30. 最終話
「それじゃあ行ってきます」
玄関を開けると、心地いい風が吹いた。
真っ青な空に、ところどころにいわし雲が浮かんでいる。空気が澄んでいるせいか、夏の空と比べて、いつもより高く見える。
外出する時のいつもの服装とは違い、紺をベースとしたドレスを着て、首には真珠のネックレスを付けている。ここままだと肌寒いのでベージュの羽織物をドレスの上から着た。小ぶりでシンプルなパーティバッグを片手に持って、少しぎこちなさそうなヒールの音をカツ、カツ、と鳴らし、駅に向かって歩いた。
目的の場所は最寄り駅から五駅先の駅がら他の路線に乗り変え、さらにそこから三駅先の駅にある。
初めて乗る路線であり、わたしは無事に目的地につけるか心配したが、迷うことなく目的の駅に着くことができた。
駅から直結したホテルに入った。ホテル内は煌びやかで何十メートルとある吹き抜け天井が印象的だった。
そこは普段わたしが生活しているものとはまったく縁がないようなところに思えた。
わたしはエレベーターを探した。パーティバックから一枚の紙を取り出し、目的の会場が何階だったか、もう一度確認した。
二十階のボタンを押し、ドレス姿の女性や、スーツを着用した男性が後から入ってくる。
二十階に到着すると、受付で出席表に名前を書き、母に用意してもらったご祝儀を出して受付の女性に渡した。
会場の前には人がたくさんいた。
「葵ちゃん!」
わたしを呼ぶ声の方を振り返ると、河内さんが手を振っていた。
周りはまったく知らないひとたちばかりだったので、河内さんの姿をみたらほっとした。
「お久しぶりです」
「お久しぶりね、あそこで会った以来かしら」
最後に会ったのは、あの不思議な夢の中だった。
「それにしても葵ちゃん、とってもかわいいわね」
わたしの顔がすこし熱くなったのを感じた。
「そんなことないです、なんだかいつも違うので落ちつかなくて」
「やあ」
「あ、空斗くん」彼は毎日のように見ている、制服姿だった。
空斗はわたしの姿をまじまじとみた
「へぇ、似合ってるじゃん」
「冗談はやめてよ」
「そんなことないって、馬子に衣裳って感じ」
「それ褒めてるの?」
空斗くんはけらけら笑っている。
今日は伊藤さんと加奈子さんの結婚披露宴だ。
わたしたちの家に招待状が届いたのことにびっくりした。住所を教えた覚えがなかったので、ここに来るまでは本当にあの伊藤さんの結婚披露宴なのか不安だった。
わたしたちは披露宴会場が会場するまで、他愛もない話をしていた。
すると、河内さんが突然、幽霊でもみたような、いや見てはいけないものを見てしまった、そういう顔をしていた。
「ど、どうしたんですか?」わたしは河内さんの表情を見て、驚いた。
「やあやあ」
突然、後ろから聞こえた声に向かって振り返った。
空いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。
わたしたちはしばらくきょとんとしていた。何秒、いや何十秒といったところだろうか。
幻でも見ているのか、目を何度もぱちぱちさせ、その人たちの顔を何度も確認した。
猫背で痩せ細っていて、気だるそうにしている。夢の中で見た、夢島院長だった。
「お、いいねーその顔。期待していた通りの反応してくれて、僕はうれしいよ」
信じられない光景だった。それは夢で見ていた、夢島院長と看護師の小鳥遊さんの姿だった。
「皆さん、お久しぶりです」と小鳥遊さんは淡々とした態度であいさつをした。
「夕実ちゃん、この人たち、まだ上の空って感じだよ」
「あんたのせいでしょうが!」
「夕実ちゃんきっつー」
伊藤さんの一件があって以来、あの夢を見ることは一度もなかったので、このやりとりを見て、久しぶりに聞いたな、とか、懐かしむなんて、思うわけがなかった。
「え、なに、これ、どういうこと?」と河内さんは絶賛混乱中だ。
「実はわたくしたちはこういうものでして」
そういって小鳥遊さんは名刺を出し、わたしはそれを受け取った。
<何でも相談所 夢島 〜あなたのお悩みなんでも解決します〜>そう書いてある。
「え、えぇー、あれ、夢島さんって医者じゃないの? ていうか、あれ、ここって現実ですよね」
ここが夢なのか現実なのか、なんだか分からなくなってきた。
「ちょっとわたしにもみせて」と河内さんが名刺をわたしから取った。
「なによこれ、一体どういうことなの」
「まぁまぁ、河内さん。少し落ち着いて」院長が興奮した河内さんを宥める。
「ちょ、ちょっと聞いてもいいですか?」わたしはまだ混乱しているせいか、話を一度、確認を含め、目の前で起きている現実について、整理をしたかった。
「はい、葵ちゃん」院長が飄々と返事をする。
「つまり……あそこ……あそこは夢じゃなかったってことですか?」
「うん」
「院長は院長じゃないってこと?」
「うん」
「小鳥遊さんも?」
「彼女、僕の助手」とロボットが、カノジョ、ボクノジョシュ、というような返事をした。
もうなんて表現したらいいのかうまく思い浮かばないが、院長が腹立つ顔をしていたのは間違いなかった。
「騙してったってこと?」河内さんが問い詰める
「まぁ、結果としてそうなるね。ね、上條少年」
「え?」わたしと河内さんは空斗くんの方を向いた。その瞬間、彼は目をそらした。
「どういうことなの?」わたしは彼を問い詰める。
「いやー実はね、彼は僕の協力者としてあの場にいてもらってたんだよ。実は彼、君たちよりも前に依頼を受けていてね、君たちと同じような方法で彼の引きこもりをなおしたわけ。彼が本当のことを知った時の表情ときたら──」と院長は思い出しのか、笑いを堪えるのに精一杯だ。
院長はついに堪えられくなり、ぶふっ、と口から空気が漏れて、声にだして笑った。
依頼? 協力者? わたしはいくつか気になる単語があったので、すぐにでも訊きたかったが、院長は笑い過ぎだったので、今は無理だな、と思った。
「いつまで笑ってるんだよ!」空斗くんが怒り出した。
「ひぃひぃ、ごめんごめん」と院長は腹を抱えながら、彼を宥めた。
「こいつが、突然家に来たんだよ。普通驚くだろ」
「そう! その時の顔といったら──」院長はツボにはまったのかまた笑い出した。
「院長、いい加減にしてください」小鳥遊さんが横から注意する。
「はー、面白かった」
院長の笑いがおさまったところで、わたしは訪ねた。「依頼って、一体どういうことなんですか?」
「実はですね。ある方々からの依頼があったんです」
「ある方々?」と河内さんは眉間に皺をよせる。
「ええ、それはあなた方をよく知っていて、一番身近にいる人です」
身近の人…わたしには父か母ぐらいしか思い当たる節はなかった。
「えっと、それはつまり……」と河内さんがまだ事態を飲み込めないようだ。
「つまりね、葵ちゃんと上條少年は各々のお母さんから、河内さんは旦那さんから。伊藤さんに関しては婚約者の加奈子さんから。その皆さんが僕の事務所に依頼をされたんです」
「なによそれ、いつのまにそんなことを」と河内さんはまだ信じられないようだった。
「あなた方が夢の中と思っていたあの場所に最初に集まった時の二週間ぐらい前でしょうか」と小鳥遊さんが言った。
「いやー、皆さん見事に騙されてくれて、良かったです。いつバレてしまうか内心ヒヤヒヤしていましたよ」
当時の院長の様子を思い返してみたが、そんな感じはまったくしなかった。役者としてもやっていけるのではないか、と思えるほどだ。
「上條少年に協力を求めたのには、理由があったんだよねー」
「どういう理由なんですか」わたしは問いただすように訊いた。
「それはね、葵ちゃんなんだよ」
「わたし……ですか?」
「うん、葵ちゃん。上條少年と初めて会った時のこと覚えてるかな」
「はい、今でもはっきりと覚えています。だってあんなに驚いたことなんてなかったから」
「そうだよね、実はね、あれって偶然じゃなかったんだよ」
「え?」
「はじめてあの場所に集まった時にはすでに引きこもりとやめて、普通に学校に通ってたんだよ。それでね、葵ちゃんのお母さんから依頼を受けたときに、葵ちゃんと上條少年が同じ高校だったことだとが判明したんだよ。それで上條少年に手伝ってもらうようにお願いしたんだ」
「そうだったんですか……」
「最初は──、なんで俺が、って言ってたんだけどね、学校で葵ちゃんの様子とか見ているうちに協力してくれるようになったんだよ。理由はしらないけど」と院長はニヤニヤしていた。
「ふん」空斗は鼻をならした。
「ごめんね、葵ちゃん。結果はどうあれ、騙すようなことをして」
「あ、いえ。そんなことは」
「騙すのはこいつの常套手段なんだよ」
「それは心外だな。でも嬉しそうだったじゃん、葵ちゃんが元気に学校通えるようになって」
「うっ、それは……、そうだけど」と空斗は口ごもってしまった。
「わたしは、騙されていたとしても、それはそれで良かったと思っています」
「わたしもそう思うわ」と河内さんも同じだった。
「葵ちゃんには本当につらい思いをさせてしまったことは本当に今でも申し訳なく思っている。娘との関係もよくなったのはあの夢だと思っていた場所のおかげですもの。それに葵ちゃんともこうしてまた会えたことも、わたしにとってうれしいことだわ」
わたしは複雑な心境になったが、前よりは少しだけ吹っ切れていることは事実だ。
「上條くんと葵ちゃんはたまたまだとしても、わたしと葵ちゃんのことはどういうことなの? もしかして、わたしの旦那と葵ちゃんのお母さんに繋がりがあったってこと?」
「いえ、それは本当にたまたまだったんですよねー。なんか依頼が急に増えちゃったから、まとめてやった方が楽かなーっと思って。普段は暇なのに、まさかこんなことになるとは」と院長は言って、あっはっは、と口を開けて笑った。
「適当過ぎだろ」と空斗くんが言う。
「ほんとね」と河内さんも続いた。
わたしも続いて、うんうん、とうなづいた。
後から知ったことなのだが、母はやはり、わたしが何かしらの問題を抱えていたことに気づいていたようだ。わたしのことだから、親を心配させたくないから、という理由で相談しないのだろうと、言っていたそうだ。
でもそれが逆に、母をさらに心配させたらしく、それで母はいても立ってもいられなくなって夢島さんのところに相談したらしい。
「でも未だに信じられないわ。一体、どんな方法を使って、寝てるわたしたちをあの場所に連れていったの?」と河内さんが言ったことは、わたしも疑問に思っていたことだ。
「方法は企業秘密とでもさせてください」
「何よ、企業秘密って。なんかいけない薬物使ってるんじゃないでしょうね」
院長は、そんなことするはずないじゃないですかー、とは言っていたが、この院長ならやりかねない。
「でもあの場所のことであれば、お教えすることはできますよ」
「あら、そうなの。それは是非、聞きたいわ」
「ええ、あそこはですね、僕の知人が経営していた病院なんですよ。まあ今は廃墟なんですけどね。ちなみ出るらしんです」
「出るって何がよ」
「これ以上、僕の口から言わせないでくださいよ。病院、廃墟と言ったら…」
院長の顔が険しくなっていく。わたしはぞっとした。痩せているせいか、院長のこけている頬を見ると、わたしの背筋をさらに冷たくする。
「あー、もういいいわよ! それ以上は何も言わないで!」河内さんはそれ以上聞きたくなかったようで、両耳を手で塞いだ。ああいうのは苦手みたいだ。
「伊藤さんとナナも偶然じゃなかったんですね」わたしは話を変えた。ここも気になっていた。
「うん、そうだよ。伊藤さんのこと調査したら、木津文江さんに辿りついてね。そこで、ナナちゃんを借りてきちゃった」
木津文江さんのことは夢の中で、今となってはそうではないが、伊藤さんから聞いていたので、想像はできた。
「騙してごめん」となりにいた空斗くんが唐突に言った。
わたしは申し訳なさそうにしている空斗くんにからだを向けて、こたえた。
「わたし、気にしてないよ。だって空斗くんでしょ? 沙緒里とわたしを仲直りさせてくれたの」
上條くんは驚いた表情をして、わざと知らないような素ぶりをみせた。
「沙緒里から聞いた」
そういうと彼は少し間を空けて、静かにうなづいた。
「ありがとう。わたしのためにそこまでしてくれて、嬉しかったよ」そういうと空斗くんは照れてしまったのか、わたしから視線をそらした。
「家に帰ったら、旦那をとっちめてやるわ」河内さんは腕の服をまくりあげた。
「河内さん、こっわー」
「ところで院長達はどうしてここに?」
「加奈子さんから結婚式の招待状が僕たちに来たんだよ」
わたしはさっきから、なにか二人に違和感を持っていたが、それは院長と小鳥遊さんがあの夢だと思っていたところとは違う服装をしていたからだった。
院長が言うには、加奈子さんは招待状を送るため、わたし達の住所は院長から聞いたらしい。
「伊藤さんの驚く顔が楽しみだなー」
どうやら伊藤さんはまだこの事実を知らないようだ。院長は作った罠に引っかかる獲物をわくわくしながら待つ子供のようだった。
そうこうしているうちに披露宴会場が開いた。わたしたちは同じテーブルに振り分けられていた。ご友人席と書かれたテーブルだった。
しばらくして照明が暗くなり、新郎新婦が入場した。
伊藤さんはとても緊張した様子だった。シャンパンゴールドの服がやたらと眩しく感じられた。
それ以上に輝いてみえたのは真っ白なウエディングドレスを着た加奈子さんだった。
伊藤さんの個展で初めて会った時とはまったく違う加奈子さんを見て、わたしもいつかウエディングドレスを着る日がくるのだろうか。自分がウエディングドレスを着ているところを想像し、無意識に空斗の横顔を見ていた。
そして伊藤さんが院長の顔を見るなり、腰を抜かしたことは言うまでもない。
<了>
以上で完結となります。
読者の皆様、最後まで読んで頂きありがとうございます。
初めての執筆ということもあり、大変なところもあったのですが、
完結できた事は本当によかったです。
最後に、もし評価など頂けると嬉しいです。




