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4:聖女の主張

 裏口から帰宅すると、ミアは食卓のある部屋の長椅子で絵本を開いていた。シルファを見るとすぐに絵本を閉じて「おかえり」と声をかけてくれる。


 シルファが「ただいま」と言い終わるか終わらないかの間に、彼女の頬がみるみる赤く染まる。

 全く隠し事のできそうにない様子に、シルファは思わず笑ってしまう。上着を脱いで食卓の椅子にかけると、ミアが立ち上がった。


「お、お茶でも淹れようか?」


 この様子では聖女の恩恵について意識しているのだろう。簡単に見抜けてしまうが、シルファは少し意地悪をしたくなる。


「もうだいぶ遅いが、ミアは休まなくても大丈夫なのか? 明日も教会へ行くんだろ?」


「わたしは大丈夫だけど、シルファは疲れているよね」


(――ああ、これは失敗したな)


 シルファはじわりと胸があたたかくなる。もう何度目だろう、ミアの言葉や仕草に心を奪われるのは。彼女に意地悪を働かせた自分の浅はかさを思い知る。

 気遣うようにこちらを見ているミアに、シルファは素直に応じた。


「いや、じゃあ珈琲でもいれてもらおうかな」


「あ、うん」


 シルファは食卓の椅子にかけると、大きくため息をついた。久しぶりに感じるミアの気配に安堵する反面、彼女が何を打ち明けるのか不安でもある。しばらくすると、珈琲の入ったカップがコトリと食卓で音を立てた。


 白く巻き上がる湯気を眺めながら「ありがとう」と告げると、ミアが向かいの席に座って、心配そうにこちらを見た。


「シルファ、やっぱり疲れているんだね。あまり、顔色が良くないみたい」


「まぁ。いろいろあって――」


 否定するのも信憑性を欠く。原因は明らかだが、あえて濁しておいた。ミアを追い詰めてしまうようなことは言いたくない。


 シルファはカップを持ち上げて珈琲を啜った。思えばミアの淹れる珈琲もはじめはひどかった。薄すぎたり、苦すぎたりしたが、今は程よく馴染む。


 染み込むような香りと苦み。自分で淹れたものより、素直に美味しいと感じる。

 シルファが心の緩む一時を味わっていると、ミアが席を離れて傍らに立つ気配がした。いよいよかと予感を覚えながら仰ぐと、緊張した面持ちでこちらを見ている。シルファは思わずカップを置いた。


「……あの、わたしせいで、渇望させてごめんなさい」


 シルファはセラフィが何か吹き込んだのだと想像がついたが、どんな理由があってもミアが謝ることはない。


「私が渇くのはミアのせいじゃない。心配しなくても、何とかやってる」


「でも、……その、わたしがシルファに返せるのは、聖女の恩恵しかないわけで……」


「そんなことないだろ。料理も上達したし、珈琲を淹れるのもうまくなった。教会の司祭もミアに感謝していたよ。それに、私はミアといると少し寛いだ気分になれる。もうそれで充分じゃないか?」


 彼女に拒絶される覚悟はしていたが、こんなふうに罪悪感を抱かれるとは考えていなかったのだ。シルファはどう伝えれば、芽生えた義務感から彼女が逃れらるのかを模索する。


「そもそも無理矢理召喚されたミアが、私に何を返す必要がある?」


 黙り込んでしまったミアに繰り返すことしかできない。


「とにかく、ミアを召喚する前はずっとそうだった。気にすることは――」


「そんな顔色で言われても、説得力がない!」


 弾けるような勢いで訴えると、ミアの細い腕が乱暴にシルファの肩をつかんだ。がちっと歯に何かがぶつかる衝撃のあとで、あたたかい甘さを伴ったものが入って来る。


 甘く濃密な、聖女の恩恵。


 シルファは満たされていない本能がすぐに反応するのがわかったが、寝台に連れ込む女達とは違い、ミアが無垢なことを知っている。引きはがすように力を込めた。


「ミア――」


 離れると、かつて見たことがないほどミアの頰が紅潮していた。まだ渇望に伴う色香に囚われていない彼女は、照れ隠しのためか強い眼差しできっとシルファを睨んだ。


「甘い物が食べたい!」


「え?」


「シルファのことをおやつだって思うことにした!」


 あまりの発想にシルファは言葉を失う。次の瞬間には、心の奥から可笑しさがこみ上げてきた。こらえきらず笑いだすと、ミアの小さな拳がどんっとシルファの胸を叩く。


「だって、甘いんだから仕方ないでしょ。女子は無性に甘い物を食べたくなる時があるの!」


 色気の欠片もない、食い気の理由でミアは言い募る。シルファは味覚がない苦痛が確かにあるのかもしれないと、妙に納得する部分もあった。今まで眠っているミアが積極的に応じていたのも、色香に囚われているというよりは、味覚の虜だったのかもしれない。


 聖なる光の可能性なのか、不完全な召喚の後遺症なのかは分からないが、ミアが割り切れるのなら、成り行きとしては悪くない。


「それは、甘い物を嗜むついでに、私に聖女の恩恵を与えてくるということで良いのかな?」


 明確に尋ねると、ミアは途端に勢いを失う。戸惑った目でシルファを見た。


「う、でも、――えっと、……今まで通りでお願いします」


「なんだって?」


「その、今まで通り、わたしが眠っている時にお願いします」


「いまさっき、私に喰いついてきたくせに?」


「それは、その――、勢いで出来たことで……」


 ミアの羞恥心が最高潮に達していくのが、見ているだけで伝わってくる。彼女は泣き出しそうな複雑な表情で呟いた。


「……やっぱり、恥ずかしいから」


 シルファは、渇望とは異なる欲望に一瞬にして思考が奪われる。そんな想いに呑まれたのは初めてだった。胸にこみ上げた衝動のまま、ミアの細い身体を引き寄せた。彼女は途端に逃げ出そうとする。


「な、何?」


「約束は守るつもりだが――」


「うん。ん? だがって?」


「先に私の渇きを煽ってきたのはミアだから、今は責任を取ってもらおう」


 ただ彼女に触れていたいという素直な欲望。刺激されたのか、できるだけ意識から外していた渇望が蠢いた。身を焼くような渇きを自覚する。聖女の甘い匂い。堪えきれない。


「では、ミア。存分に甘い物をどうぞ」


「ちょっと待っ――」


 じたばたと抗うミアを逃さず、シルファは強く口づける。本能を満たす味には、しびれるような充足感があった。味覚への欲求が満たされるのか、ミアはすぐにねだる様に受け入れた。やがて崇高な一族がもたらす官能的な気配に呑まれて、わずかに声を漏らす。


 囚われた彼女の甘い声に、ぞくりと身体の芯が震える。シルファは自身の高まった欲望を、無理矢理閉じ込める。口づけから開放すると、囚われたミアは、ぐったりとシルファに身を預けた。無防備な細い体に、それ以上の欲望をぶつけそうになっては何度も抑えた。


 やがて正気を取り戻した彼女が、ふらりとシルファから離れる。怒りに任せて暴れるかと思ったが、真っ赤な顔で居心地が悪そうな表情のまま、傍らに立つ。小さな呟きが聞こえた。


「――ごちそうさまでした」


 シルファは思わず吹き出してしまう。わずかに熱をもっていた欲望が、弾かれるように可笑しさにすり替わった。


「……おまえは、本当に……、可愛いよ」


 爆笑していると、ミアが恐ろしい形相でこちらを睨んでいる。


「――いや、そういう可愛さは、悪くない」


 彼女の健気さを噛み締めて精一杯褒めてみたが、どうにも可笑しさが止まない。


「人のことを馬鹿にして! この下衆! 変態! 鬼畜! 」


 細い腕のどこにそんな力があるのかと思う勢いで、ミアが食卓をひっくり返した。

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