3:暗黙の攻防
(ーー眩しすぎて、目が潰れそう)
晩餐会の舞台を目の当たりにして、ミアが心の中で漏らした最初の感想だった。たしかにシルファに与えられた離れよりも、圧倒的に煌びやかである。豪華絢爛を絵に描いたような広間。燦爛たる食器に盛られた料理。頭上には水晶が光を集めて放つかのようなシャンデリアの群れ。
一歩足を踏み入れ、ミアは華美な光の輪にまるで魂を抜かれたかのように、茫然となった。
「くそ、やっぱり舞踏会形式か」
シルファが隣で舌打ちをして、忌々し気に会場の様子を見つめている。ミアは煌びやかな世界から魂を呼び戻してシルファを仰いだ。
「何か都合が悪いの?」
「席順がない。ーー最悪だ」
彼が言い終わるか終わらないかのうちに、シルファとミアの周りに人の輪ができる。着飾った人達がシルファに向かって親し気に何かを言っているが、声が重なり合って意味のある会話に聞こえない。ミアはふとじろじろと不躾な視線を投げられている事に気づく。
セラフィがミアを美少女に仕立て上げながら、貴族の令嬢はもっと盛っていると言っていたが、たしかにそうだった。視界に入る全ての人が美しいが、念入りな化粧を施し、着飾った挙句の賜物だろうというのが、すぐにわかった。
(シルファも綺麗だけど、ここの人達よりは自然な感じがする。見慣れているだけかな)
自分よりは年上のーーあるいはもしかすると同年代か年下の可能性もあるが、貴婦人たちは何か言いたげにミアを見つめている。お友達になってほしいという雰囲気でもない。時折大きな扇で口元を隠してひそひそしているのは、明らかに悪口の類だろうと想像がついた。
(ああ、そういうことか)
ミアは自分が嫉妬されていることにようやく気が付く。シルファの連れとして参加するのは、ここに集った貴婦人たちにとっては意味のあることなのかもしれない。
警戒されたり敵意を向けられる謂れはないが、仕方がないのだろう。会場に来る前にシルファが漏らした意味ありげな言葉は、この事だったに違いない。
ミアは好奇心に従った自分の浅はかさを反省した。
救いなのは、シルファが傍を離れないことだった。多くの誘惑を受けながらも、ミアの手を離す気配がない。
「Dサクリード」
会話が意味のない雑音にしか聞こえない広間に、ひときわ大袈裟な人影が現れる。シルファに集っていた人たちが、一斉に道を開けた。
「ようこそ。君が出席するっていうから、はりきったよ。また事件の話などを聞かせてくれるかい?」
「ドミニオ王子。ーー私は舞踏会はお断りしたはずですが」
「晩餐会だよ。ほら、見てごらん。料理も素晴らしい」
シルファの苛立ちがわかって、ミアは場違いに笑い出しそうになったが、ぐっと堪えた。
現れたドミニオは金髪碧眼で、天使のように美しい顔立ちをしていた。典型的な中身のない貴公子といった印象がする。どこか軽薄さがにじみ出ているが、大袈裟な様子から予想した通り、この国の王子のようだ。
「君が来るのに普通の晩餐会など、楽しくないじゃないか。私はもちろん、ご婦人方もみんな君の気を引きたいのに。機会は平等じゃないと」
たしかに席順が決まっていれば、食事をしながら話す人にも限りがある。シルファは王子の打ち明けた策略に苦笑した。
「ご婦人方の一番狙いは王子でしょう。それに、残念ながら私はいま、彼女を口説いておりますので」
「え?」
シルファがすっとミアの手をひいた。ミアは突然の力に、よろりと前に踏み出してしまう。シルファはまたしても映画の一場面のようにミアの前に膝をついて、手の甲に唇を寄せた。
(ひっ!)
咄嗟に手を引こうとしたが、シルファの手に思いのほか力がこもっている。石像のように固まったミアを置き去りに、彼は優雅な身のこなしで、隣に寄り添うように立った。茫然としているミアの肩を抱いて、声高らかに宣言する。
「この度は彼女のお披露目のために参加しました。王子も、皆さんも、お見知りおきを。私が想いを寄せる異国の美しい女神を、どうぞよろしくお願いします」
その後の複雑な場の空気。ミアは透明人間になって走り去りたい衝動に駆られる。一刻も早くこの場を立ち去りたい。険悪な顔でシルファを仰ぐと、彼はミアの苛立ちを乗算するように、爽やかな微笑みを返してくる。どこまでも自分を意中の相手に仕立て上げたいらしい。
苛立ちが最高潮に達していたが、さすがに一国の王子を前に怒り狂う度胸はなかった。
ミアは顔面を微笑みで固定し、シルファに身を寄せるように近づく。シルファの思惑通り、意中の相手を演じてやるが、報復は受けてもらう。
シルファに身を寄せたことによって、ミアのドレスの裾が彼の足元を隠す。
ミアは高い踵のある、美しい靴で思い切りシルファの足を踏んだ。ぎりぎりと害虫を踏み潰す勢いで力を込める。
「王子。せっかくですが、ーー彼女はこのような場は不慣れで、少し疲れたようです」
自分の足を襲った不幸を表に出さず、シルファは人の輪を蹴散らす作戦に出たようだ。たしかに不自然にシルファに寄り添う美少女は、具合を悪くしたようにも見えるかもしれない。彼は鉄壁の貴公子を演じたまま、ふわりとミアに触れる。
「――っ!」
声を上げる間もなくシルファに抱き上げられていた。いわゆるお姫様だっこである。ミアは更なる殺意を覚えたが、こちらを見るシルファの微笑みが引きつっていることに気づく。さすがに彼も怒っているのかもしれない。そう思い至ったところで、ミアの怒りが和らぐことなど微塵もない。
「申し訳ありませんが、本日は彼女と静かに会食を楽しみたい」
この場を去りたいのはミアも同感なので、仕方なくシルファの腕の中で可憐な美少女を演じることに努める。
内心を邪悪に染めて、暗黙の攻防を繰り広げている二人の本性をよそに、王子が労わるようにシルファとミアに言葉をかける。その気遣いは周りにも伝播して、ひしめくような人の輪が緩んだ。シルファは王子に感謝を述べて、ミアを抱いたまま颯爽とその場を離れた。