4:聖なる夜に、永遠の約束 4
教会に関わっていて良かったと、ミアは心の底から思った。
昨日の今日で、もしぼんやりとした一日を与えられていたら、きっと耐えられない日になっていただろう。
朝早くから教会を訪れ、ミアは前夜祭を成功させるために、司祭の手伝いに精を出す。子供たちのために贈り物やご馳走の準備をして、午後からはじまる前夜祭のパーティーに向けて奔走していると、気持ちが紛れた。
余計な事を考えなくてすむ。
午後になると、子供たちのはしゃいだ様子に幾度も救われた。
司祭との計画通り、教会での前夜祭パーティーは大成功だった。途中で街の人々も訪れてさらに賑やかになったが、辺りが黄昏れる頃にはお開きになった。完全に日が暮れてしまう夕刻には、片付けも終わっていた。
にぎやかな前夜祭の翌日は、静謐な一日になる。教会の子供たちも物静かに過ごし、年に一度だけ聖堂への礼拝が絶える日だった。
マスティアの聖なる夜。
自分の内にある、ささやかな幸福に目を向ける日。
ミアは片づけと明日の食事の用意を整えると、司祭に挨拶をして教会を出た。
明日は教会を訪れることができない。誰もが外出を控える一日のようだった。
独りの時間がやってくる。
王宮の離れに戻ると、ミアはまっすぐに自分の部屋へと向かった。
寝台に転がるように横になると、天蓋の装飾を見てため息をついた。
天蓋の美しい装飾が、何度か訪れたことのある王宮に重なる。
豪華絢爛を絵に描いたような広間。
今朝、ミアが起きた頃、すでにシルファの姿は離れにはなかった。王家の祝典のために支度があったのだろう。
(――今頃は……)
故意にそらしていた意識が、一気に引き戻される。
華やかな舞台で祝福される二人。美しい幻の令嬢は、もう幻ではないのだ。きっと今頃、シルファの隣で寄り添うように微笑んでいる誰かがいる。
ミアは寝台にうつぶせて、柔らかな弾力の中に顔をうずめた。シーツにあふれ出た涙を吸い込ませるために。
泣いていても仕方ない。
自分はこの世界で、これから学ぶべきことがたくさんある。
シルファの隣で生きるために、未熟なままではいられない。
顔とシーツをぐっしょりと涙に濡らしながら、ミアは自身を叱咤激励する。
泣くのは、今日だけ。
弱音を吐くのも、今日だけ。
今夜だけ、盛大に嘆くことを自分に許す。ミアは声をあげてわんわん泣きじゃくった。
大泣きを初めて数分もたたないうちに、ミアは外が慌ただしくなる気配を感じた。
シルファが戻ってきたのかもしれない。
セラフィには昨夜のことを半ばを脅しをかける勢いで固く口止めしたが、主への服従度が半端ない影の一族に対して、効果があるかどうかはわからなかった。今夜だけは大いに嘆こうと決めていたが、もし昨夜の様子がシルファに筒抜けていれば、悠長に泣いてなどいられない。
あっけなくマスティアの価値観に躓いた自分をさらけ出したも同然だった。シルファに対して、簡単には挫けないのだと、自分の印象を挽回しておきたい。
「――……」
涙をぬぐって、息を殺すようにして外の気配に耳を澄ましていると、だんだんと賑やかさがこちらに向かって近づいているのがわかる。
かすかにシルファの声を聞いた気がした。
(やっぱり、セラフィはしゃべっちゃったのかな)
影の一族は主に隠し事をしない。ミアの予感は的中していたようで、何の前触れもなく突然部屋の扉が開かれた。
「!?」
ミアは咄嗟に寝台の上に起き上がる。
シルファは祝典から戻るとそのままこの部屋へ直行してきたのか、宮廷衣装のような豪奢な格好のまま、恐ろしい勢いで寝台まで歩み寄ってきた。
「あ、お、おかえりなさい、シルファ」
あまりの剣幕に、ミアは思わず口を開いていた。セラフィから昨夜の様子が筒抜けた事は疑いようがないが、何と言い繕うべきか考えがまとまらない。
寝台の上に座りこんでいるミアの前で、シルファが仁王立ちしたままこちらを見下ろしている。
「――ミア」
シルファの顔が、やりきれないと言いたげに苦し気に歪む。ミアは咄嗟にしゃべりだしていた。
「だ、大丈夫! わたし、ちゃんとわかってる!」
寝台の上に正座をして姿勢を正す。
「昨日の夜は、いろいろと元世界との違いにちょっとびっくりしただけで。わたしの世界の夫婦とか結婚と、やっぱり全然考え方が違うんだなって、それだけの話だから! 本当にびっくりしただけ」
シルファは納得できないと、ゆっくりと首を横に振る。
「びっくりしただけで、そんな顔になるのか?」
「え?」
「驚いて泣くなんて、あまり聞かないが」
ミアはさっと自分の目元に手を当てる。昨夜から引き続き、泣いて目元が腫れているのは明らかだ。
「……う、これは、その、公私ともにシルファの傍にいられないのが、ちょっと悔しかっただけで……、その、――ただの妬きもちです!」
思い切って白状すると、ふわりと風が舞った。肩を引き寄せられて、強い力に抱きすくめられる。ミアを安堵させるシルファの香りが濃くなった。頬にシルファの胸元が当たって、豪奢な衣装を通しても、彼の鼓動が伝わってきた。
「正妻は迎えない」
「え?」
「私はミアが悲しむようなことはしたくない、絶対に。おまえが嘆くところを見るなど、あり得ない」
そういえばとミアは懐かしい気持ちになった。聖なる光であるまえに、ミアは崇高な一族にとっての聖女でもある。
聖女が嘆くのを見たくない。
出会ったころ、シルファが語っていたのを思い出す。
聖女。崇高な一族の本能に刻まれた崇拝。シルファを縛り付ける強固な鎖。だからこそ、ミアはシルファを束縛するような行いを避けたいのだ。
「でも、いろいろと都合が悪くなるんじゃ?」
「違う方法を考えればすむことだ。……まぁミアが嫉妬するような相手でもないが。私が建前として迎える正妻はいつも影の一族だからな」
「え? 美人で家柄の申し分ない令嬢じゃなくて?」
「もちろん世間ではそういうふうに見えているだろうな」
「それは、いったいどういうこと?」
「諸侯の中に、影の一族で構成されている家柄が幾つかある。今回のブリーレ伯もそうだ。たしか、大昔にセラフィが形作った影から構成されているはず」
「ええ!? 影の一族って、シルファの部下じゃないの?」
「私が直接生んだのは七影――七人だけだな」
「知らなかった」
「別に話すことでもないと思っていたが、……これからはミアも知っておいたほうが良いことなのかもしれない。だから、少しずつ教えるよ。私がどうこの王国に関わっているのか」
「――うん」
それは嘆きながらも、ミアが強く感じた事だった。自分には知らないことが多すぎるのだと。
未熟さが知識や経験で補っていけるのなら、喜ぶべきことだ。