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死者の恋  作者: 泉野ジュール
第四章 汝、燃え尽きるまで
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熱風 3



 よく見ると、デラールフは紐を通した麻袋をリュックのように肩に掛けている。普段はあまり物を持ち歩かないデラールフだが、その麻袋はいっぱいで重そうだった。それをどさりと床に置くと、デラールフはローサシアを室内に手招きする。

 ローサシアはそれに従った。


 ──帰ってきてくれて嬉しい。

 ──ハイデンを追い払ってくれてありがとう。


 そう彼の帰りを喜んでいいはずなのに……喜びたいのに……ローサシアは不安に襲われた。ハイデンの言ったことが忘れられない。国王軍がデラールフを欲している?

 そんなことが、あり得るだろうか?


 いや……今日までそれがなかったことの方が、不思議なのかもしれない……。


「そんな顔をしないでくれ、ローサ」

 よっぽど杞憂が顔に出ていたのだろうか、デラールフはそう言って、ローサシアを安心させるために小さく微笑んだ。その優しさに胸が切なくうずく。

 デラールフは居間の代わりになっている調理場と食卓のある部屋で足を止めると、ローサシアをじっと見つめた。


 二十代半ばの彼が成長するはずがないのに、そのときのデラールフは一週間前よりさらに大きくなっているように感じられた。

 そんなことがあり得るだろうか?

 もしかしたら彼が醸し出す雰囲気が……ずっと大人っぽく……垢抜けてきたからかもしれない。

 なんだか急にデラールフが遠く感じられて、ローサシアは緊張した。


「話ってなに……?」

「まずは聞きたい。俺がいない間、どうしていた? なにか……変化のようなものはなかったか?」

 最後だけ、デラールフの声が少し裏返ったような気がして、ローサシアは首をかしげた。


「ううん、変化なんてなにもないわ。退屈な女学校へ行って、帰ってきたらお父さんと本を読んだりお母さんの手伝いをしたり……。この季節だもの、ひとりじゃ森へは入れないから、ずっとデラの帰りを待っていたわ」


 そこまで説明して、ローサシアは我慢できなくなった。

「どうしてなにも言わずに一週間もいなくなったの? どうして行き先さえ教えてくれなかったの? どこで誰といたの? どうして──」


 まるで責めるような口調になっていることに気づいて、ローサシアはそこで口をつぐんだ。

 重い女だと思われるかもしれない。いや……そもそも女だとは認識されていないのだろうけれど……。


「だから、そんな顔はしないでくれ。ローサ」

 デラールフはささやくように優しく言った。


「どんな……顔?」

「急に大人になってしまったみたいな」

「でも、わたしはもう大人よ。十七歳になったんだもの。いつまでも子供扱いしないで」

「俺にとってお前はいつまでも小さなローサだよ。それはずっと変わらない」

 デラールフはローサシアの全身を上から下までじっと観察して、つぶやいた。

「……と、思っていたいんだ」

「それは……どうして?」


 デラールフは数秒、答えにつまったあとに歯切れの悪い返事をした。「さあ、兄として……かな」


 ローサシアは不満にプウっと頬を膨らませた。兄と妹。いつまでも小さなローサ。デラールフばかりが大きくなって、垢抜けて、世界を知って遠くへ行ってしまう。

 そんなのは嫌だった。

 でも現実だ。


「……それで、デラはずっとどこへ行っていたの? ハイデンが言っていたことは本当なの? 国王軍がデラのことを欲しがっているって。もう帰ってこないかも、なんて言ってたのよ」


 ──嘘でしょう? 嘘だと言って……。

 そう願っていたけれど、デラールフはすぐに否定しなかった。なにをどう説明するべきか考えているように、ローサシアを見つめながら片手で口元を覆って、顎の辺りをさする。

 その仕草にもドキドキしてしまい、問い詰めたいのにできなかった。


「国王軍が俺を欲しがっているという話は……少し語弊がある」

 結局、デラールフはそんな曖昧な表現を使った。

「違うの?」

「違う。少なくとも、違った」

「どういう……意味?」

「俺は志願したんだ、ローサ。自分の意思で首都まで選抜試験を受けに行った」


 ローサシアは頭をなにか固いものにぶつけたような衝撃を受けた。──志願?


「ど、どうして!?」

「国王軍が《能力》のある人間を募集していた。それで、自分の力がどこまで通用するかどうか試してみたいと思った。手当も出るというし」

「それで……?」

「いくつか課題や任務を割り与えられて、俺はそれをこなした。先方は……それなりに評価してくれたんだろう。軍に入れと言われたが──」

 長くて深いため息を吐きながら、デラールフは両腕を胸の前で組んだ。そして首を左右に振る。

「──結局、断った」


 ローサシアはホッと胸をなでおろした。おそらくその安堵の表情があからさまだったのだろう、デラールフは喉の奥から低い笑い声を漏らした。


「お前を置いてはいけないからな」

「も、もう。それが理由?」

「他になにがある? お前もよく知っているように、俺は自分の家族が恋しいとは思わない。職業はただの大工だ。代わりはいくらでもいる」

「デラールフの代わりなんていないわ」

「そこだよ」

 デラールフは優しくささやいた。彼がローサシアに優しくなかったことは一度もないけれど、そのときは一層その優しさに深みがあった。

「そんなふうに俺を必要とする人間は、お前以外にいないから」


「だから……国王軍に入るのをやめたの?」

「まあそんなところかな」

「お父さんが言っていたわ。悪魔族が首都を荒らしはじめていて、ときには人間も襲う。そのせいでいつか戦争になるかもしれない……って。国王軍が《能力》がある者を探していたのは、そのせい? だからデラは行ったの?」

 デラールフは否定せずにうなずいた。「ああ」


 デラールフの方からベラベラと語ってくれる気配はなかったので、詳細を知るためには長期戦になるとローサシアは覚悟した。


「……お茶、淹れるね。疲れたでしょう? お水持ってくるから、待ってて」

 と、踵を返して玄関の扉を開けると、いきなりローサシアの真横を紅焔の火の玉がものすごい速さで横切った。

「!?」


 火の玉は扉の隙間をすっとすり抜けると、ものの数秒もしないうちに外に降り積もっていた雪を掬い上げて、同じ速さで室内に戻ってくる。じゅっと熱を感じる音がしたと思うと、調理場に置いてあった小さな鍋の中に雪解け水が落ちていく。


 デラールフの火は、まるで使い魔みたいに自在に動いた。

 自由に形を変え、焼く対象を判別し、熱の高低さえコントロールできるようだった。鍋の中に水が溜まると、火は鍋の下に移動して、まるで普通に料理しているみたいに燃えた。


 多分、デラールフがその気になれば、鍋の中の水くらい一瞬にして沸騰させられる。

 でも……彼はローサシアのためにそれをしない。ローサシアはお茶を淹れるのが好きなことを知っているから。


「好きな茶葉を選ぶといい」

 デラールフは言った。

「でもお茶の葉っぱの種類なんてひとつしかないわ。冬だからハーブもないし」

「いくつか首都から持ってきた。その麻袋の中にある」

「え!」


 彼がリュックのように背負って帰ってきた麻袋だ。大きく膨らんでいて、中にはきっといろんなものが入っている。ローサシアの目が期待に輝いたのを、デラールフが見逃すはずがなかった。

 どこか少年っぽく得意げに微笑んだデラールフに、ローサシアの胸は熱くなる。


「『手当も出る』と言っただろう?」


 ローサシアは喜びの悲鳴を上げてデラールフの胸に飛び込んだ。デラールフは当然のように、そんなローサシアを抱きしめ返す。


 一週間離れていただけなのに、すでに懐かしいと感じる彼の香りを鼻腔いっぱいに吸い込んで、ローサシアは幸せに浸った。

 その手当とやらでお土産を買ってきてくれたことよりも、首都のような楽しみの溢れた遠い都市に行っても、ローサシアのことを考えてくれたのが嬉しかった。


「ありがとう……」

 ローサシアは素直に礼をつぶやいた。

「お前のためなら」

 デラールフは静かに答えて、うなずいた。



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