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1:健気な聖女

 シルファは野菜スープを口に含んで、思わず動きを止めた。全く期待していなかったのに、程よく味がするのだ。念のため、さらに一匙すくって口に含んだ。


「――美味しい」


 素直に感想を述べて、同じ食卓についているミアを見ると、わかりやすく瞳を輝かせている。


「本当に!?」


 立ち上がりそうな勢いの彼女に、シルファは素直に微笑んで見せた。不平から始めるだけだった朝食が、いつもとは違った光景を描き始める。


「ああ。美味しいよ」


「良かったぁ」


 ミアは心の底から嬉しそうに笑っている。シルファの胸にふわりと温もりが満ちる。心臓を失って凍えた空洞を埋める熱。締め付けるような、柔らかな痛みを伴って心を占める。


 彼女と暮らすようになってから与えられた、新しい感覚。

 悦びとも違う心地の良さがある。聖女の恩恵の一端なのか、単にミアの仕草に心が動いているのか、よくわからない。


「実は料理の本を貸してもらったの。分量をきちんと測ってレシピ通り作ったら、美味しくできると思って」


「へぇ、じゃあ、字が読めるようになってきたのか?」


「うん。少しずつだけどね。教会で子供たちと一緒に習っていると、とてもわかりやすいよ。料理の本もドラクル司祭に貸してもらったの。わからないところは印をつけて教えてくれるし」


 楽しそうにミアは語る。少しずつできることが増えるのが、嬉しくてたまらないようだ。

 自分の思惑だけでミアの存在を公にしたが、彼女にとっても良かったのかもしれない。


 ミアが他人の世話になることを当然だと考えないことを、シルファは先日の一件ではじめて知った。からかいすぎて悲惨な事態になったが、ミアが居候でいることに引け目を感じているとは思いもよらなかったのだ。


 シルファには想像が及ばなかった。

 ただでさえ自分の身勝手で召喚し、聖女としての恩恵のために許されない行為を強いている。償えない罪を重ねているに等しい。衣食住を与えることなど、見返りにもならないだろう。

 彼女への罪悪感が、シルファの視界を閉ざしていた。


 何も知らないミアが、どう感じてしまうのか。

 彼女の気持ちを考えると、はじめから全てを打ち明けてしまった方が良かったのかもしれない。

 そうすれば、自分もこんな罪悪感に囚われることはなかっただろう。


 けれど。

 今となっては、シルファにはもう選択できない。


 召喚した理由。

 聖女として、彼女に何を強いているのか。


 話してしまうと、きっとミアの笑顔は失われてしまう。彼女の内に芽生えた自分への信頼も。

 手にいれてしまったささやかな光。シルファには手放すことができない。


「今日も教会に?」


「うん。ついでに買い物もしてくるね」


 教会の司祭であるドラクルには、シルファからもミアの出入りについて口添えしている。王主催の晩餐会で披露した後、巷では異邦人のミアを、シルファが後見しているという噂が囁かれていた。

 けれど、表立って詮索してくる者はない。


「シルファは、何か必要なものはない?」


 眩しく感じるほど、ミアは生き生きとした様子で毎日を過ごしている。知らない世界に来たことを嘆くだけではなく、彼女は馴染もうとしているのだろう。


「いや、私は別に……」


 シルファがスープを口に含むだけで、ミアは嬉しそうに顔を綻ばせる。

 味のある野菜スープ。彼女の健気な努力の形。


 胸に食い込む黒い棘が、きりきりと暗い痛みをもたらす。

 渇望を満たすための生贄。無垢な彼女を蹂躙するに等しい行為。


 贖えない罪。


「お昼は何を試してみようかな」


 ミアは食事を終えると、珈琲を飲みながら料理の本を開く。シルファは心に巣くう憂慮から目を逸らした。


 考えても仕方がない。いずれこの身を以って罰を受ける覚悟はしている。

 食卓で熱心に料理の本を眺めているミアを見ながら、シルファは前向きに考えを切り替える。


(せめて、口づけられるくらいの仲に口説き落せれば良いが……)


 普段は可愛い女神だが、少しからかうだけであの調子である。


(――まぁ、ミアには無理だな)


 恥じらいもあるのだろうが、気軽に貞操を捨てるとも思えない。ミアには心と身体の繋がりを切り離して考えることは難しいだろう。


 だからと言って、心を欲しがることはできない。一途に慕われるのは禁忌だった。

 彼女との未来には必ず別れがあるのだ。


(もし本気になられて、――泣かれるのも困る)


 この身で成すべきことがある。だから、決意を揺るがすような想いは望まない。

 たとえそれが、焦がれて止まない女神でも。

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