7. 河内富美子(2)
「はっ! 今何時?」そういって、わたしは慌てて目覚まし時計を探した。
いつものところに時計はなく、あたりをよく探したが見つからなかった。
そして何か違和感を感じで、ふと周り見渡してみた。
「なんだ、ここか」とわたしは安堵した。寝坊したかと思ったからだ。
ここに来るのは、もう、三度目だ。少し慣れてきたのだろう、始めて来た時に比べて、驚きは薄れていた。
しかし、ここに来た回数とは関係なしに、頭のふらつきはいつも通りだった。
ベッドから起き上がって、ふらつく足取りでドアまで歩いた。ドアを片手で開け、薄暗い通路を歩いて、例のみんなが集まる場所に向かった。
例の場所には、伊藤さんと葵ちゃんがいた。二人で何か話しているようだ。
「こんばんは」とわたしは二人にあいさつした。
「あ、河内さん。またお会いできましたね」
「こんばんは」葵ちゃんもここに慣れてきたようで、少し笑みをみせた。
「河内さん、だいじょうぶですか?」葵ちゃんが心配気な顔をした。
「ええ、少し頭がふらふらするけど、大丈夫よ。それより、二人で楽しそうになんの話してたの?」
「それはですね、わたしがこれまで描いた絵のことを少し」伊藤さんは少し照れくさそうにした。
「なんか、話を聞いているうちに、伊藤さんの絵を見たくなってきました」
「そうだねー、ここに持ってこれたらなー」
「夢の中なんだから、意外なんとかとなりそうな気がするわね」わたしは半ば冗談まじりに言ってみた。
「はは、そうなのかな。試しにやってみようかな」伊藤さんは言葉ではそういったが、あまり乗り気ではないように思えたので、わたしは、話題を変えることにした。
「そういえば、上條くんはまだ来ていないの?」
「彼まだ来てないようです」
「やあ、皆さん。お揃いですか」
振り向いたら院長がいた。わたしはびっくりしてからだがそってしまった。
「ちょっと、脅かさないでくださいよ」わたしは驚かされたことに、少し苛っとしてしまい、口調が強くなってしまった。
「すいません、誰も僕に気づいてないようだったので、驚かすつもりは……ありました」院長の痩けた頬が小刻みに動く。腹立つ顔だな。
「まだ上條くんが来てないみたいです」前回のことがあってか、葵ちゃんは少し心配しているような口ぶりだった。
「上條少年が?」院長は薄い反応だった。
「ははぁ、あいつ仮病つかってるなー。この前あんなことあったから、ここに顔出しづらいとみた!」
あんたのせいだよ、と口に出しそうになったが、心の中で留めておいた。
「ちょっと、みてくるねー」そういって院長は上條くんがいるであろう部屋にスキップしながら向かった。本当に変わった人だ。
しばらくしたら、院長が上條くんの肩を一方的に組みながら戻って来た。
「この前はごめんって、許してちょ」
「もうわかったよ! うるさいから静かにしろよ」
「上條くんきっつー」
「なんなんだよもう」と上條くんは鬱陶そうに、院長の手を振りほどいた。
ようやくこれで全員揃ったかと思ったが、ナナが見当たらなかった。
「わん!」わたしはまたびっくりして、からだがそってしまった。いつのまにか、伊藤さんのとなりにお座りをしていた。
「おお、ナナちゃんいつのまに。それじゃあこれで全員揃ったってことだね」
「あれ、そういえば小鳥遊さんは?」伊藤さんが院長に訊いた。
「夕実ちゃん、今日有給休暇だよ」
夢の中でも、有給休暇ってあるんだ。
「今回は、僕一人だけだよーん」
不安しかない。
「じゃあ前回は途中で切り上げちゃったから、河内さんと葵ちゃんの番だね」
「それじゃあ、葵ちゃんからいってみよー」
「あ、はい」と葵ちゃんは落ち着いた様子だった。話の内容の準備ができているのか、以前とは違って、少し余裕のある表情をしていた。
「わたしは……そうですね。今のわたしからは想像できないかと思いますが、昔はもっと活発で明るい子でした」
「ほうほう」院長は興味津々な様子で頷いていた。
「小学生五年生の時なんですけど、授業中でも積極的に手を挙げてたり、委員会などにも自ら率先してやっていました。同じクラスの男子がよくふざけたりして、周りに迷惑かけている時も、注意をするような子供でした」
「へぇ、たしかに意外だったなー。葵ちゃんがそんな感じの子だったなんて。あ、ごめんね。今が悪いっていう意味じゃないからね」
「いえ、大丈夫です。その通りですから」葵ちゃんはさほど気にしている様子ではなく、話を続けた。
「でもある出来事がきっかけで、わたしはそれから、あまりしゃべらなくなりました」わたしは葵ちゃんの表情が曇っていくのを確認した。
「同じクラスの男子が、わたしにちょっかいを出してくるようになったんです。いわゆる好きな子にはいたずらしてしまうってやつです。わたしはその男子のことがあまり好きでなかったので、本当に嫌でした」
「まぁその頃の男子は、好きな子には逆に嫌がらせしたくなるものなんだよ。葵ちゃん可愛いから仕方ないよ」
院長が言葉を聞いて、わたしも小学生の頃、男子からスカート捲られたことを思い出した。そして葵ちゃんは院長の言葉には特に反応することなく、そのまま話を続けた。
「するとクラスの中でも中心的な存在の女子がそれを見て、面白くないと感じたみたいで。その子はその男の子を好きだったようです。しばらくして、わたしは放課後にその子に呼び出されました」
「お、体育館の裏? 修羅場じゃん」相変わらず院長が横やりを入れる。今回は小鳥遊さんがいないから、誰も彼をとめられない。
『あんまり加藤くんにちょっかい出さないでくれ、と言われました。あ、ちなみその男子は加藤くんっていいます。それで、わたしはちょっかいなんて出していないし、相手もしつこくしてくるのでこっちも迷惑してる、とわたしは反論したんですけど、彼女はそれがさらに気に入らなったようで、わたしの髪を掴んで、警告してきました。『お前、いろいろとうざいんだよねー。クラスで目立ちたいって気持ちがバレバレ』と、もちろんわたしはそんなことを思っていなかったし、そんなつもりもありませんでした」そうして葵ちゃんは一度、ここで呼吸を整えた。
「それでわたしは怖くなりました。でも親に心配かけたくなかったので、誰にもそのこと相談しませんでした。わたしはそれがきっかけで、クラスであまり喋らなくなりました。喋るとその女子に、また何か言われるような気がしたからです。加藤くんもそのうち、わたしへのちょっかいもしなくなり、それからその女子から何か言わることも、それっきりありませんでした。そんな経験をしたせいなのか、中学生になっても、わたしはあまり自分から積極的に話そうとしませんでした。できるだけ目立つ行動は控えるようにしてました」葵ちゃんは過去の話をして、辛かったことを思い出したのか、顔を下に向けてしまった。でも少しして顔を上げ、再び話を続けた。
「それでも、気の合う友達はできたのは幸運でした。高校生になっても、一人だけなんですが、気の合う友達がいるのでそれなりに楽しい生活を送っています。それがわたしの今までの人生の話になります…」葵ちゃんは自分の話を終えると、笑みを見せたが、どこか辛そうな、そんな表情にも見えた。
「葵ちゃんありがとうね、話してくれて」
「いえ、すいません。すこし暗くなりましたね」
「いや、いいよいいよ。誰しもいろいろな過去を持っているからね。良いことも悪いこともある。それが人生だよ」
「正直言って……前回の時は上條くんの話をした後だったら、こんな話はしていませんでした」
「わたしのせいでもっとこの場が暗くなると思ったので…」
「暗くして悪かったな」と上條くんが皮肉を言った。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなくて」葵ちゃんは皮肉を言われたにも関わらず、怒るどころか、上條くんに悪いっこと言ってしまったと自分を少し責めた。優しくて、他人に対する思いやりがある子なのだなと思った。わたしの娘もこんないい子だったら、どんだけ楽だったろうか。
「いいよいいよ。どうせ俺は根暗で引きこもりのクズだもんな」
彼は半分冗談なのか、自虐ネタとして喋った。
「上條少年の自虐ネタはそこまでにしておいて、次は河内さん、おねがいします」
「最後はわたしね」わたしは話す内容を事前に考えていたので、気持ちは落ち着いていた。
「そうねー、わたしはいたって普通の人生を歩んで来たわ。地元の高校、大学と卒業してそのまま地元で就職したわ」
「おや、でもたしか河内さんって二十歳ぐらいの時に、お子さんを産んでませんでしたか? 以前そういうお話をお聞きしたのですが」
「ええ、それは嘘なの」
「うそ?」院長は怪訝な表情をした。
「だって、始めて会った人たちに自分のプライベートなことをあまり言いたくないものよ。それにここがどのだか分からない怪しい場所でしょ。だから、その時咄嗟に思いついたことを話しただけなの」
「ほうほう、では今になって本当のことを話してくれるということは、少しは信用してもらえるようになったってことかな」
「ええ、まぁ。最初に来た時に比べればね」
「まだ完全に信用されてないのね」院長は肩を落とし、がっくりとした。
「それに他のみんなもそれなりに本当のことをお話されたように感じたので、わたしだけ本当のことを言わないのはなんかフェアな気がしなくてね。ごめんなさいね。嘘を話してしまって」
「いえいえ、警戒するのも無理ありません。なんせここって変なところですから」
「それ、自分でいう?」院長の適当な発言にわたしは呆れた。そして、ふう、と一息付いて、話を続けた。
「大学の頃からお付き合いしていた男性がいたの。社会に出た後もしばらくはその彼と交際が続いていたので、ゆくゆくはその人と結婚して、子供ができたら退職して専業主婦にでもなるのかなとか思ってた。だけど何年たっても、彼から結婚の話は出てこなかったわ。そのままずるずると時間だけが経って、気づいたら三十歳目前になっていたわ。同期で入社した女性社員のほとんどは結婚して、寿退社していった。さすがに、その時は焦り始めたのを今でもよく覚えている。それで彼に言ってみたの。今後のことちゃんと考えてるかどうかを。彼の答えはわたしが期待していたような答えではなかったわ。結婚はあまり考えてなかったみたい。わたしはその時、二十九歳だったからちゃんと考えて、とは言ったのだけど、彼の考えは変わらなかったの」わたしはさっき自販機から取りだした、炭酸水を一口飲んだ。
「いやぁ、僕は彼の気持ち少しはわかるかも」
伊藤さんが、となりで口を挟む。
「自分も画家として成功してないから、結婚したいなんて思ったことないからぁー。彼も何か夢でもあったのかな」伊藤さんが当時、わたしと付き合っていた彼に何か、共感めいたことがあったのか、彼をフォローするかのような印象を受けた。
「いえ、特にそういった夢はなかったような、でももしかしたら、わたしが知らなかっただけかもしれないです」
そう言って当時のことを思い出してはみたが、わたしには本当に心当たりはなかった。八年程、付き合っていたのに、彼のことを全然分かっていなかったかもしれない。今さらそんなことは考えたところで、何か変わるわけでもない、と思い、わたしは話を続けた。
「それで、そのまま別れることにしたの。もうここままキャリアウーマンとして一人で頑張っていこうと思って、それから五年程が経ったんだけど、その時に今の旦那と出会ったの。もうこの人しかいない思った。心から結婚した人だったのだけど、その人には当時、中学三年生の連れ子の女の子がいたの」
みんなのわたしの話の展開が面白いのか、食い入るように聞いていた。
「わたしはその話しを聞いた時、正直びっくりしたけど、その子のことも受け入れて、彼と結婚したいと思ったの。
でもその子はわたしたちの結婚に関しては賛成、反対のどちらでもなかった。好きにしたらいいという感じだった。
わたしたちはそのことを気にはしたけど、あまり深くは考えず、結婚することにしたの。結婚して半年経って、夫とはすごくいい関係を築けてるけど、娘とはまだ距離は縮まっていない状態がまだ続いているわ。それで……」と、わたしは開いた口を一旦閉じた。ここから先のことをまだ喋るの気にはなれなかった。
「まぁわたしの話しはそんな感じね」
わたしはあまり暗い雰囲気を出さず、さっきの言いかけたことに対して、怪しまれないように、明るく振る舞った。
「はい、ありがとうございます。河内さん」院長は今までとは違い、少し真面目な話し方だった。
「少し、聞いてもいいですか?」院長は何か気になったようで、わたしに質問をしてきた。わたしは話に何か気になることがあったのだろうかと不安になったが、あまり深くは考えないようにした。
「はい、どうぞ」
「娘さんとはどういった、会話をされたりするんですか?」
「そうね、まぁ学校の話とか少し聞いたりするぐらいかしら」わたしは咄嗟にまた嘘を付いた。
「会話はあまり長く続かないわ。最近の子は何考えているかよく分からないの」
「まぁ、たしかにね。最近の若い子は、何考えているか分からないもんね」と言いながら院長は上條くんの方を一瞥した。
「俺を見るな」といらっとした表情をした。
「別に上條少年とは言ってないよ」けたけたと院長が笑う。痩けた頬が不気味に揺れる。
「さてと、これで全員の自己分析の発表は終わったかな」と院長が言ったが、急に何かを思い出したような仕草をした。
「あ、ナナちゃん忘れてた。でも、ま、いっか犬だし」
たしかに、犬だもんな。なぜか院長と同意見だったことが、癪に障った。
わたしは、この院長、いやここに関してと言ったほうがよいのか、とにかくまだ信用できなかったのもあって、本当のことを話す気にはなれなかった。本当は娘との関係はさっきの話した内容よりも、遥かに悪かったのだから。
「じゃあ、今回ここまでにしておきますか。貴重なお話も聞けたことだし」院長は満足したような口ぶりだった。
「それでは解散!」




