4:赤眼の理由と甘美な夢
温め直したシチューを皿に装いながら、ミアはさりげなく気になっていたことを口にしてみた。
「そういえば昨夜、シルファの眼が赤かった。前にも見たことあったけど、ちょっと吃驚しちゃった。どうして眼が赤くなるの?」
銀髪や紫眼は、マスティア王国では珍しいことではない。ちょっと通りを歩けば同じような人にすぐ遭遇する。この世界の環境は元の世界とさして変わらないようだが、人々の髪や瞳、肌の色には見慣れないものが多かった。
ミアはすでにシルファの容姿も見慣れているが、この世界でも、まだ赤い眼をした人には会ったことがない。血のような真紅の瞳。どんな動機で色が変化するのか知りたかった。
マスティア王国に根差している王家の始祖がヴァンパイアだという伝承。
当のシルファが人ならざる者の存在を否定するが、ミアは赤い瞳のシルファに、どうしてもヴァンパイアを連想してしまう。
「ーー前にも見たことがある?」
さりげなく訊いたつもりだったが、シルファはなぜか眉間に皺を寄せてそう問い返してきた。美しい眼差しに迫力を漲らせて、じっとミアを見据える。途端にミアは途轍もない失敗を犯したのだと悟った。昨夜以外にシルファの真紅の瞳を見たのは――。
「いつ? どこで見た?」
畳み掛けてくるシルファの目をまっすぐ見返すことができず、ミアは目を泳がせた。平静を装おうとすればするほど、顔の火照りが増す。頰を真っ赤に染めたミアの様子でおおよそのことを察したらしく、シルファが毒を含んだ微笑みを浮かべた。
「――なるほどね。……私は欲情すると目が真紅に染まる。つまり、そういうことか」
「べ、別に、見たくて見たわけじゃないし! シルファの部屋から声が聞こえたから――。そもそもそういう事するのに部屋の扉をきちんと閉めてないのが悪いんでしょ!」
シルファは何の後ろめたさもない様子で、ミアをあざ笑う。
「声? ……女の嬌声か」
ふっと小さく笑って、さっきまでの殊勝な態度が幻だったかのように、シルファがとんでもない事を豪語した。
「それにしても、酔っていたとはいえ私もついにお前に欲情するようになったのか。世も末だが、お前はどんな声で哭くんだろうね」
「――死ね。この外道が!」
頰を叩く乾いた音が、食卓に響いた。
片頬を赤く染めたシルファが、ミアが乱暴に配膳したシチューを匙で口に運ぶ。彼の肌は透きとおるように白く、ミアの目からは血色が悪く感じるほどだった。そのせいか、頬を染める手形が皮肉なほどにはっきりと浮かび上がっている。
「なんだ、これは」
煮詰めすぎて鍋の底を焦がしたシチューを一口含むと、シルファの綺麗な顔が歪んだ。
「焦げた味しかしない。何をどうやったら、こんなモノができあがるんだ」
「ちょっと焦げただけだよ」
「そもそも味がしない」
「うるさい! 黙って食べろ」
不平を唱えるシルファを一喝して、ミアはぐるぐると匙でシチューを掻きまわしてから、ぱくりと一口含む。焦げ臭さが鼻を抜けていくが、美味しそうな匂いは失われていない。
たしかに味はしない。けれど、それはこのシチューの出来がどうこうではなく、ミアの味覚の問題だった。こちらの世界に召喚されてから、ミアは味覚を失ってしまった。
代わりに少し嗅覚が研ぎ澄まされた感じはするが、味覚を完全に補えるほどのものでもない。
味見をして美味しそうな匂いを確かめても、味は保証できない。何となくシルファにも打ち明けることができず、味覚オンチまたは料理下手という不本意な立場に甘んじている。
(ーーでも、昨夜のシルファのキスは甘かった)
それはファーストキスは甘い味がするとかいう幻想ではなく、本当に味覚として感じた甘さだった。こちらの世界に来てから、夢で味わう以外には忘れていた味覚。
シルファの舌や唾液は甘い。加えて真紅に染まる瞳。
残念ながらミアにはそれがこちらの世界の常識なのかどうかは分からない。キスが甘い理由をシルファに聞くのは、どうしても憚られる。欲情すると誰もが瞳の色を変化させるのかも、やはり彼には聞きにくい。他の人で経験でも積まない限り、ミアには知る機会のないことだった。
いまのところ味覚を失ったことで、料理下手の烙印以外に困ったことも起きていない。
それでも無意識には心に負荷がかかっているのか、ミアは時折同じような夢を見る。
夢現で、蜜のように与えられる甘さ。
ミアは飢えた獣のように、その蜜を求める。
舌を伸ばして、貪るように溢れる蜜を舐める。それだけの情景だが、なぜか背徳的で甘美な印象があった。味覚がないことをシルファに打ち明けにくいのも、その夢のせいかもしれない。
そして昨夜のシルファの強引な口づけは、甘美な夢を想起させた。