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期間限定彼女  作者: 東風
1/3

前編

 「寒くなってきたね。見てみて、猫の手」

 赤い頬で俺を見上げながら、彼女は長い袖の中に隠した手で袖口を掴んでいる。

 「……それって猫の手って言うのか?」

 「え? 言わない? 言うでしょ! しかも、あざと可愛くない?」

 小首を傾げて問う姿は、そのほうが遥かにあざと可愛かった。

 計算された可愛らしさがあちこちにすけて、かえって俺のテンションが落ちていく。

 「別に」

 俺が短く返すと、彼女は少し寂しそうな笑みを浮かべて、そっか、と呟いた。

 一瞬、心がグラっと揺れるけど、踏みとどまる。

 俺は遊びに付き合うつもりはない。


 目の前にいるのは、俺の一ヶ月限定彼女。

 お付き合いとやらは、昨日からスタートした。

 「卒業まで半年切ったし、二月になったら学校くる人のほうが少なくなっちゃうでしょ?

 でも、だからってこれから恋人作ったら、勉強が手につかなくなっちゃうじゃない?」

 クラスの中まで厚かましくも乗り込んできた見ず知らずの女子に放課後、近くの公園に呼び出されたと思ったら、そんなことを言い出され俺は困惑しきりだった。

 てっきり、告白されるのかと思っていたから、どうやって悪者にならずに断ろうかと、道々考えていたくらいだ。


 正直、女は面倒くさいし怖い。

 好きです、私のことどう思っていてもいいから付き合ってください、なんて言ったくせに、俺が友達を優先すると怒り出す。

 勉強を教えてと勝手に家に押しかけた挙句に、勉強していると、「私って魅力ないかな」と泣き出す。

 休みを全部自分に費やしてもらって当たり前と考え、そうじゃなかったら、俺がどれほど女を蔑ろにしたのか、と週明けには全校の半分くらいの生徒が知っているという事態に陥る。

 中学時代をそれで失敗した俺は、高校では同じ轍を踏まないように、非常に用心して過ごしていた。

 そんな高校生活もあと僅か。

 正直、少し気が緩んでいた気がする。

 俺は、公園に立ち尽くしながら、意味不明の言葉を並べ立てる彼女を、ただただ見下ろしていた。


 「でもさ、大学行って、いきなり開放的になって失敗する人もすっごく多いでしょう?」

 そうして、開放的になって失敗したという、我が校の先輩の逸話が挟まる。男に騙されて、引きこもっちまったらしい。

 だから何が言いたいのか、と俺はいい加減イライラしていた。

 世間話のために俺は寒風吹きすさぶ公園に呼び出されたのか?

 「だから、何?」

 苛立ちを極限まで押し殺した結果、かなり突き放した言い方になる。

 彼女は驚いたように目を見張ったあと、笑った。

 「ごめんごめん、前置きが長すぎたね」

 そして、伏し目がちに、こう切り出してきた。

 「一ヶ月だけ、付き合ってください」


 何故、一ヶ月なのか、と疑問に思わなくもなかったが、勉強が手につかなくなる、という前置きもあったから、そこは突っ込まなかった。

 むしろ、一ヶ月保たないだろうと思っていた。

 彼女は女の例に漏れず、フワフワとして柔らかそうで、いつも笑っているように見えたから。

 どうせ、最後には泣きながら俺を詰って離れていくのだ。なるべく早めに引導を渡し、受験勉強を失敗しないように配慮してやらなきゃならない。

 ふられたショックで志望校に落ちたとなれば、全校生徒が敵に回ることになる。

 そんな事はかんべんしてほしかった。


 「わかった。最長で一ヶ月だけだからな」

 俺が答えると、彼女はヘニャっと笑った。

 「良かった! 速攻でふられると思ったよ」

 それをやった結果、翌日クラス中の女どもに周りを囲まれ、よく知りもしないのに、とか、顔がいいと思っていい気になってる、とか小突かれたトラウマを抱えている俺に、そんな選択肢はない。

 女どもに近づかないよう、近づかれないよう、注意するだけだ。近づかれた時は、相手が俺を嫌うのを待つ。うまく行けば、三日で自然消滅だ。

 「別に。ただこれだけは約束しろ。

 別れたら二度と俺に関わるな。俺のことを噂するのもなしだ」

 彼女は瞬きを二回して、こっくりと頷いた。

 「勿論。一ヶ月限定だから。大丈夫」

 やけに邪気なく答えられてわかった。

 これは遊びなんだ、と。

 「私、緑川夏みどりかわなつ小林冬弥こばやしとうや君、一ヶ月よろしくね」


 帰りは一緒に帰るのが恋人同士の鉄則だ、と言って、彼女とは昨日呼び出された公園で待ち合わせし、駅までの二十分をともに歩く。

 十月の夕暮れ時はあっと言う間に暗くなる。

 川沿いの道は風が冷たくて、ワイシャツにブレザーだけだと、本当に骨身に染みる。それでもここを歩いているのは、人通りが少ないから。

 もっと駅に近い道が他にあり、殆どの生徒はそっちを使っているけど、俺としては女と二人でいるところを極力他人に見られたくない。

 「小林君、歩くの早いよね?

 競歩の選手みたい!」

 夏は荒い息をしながら、横にくっついてくる。

 「普通」

 俺が短く答えても、夏は気にしないようだった。

 「へぇ、これが普通のスピードなんだ?

 だから小林君ってスリムなのかな。二十分以上の有酸素運動って、脂肪燃焼には最適なんだって」

 ゼーハー言いながらも、彼女のお喋りは止まらない。

 彼女が黙り込めば、結局、沈黙のまま駅まで向かうしかないから、選択肢は他にないのかもしれない。

 だが、息を切らしながら喋られても、いい気分にはならない。

 「黙ったらどうだ? そんな状態で喋られても、嫌みにしか聞こえない」

 立ち止まって、彼女の顔を見下ろしながら言う。

 額に少し汗を浮かべ、大きな目を俺に向けている。きょとんとしている様はリスかハムスターみたいだ。

 そう思っていると、唐突に彼女が笑った。

 「小林君、優しいね。でもさ、私が黙っちゃうと、二人して競歩の練習しているだけの人じゃない?

 私たちね、一ヶ月だけとは言え、つき合ってるんだよ?

 それらしい演出したいじゃない」

 握り拳を掲げて、やたら雄々しく宣言する。

 その内容は、頷けなくもない。だからといって、逃げ回る政治家と強行インタビューを試みる記者のような様子は、とてもじゃないが「それらしい演出」には見えない。

 そう指摘してやると、彼女は途端にしゅんとして肩を落とした。

 「それはそう思うんだけど……、私にも限界ってものがあってさ。一人でできることじゃないんだよ。

 誰かさんの協力をいただければ、もう少し善処できるんだけど……」

 上目遣いで俺のことを見る。

 俺は唸りをあげた。

 追い縋る女を振りきっているように見えるのは、俺の本意ではない。

 俺は断腸の思いで、「善処する」と答えた。

 彼女、緑川夏は、にぱっとバカそうに笑った。

 「ありがとう、小林君って本当に優しいね」

 八重歯が桜色の唇からのぞいた。


 今までの半分くらいのスピードで歩くと、駅までは四十分。

 何が楽しいのか、夏は俺の周りをくるくる回りながら喋り倒す。

 今日の天気。流行りのドラマ。

 弟が二人いるけど、中学校に入ったあたりからあまり会話しなくなったこと、お祖母ちゃんが春から入院していて気がかりなこと。

 今思うと、夏は学校の話はほとんどしなかった。

 夏はアニメも大好きらしい。

 俺はアニメは普段ほとんど見ないけど、この時はたまたまスマホゲームのアニメ化を追っていたので、夏は喜んでその話に飛びついた。


 俺に無理に話をさせようとすることもなく、俺に無理な相槌を求めることもなく、俺と意見や感想が異なると「当たり前だけど、私とは違うね。どうしてそう感じたか、聞いてもいい?」と尋ねてきた。

 正直言って、俺は言葉が足りないことをいつも指摘される方だ。口下手というほどではないが、相手に知ってもらおうと言葉を尽くすことはない。だからいつも誤解されるんだ、とは友人の弁だ。

 それでも、夏が期待の眼差しで俺を窺い見るものだから、俺はつっかえながらも俺の感じたことを言葉にしてみる。

 夏は黙って聞いたあと、そっか、と呟いた。

 「ゲームだと小林君が主体で状況を左右できるし、その左右した時のキャラの行動原理を小林君の中で納得しやすい形で補完しているんだね。

 確かに、そうするとアニメは違和感感じちゃうよね。俺の仲間パーティーはそんなことしないって」

 俺は言葉を失い、夏を黙って見下ろす。

 唐突に立ち止まった俺に気づいた彼女は、プリーツスカートをはためかせて俺の前まで戻ってきた。

 「どうしたの? 小林君?」

 俺の顔がその時どうなっていたのか、俺には何一つわからない。ただただ、呆然としていた。

 俺の中のもやもやが、とても明確な言葉で表現されたことに……。

 その時からもう、俺の中で夏は今までの女どもとは違う存在になっていたのだと思う。

 でも、その時の俺はそんなことには気づいてなくて、そして怖かった。

 俺の中を勝手に覗きこんでくる夏に。

 奇妙な焦燥感と高揚感、そして見知らぬ女に対しての恐怖。

 不思議そうにしている夏を小突き、遠ざける。

 よろめいた彼女に手を貸すこともなく、俺は怒鳴った。

 「わかったふうなこと、言うなよ!」

 「小林君?」

 小首を傾げる夏を置き去りに、俺は走りだした。

 彼女の目を見てしまったら、俺は俺の中の全部を彼女に浸食されそうだと感じていた。奪い尽くされる、と。

 早歩きでついてこられなかった彼女のことだ、走ってしまえば引き離すのは簡単だと知れていた。

 「明日! 公園で待ってるから!」

 俺の背に夏の声が投げられる。

 俺は何も答えずに、駅に向かって全速力を出した。


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