22. 上條空斗(4)
放課後に学校の正門で小向を待っていた。
しばらくすると、背が低くて、中学生と間違われても仕方がないと思わせるような、童顔をしたショートカットの女の子が歩いて来た。
その子が僕の前を差し掛かったところで声をかけた。
「小向さんだね」
彼女は急に声をかけられたことにかなり驚いた様子だった。
「あ、はい。そうですけど──」ついこの間、テレビで放送していた動物番組のことを思い出した。保護された子猫が怯えて警戒している様子が、小向沙緒里と重なったからである
「えっと、特進クラスの上條っていうんだけど」僕は少し声のトーンを落とし、怯えた子猫が逃げださないように、怖がらせないように細心の注意を払った。
「上條くん…」彼女は僕を怪訝そうな顔で見つめた。
「あの、ちょっと時間あるかな。話をしたいことがあるんだけど──。外は暑いからできたら涼しいところで」
彼女は子猫が今にも逃げだしそうな感じで、後ろに一歩引いた。
「あ、いや、変な意味じゃないから、その、宮本さんことについてちょっと」
宮本という名前を口にした瞬間、彼女は険しい顔をした。
「宮本さんのことって一体どういうことを聞きたいの?」
「まあ、それは後でね。ここじゃ話しにくいこともあるだろうから、とりあえず駅前に行ってもいいかな」
彼女はこくりとうなづいた後、俺の後ろを歩いた。彼女と間には不自然な距離があった。子猫はまだ警戒しているようだ。
駅に着くまでの間、その微妙な距離感が埋まることはなかった。そのことは逆に好都合だった。高校生の男女が二人きりで歩いているところを見られたら、カップルと間違われることが多い。この子と間違われることが不快とかではなく、そういった噂が流れることを避けたかった。実際、中学生の時に、クラス中で噂になり、からかわれたものだ。しかもクラス内だけではとどまらず、他のクラスにも噂が広がってしまった。もちろん、その女子とはそいった間柄ではなかった。
学生が少なく、できれば静かなところがよかった。そういえば、駅の南口から徒歩五分ぐらいのところに、いつも客が少ない喫茶店があったことを思いだした。
受験の時に少し早く来すぎて、その時に時間潰しに利用したことがあった。
学校は北口なので、ここから反対側になるので小向さんに念のため、確認をした。彼女は、だいじょうぶ、とだけ言ったので、その喫茶店に行くことにした。
目的の喫茶店に着いた。予想していた通り、あまり客がいなかった。
店のドアを開け店内に入ると、いい意味で古くレトロな雰囲気がある店内だ。そして何より涼しい。
テーブル席に案内され、メニュー表を渡される。コーヒー一杯で五百円。高校生からしたら、高い値段だ。自分から誘ったのだから、当然、僕が払うつもりでいた。
「ここは俺が払うから、遠慮しなくいいよ」
「え、でも…」彼女は渋った表情をした。
「いいよいいよ、こっちから誘ったんだし」
「そう、じゃあお言葉に甘えて」そういって彼女はオレンジジュースを頼んだ。オレンジジュースもコーヒーと同じような値段だった。俺はアイスカフェオレを頼んだ。
「それで、宮本さんのことなんだけど」
「え、あ、うん」
「小向さんは宮本さんと仲がいいんだってね」
「うん、そうだよ」と言った後、彼女は、悲しそうな顔をして、うつむいてしまった。
「でもそれは入学して二ヶ月ぐらいの間だけなの」
「二ヶ月間ってそれはどういうことなの? 喧嘩でもしたの?」
俺は本当の理由を知っていたが、知らないような口ぶりをした。そして彼女はうつむいたまま、首を三回ほど振った。
「違うの、喧嘩とかじゃないの」
「じゃあ一体何があったの?」そういうと彼女は黙り込んでしまった。仕方なく話題を変えることにした。
「昨日のことなんだけど、宮本さんって階段から落ちて怪我をしたんだよね。聞いた話なんだけど、宮本さん誰かに押されて、転げ落ちたってことらしいんだよ。それで──それを目撃した人がいたっていうことも聞いたんだけど……」
彼女の両肩が一瞬、ぴくっと動いたのを見逃さなかった。
「もし俺の勘違いだったならあれなんだけど、その目撃したのって小向さんだよね?」彼女は依然として、うつむいたままだったが、話をそのまま続けた。
「宮本さんが落ちた時なんだけど、その時に限って、周りに生徒がいなかったらしいだよね。でね、宮本さんが階段から、落ちる少し前なんだけど、山辺恵子の他にあと三人の女子生徒がその近くで目撃したって証言があったんだ。でその一人に小向さんをいたっていうことを聞いたんだよ」
うつむく彼女の手を見ると、震えていた。しばらくすると彼女が顔を上げ、口を開いた。
「山辺さんに呼ばれたんです」
「山辺さんに? どうして?」
「実はその日の二日前のことなんだけど──。彼女は宮本さんに何があったのかを喋った。体育の授業が終わって、更衣室に戻ったら小向沙緒里の鞄から財布がなくなっていたの、そしたら宮本葵の鞄の中からその財布が見つかり、山辺恵子が、財布を盗んだのは宮本葵だと問い詰めたこと──」
「わたしは葵ちゃんそんなこと絶対にしないと思った、絶対に山辺さんがやったことだって」
「それで、小向さんはどうしたの?」彼女は僕の質問でまたうつむいた。そして唇を噛み締めて、こたえた。
「──怖くて何も言えなかった」
「どうして?」
「山辺さんに何か言えば、今度はわたしがいじめられると思ったから…」
「じゃあ、小向さんは友達がそんなことされたのに、ずっと黙っていたんだ」
僕は嫌味を言うつもりはなかったけど、つい彼女の話を聞いていると、苛立ちを感じてしまったのだ。僕は本当に嫌な性格をしている。彼女は今にも泣き出しそうだったので、ごめん、とだけ言って、話を戻した。
「それで、宮本さんは、更衣室を飛び出して、そのまま戻ってこなかったんだ」
「うん、その時の山辺さんの顔をみたら笑ってた…わたしはその顔を見てさらに怖くなったの」
彼女は余程、怖い思いのしたのか、声が震えていた。
「そして次の日、葵ちゃんは学校を休んだの。山辺さんは昨日のことが何事もなかったように、いつも通りだった。そしてその次の日に葵ちゃんは登校してきたの。わたしは、お昼休みに山辺さんに呼び出された。一昨日のこと、葵ちゃんに謝らせるって言った。それで、葵ちゃんがなんでこんなことをするの、って山辺さんに聞いたの。そしたら山辺さんは気に入らないとだけ言った。葵ちゃんはそれを聞いて、山辺さんと言い争いになったの。普段は大人しくて、遠慮がちな葵ちゃんからは想像できないような、興奮していて、逆上してたの」
あれか、宮本さんと職員室の前で会った時のことか。
「そしたら、わたしの他にいたクラスの女子がもう行こうって言い出して、その時はそれでその場は収まったの」小向は目の前にあるオレンジジュースを少し飲んで、ふうっと息を吐いた。そしてそのまま話しを続けた。
「葵ちゃんが階段から落ちた時の日なんだけど、山辺さんに前回と同じ理由で呼び出されたの。そしたらまた二人は口論になって、ついカッとなった山辺さんが葵ちゃんを突き飛ばしちゃったの。わたしは一瞬、何が起こったのか分からなかった。でも葵ちゃんが階段から転げ落ちるところだけは鮮明に覚えてた。我に返った時は、山辺さんたちの姿はなかった。わたしは急いで葵ちゃんのそばに駆け寄って、近くにいた男子に先生を呼んできてほしいとお願いしたの。葵ちゃんが乗った救急車を見送った後、担任の先生に呼び出されて、その時のことを話したの」
話を終えた時には、彼女は目に涙を浮かべていた。
「なるほど、そういったことがあったんだんだ…」
「わたし、葵ちゃんにひどいことをした。葵ちゃんが、山辺さんたちからいじめられているのを知らないふりをしてた。友達なのに……」そういって、彼女はぽたぽたと涙を流した。
「──そう思うなら、宮本さんと仲直りしてあげてよ」
「え……」
「彼女がそれを望んでいるかはわからないけど、小向さんが宮本さんのことをまだ友達だと思っているのなら、そうするべきと思う」
「でも、葵ちゃん、わたしのこと絶対に嫌いになったと思う」
「それは僕にもわかんないよ。小向さんが今後、宮本さんとどうしたいのか、ちゃんと話してみればいい。それで今までのことをちゃんと謝って、また友達になってあげてよ」彼女は僕の話を聞きながら、また目をうるうるとし始めた。よく泣く子だな思い、くすっと笑ってしまった。
「なんで笑うのよ!」と小向さんが少し怒った。
「ごめん、だって泣き過ぎだから」僕はまたくすっと笑ってしまった。
「もう」そう言って、小向の表情は怒っているようにも見えるが、どこか気持ちが晴れたような、そんな表情をしているように思えた、会った時と比べ、警戒心もなくなったのか、和らいだ表情をしていた。
「でもどうして上條くんが、葵ちゃんのことをこんなに気にするの? 葵ちゃんと知り合いなの?」
「まあ……ちょっとね。このことは宮本さんには黙っておいてね」




