお袋達は黙っていないだろう。
親父は裸で正座させられるな。
「だから本来なら君をこのまま鍛える予定だったんだけど・・・・・・どうする?」
「断れるんですか?」
「いやそれは・・・・・・」
言葉に詰まるノートルさん。
今更それは出来ないだろう。
すべて同意の上で行われたことだと思っていたのだろうし、クラフターズが引き返して来たなんて話は聞いたことがない。
1年後にまたネルソーを訪れるまで帰れないということか。
「偉そうな訊き方になってしまいますけど、いいですか?」
「いいよ、なんでも聞いてくれ」
「僕はここで、何を学べるんですか?」
「そうだねえ・・・・・・君が望むなら何でも教えられる。世界の真理とかは無理だけどね」
「何でも?」
「ああ、我々はクラフターズだ。専門分野の鍛冶、彫金、魔法道具の製造法はもちろん武芸百般に魔法も教える事が出来る。後は各種楽器をはじめとした芸術。家事全般にサバイバル。四則演算に簿記。おおよそ生きていくのに必要な事はだいたい教えられると思うよ。何せクラフターズはそれぞれのスペシャリストなんだから」
「凄い・・・・・・」
正直、またかという気持ちもあるにはある。
前世で勝手に進学先を変更されたのと状況が少し似ていて面白くない。
でも前回と決定的に違うのは、決して悪い話ではないということ。
それに・・・・・・。
「僕はクラフターズのお眼鏡にかなったって事でいいんですよね」
「もちろん。やっていけないと判断した子を弟子にはしないさ。ネルソーでの働きといい、サハギン・ロード戦での活躍といい、申し分ないよ」
そっか。いままで努力してきた甲斐があったんだ。
じゃあネルソーでのお手伝いは入試試験みたいなものか。サハギンロードは偶然とはいえ、評価対象にはなったと。
前世だったら逆にげんなりしていたかもしれないが、今回は願ってもない。
自力で何とか出来る力を付けるのが、当面の目標だから。
それは雪華との約束にも繋がる。
問題は、その雪華だ。
「雪華はこのことを知ってるんですか?」
「すまない、それは保証できない」
だよなあ。
親父にしてみれば俺と雪華を引き離すのが1番の課題だったろうから、まずもってしらせたりなんかしないだろう。
となると、いまごろ泣いてるかな。
俺だって雪華と離れたくなんかない。
宇宙一可愛い俺の彼女なんだから。離れたくなんか無いし、一緒に成長したい。
出来うることなら一緒に面倒見て欲しかったくらいだ。
でも確か、クラフターズは女人禁制なんだっけか。
・・・・・・帰ったら振られてたりしないだろうか。
「卿人君、泣くほど嫌ならこちらとしても無理強いは出来ないけど、どうする?」
「へ? あ、いやいや、これは・・・・・・」
気がつけば俺は泣いていた。
滂沱と涙を流している。
思った以上に。
雪華と離れるのが苦痛らしい。
雪華と離れているのが不安らしい。
情けない。
何か俺、こんなのばっかりだな。
「ノートルさん、僕はクラフターズに弟子入りするのを嫌だとは思っていません。でもせめて、雪華と話だけでも出来ませんか? 父さんとは通信手段があるんでしょう?」
「うん、出来ればそうしてあげたいんだけど。いや、私としては是非そうして欲しいところなんだけど、他の皆がね、修行中に家族と喋ると脆くなる、とか言っててね」
「あー・・・・・・成る程・・・・・・」
「私もそうだがなにぶん古い連中なんだ、済まないけど・・・・・・」
「それは心配に及ばん」
苦々しい顔のノートルさんの台詞をを遮って入って来たのは、バンジョーのスペシャリストであるおじいちゃん。バラロックさんだった。
「バラロック、何かあったのかい?」
「うむ、十三郎めと繋がっている魔道具がいつまでもビービーうるさくてな。しょうが無いから出てやったら奴の嫁が騒ぐこと騒ぐこと。おかげで事情は理解したがな」
ああ、お袋は怒り狂うだろうねぇ。目に浮かぶようだ。
「さんざん文句を言われたぞ。十三郎めのせいだから、今度会った時は目に物を見せてくれる」
「まぁ、そこは任せるよ。それで、心配ないっていうのは?」
ばきばきと指を鳴らすバラロックさんに対して、ノートルさんは苦笑しつつも先を急かす。
「卿人に伝言だ、雪華はお前のために「活殺自在」の修行を始める。存分に鍛えられてこい。だそうだ」
そうか。
雪華はそういう選択をしたのか。
「有り難うございます」
「いいや、こちらの落ち度だ。このくらいはかまわん」
バラロックさんは鷹揚に頷いて見せたが、どこか申し訳なさそうな響きがあった。
クラフターズは変態の集団と聞いていたけど、案外優しいのかもしれない。
「ノートルさん、バラロックさん」
「うん?」
「是非、弟子入りさせてください。どうか、お願いします」
三つ指揃えてふたりに頭を下げる。
雪華が活殺自在になるんなら、俺は同じ土俵に立てるくらい強くならないといけない。
身体能力だけでは追いつけない。
もちろんそれも大事だけど、武器や防具、魔法など全部を駆使しなければ、朧流最強の称号には追いつけない。
それが、俺のためだというのなら、なおさら。
覚悟は決まった。
クラフターズのふたりは、顔を見合わせて頷く。
こちらを向いて重々しく告げた。
「いいでしょう、クラフターズは九江卿人を歓迎し、同行を認めます」
「生半可な覚悟ではついてこれないぞ、肝に銘じておけ」
「はい、あらためて、宜しくお願いします」
親父の顔を立てる意味もある。
自分の目標に合致しているのもある。
だけど、1番のモチベーションは。
雪華にふさわしい男になって、堂々と凱旋してやることだ。
修行編? スタートです




