第18話 卿人と雪華の小さな小夜曲:1
体育座りって長時間できないんですよね。
あれから数日がたった。
九江卿人はいまだにふさぎ込んでいた。
夕食の後、照明も付けないで部屋にこもって壁を背に体育座りで丸まっている。
本当にこんな格好するんだな。
漫画の中だけかと思ってたよ。
腹が減ればご飯は食べる。
味はしないけど。
訓練にも出る。
何やったか覚えてないけど。
ちゃんと寝てる。
気絶したみたいになるけど。
メイスも執拗に洗ったりしたが忌避感は無い。
むしろあれからほとんど常に握っている。
手放すと逆に震えが来た。
コレは身を守るものだ。
コレが無ければ死んでいたかもしれない。
いや、確実に死んでた。
あれ以上の時間稼ぎは不可能だった。
わかってるんだけど。
バラバラだ。
心と体が一致していない。
どうしても、イランドさんを殺した時の場面が脳裏に焼き付いて離れない。
仕方なかった。
そう、仕方が無いんだ。
だってやらなきゃ、やられてた。
でも殺した。
人ひとりの命を奪った。
ちょっと話した騎士団の人、フィランザさんには感謝された。
殺されるくらいの覚悟はしていたからびっくりして、思わずどういうことかときいてしまった。
彼は目を赤く腫らしながら。
副団長の名誉を守っていただいたと。
無差別殺人鬼の汚名を着せずに済んだと。
その言葉に嘘は感じられず、平民の子供相手だというのに本気で感謝しているみたいだった。
でも納得できなかった。
騎士道とか俺にはわからない。
死んだ後、魂がどうなるか俺は知っているけれど。
それでもこの世界のイランドさんはいなくなってしまった。
繋がりを、断ってしまった。
でも、俺が生き残るためには。
やるしか無かった。
だからって、人を殺して生きていていいんだろうか?
けど、やらなければ俺が死んでいたんだ。
生き残るための選択だったのだから。
生存をかけた戦いだったのだから。
イランドさんの名誉は、傷つかなかったのだから。
でも、イランドさんは俺が殺してしまった。
こんな調子で思考がぐるぐると回っている。
まるで出口の見えない迷宮に迷い込んだようだ。
今は淡々としてるけど、実際は突然叫び出したい衝動に駆られたり、急に怖くなってがたがたと震えたりしている。
何とか外には見せない様にしてるけど。
ばれてるだろうなあ。
親父は俺がミスっても何も言わないし。
おふくろはやけに優しいし。
あれ?
俺何か大事なこと忘れてないか?
半分何かが無くなってるような感覚。
何かが足らなくて出口が見つからないんじゃ無いだろうか。
ええっと。ここ何日かで足りないもの。
雪華だ。
え? 雪華を忘れてたの? 俺が?
慌てて部屋を見渡しても、もちろん雪華はいない。
なんでいると思ったんだろう。
別に忘れたわけでも、会ってないということも、無い。
訓練の時にはちゃんといた。
ただ、顔を合わせなかっただけだ。
・・・・・・嫌われたかな。
話しかけられた覚えもないし、寄ってくるような事も無かった。
ただ、何となく見られていた様な気はする。
俺の情けない姿を見て、幻滅したのかもしれない。
そっか、そんなに自分のことしか考えてなかったのか、俺は。
そりゃあ嫌われても仕方が無い。
命を拾ったのにうじうじと自分を責めているような男だ。
・・・・・・思考にだいぶ余裕が出てきたな。
これは、慣れてきてしまったのかもしれない。
慣れというのは怖い。
ある程度凹んでいると慣れてきてしまう事もある。
でも、人殺しになれてしまってはいけない。
こうやって命のやりとりをするような状況が存在する以上、避けて通れないのは解っている。
どこかで割り切らなければこの世界では、やっていけない。
平和過ぎた元の世界とは訳が違うのだ。
俺はただ、抗っただけだ。
死に。
わかってる。
わかってる!
左手で床を殴りつけた。
痛い。
また思考がループした。
どうしたら、いいんだろうな。
無性に雪華に会いたくなった。
嫌われててもいいから。
馬鹿にされててもいいから。
とにかく、ちゃんと雪華の顔がみたかった。
「雪華に、会いたいな」
ぼそりとつぶやいた丁度その時、部屋のドアがノックされた。
◇
九江夫妻の間の空気は、結婚して以来最悪だった。
別になにか投げつけたりとか罵り合ったりしているわけでは無い。
単純に会話が無いのだ。
重い雰囲気の夕食後「ごちそうさま」と言って後片付けをした後、ふらふらと部屋に戻っていった卿人を見送って以降、会話が無い。
十三郎はグラスをふたつと、安物のワインを取り出して、ダイニングテーブルに頬杖をついてぼおぉっとしている三春の前に置いた。
「呑むだろ?」
「ん」
三春は未開封のワインのコルクを指先だけでこじ開け、どぼどぼとグラスに注ぐ。
なみなみと注がれたそれを、ぐいいいっ! と一気飲みしてしまう。
対して十三郎はグラスの3分の1程まで注ぎ、舐めるようにしてちびちびとやる。
風貌的には真逆の光景だった。
「それじゃ味わかんねえだろ?」
「アルコールなんて酔えれば一緒よ」
「ドワーフかよ・・・・・・」
炎の半精霊種であるドワーフ種はアルコールを好む。
それこそ気化しそうなほど純度の高い奴をだ。
「晩ご飯おいしくなかったわよ」
「卿人に言え、今夜はあいつが作ったんだ」
「料理させたの!?」
「仕方ねえだろ!? 俺がやろうと思ったらもう味まで付けてたんだよ!」
「塩味が薄かったわ! 注意出来たでしょう!?」
「そんなに言うなら自分で作れ! 出来ねえくせに!」
「うるさい!」
またもワインを一気飲み。
楚々とした和風美人が豪快にグラスをあおる姿は妙な凄みがある。
割りそうな勢いでグラスを叩き付けた。
その音で自分がびっくりしたのか、恥ずかしそうにグラスをいじっている。
「あの死にそうな状態でそのくらいのミスしか無いのも凄いのよね・・・・・・」
「ああ。だから余計解らん。なんであそこまで凹んでんのか」
卿人が価値観の全く違う世界の記憶を持っているとは知らない両親には理解できない。
追いはぎ強盗当たり前、殺された方が悪い位の言い方をされることもある。
だから冒険者はやっていけるし、警備や護衛の需要は高い。
権力、財力、知力、武力、あらゆる力を持って自分の身は自分で守らねばならない。
「あのままだと潰れるぞ?」
「そうね、でもコレばかりは卿人の問題だし」
卿人は上手く隠しているつもりだろうが、明らかにやつれていた。
心が折れかけている証拠である。
十三郎も三春も、理由は異なれど、そんな冒険者は腐るほど見てきた。
「まぁ、大丈夫よ。雪華ちゃんがいるし」
「お前が卿人に張り付いてない理由はそれか。でもその雪華が動かねえんじゃねえか。本気で嫌われたんじゃねえか?」
「誰が? 誰を?」
「雪華が、卿人を」
「ぷっ」
吹き出す三春。
もちろん十三郎はおもしろくない。
「んだよ。卿人が倒れてからふたりが一緒にいるの見たことねえぞ? あの雪華が卿人に絡みに行かねえのはおかしいだろ?」
「あなた何見てたのよ? 雪華ちゃんはずうっと卿人を見てたでしょ? 愛想を尽かしたのなら訓練に出てきたりしないわよ。卿人が必要ないなら卿人の訓練に付き合う必要なんて無いんだから」
「そりゃそうだが・・・・・・」
「大丈夫、あの子今夜辺り来るわよ。それに、そろそろ卿人も思い出してきたことでしょう」
「何をだ?」
「自分がなんのために生きてるか、よ」
◇
朧雪華は自分の部屋で、ひたすら考えていた。
自分の部屋とか言ってもこの部屋にいたことはほとんど無い。
だいたい卿人の側か、卿人の部屋にいるから。
自分のものなんて着替えくらいしかない。
そんな部屋でも今は、ひとりで考えられる場所がここしか思いつかなかった。
何を考えてるか?
もちろん卿人のことだ。
でもちょっと違う。
あの夜、卿人はすっごく格好悪かった。
初めて人を殺してしまって。
そのことで頭がついていかなくなって。
盾もメイスも持たずにただ立っていて、目はうつろで、口は半開きで。
びっくりするくらい格好悪かった。
でもわたしが卿人を大好きなのはかわらない。あの卿人だって卿人なんだから。
そんなことじゃない。
普段は触らないと見えないはずの人の気の流れが見えたとか、そのとき卿人の気がばらばらで、今にも爆発してしまいそうだったとか。どうでもいい。
いやそれはどれもすごい重要なことなんだけど、違う。
なんでわたしはあのとき。
卿人を「わたしの卿人」なんて言ったんだろう?
もちろん卿人はわたしのものじゃない。
わたしだって卿人のものじゃない。
まだ。
そのうちなる。絶対。
じゃなくて。
卿人は初めて人を殺めた。
優しすぎる卿人はたぶん耐えられない。
だから、あの卿人なら、わたしのものにできると思ったんだ。
めいっぱい甘やかして、めいっぱい頼らせて、わたしが卿人のすべてになってしまうことが出来る。
弱っているところにつけ込むなんて。
わたしはなんていやらしい女なんだろう。
とか大人ぶってみる。
でもそれじゃあ、わたしは卿人を好きになれない。卿人もわたしを好きとは思ってくれない。
ただ、お互いに重なってしまうだけ。
生きても死んでもいない、なんだかよくわからない、ひとつの塊になってしまう。
それじゃだめだ。
まえに今の卿人と同じになっていたわたしを。
人を殺めてしまって、潰れてしまいそうだったわたしを。
卿人は助けてくれた。
わたしが卿人を好きなら、ずっと一緒だって言ってくれた。
今度はわたしが卿人を助ける。
でも、どうやって助けたらいいかがわからない。
それをずっと考えている。
だけど。
卿人の方がわたしを見てくれていない。
あれから見えるようになった卿人の気が、私の方を向いていないのが解る。
ずっと気がばらばらで、正しく流れていない。
内側で暴れている。
会いたいと思ってくれたら、やりかたなんかわかんなくてもすぐに行くのに。
考えてみたら卿人はいつもそうだ。わたしだけ好きって言って、卿人は言ってくれない。
ん? わたしがいつもくっついてるから言う必要が無いのかな?
そうかも・・・・・・。
でも言って欲しいよね。
スキー! とか、愛してるー! とか。
卿人はやさしいから。わたしはずっと甘えっぱなしだ。
卿人だって甘えて欲しいはずだ。卿人だってわたしが好きなんだから。
本人は気付いてないみたいだけど、わたしが好きって言ったりちゅーしたりすると、とろけたような顔になる。
隠そうとしてクールぶってるけどばればれなんだからね!
なにも言ってくれないけど。
……。
別に考えなくてもいいのかな。
ううん、それは諦めた訳じゃなくて。
いつも通りに、わたしは卿人と一緒にいるんだよっておしえてあげれば。
でもなぁ、卿人変なところで神経質だしなぁ。
めんどくさい。
なんかそれでいい気がしてきた。
いっか、体当たりで。
きっと卿人は受け止めてくれる。
いつも通りに。
だって、わたしの大好きな男の子なんだから。
うん、そうしよう、明日会いに行こう。
きっと何とかなる。
あ!
いま卿人の気がちょっとわたしの方を向いた!
明日なんて言っていられない!
「行かなきゃ!」
わたしは部屋を飛び出して、一直線には、無理か。
壁を壊す訳にもいかないもんね。
出来るけど。
「おい雪華! 廊下は走ったら駄目おぐぶるぉ!?」
なんか強い気の障害物があったけど天地流キックで沈めておいた。
あれ? お兄ちゃんだったかな? まあお兄ちゃんだし、大丈夫だよね?
お兄ちゃん卿人が倒れた時に心配そうに悪口を叩くというとても器用な事をしてたっけ。
道場の裏口から訓練場をを抜けて、九江魔法道具店の裏口。
閉まってるかなと思ったけど、開いてた。
たぶんお義母さんはわたしが来るの解って開けていてくれたんだ。
すごいなぁ。
はやる気持ちを抑えてゆっくりと卿人の部屋に向かう。
走ったら迷惑だし、卿人がびっくりしちゃうもんね。
というか、走って行ったら多分卿人にダイブしてしまう。
それはいけない。
卿人の部屋の前まで来ると、ダイニングの扉からお義母さんがこっちを見ていた。
「お願いね」
お義母さんは声を出さずにそう言った。
わたしはいつも通りに笑って頷く。
さて、行きましょう。
卿人を助けに。
でもここまで来ると緊張するなあ。
上手く声が出ないかもだけど。
よし、と口の中でつぶやいて気合いを入れる。
今日も可愛いぞ、わたし!
「雪華に、会いたいな」
急に卿人の声が聞こえて心臓が跳ね上がった。
ちょっと!? 今のタイミングは狡いよ!
ああでも、もうノックしちゃった!
「雪華・・・・・・?」
そうだよわたしだよ!
覚悟を決めて声を掛ける。
「卿人、ちょっといい?」
見事に声が裏返った。
恥ずかしい・・・・・・。
雪華ちゃんは凄いと思います。
色んな意味で。