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ボクシング

作者: 富山晴京

「まいったなあ、もう試合が始まっちゃうよ」

 試合開始は十時ちょうど。しかし九時五十五分になった今も、プロボクサーの小林選手は姿を現さなかった。

 一応、小林選手のマネージャーから電話をもらってはいた。何でも、道端で倒れている男の子を発見したとかで、遅れるかもしれないということだった。人命がかかっていることだから来られないのもやむを得ない。しかしそれはそれとして小林選手には会場に来てもらわなければ困る。会場には、試合を楽しみにしている何百人もの観客が待っているのだから。

 焦りを感じていた槇原が入り口に目をやった時、会場に入ってくる一人の男を見つけた。大きな体躯に、生え際がだいぶ後退している髪の毛。ボクシングで言えば、引退間近といえる状態。間違いない、小林選手だ。

小林選手のそばにはマネージャーはいない。大方子供の世話はマネージャーに任せて小林選手だけ先に来させたのだろう。賢明な判断だ。

「小林さん、まだ間に合います!急いでください」

 槇原は男の方へと駆け寄った。そして男の腕をつかみ、控室へと引っ張っていったのだった。



「青コーナー、身長百九十二センチ、体重九十七.八キログラム、ジムハーレー。小見山英二!」

「赤コーナー、身長百八十二センチメートル、九十二.八キログラム、志魂山本塾、小林健太郎!」

 俺は目の前にいる男、小林を見据えた。小林はヘビー級にしては珍しいくらいの軽快なステップ、鋭いジャブに定評がある。焦らず慎重に行かないと、返り討ちに会うことになるだろう。

「ラウンドワン」

 試合開始のゴングが鳴った。俺は様子を伺いつつ、小林と距離をとった。しかし小林は仕掛けてこない。そこで俺の方から仕掛けることにした。

 俺は小林との距離を詰めた。すると小林は下がった。俺はまた前にすすんだ。すると小林は右へと逃げていく。

 俺は思い切って距離を詰めていくことにした。すると小林はさらに右へと逃げていく。そしてレフェリーの後ろに回り込むような形になった。仕方ないので俺はレフェリーの後ろの方へ回り込む。すると小林はまたレフェリーの陰に逃げ込んでしまう。そんな調子で俺と小林はレフェリーの周りを、ぐるぐるぐるぐる回ることになってしまった。

「逃げるんじゃねえ!」

 俺は怒鳴った。

 すると見かねたレフェリーが小林の体をつかみ、自分の前へと引っ張り出した。

それにしても、レフェリーに引っ張り出される選手なんて初めて見たよ。

 俺は渾身の右ストレートを放った。しかし直前に小林はレフェリーの体をつかみ、くるんと前後で入れ替わってしまった。そのせいでパンチが前に来たレフェリーの頬に当たってしまった。レフェリーは倒れた。

「あっ」

 俺は一旦動きを止めてレフェリーの様子を見た。白目をむいて、すっかり伸びてしまっている。そこでいったん試合が中断となった。

 新しいレフェリーが入り、試合が再開される。小林はさすがにもう、レフェリーを盾にするようなことはしない。ついさっきこっぴどく叱られたからだ。ちなみに俺も叱られた。なんで俺が叱られなきゃならなかったんだろう。

 俺と小林はにらみ合った。すると突然、小林は俺にタックルをかましてきた。不意を突かれた俺はたまらず転んでしまった。そしてマウントをとり始めた。

「なんでボクシングでレスリングの技、使ってんだよ!」

 小林とおれはいったん引きはがされ、また試合が再開される。

 さっきからどうも様子が変だ。レフェリーを盾にしたり、タックルをかましてきたりとやけに変則的な技が多い。というか、変なプレイばかりが続いている。小林ってこんなやつだったっけ?前の対戦の動画を見た時には普通にボクシングをしていたはずなのだが。

 小林があまりにも逃げ回るので、俺は小林をコーナーに追い詰めることにした。小林が左右に逃げようとしても先回りして逃げ道をふさぎつつ、コーナーへ追い詰めていった。そしてとうとう、小林をコーナーに追い詰めた。

 これで思う存分、殴れる。俺は右の腕を振り上げた。

 その時、小林が急にかがみこんだ。そして前転をしながらコーナーから抜け出してしまった。

「なんだとぉ!」

 さっきから変なことばかりしやがって。もう我慢ならねえ。半殺しにしてやる!俺は小林の背中を追った。



 槇原のスマホが振動した。スマホを取り出すと、小林選手のマネージャーからの電話が来ていることが分かった。

 槇原は電話に出た。

「もしもし、そちらの方はどうですか?」

「ええおかげさまでたいした事態にならず済みそうです。ご迷惑おかけしてすいません」

「何、迷惑だなんて。小林選手さえこちらに来ていれば大丈夫ですよ。今のところ、反則すれすれのトリッキーなプレイを連発しているのが気になりますが、まあそのうち本領を発揮するでしょう」

「なんですって?」

「今はちょっと様子がおかしいみたいですが、まだわからないということです。とにかくまだ一回もダウンはしていませんよ」

「小林選手が試合に出ているんですか?」

「そうですよ」

「小林選手はここにいますよ」

「え?」

「試合に出ているのは誰ですか?」

「だれって」

 槇原はリングの上にいる男を見た。どう見ても小林にしか見えない。しかしその行動はおよそ小林選手らしくないものばかりだ。

「小林選手はまだそちらにいるんですか?小林選手だけこちらによこしたとかそういうことはないんですか?」

「もちろんそうするつもりでした。しかしその男の子が小林選手のファンだっていうんで。小林選手がいると励みになるからいてくれって男の子が言うものだから、残ったんですよ」

「じゃあ、あのリングの上にいるのは」

「その人が誰だか知りませんが、別人です。早く試合を中断させた方がいいです」

「あ」

「どうしました?」

「その試合に出ていた人が今、ダウンしました……」



「ええ、小林選手ではありませんよ」

 小林選手そっくりの男は言った。

「それなら何で試合になんか出たんですか!」

「初めはいきなりあなたに腕を引っ張られて連れていかれたものだから何のことだかわからなくて」

「でも途中から人違いされているって気づきましたよね、絶対」

「ええ気づきました。しかしこれもいい機会かなと」

「はあ?」

「一度、リングに立ってみたかったんです、俺」

「ふざけんなこの野郎!二度と姿を見せるんじゃねえ!」

 槇原はそう怒鳴って、男を会場の外に蹴りだした。男は蹴られたところをさすった後、何を言うでもなくその場を去ったのだった。


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