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5:色香避け

 王宮の離れに着くと、セラフィはミアの腕を掴んで迷わずどこかへ向かう。まるで迷路を抜けるように、セラフィは駆け出しそうな足取りで入り組んだ通路を進んだ。声をかけるのが憚られるほど、セラフィの表情が焦りを映している。まるで彼女の不安が伝わって来たかのように、ミアも掌に汗が滲んでいた。


 やがて、通路の果てにミアにも見覚えのある大きな扉が見えてくる。ミアがシルファと初めて出会った部屋への入り口だった。金銀細工を施された、厳かで美しい扉。


 ミアにとっては、これが異世界への扉だったのかもしれない。


 セラフィは何の迷いもなく扉を開いて、中へと踏み入る。ミアはシルファがいるのではないかと期待していたが、室内に入った途端、胸にひやりとした恐れがよぎった。


 床に敷き詰められた美しい絨毯に、染みが広がっている。黒ずんでいるが、血痕のように見えたのだ。見覚えのある台座に、天井を映すように大きな鏡が置かれている。

 やはり赤黒いものがこびりついていた。


 セラフィが室内の奥にある天蓋付きの大きな寝台に向かう。ミアには人の気配が感じられなかったが、近づくと天蓋から下がる透けた幕内に、人影が横たわっているのがわかった。


 セラフィは横たわる人影に許可を得ることもなく、勢いよく幕を開く。


「シルファ?」


 ミアは思わず声をあげた。ただ横たわっているだけなのに、彼の様子に途轍もない危機感を覚える。


「倒れたのは、ベルゼじゃなかったの?」


 セラフィはシルファの様子を見ると、心持ち余裕を取り戻したのか、はぁっとため息をついた。


「まぁ、ベルゼも瀕死でしょうね」


「ええ!?」


「ああ、でも大丈夫です。……それにしても、こんなになるまで留めおくなんて、普通なら切り離すでしょうに。ま、そういうところが、シルファ様なんですけど。うーん。これは、ひょっとして私が試されているのかな?」


 ミアはシルファに近づいて、そっと投げ出された腕に触れた。全くぬくもりがない。ゾッとして、思わず彼の胸に耳を寄せたが鼓動が聞こえてこない。


 ミアは心が凍りつく。絶望しそうなほどの動揺が押し寄せた。


「ど、どういうこと? シルファは大丈夫なの?」


「もともと鼓動は聞こえませんよ。心臓を失っていますから」


「あ……」


 そうだったと彼の事情を思い出すが、ミアは触れているシルファの手の冷たさに不安を煽られる。いつでも彼には体温を感じていた。今はそれが失われているのだ。


「でも、大丈夫じゃないですね。このままだと死んでしまいます」


「ええ!?」


「だからミアを連れてきたんです。聖女の恩恵が必要だから」


「わかった!」


 ミアは何のためらいもなく、寝台に上がってシルファに馬乗りになると、頭を抱えるように手を伸ばす。あまりにも素早い反応だったのか、セラフィが戸惑った声を出した。


「ち、ちょっと待ってくださいよ、ミア」


「どうして? 死んでしまうかもしれないのに待てないよ! 人工呼吸に躊躇っている余裕なんてない!」


 救命措置の勢いでミアが即座に唇を重ねようとすると、セラフィが横からミアを羽交い締めにする。


「待ってくださいってば!」


「シルファが死んじゃったらどうするの?」


「いや、でもこのままキスしたら、ミアはシルファ様に襲われちゃいます!」


「もう! こんな時に何を言ってるの?」


「いや、ふざけている訳じゃなくて。とにかく、これを食べてください!」


 セラフィはミアの手を取ると、角砂糖に似た小さな立方体を掌に乗せた。一瞬、聖糖かと思ったが、純白ではなくほんのりと色味があった。桜の花のような淡い色。


「何? これ」


「簡単に言うと、崇高な一族(サクリード)の色香避けです」


「色香避け?」


「今は瀕死でこの有様ですけど、シルファ様に聖女の恩恵を与えて、少しでも活動が復活したら、ものすごい飢餓状態になります。絶対に噛みつかれます!」


「噛みつかれるって……」


「ここまで消耗するといくら聖女でも、さすがに唾液では足りません。血による聖女の恩恵を求めてきます! 頸動脈からブツッと! はっきり言って、めちゃくちゃ痛いですよ」


「え?」


「だから崇高な一族(サクリード)は、色香を放って麻酔を仕掛けるんです。えげつない催淫作用による高揚感で痛みを紛らわす訳ですが、ミアはシルファ様に犯されても平気ですか? ぶっちゃけ無茶苦茶に犯されも、色香に囚われたら破瓜の痛みも紛れますし、処女でも気持ち良いだけですから、私としてはオススメしたいぐらいですけどね」


 まくしたてるように、セラフィが爆弾を投下してくる。ミアもさっきまでの勢いを失って、セラフィの説明に怯んでしまう。


「いや、それは、ちょっと、いくらなんでも……」


「飢餓状態の色香に囚われたら、ミアなんてひとたまりもないですよ。正気を失って嬉々として応じちゃいます! 絶対に! そもそもシルファ様が正気に戻った時、飢餓状態でミアを襲ったなんて知ったら、呵責の念で面倒臭いことになります! それもまずいですよ!」


「ーー……」


 もはや返す言葉がない。とにかく自分の貞操を守ったままシルファを助けるためには、この角砂糖のようなものを口に含むしかないようだ。


 セラフィは黙り込んだミアの反応をどのように受け取ったのか、言葉を付け足す。


「あ、でもミアがシルファ様に抱かれても良かったら、私は断然オススメします。痛みもなく、絶対に気持ち良いんで! そのままブチュっとキスしてください。もうそれで始まっちゃいますから」


 残念ながら、セラフィのオススメに従うことはできそうにない。

 ミアは初めから決められていた選択肢を選んだ。


「ーーこれを食べればいいんだよね」


「はい!」


 ミアは飴玉を口に入れるように、セラフィにもらった聖糖に似た物を口に含んだ。

 味を感じないだろうと思っていたのに、痺れるように味覚が反応する。甘い。

 シルファのキスと同じ甘さが、ぶわりと口内に広がった。


「もしシルファ様の渇望が満たされても止まらなかったら、私がすぐにシルファ様を気絶させますから、そこは安心してください」


 どうやって気絶させるのかとセラフィを見ると、彼女は身近にあった置物を手に掲げていた。どうやら殴って気絶させるらしい。ミアは酔ったシルファに襲われた夜のことを思い出す。今思えば泥酔ではなく、渇望だったのかもしれないが、過ぎた事はこの際どちらでも構わない。椅子の激突で彼の狼藉は止まったので、セラフィの方法もあながち間違えてはいないだろう。


「ミアも危険だと感じたら、とにかく力の限り抵抗して下さいね」


「わ、わかった」


 覚悟を決めて、勢いで馬乗りになったシルファを見下ろす。肌掛け越しにもひやりと冷たいシルファの体に手を当てた。もう死んでいるのではないかと思うと、ゾッと心が縮む。


 恥じらいや戸惑いが、すぐに不安に上書きされた。人工呼吸を行うような使命感が蘇る。ミアはためらわず、シルファに唇を重ねた。

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