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5:ドミニオ王子

 ミアの蹴りごときでは全く痛手にならないのか、シルファはミアを離してからも笑みを湛えている。ようやく自由を取り戻したミアは、改めてシルファと目が合うと途端に恥ずかしくなった。


 やはり見間違いだったのか、シルファの瞳は綺麗な藤色をしている。

 目の覚めるような真紅の鮮やかさは、どこにもない。

 ミアはほっと緊張が解けるのを感じた。

 瞬間、きゅうっと盛大にお腹が鳴る。


(ーーさ、さいあく)


 恥ずかしくて身動きできずにいると、シルファの長い指先がミアの前髪に触れた。大爆笑されるかと覚悟したが、一向に声が響いてこない。頬を染めたまま、おそるおそる顔をあげると、彼は意外に優し気な目でミアを見ている。


「せっかくだから、美味いものを食って帰ろうか」


「……どうせ私は料理がへたくそですからね」


「卑屈だな。でもまぁ、そこは否定できないか」


 シルファは小さく笑いながら「料理をもらってくる」と告げて、露台から姿を消した。ミアは未だ頬に熱が巡ったまま冷めない。

 彼の立ち去った露台には、ほのかに残り香が漂っている。まるで姿を見失ってもミアの傍にいるかのように、甘い香りが触れる。

 ミアはぎゅうっとドレスを握りしめて、立ち尽くす。


(そういうところが、ずるい)


 さりげなく与えられる労わり。

 甘い毒に侵されたように、胸に痛みを感じる。シルファへの想いが全身を巡って、ミアを捉えた。




 露台の勾欄から身を乗り出すようにして、ミアは緩やかな夜風に当たっていた。火照っていた顔から少しずつ熱が引いていく。考えてみればお昼から何も食べていない。ようやく空腹を自覚するだけの余裕が生まれてくると、シルファがどんな料理を持ってくるのかと期待が高まってくる。


 味覚を失ってからも、食に対する楽しみは想像よりは保たれている。空腹のもたらす欲求は絶大であり、嗅覚と舌触りだけでも、思った以上に美味しいと言う感覚は働くものだ。けれど、人と共有することはできない。


 居候の身として、せめて家事くらいは担いたいが、料理に関してはシルファに申し訳ないと思っている。幸い彼は素直に不平を表に出してくれるので、ミアの罪悪感は薄い。それだけが救いだった。


(ーーたまに当てずっぽうな味付けが当たるみたいだけど。分量を緻密に計算すると良いのかな)


 シルファはきっとミアが毎日遊んで暮らしていても何も言わない。自分を無理やり召喚したという責任を感じている気がするのだ。けれど、ミアは彼が自分の面倒を見るのが当たり前だとは、開き直れない。月日を経るほどに、その気持ちは強くなっていく。


 ミアを元の世界に戻す。

 シルファはきっと約束を果たしてくれるだろう。彼が徒らに自分を召喚したとも思えず、何か事情があるのは明白だった。


 自分がシルファに望んで良いのは、元の世界に帰すという約束だけ。

 その日までは、できるだけ迷惑をかけたくない。シルファが身分の有る立場で資産家なのだとしても、ミアにはこの世界に拠り所がなく、彼に甘えているのだと言う気持ちが芽生えつつあった。


(とりあえず、不味くないものを作れるようになりたいな)


 料理について考えを巡らせていると、露台から見渡せる宮殿の中庭で何かが動いた気がした。中庭は所々に火が灯されているが、灯りの届かないところは闇に呑まれている。

 ミアが動きを感じた木陰に目を凝らしていると、段々と視界が暗さに慣れてくる。


 白い衣装がぼんやりと浮かび上がってきた。顔を見分けることはできないが、あの衣装には見覚えがある。最近ミアが顔馴染みになった教会の司祭と同じだった。


(……ドラクル司祭かな?)


 マスティア王国で教会が何を崇拝しているのか、元々これといった信仰のないミアは興味がない。ただ教会や彼らの纏う祭服などは綺麗だと感じる。


 自分の知り合いの司祭なのか見極めようとしていると、司祭の向かいに誰かがいるのがわかる。姿が半分くらい木の陰に隠れているが、衣装の輪郭から女性だと感じた。


「ミア、お待たせ。……どうしたんだ?」


「あ、シルファ」


 さらに身を乗り出すようにして中庭を凝視していたミアは、シルファを振り返って勾欄から離れた。彼はどうやら給仕の者に料理を運ばせたらしい。露台にある卓の一つに料理が並べられていく。シルファはミアの隣に立って同じように中庭を眺めた。


「ーーあれは、司祭か」


 ミアが見ていたものを同じように辿り、シルファも司祭の向かいの人影に目を凝らしているようだ。


D(ダアト)サクリード」


 思いのほか中庭の人影に食いついているシルファに声がかかる。ミアが振り返ると大げさな衣装をまとった人影が露台に来ていた。

 ドミニオ王子だった。


「王子」


 シルファも露台を振り返って王子を見つけると、途端に表情を曇らせた。ミアは一国の王子を相手にこれほどあからさまに嫌悪を表に出すシルファが心配になる。


「そんなに警戒しないでおくれよ。取り巻きは連れていない、僕一人だ。君が唯一を決めてしまったのは正直残念だよ。仲間を失った気分だ」

「あなたの浮名と同列に扱われる謂れはありませんよ」


 露台に漏れてくる光を背後に受けて、王子の金髪に一筋の後光ができる。王子の様子からはシルファの態度に気を悪くした様子はない。互いに憎まれ口を叩いている感じからは、親しげな雰囲気があった。王子と仲が良いという感覚がミアには驚きだが、もしかすると思っていたより近い親戚なのかもしれない。


「まぁでも、君の女神の前でこんな話は不謹慎だね」


 王子はミアに視線を移すと屈託のない顔で笑う。


「ようこそ、D(ダアト)サクリードの女神。僕はドミニオと申します」

「あ、あの、ミアです。ごめんなさい。王子に碌にご挨拶もせずに」


 礼儀作法もわからないまま慌てて頭を下げると、ふふっと軽やかな笑い声が降ってきた。


「王子と言っても七番目。僕の場合はほぼ肩書きのようなものだから。そんなに畏まらないで。ーーシルファの想い人か。こんなに美しいのに、とても可愛いらしい人だね」


 ドミニオは歯の浮くような台詞を当たり前のように紡ぐ人種のようだ。軽薄というよりは、それが許される立場で見目も良く、ただ人懐こいのかもしれない。


「二人きりのところに水を差すようで悪いけど、僕もご一緒していいかな?」


 露台の卓に用意された食事を振り返ってから、ドミニオがもう一度ミアに聞いた。


「駄目かな?」


 ドミニオからは貴婦人達のような悪意は感じない。無下に断るのも気がひける。シルファを仰ぐと、彼はやれやれと言いたげに吐息をついた。


「取り巻きを蹴散らして来るところをみると、私に何か聞きたいことでもあるようですね、王子」


「やっぱりシルファには見抜かれちゃうよね」


「伯爵の娘のことですか」


「ーーそう。僕も交流のあった娘だから、事件のことが気になって」


 伯爵の娘惨殺事件のことだと、ミアの好奇心が急激に頭をもたげる。まさかドミニオがそんな事件に関心を寄せているとは思いも寄らなかった。ミアは面白い話題に舵が切られたと、目を輝かせてしまう。シルファに導かれて、三人は料理の用意された卓についた。

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