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死者の恋  作者: 泉野ジュール
第四章 汝、燃え尽きるまで
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熱風 6


「ローサシア……泣くな」

 デラールフの優しさが声になって紡がれ、ローサシアの鼓膜をくすぐる。


 彼の言うことならなんでも従いたかった。でも、ヒトにはできることとできないことがある。デラールフと離れる時間が増えることに耐えられる自信がなかった。

 涙は一本の筋になってローサシアの頬をゆっくりと伝う。


「デ……デラはこのままいなくなっちゃうの? この町から。この家から。わたしの……そばから」

「違う。いなくなったりはしない。月に一度だけだと言っただろう」

「そんなの、きっと最初だけよ。首都に行く時間が増えたら、沢山のひとがデラのすごさに気づいて、引っ張りだこになって……きっと綺麗な女のひともいっぱいいて……」


 ──綺麗な女のひと、だなんて。

 まるで恋人気取りだ。

 女としてさえ見られていないローサシアがこんなことを言っても、滑稽で虚しいだけなのに。それでも、少なくともデラールフの周囲に他の女性の影がないのは、ローサシアにとっての救いだった。今までは。

 それもきっと変わってしまう。


 困ったように眉間に皺を寄せたデラールフが、テーブル越しにローサシアの頬に触れる。


「お前より綺麗な女などこの世にいないよ」

 デラールフはきっぱりと断言した。

 あまりにも毅然とした口調であっさりと言い切るので、どこか現実味がないほどだった。


「で……でも、行ってしまうんでしょう?」

「月に一度だけ」

「一日じゃ帰ってこられないわ」

「そうだな……今回と同じくらい。もしくはもう少し。必ずなにかお前に買ってくるよ」


 分からず屋な妹をなだめる兄。もしくは、我儘な娘を慰める父親。言い方はそんな感じだったけれど、ローサシアを見つめる瞳だけは、もっと違う情熱が宿っている。

 ……そう思いたかった。

 それが逆に切なくて、涙は止まるどころかさらに溢れてくる。


 デラールフは立ち上がって食卓を回ると、正面に座っていたローサシアの前でひざまずいた。暖炉の炎が勢いを増し、すでに温かかった部屋に熱風が吹く。

 髪が揺れて、ローサシアは息を呑んだ。


「デラ……?」

「ローサシア。俺だってお前がいなければこれができない。それを忘れないでくれ」


 デラールフの大きな手が、ローサシアの華奢で小ぶりな手を握っていた。

 熱い。

 でも、この熱に包まれたら、きっと素晴らしい気持ちになれる。


「なにが、できないの?」

 鼻を啜りながら、ローサシアは尋ねた。答えは知っている気がしたけれど、彼の口から聞きたい。


「息をすること」


 デラールフはかすれた声で答えて、その息をローサシアの手の甲にふぅっと吹きかける。そのまま小さな口づけを指に先にされて、ローサシアはふるりと震えた。

 涙はもう止まっていた。


 こんなふうに、たとえそれが家族愛でも、愛されて求められることにくすぐったい喜びを感じる。乾いていた心が潤される。空っぽだった胸が満たされる。


 でも、それは女として受け入れられるには十分ではなくて。


「……それでもまだ、わたしは兄離れしなくちゃいけないと思う?」

「俺は自分の幸せの話をしているんじゃない。お前の幸せを思ってのことだ」


 是か否かの問いに、デラールフは中途半端で、ある意味どうとでも取れる答え方をした。ずるい。

 ずるいけれど……やっぱりローサシアにはデラールフしかいなかった。


「デラが首都に行っちゃったら……わたしがデラに会えないのと同じくらい、デラだってわたしに会えないんだから」

「そうだな」

「向こうに綺麗な女のひとがいるのと同じくらい……ではないかもしれないけれど、少しはこの町にだって……男のひとがいるのよ?」


 デラールフの腕に力が入って、痛いくらいに手を掴まれる。でも、彼は冷静な口調で繰り返した。

「そうだな……」


 ローサシアの中でなにかが弾けた瞬間だった。

 一種の遠回しな失恋といってもいいかもしれない。


 希望が消えたわけじゃない。

 ローサシアはまだ十六歳だったし、少なくとも妹としては彼から愛されている。なによりも大切にされている。お前より綺麗な女はいないとさえ言ってくれた。

 でも今この時点で、ローサシアは女性として求められていない。


 大人になって振り返ってみれば、きっと些細なことだ。ずっと年上であるデラールフの誠実さの証でさえあった。

 それでも、まだ若くて未熟な十六歳のローサシアには、それは絶望に近いものに感じられた。

 ──愚かなことに。


「わかったわ」

 それだけ言うと、ローサシアはすっくと立ち上がった。

 デラールフは数回目をまたたく。なにか言おうと口を開きかけていたが、彼はすぐに唇を引き結んだ。


「デラ、お茶をありがとう。次に行くときはちゃんと教えてね。今回みたいになにも言わずにいなくならないで……お父さんとお母さんが心配していたから」

「……ああ……」


 デラールフが呆けた声を出すのに、子供っぽい満足を覚えている自分がいる。──馬鹿! そんなだから女として見られないのよ!


 それでもローサシアの中の「女」のサガは、男である彼の傷つけ方を知っていた。

 ──やめなさい、やめなさい、やめなさい。

 理性が叫ぶ。

 でも、十六歳の恋が理性的であったためしなんてない。


「デラがいない間は、他にも男の子達がいるから……大丈夫」


 言うだけ言って、デラールフの反応を確かめずにローサシアは踵を返した。

 彼の小屋を出る瞬間、背後でまた熱風が吹いた気がするけれど……それは振り返らずに。


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