第19話 卿人と雪華の小さな小夜曲:2
「雪華・・・・・・?」
ノックの音は控えめだった。
うわ、さっきの九江卿人のつぶやき聞かれてないだろうな?
「卿人、ちょっといい?」
雪華のひっくり返った声が聞こえる。
それだけに、なにか決意のこもったような声だ。
振られるのかなぁ・・・・・・。
「いいもなにも、雪華が遠慮とからしくないよ?」
思ったより普通の声が出た。
どんな理由でも、雪華が来てくれたことが嬉しいらしい。
メイスを壁に立てかけて待つ。手に震えはなかった。
遠慮がちに扉が開かれると、うつむいて顔を赤くした雪華があらわれた。
Tシャツに短パンといつもの寝間着スタイル。
おや? 何か様子が思ってたのと違うぞ?
とてとてと小走りに寄ってきて、俺の隣にすとんと腰を下ろすと、そのままこてんと頭を俺の肩に乗っけてきた。顔を赤くして眉間に皺を寄せている。
「うぬぬ」
「どうしたの?」
「もっとさっそうと登場するつもりだったのに! 卿人が急にあんなこと言うから失敗した!」
「おう、ご、ごめんよ」
どうやら機嫌を損ねてしまったようだ。
そうか、聞こえてたのか。
「僕も恥ずかしい」
「当然だよ! わたしだけはずかしめられるなんて不公平だよ!」
「はずかしめてないよ。人聞きの悪い」
「ふーんだ」
つんとそっぽをむかれてしまった。
とりあえず、今の今振られるとかそんなことにはならなさそうだ。
ほとんど無意識に、手を伸ばして雪華の頭を撫でる。
寝る前なのでサイドアップは解いて、おろしていて。
さらさらとした手触りは、俺をとても安心させる。
ふにゃりと相好を崩した雪華は、こちらを向いてごろごろと甘えてくる。
「ごめんね雪華。僕、ちょっとおかしかったみたいだ」
「ううん、いいの。でも、今でも少しおかしいよ?」
ずきり。
胸の奥が、うずくように痛む。
雪華はもういちど、俺の肩に頭をのせて目をつむっている。
「こうしてるとよくわかるんだ。卿人の気はまだ乱れてる・・・・・・ねぇ卿人?」
「うん」
「卿人は、わたしのこと嫌い?」
いつか、俺が言った台詞だ。
「まさか、前にも言ったけど、それはないよ」
「本当に?」
雪華の言葉は鋭かった。
まるで。心を見透かされたような。
「卿人はわたしと一緒にいられるの?」
・・・・・・ど真ん中だ。
こんな状態で。
俺が、今の俺が果たして雪華と一緒にいられるのかということ。
雪華が嫌いとか、俺が立ち直れないとか、そういう問題じゃない。
雪華といられないということは。
俺は、雪華と一緒に居るというあの約束を守れないことになる。
「雪華」
「わたしね」
俺の言葉を遮って、雪華が喋り始める。
「人を殺めたことがあるんだ」
衝撃、というよりは納得した。
あの凹んでいたときの雪華は、やっぱりそうだったのだ。
「うん・・・・・・そうだと思ってた」
「聞いてくれる?」
「もちろん。雪華が望むなら」
俺の腕を掴んで、ぐりっと首筋に頭をねじ込んでくる。
「急に道場破りが来て、誰もいなくて、わたしが相手するしかなくって」
「うん」
「思ったよりすっごく強くて、死ぬかもって思ったら、手加減できなくて」
ぎゅうっと俺の腕を掴む手に力がこもる。
割り切ろうが、思い出せば心が痛いのには変わらない。
そこに心を痛めないなら、そいつは戦争中の兵士か、狂ってしまっているかだ。
「おもいきり気を流し込んじゃって。動かなく、なって」
「雪華」
「聞いて、聞いてよ、卿人。わたしは、わたしがわたしでいるために頑張ってた。強くなろうって思ってた」
雪華の表情は見えない、でもきっと、涙を流さず泣いている。
「だけど駄目だった。わたしは強くなかった。でも、卿人が助けてくれた。わたしがどんなでも、卿人はわたしといてくれるって」
ぱっと上げた顔は、笑っていて。でも泣いているようで。
「卿人。わたしは、あのときに決めたの。わたしは朧雪華。わたしは、生きるために戦う。わたしが、わたしでいるために。卿人といっしょにいるために」
それは決意。
普通の、それも子供の女の子がたどり着いて良い境地じゃあ無い。
「だから卿人。卿人がつらいなら、何もしなくていいから。わたしが卿人を守るよ」
びっくりして雪華を見つめる。
文脈がおかしいからじゃない。
それは、全くもって彼女らしくない言いぐさだったから。
何もしなくていいなんて、雪華の口からは絶対出ない。
終わってしまって良いなんて、言わない。
俺を、駄目にしてしまおうなんて。
雪華も自分で言っていてびっくりしたんだろう。
頭にはあっても、言うつもりは無かった、そんな顔。
慌てて俺から身を離す。
「ごめん卿人、今のなし」
「いやだ」
離れた雪華を捕まえて抱きしめる。
自分からこうしたのは初めてかもしれない。
たくさん抱きつかれたりはしていたけれど、彼女の感触はよく知っているつもりだったけど。
抱きしめてみて初めて解った。
こんなに華奢だったんだ。
「僕が、雪華を守る」
でも多分彼女は、俺より強い。物理的な強さでも、精神的にも。
精神的にはずっと年下で、それでも殺人を飲み込んで。
いくら俺が助けたからといってそこまで出来るものじゃない。
俺の中身は随分年上なのに、情けない。
雪華にここまでの覚悟させて。
じゃあ、俺が守らなくてどうするというんだ。
ワンガスのおっさんはメイスは殺傷武器だと言った。
雪華は守るためのものだと言った。
両方真実だ。
要は使い手次第。
なら、俺の心持ち次第で意味が変わる。
「雪華、僕も決めた。僕は守るために戦う。僕が僕であるために。雪華といっしょにいるために」
すくなくとも。
そう、すくなくとも。
俺は、自分が生きることを諦めたりしない。
守ろうともせずに死ぬなど、あってはならない。
抗わずに死ぬなど、あってはならない。
気付けば、雪華は俺を抱きしめ返してきていて。
耳元でいつもの台詞を言った。
「じゃあ結婚して」
「おっぱいがおっきくなったらな」
「サイテー」
ちゅっ、と殴る代わりにほっぺたにキスをされた。
盛大に頬が緩みそうになるのをこらえる。
失敗。
おもいきりにやけた顔になってしまった。
「なぁんだ、やっぱり大丈夫だった」
「ん? 何が?」
「卿人は、わたしを受け止めてくれるって」
「そりゃ、雪華は僕のお姫様だから」
「きゃー! 卿人大好き! んーちゅ!」
唇に迫ってきたのでチョップで止める。
うん、今のは不用意だった。
「落ち着け」
「ぶう」
かわりに再びぎゅうっと首に抱きついてくる。
「卿人」
「うん、雪華」
「頑張ろうね」
「うん、一緒に」
「一緒に!」
にっぱーっと。いつもの笑顔。
「気の流れに芯が通ったね! もう、大丈夫。卿人はわたしと結婚できる!」
「連続は疲れるんだけど?」
「ちゅーさせてよ!」
「ありがたみが薄まる。もっと溜めておきなさい」
「じゃあたたいて良い?」
「だから連続は疲れるって今言ったよね!? 楽しいけど・・・・・・ああもう! おっぱいがおっきくなったらな!」
「やったー! サイテー!」
「げふぅ!?」
「守るために戦うって微妙に矛盾してるよなぁ」
「頑張って強くなれば傷つけずにすむよ?」
「活人剣ってやつ? どこまで強くなったらいいのやら」
「たくさん!」
「そりゃそうだけどさ」
「ちなみにわたしは無敵だ」
「へいへい。ぴーぴー泣いてたのは見なかったことにします」
「卿人もだよね」
「ぐぬぬ」
「もう卿人と一緒に住む!」
「何さ突然」
「ご飯一緒に食べる! 一緒に朝鍛錬する! 一緒にお風呂入る!」
「ご飯だけで勘弁して貰えませんかね?」
「え!? いいの!?」
「雪華がご飯当番の時はどうするのさ」
「出勤」
「マジか・・・・・・」
「で、いいの?」
「駄目だねえ。雪華の家族がなんて言うと思う?」
「・・・・・・おばあちゃんに怒られる」
「そうだね」
「卿人って大人びてるよね」
「・・・・・・老けて見える?」
「ほらそうゆうとこ。ふつう喜ぶよね?」
「ワア! ジャア僕ハモウ大人ナンダネ!」
「わざとらしすぎる。やりなおし」
「おおん・・・・・・」
「卿人は、誰かの生まれ変わりだったりするの?」
「僕は僕さ。雪華は雪華でしょ?」
「ごまかしたー」
「僕が僕である証明は僕しか出来ないし雪華が雪華である証明は雪華にしか出来ない、よって自分が何者かなんていう質問はナンセンスなんだよ。僕は僕であるために僕を演じているわけじゃ無い、僕であるために必要なのは僕であるという自覚だけでそこにアイデンティティを求めるのは後付けによる安心材料もしくは補強でしか無い」
「んんんんん? わかんなくなってきた」
「雪華は凄いってことだよ」
「んっふー!」
「雪華、クッキー持ってる?」
「あるよー」
「これだよ! これ!」
「んふふふ」
「しょっぱ!」
「うそぉ? わたしもたべる・・・・・・塩と砂糖間違えた!」
「ベタだなぁ、もったいないから気を付けないと」
「口移ししたら甘くなるよ!」
「マジで!? じゃやってみよう、って騙されないぞ!」
「ちっ」
「シンプルに舌打ち!?」
「卿人はわたしのこと嫌いなの?」
「無理くりいい話にしようとしない」
「ちっ」
「卿人の得意料理はなに?」
「カレー」
「鰈?」
「・・・・・・そう、鰈の煮付け」
「煮物作れるんだ!」
「鰈の煮付けは難しくないよ」
「エンガワはわたしの物だ」
「ゆるさん、調理者の特権とさせていただく」
「イヂワルー!」
「叩くな叩くな。半分で手を打とう」
「こどももよこせ!」
「また誤解を招く言い方を・・・・・・わかったよ、子持ち鰈が手に入ったらね」
「んっふー・・・・・・あれ? 卿人の手料理たべるの初めてじゃないかな?」
「そうだっけ?」
「うん、卿人の初めてはいただいた」
「父さんと母さんに捧げました」
「おのれ! はっ!? これが嫁姑戦争!?」
「父さんどこ行った?」
「眠い」
「眠いね」
「・・・・・・すぅ」
「・・・・・・雪華、有り難う」
「じぁあ・・・・・・けっこんして」
「半分寝てるのにすごいね・・・・・・おっぱいがおっきくなったらな」
「うん・・・・・・」
「・・・・・・おっきくならなくても結婚するよ・・・・・・」
やがて雪華は、すうすうと寝息を立て始めて。
その寝息を数えているうちに、俺にも睡魔がやってきて。
久しぶりに、とても気持ちの良い寝入りだった。
卿人君の寝間着は甚平です。
紺色の千鳥格子で渋い感じです。




