4:ベルゼの報告
シルファはベルゼからの連絡を受けて、本部から王宮の離れへと移っていた。離れの最奥の部屋には、気休め程度に魔力を助ける魔具があった。変幻を強いているベルゼの声を聞くには、魔鏡に声を映す方が効率が良い。
「ベルゼか? 待たせたな」
(いいえ。ドラクル司祭について、噂が……)
「司祭?」
(はい。娘がいたという噂があります)
「――娘?」
(はい。聖堂で隣国からやって来た商人が、そんな話をしていたようです)
「隣国? リディアか?」
(ーーはい)
シルファは長椅子に掛けたまま、表情を険しくした。
隣国リディア。元はマスティアの一地域だったが、古に独立した国である。マスティアに等しい信仰をもっていたが、月日が経るごとに同じ祖の信仰が、少しずつ変遷している。
アラディアが潜伏しているのではないかと、一番危惧している地域でもあった。
「だが、司祭に娘がいて、何がおかしいんだ?」
(司祭の娘が悪魔付きだったとの話があったようです)
「――悪魔憑き」
マスティアの魔女狩りに等しく、リディアには悪魔祓いがある。聖なる黒の書の影響を如実に受けているのだ。本来であれば、崇高な一族しか知らない黒の書の内容がリディアでは流布されている。
教会は真っ向から否定しているが、今では聖なる双書を源に、リディアでは信仰が二つに割れるほどである。
自然に寄り添う営みを礎にした、聖なる白の書を聖典とする信仰を、聖白派。
心の闇から逃げないことを礎とする、聖なる双書を聖典とする信仰を、真双派。
真双派の誕生には、アラディアが長い月日をかけて介入しているのではないかと睨んでいる。
「だが、今は司祭に娘がいるという話は聞かないな。しかも現在マスティアの教会にあるのなら、ドラクル司祭は聖白派だ。なぜ悪魔憑きと言う話になる?」
(娘は生まれつき体が弱く、治療も薬も効かない状態だったようです。もちろんドラクル司祭は聖白派の人間なので、悪魔憑きを真っ向から否定していたようですが、母親が悪魔の仕業だという考えに縋るようになったと。司祭はその妻とは離縁したとの噂です。娘は悪魔払いの甲斐もなく、亡くなったらしいですが……)
「わかった。その噂については、裏を取る」
(はい。ただ、ドラクル司祭がマスティアに赴任した折に、その娘を連れていたのではないかという話があります)
「亡くなった娘を? 仮に生きていたとしても、今は誰も見たことがないだろ?」
(子どもたちの噂です。司祭と同じ、黒髪の幼女を見たことがあると。いつの間にかいなくなったそうですが)
「まるで幽鬼だな。とにかくリディアでの話の裏を取る。娘の消息の是非もそれで明らかになるだろう」
(わかりました。娘の話もそうですが、まだ気になることがーーっ)
「ベルゼ?」
唐突に声が途切れた。シルファは立ち上がって魔鏡に触れる。どんなに呼びかけても返答がない。
「ベルーーっ」
突然、シルファの胸にどっと衝撃が走った。一瞬にして脳裏が真紅に染まる。まずいと思う間もなく、砕け散るかのような激痛に襲われた。
「――っ!」
その場に膝をつくと、床に敷き詰められた美しい絨毯の模様が、真紅の染みで失われていた。さらに、ボタリと夥しい量の血が飛散する。自分が吐血していることに、ようやく気づいた。
(まさかーーベルゼが、殺られた?)
誰にと考える余裕もない。
早急に変幻を解いて引き戻す必要があったが、圧倒的に魔力が足りない。
(これは、まずいな)
命を削る勢いで力が消耗していくのがわかる。切り離すべきか一瞬逡巡したが、シルファはベルゼを留めおくことを選んだ。
永い時を過ごした相棒を見捨てる選択肢などない。
魔鏡のある美しい部屋が遠ざかる。目の前がすうっと狭窄し、調度の色が失われていく。視界が真紅にのまれ、やがてそれは暗黒となった。
シルファは崩れ落ちるように、意識を手放した。
支部と住居を兼ねている小さな家に戻ってから、ミアはセラフィと女の襲撃について振り返っていた。
「セラフィがいなかったら、どうなっていたんだろう」
もし自分に影の一族の護衛がなければ、これまでに起きた凄惨な事件と同じ末路を辿っていたのだろうか。
「ミアは絶対に守りますから、大丈夫ですよ」
セラフィが食卓について、ミアの入れた珈琲をすすっている。女の襲撃にも全く動じている気配がない。彼女の余裕が心強く映る。ミアもセラフィの向かいの椅子にかけようとした時、玄関が騒がしくなった。こんな時間に支部を訪れる人間がいるだろうか。ミアが不安を感じていると、セラフィがすぐに動く。
支部の戸を叩いたのは、どうやら影の一族のようだった。ミアがほっと安堵したのも束の間で、セラフィが血相を変えて戻ってくる。
「ミア! まずいです! とにかく王宮の離れに向いましょう!」
「え? どうしたの?」
「ベルゼが失敗したみたいです!」
「どういうこと?」
全く状況がわからないが、セラフィの切羽詰まった様子から、ミアは何の迷いもなく王宮の離れに向かった。




