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聖女よ、我に血を捧げよ  作者: 長月京子
終章 終焉のあと
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1:喪失の雨

 細い雨が降っている。

 しとしとと穏やかな雨音。耳を澄ませば王宮の離れにある自室でも聞こえる。


 マスティアに忘却をもたらす喪失の雨。


 持てる魔力の全てを放っただけはあって、雨は長く続いている。

 それでも書き換えることのできる記憶や思い出は限られているだろう。暗示の犠牲になった者や捜査関係者には、シルファが直接出向いて働きかける必要があるかもしれない。


 影の一族(シャドウ)に世間の様子を探らせているが、翠光子(アルカフェルム)を発端とした事件の全てを闇に葬り去るのは難しい。亡くなった者は取り戻せない。


 アラディアの暗示は、人を陥れるために働く仕掛けになっていた。

 ドラクルも犠牲になった者の一人である。


 凶事を働いた者にも、罪があるとは思えない。

 全ては人を嫌悪するアラディアの悪行である。


 崇高な一族(サクリード)翠光子(アルカフェルム)を伏せたまま収拾をつけるには、出来事の改竄が必要だった。


 魔力は万能ではなく、喪失の雨にも限界がある。

 時間がかかるだろうと、シルファは考えていた。


(――ミアが目覚めるまでにも、時間がかかるだろうか)


 天蓋のある寝台で横たわる、愛しい人影。シルファは寝台に腰かけて、ミアの頬に触れる。

 あたたかい。彼女の温もりに触れるたびに、生きていることに安堵する。

 鼓動を取り戻しているが、いっこうに目覚める気配がない。


 聖なる光(アウル)を放ち、ミアはシルファに新たな心臓をもたらした。本来であれば、引き換えに自分の心臓を彼女に与えなければならなかった。


 崇高な一族(サクリード)が愛する聖女。

 聖女が愛する崇高な一族(サクリード)


 自分の想いが、聖女への崇拝を越えていることには気づいていた。

 そして、ミアも――。


 いつのまにか聖なる光(アウル)を満たす条件は完成していたのだ。

 恐れず差し出された聖女の心臓。


 ミアは願ってくれた、共に在る未来を。


「……ミア」


 呼びかけても、答えはない。

 シルファが目覚めた時、ミアは瀕死だった。

 裂けた胸元から流れるあたたかい血が、シルファの身体を濡らしていた。


 聖なる光(アウル)により手に入れた膨大な魔力。シルファは砕け散った自身の心臓を再生した。

 すぐに与えたが、遅すぎたのだろうか。あるいは不完全だったのかもしれない。

 ミアは目覚めない。


(……私が彼女を犠牲にした)


 崇高な一族(サクリード)の終焉。独りよがりな決意に巻き込んだのだ。

 彼女は永遠に目覚めないのかもしれない。


 シルファはさらりとミアの髪を梳くように手を動かす。

 後悔は募るが、失ったわけではない。彼女はここにいる。


 永遠に目覚めなくても、かまわない、自分は永遠に彼女の目覚めを待つ。待ち続けられる。


「私の女神……」


 シルファは愛し気に、ミアの額に口づけた。






(私の女神ーー?)


 ミアは近くに人の気配を感じていた。自分のことを女神だというのは、シルファかドミニオだけである。さらに私の女神となると、シルファだけだった。


 シルファが近くにいるのだろうか。

 とても気怠いが、彼が近くにいるのなら顔を見たい。

 ミアは芽生えた欲求に逆らわず、ゆっくりと目を開いた。


「わ!」


 予想よりずっと至近距離にシルファの藤色の瞳が迫っている。ミアは驚きのあまり飛び起きるように上体を起こした。ゴチっと頭に何かが激突する。


「わ、ご、ごめんなさい」


 目測を誤っていたらしく、見事にシルファに頭突きが入ってしまう。不意打ちでくらってしまったせいか、シルファは頭を押さえたまま動かない。


「あ、シルファ。ほんとに、ごめんなさい。えっと……」


 さっきまでの気怠さが一気にどこかに吹き飛んだ。

 ミアは記憶を辿るように辺りを見る。見慣れた天蓋のある寝台と、室内の模様。


 どうやら魔鏡のあるシルファの部屋で休んでいたようだ。

 さらに記憶を掘り起こそうとしていると、不意に強い力に引っ張られる。


「ミア」


 シルファの声が耳元で響く。突然強く抱きしめられて、ミアは慌てた。


「な、何? ちょっと、シルファ?」


「――良かった」


 噛み締めるような声が震えている。ミアはハッと全ての成り行きを思い出した。

 青い送り火のような炎の中で、血まみれになって倒れていたシルファ。ぞっと心が震えた。


「シルファ! 生き返ったの?」


 ミアはシルファの顔を見ようと身動きするが、自分を抱きしめる力が緩まない。じたばたと腕を動かす。


「良かった、ミア。もう目覚めないのかと思った」


「え?」


 どうやら胸の光をシルファに与えてから、ずっと気を失っていたらしい。シルファに心配をかけて申し訳ないと思ったが、そんな気持ちはすぐに思考を滑り去った。


 今ここにシルファがいる。

 ミアも良かったという気持ちを噛み締めたが、安堵すると異なった感情がめらめらと芽生えた。


 心配をかけられたのはこちらである。倒れているシルファに取り縋った時の、あの絶望的な思いを振り返ると、苛立ちに胸を焼かれた。


「シルファは最悪だった!」


 ミアが素直に訴えると、シルファがようやく腕の力を緩める。こちらを見つめる彼の瞳に、小さく自分が映っている。


「死んじゃうつもりだったなんて、知らなかった! 最低! 最悪!」


 ミアは言い募る。


「大丈夫って言ったから、信じてたのに……」


 じわりとこみ上げてきた感情が熱い。それが涙になってあふれ出た。ミアは泣きながらさらに訴える。


「倒れているシルファを見つけた時、どんな気持ちだったか――……」


 それ以上は嗚咽になってしまい、言葉にできない。シルファの長い指が、そっとミアの涙に触れる。


「そうだな。私は最低だ。悪かった」

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