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死者の恋  作者: 泉野ジュール
第一章 我、君を想う
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懇願 2



「ゲホッ、ゲホ……ッ」

 あらぬ気管に水が入り、激しく咳き込むトウマに美少女が駆け寄る。

『大丈夫ですか!? あ、あの……もっと水を飲んで……』

 彼女は親切にも震えるトウマの手からコップを支えようとしてくれたが、そこは死者だ。彼女の手はむなしく宙を掻いた。


 彼女がどれくらいの間、死者としてさまよっているのかはわからない。

 しかし、すでに知っているはずの事実に、彼女はショックを受けて傷ついた顔をした。


「気にしなくていいよ」

 トウマは咽せながら彼女の動きを制した。「君じゃ僕を助けられないから」


 残酷ではあるが紛れもない事実を、トウマは指摘した。

 長年の経験で、死者に不用意な希望を与えるのは賢くないと学んでいる。


 彼らはもう別の世界の住人なのだ。

 生きている者と、死んでいる者の世界が交わることはない。ないはずなのに、トウマが下手に死者を見てしまうから、彼らはむなしい希望を抱く。

 それがいい結果に終わった試しは、ない。


『そう……ですね……』

 可憐な死者はうなだれた。

 長い黒髪がさらりと揺れる。もし実体があったら、きっと触れてみたくて手がうずいただろう。彼女には男心をそそる愛嬌があった。


 ひとまず肺が落ち着くと、トウマは作業用の椅子にどさりと腰掛けた。立ったままでいたら卒倒してしまいそうな気がした。


「それで……なんだって君は、デラールフ・センティーノなんかに用があるんだい?」

 声が震えた。気軽に口にするのもはばかれる名前だ。

「あのデラールフ・センティーノに?」


 彼女は、デラールフの名前を聞いても動じなかった。

 まっすぐ背筋を伸ばし、まるでデラールフ・センティーノという名前の響きさえ愛しくてたまらないとでもいうように、切ない微笑を浮かべる。

 それはそうだろう──彼女はそのデラールフになにかを伝えたくて、死してなお、酒場で酔っ払って怒鳴り散らしている彼のそばにいたと言うのだから。


『デラールフは……わたしの幼なじみなんです』

「へえ」

 評判や噂でしか知らないが、あの男デラールフに、幼なじみなどという可愛らしい言葉は似つかわしくない気がした。それもこんな、華奢で可憐な美少女が相手とは。


『もう。真面目に聞いてください。まず……わたしの名前はローサシアです。あなたは確かトウマさんと……酒場でうかがったような……合っていますか?』

 トウマの皮肉っぽい反応を、彼女は感じ取ったらしかった。


「酒場の酔っ払いどもでも、ちゃんと人の名前くらいは覚えているんだね」

『他にも色々と話していました。きっと尾鰭のついた噂でしょうけど……知りたいですか?』

「いいや。だいたい見当はつくし、気にしてないから」


 ローサシアはわずかに首を傾げた。

 かといって深入りはしてこない。トウマの真意を探るようにじっと水色の瞳を向け、黙っている。しばらくすると納得したようにうなずいた。


『とにかく、デラールフは今、とても落ち込んでいるんです。とても。自暴自棄になってしまっています。たいして好きでもないお酒を浴びるように呑んで、時々気絶するように眠って、起きたらまた呑んで……このままでは破滅してしまいます。体を壊してしまうわ』

「……それで?」

『彼を救いたいんです。あんなふうに嘆いても、もう過去は変えらない……前に進んで欲しいと、伝えたいんです』


 今度はトウマがローサシアの真意を探る番だった。

 野暮ったく長く垂らした前髪の隙間から、幼なじみを慮る死者を見つめる。


「なんで君がそんなことをしたいの? デラールフには他に、生きてる友達とか家族はいないの? 大陸中を救った英雄じゃないか。すごい戦士なんだろう?」

『ええ、それはもう……。ただ……』

 ローサシアは言いよどみ、続く正しい言葉を探していた。


『……デラールフにはとても繊細なところがあって、あまり多くの人と交わろうとはしないんです。家族とは疎遠です。その……子供の頃《能力》のせいでひどく疎まれていて、大変だったので』


 トウマは頭を垂れて、深いため息をついた。

 なんと面倒くさい人間だ。

 ただ、《能力》のせいで家族や隣人に距離を置かれた経験は、トウマのそれと酷似する。わずかな同情と親近感が芽生えた。


 まあ、親近感と言っても、相手がデラールフ・センティーノでは、同じ鳥だというだけですずめわしに親近感を抱くようなものだろうけれど。


「でも、君は違うんだ?」

『え?』

「デラールフは君とは「交わろうと」したわけだ? つまり、親しい仲なんだよね? 幼なじみって言ったっけ」

『はい……』

「で、彼がそんなに落ち込んでいる理由は、一体なんなの?」


 相手はそこいらに転がっている普通の男ではない。

 デラールフ。

 超人的な「火」の《能力》を秘め、その絶対的な強さで、邪悪な悪魔族の侵略を退け大陸を救ったとされる戦士だ。彼の放つ業火の前に、悪魔の大群も悲鳴を上げて逃げまどったという。神にも等しい賞賛を浴びている本物の英雄だ。

 そんな男に、ただちょっと死者が見えるだけのトウマが、なんの前知識も持たずに対峙するわけにはいかなかった。

 尻を焼かれるのが関の山だ。


 それにローサシアの必死さは、ただ幼なじみの深酒を心配しているだけには見えなかった。


 トウマの質問に、ローサシアはほんの少し頬を赤らめる。

 とても可愛かった。


『幼なじみなのは本当です。ただ……わたし達はデラールフが戦士として戦いに赴く前に……恋人同士になりました。帰ってきたら結婚しようと約束していました。それで、デラールフが無事に帰ってこられるかどうかずっと心配していたのに、結局彼の帰還の直前に、わたしの方が』


 喉の奥でうなりながら、トウマはまた頭を抱えた。


「……死んでしまった?」

『そういうことです』

「病気だったの? 流行病とか?」

『いいえ……』

 ローサシアの声が緊張し、わずかに上ずる。

『焼死です。焼かれて死んでしまったんです。実際は、煙に巻かれた時点で息ができなくなってしまったので、炎に包まれたところは覚えていないんですけど』

「…………」


 デラールフの《能力》の属性は「火」である。

 繊細で、人嫌いで。

 そんな男が、結婚を約束した美少女が。

 自分が留守中に、焼かれて、死者となって。

 酒場で慟哭の酒を呑んで荒れ狂っているところに。


 トウマは、その婚約者(死亡済み)のことづけを届けなければならない……と。


「ちょっと……それは……その、僕には荷が重すぎる、かな……」

『ま、待ってください! 逃げないで!』

「だって! 約束はできないって最初に言っただろう!? まさかここまで深刻な話だとは思わなかったんだ! しかも相手はあのデラールフ・センティーノ! あ・の!!」


 フラフラと椅子を立ち上がるトウマに、ローサシアがすがってくる。

 もちろんローサシアに実体はないから、トウマの腕を掴もうとしても宙を滑るだけだ。ローサシアは涙を浮かべた。


『デラールフはこの大陸を救いました。そうでしょう? ここに生きている人間は、大なり小なり、みんな彼に恩があるんです。違いますか?』

「だからって、なんで僕が!」

『それは、デラールフだってずっと言っていました。なんで彼だけ、あんなに強い《能力》を持って生まれてきたんだろうって。そのせいで彼はたくさん苦しみました。でも結局、彼はその力でわたし達みんなを救ってくれたんです』

「だから俺も苦しめって!?」

『いいえ! だからあなたも彼を救ってくださいって、言いたいんです!』


 金切り声を上げたローサシアは、自分の叫びに驚いたような顔をして、両手を口に当てた。見る見るうちに蒼白になり、眉を下げる。


『ご……ごめんなさい……。声を上げて……』


 ポツリとひと粒涙をこぼし、ローサシアはうなだれた。

 細い肩が小刻みに震える。

 ローサシアはくるりとトウマに背を向け、そして、声を押し殺しながら嗚咽した。


 トウマは逃げるのを止め、救いを求めるように天井を仰ぎ見た。

 運命を呪うのは簡単だった──しかし、トウマの心は決まってしまった。トウマだって腐っても男だ。こんな美少女に泣かれて、黙っているわけにはいかなかった。

 たとえその美少女が死者でも。


(ああ……畜生。だから人のいない森に隠れていたのに)


 これが、比較的平穏だったトウマの日常が、音を立てて崩れた瞬間だった。



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