5. 自己分析
ここはどちらだろうか。
天井見ると、長い蛍光灯がわたしの目に映った。くじ引きで当たりを引いたような感覚が、わたしの中で駆け巡った。
ベッドから起き上がり、初めてここに来た時と同様に、周りを再度確認してみた。
やはり、この前と同じ場所だ。
部屋を出て、前と同じように通路を歩き、明かりが見える先に向かった。
「あっ」わたしに気づいたのは、河内さんだった。
「こんばんは」とわたしは会釈した。
「また、会ったわね」河内さんは安堵した様子だった。
「ここにいるのは、河内さんだけですか?」
「ええ、わたしがここにきた時は、まだ誰もいなかったわ」
「そうなんですね」
「葵ちゃんが来た時は安心したわ。こんなところでわたし一人だけかと思うと、すごく不安で心細かったのよ」
やはりまだここの診療病棟が異質であり、不気味だと思っているようだ。
それにしても、今回はわたしたちだけなのだろうか。
「喉乾いてない?」と河内さんはわたしに尋ねた。
「あ、はい。少し」どうやら夢の中でも喉は渇くようだ。
「そこに自販機があるから、飲み物買ってくるわ」河内さんが椅子から立ち上がり、自販機に向かうとしたが、わたしは、夢の中なのに買う、とういうことに違和感を感じた。そんなことを、ふと思っていた時だった。河内さんが、振り返ってわたしを見た。
もしかすると、河内さんもわたしと同じよう違和感を感じたのか、と期待をした。
「そういえば、お金持ってないわ」
なるほど、そういうことか。
そもそも夢の世界でお金なんて意味があるものなのだろうか。夢なんだから想像することで、もしかしてらすぐに手元に出てくるのではないだろうか、そんな魔法のようなことが、もしかしたら使えるような気がした。
わたしはためしに頭の中で、ペットボトルに入っているお茶を想像して、出てこい出てこい、と念じてみたが、何も出てこなかった。
仕方がないので、自販機に向かった。よく見るとお金を入れるところがなかった。わたしはためしにお茶のボタンを押してみた。
がちゃん、と飲みものが落ちる音がした。取り出し口を確認すると、よく目にするペットボトルがあった。
「河内さん、お金なくても大丈夫みたいですよ」と河内さんの方に振り返った。
「えっ、そうなの」とすこし驚いた様子だった。
そうすると、河内さんは炭酸水を選んだ。炭酸水を飲む人を初めてみた。おいしいのだろうか。
お茶を飲んでいると、向かいにある通路から人影が見えた。
それは上條空斗だった。
「あ、上條くん」
「あら、ようやく来たのね」
「ちっ、またかよ」彼の態度は相変わらずだ。
「やあ、こんにちは。いやこんばんは、かな」と後ろから声が聞こえた。振り返ると、伊藤さんだった。
「わんわん」伊藤さんの横にナナもいた。
「さっきそこで一緒になってね」
「わん」ナナは尻尾を振っていた。嬉しそうだ。
「またお会いできましたね」なんだか彼は嬉しそうだった。画家として何か感じるものがあるのだろうか。絵のネタになるとかそういったところなのだろう。
「あ、お二人とも飲み物どうですか。そこの自販機からタダで飲めますよ」わたしはお金を入れず、ボタンを押しただけで、ドリンクが出てくる自販機が珍しくて、宝を見つけた少年のように、自分が見つけたんだぞ、どうだ、すごいだろう、といったように自慢化に喋ったつもりだが、残念ながら、誰もそこには気づいていない。
「おっ、そんな自販機があるなんて、珍しい。それに、ただ、とはうれしいね、売れない画家はお金がないものでね」画家という職業はそんなに儲からないものなのだろうか。わたしは、売れないお笑い芸人みたいなものなのだろう、そう思った。
「あのー、上條くんもどう?」
「いい、遠慮しておく」彼はいつもこんな感じで、ぶすっとしているのだろうか。
ピンポンパンポーン
「院長! ふざけないでください」
「夕実ちゃんきっつー」
「マイク、入ってますよ」
「あ、やっべ」
前回に聞いた時と似たような声だった。やはりここは夢の続きなのだ、と改めて思った。
「えー皆さん、またお集まり頂きまして、ありがとうございます。それではまもなくそちらに出向きますので、少々お待ちいただけますでしょうか」
ピンポンパンポーン
前回と同じで、おちゃれけた院長だ。
しばらく待っていると院長さんと小鳥遊さんがやって来た。
「やあやあ、皆さん、またお会いできてうれしいですよ」
「俺は全然うれしくないけどな!」上條くんは皮肉たっぷり込めた言い方をした。
「上條くんきっつー」
「ふん」と彼は鼻を鳴らした。
「院長、もういいですから!」小鳥遊さんが突っ込む。
「夕実ちゃんきっつー」
お決まりのやりとりだ。
「じゃあさっそくだけど、カウンセリングをはじめましょうか。前回は自己紹介だったからね。今回はどうしよっかなー」院長は腕を組んで、天井を仰いだ。そして、うん、よし!、といって何か閃いたようだった。
「じゃあ今回は、自分がどういった人間なのか、過去を振り返ってみて自己分析してみてください。それをみんなの前で発表しましょう」
自己分析、こんなことが一体、何の意味にあるんだろう。でもカウンセリングということなのだから、何かしら意味があるかもしれない。わたしはそう思い込むようにした。どうせ、ここは夢の中であり、自分のことを話したところで変な風に思われても、別に構わないと思った。
「なんでそんなことしないといけないんだよ!」上條くんが怒った口調で話す。
「あれれ、もしかして上條少年は思春期かな? そうだよねー、恥ずかしいよねー」と院長は馬鹿にしたような言い方をした。
「なっ、なに言ってるんだよ! こんなことして何になるのかって言いたいんだよ!」図星だったのか、上條くんは慌てた様子てこたえた。
「前にも言ったと思うけど、これはカウンセリングだから。それにこれ受けてもらわないと帰れないよ」
上條くんは何か言いたそうだったけど、言葉を詰まらせた。
「あのー、自分のことって、具体的に何を話せばいいんですか」河内さんが質問した。
「そうだねー、例えばなんだけど、今まで自分がどういった人生を歩んで来たか、とかはどう?」
人生──わたしはどういった人生を歩んできたのだろうか。考えたら少し胸が苦しくなった。
「人生ね」と伊藤さんが独り言ように言った。
「おっ、じゃあ伊藤さんからいってみるかい?」
「僕から?──そうだなーじゃあ僕から言わせてもらおうかな。と言っても大して面白くない人生だと思うけど」伊藤さんは少し気恥ずかしそうだった。
「ここに初めて来た時にも言ったのだけど僕は画家をやっています。でも本来は画家ではなく、大工になる予定だったんだ。僕は大工の息子でね、親父には反対されたんだ。それで大喧嘩して、家を飛び出したんだ」
ほうほう、と口にはしていないが、院長がそんな顔をしてうなづいていた。
「当時、僕は高校生で、美術部に入っていたんだ。絵を描くことは昔から好きで、小学生の時に書いた絵が、住んでた地域のコンクールで金賞を取ったんだ。それがすごくうれしくて、それからだな、絵を描くことが好きになったんだ。でもその時はまだ画家になりたいとかいう気持ちは特にはなく、純粋に絵を描くことが好きだったんだと思う」伊藤さんは少し、恥ずかしそうにしていた。が、それから少し、険しい表情をして、話を続けた。
「画家のになりたいと思ったのが、高校生最後のコンクールがきっかけだった。そこで僕は全国で一番の賞をもらったんだ。その時に思ってしまったんだね、画家として通用するのではないかと。僕はこれまで自分は大工になるものだと思っていた。でもコンクールの結果が、僕の考えを崩したんだ。僕は画家になりたいことを、親父に話をしたんだけど、それは当然反対だった。その時は親父をひどく憎んだものだ。自分の人生なのになんで好きなことをさせてくれないんだろうって」伊藤さんは一旦、喋るのをやめて、ペットボトルのお茶を飲んだ。
「でもね、母親は応援してくれたんだ。僕は高校を卒業するまで親父とひとことも話さずに家を出た。もちろんお金なんて全然なくて、アルバイトしながら、生計を立てていたんだ。有名な画家に弟子入りして、住みこみで先生のお手伝いをしながら絵を描いていたことだってあった。コンクールに何度か応募しても、特別賞はいくつかもらったけど、コンクールでの一番の賞は取れなくてね。自分には才能がないんだろうかと悲観したこともあった。でもそれでも続けられたのは絵が好きだったからなんだよね。それで気が付いたら、こんな歳になっていたってわけ」
伊藤さんの話が終わった後、わたしどのような反応をしたらいいか分からなくて黙っていた。明るく振舞っていた伊藤さんにそんな過去があったなんて。意外だった。
「お父さんとはそれっきり会ってないのかい」と院長が質問した。
伊藤さんは少し下を向いたが、顔を上げた。
「高校卒業してからだと一度だけあったかな、母親が亡くなったんだ。さすがにその時は実家に帰ったよ」
「お、そうだったんだね。それはつらい話をさせてしまった」院長は声のトーンをいつもより低くした。
これまでとは違い真面目な雰囲気を出していた。
「いえ、いいんです」
「それで、お父さんと久しぶりに会ってどうだったんだい」
「何も話さなかった。ただずっと父が母のそばにずっといたことだけ覚えているよ」
「母の葬式が無事に終わったら、僕は父とひとことも話さず、実家を後にしたんだ」
「なるほどね〜、わかりました。伊藤さん、話してくれてどうもありがとうね」
「いえ、すいません。なんか暗くなっちゃいましたね」
「たしかに〜」といつものような院長だった。
「院長! 伊藤さんに失礼ですよ」と小鳥遊さんが注意した。
「ごめんって」
この場の空気が少し重くなっているのを感じていたが、院長のおかげで、少しよくなったような気がした。
「じゃあ気をとりなおして」と院長がわたしたちの顔を舐めるようにみる。
「次は、だ・れ・に・し・よ・う・か・な」鼻歌まじりで楽しそうだった。
そして上條くんは院長と目が会ったようで、すぐに目を逸らした。
「目が合っちゃった上條少年にきーめた」院長も意地悪な性格をしてる。
「くそ、なんでおれ……」
「まあまあ、トリじゃなくてよかったじゃん」
上條くんは諦めたようで、はぁ、とだけため息をした。それから何やら考えているような表情した。
「俺は……」と言って、すこし間を空けた。
「俺は小・中学生の時は勉強ばかりしていた」
「え、そうなんだ。なんか意外」院長の話し方には抑揚がなかった。
「なんだよ、意外って」
「ごめんごめん、だってゲーム好きなんでしょ? 勉強なんてそっちのけかと思って」
「うるさい」
「ごめんってば、じゃあ続けて」
「ふん」上條くんの機嫌がまた悪くなった。
「俺は家庭はいわゆる、エリート一家というやつだった」
「だった?」と院長は黙っていられない性格のなのか、たびたび話に割って入ろうとする。上條くんは院長を睨みつけた。
それをみた院長は、わざとらしく口を片手で覆った。
「父は東京大学卒の外資系で働くエリートサラリーマンで世界中を飛び回っている。母も高学歴で官僚に勤めていて、父との結婚をきっかけに仕事を辞めて家庭に入った。六つ上の兄は国立医大に通う大学生だ。兄も、ものすごく頭がよかったんだ」
「上條少年の家族のみんなすごいね」と院長がちゃちゃと入れる。
「そういう家庭だから、自然と父や兄のようになりたいと思うようになった。そのためには勉強をがんばらないといけないと小学生ながら思うようになったんだ」
もう面倒くさくなったのか、上條くんは院長を無視した。
「それで一生懸命勉強した。そして中学は地元で一番頭がいい、中学校に進学することができたんだ。
「おおー、おめでとう。やるねー少年」
「院長、少しだまって」今まで院長に対して、何も言わなかった小鳥遊さんがついに注意をした。
「中学の三年間は成績は常にトップだった。順調だったんだ、ここまでは──」
上條くんの話から推測すると、これから嫌なことが起きるような話し方だった。
「それで父と兄が卒業した有名進学校を受験したんだ」
わたしにはこの先の展開に予想が付いた。
「結果は不合格、もう頭の中が真っ白だったね。急に父と兄が遠い存在になった。母は『そんなの気にする必要はない』と言ってくれた。でも俺にとっては、自分の人生がこれで終わってしまった、と思わせる程のショックだったことを今でもよく覚えているよ」
上條君のいつものプライドが高く、鼻に付くような喋り方ではなく、声のトーンが一段階低くて、弱々しく聞こえた。
「そして念のために滑り止めで受けた高校に進学することになった」
「入学式を迎えても、現実を受け止めることができず、その次の日から登校しなくなった。まぁいわゆる引きこもりってやつ」
上條くんは自虐的に明るく振舞おうとしたが、少し強がっているような、そんな気がした。
でもなんだかすっきりしたような顔をしているようにも思えた。自分をさらけ出したせいだろうか。
「ふーん、上條少年にそんな悩みがあったんだね、君のご家族は、今の君の現状に関しては何か言ってるのかい?」
上條くんは首を振った。
「家にいるの母親だけだから。父と兄も家には年に数回しか帰ってこないから、俺の今の現状を知らないとと思う。でも、もしかしたら母は、父には相談しているかもしれないけど……」
「学校に行く気は全然ないの?」
「今更って感じかな」上條くんは両肩を上げた。
「でもいつまでもそうしてるわけにはいかなんじゃないかな」
「いいんだよもう、諦めているから」
「ふーん、でもそれって逃げてるだけでしょ」
威力抜群な大きな爆弾、とまではいかないが、それなりちゃんとした爆弾を落としたかのような発言を聞いて、そんな落とし方しなくても、と気にはなったが、上條くんがどんな反応をするかの方が、気になった。
「うるさいなー、お前に関係ないじゃん」
「でも君も本当は思っているはずだよね」
「ふん、もういいんだよ。ゲームがあるから、俺も暇じゃないんだよ。もういいだろ俺は自分のこと話したんだからもう戻れるよな」
そう言って上條くんはそのまま、自室に戻ってしまった。
「あちゃー、やっちゃったかな」院長は頭の後ろを掻きながら、失敗を反省しているようだった。
「しょうがないか、今日はここまでにしようか。葵ちゃんと河内さんごめんね。君たちの話はまた次回ってことで。あ、あとナナちゃんもね」
「あ、はい。わたしは別にいいですけど」
「わたしも大丈夫ですよ、でも今日のカウンセリングを受けてないけど帰れるのかしら」河内さんは怪訝そうに言った。
「大丈夫大丈夫、その辺は結構適当だから」
適当って……そんなことででいいのか、と疑問に思った。
それにしても、わたしはほっとしていた。それは自分のことを話したくなかったからだ。それは今の私がいじめに合っていることもそうだが、昔のこともあまりいい思い出がないせいもあったからだ。
惨めな子と思われるのが嫌だった。実際にこの話をしたら、この場の空気がさらに重苦しくなって、わたしも上條くんのように先に一人で病室に戻っていたかもしれない。
わたしたちは自分の病室に戻った。そしてベッドに入り横になって、少しするとうとうとし、そのまま寝てしまった。




