16. 宮本葵(6)
目が覚めたら、もう朝だった。どうやら昨日はあのままずっと寝ていたようだ。
わたしは今日、学校を休んだ。
昨日学校を途中で抜け出したこともあり、今日はいつも以上に学校へ行きたくなかった。母には体調が悪いとだけ言った。特に怪しまれることもなかった。
この日はおとなしく家にいた。風邪ということで学校を休んでいる手前、外に出ることはしなかった。
外に出ているところを山辺恵子に見つかるとも限らないからだ。もし見つかった場合のことを考えるだけでぞっとする。
夕方になり、母が帰ってくるなりわたしの部屋に入ってきた。
「どう、体調は?」母は心配そうな面持ちをしていた。
「大分よくなってきた」わたしは心配する母を安心させるような口調をした。
「そう、よかったわ。晩御飯、どうする?」
そういえば朝から何も食べていなかった。昨日のことがあってからまったくといっていいほど、食欲がなかった。だけど今は食欲も少し戻ってきたようで、お腹も空いていることに気づいた。
「うどんが食べたい」
「うどんね、わかったわ。卵いれる?」
「うん」
我が家では風邪とかで体調が悪くした時は、母がうどんをよく作ってくれる。素うどんだと味気がなく、栄養もあまりないので卵をひとつ入れる。
うどんができたので、わたしは一階にあるリビングに下りた。母は部屋に持っていくと言ったが、朝から母が帰ってくるまで、自分の部屋に閉じこもっていたので、ちがう場所の空気も吸いたくなった。
できたてのうどんは熱々で舌を火傷しそうになりながら食べた。
「ごちそうさま」
「あら、早いのね。それで足りた?」
「うん」
本日の一食目だったのでこれで十分だった。食べ終わってすぐに自分の部屋に戻ったが、汗でからだがべったりとしていて、さらに顔が汗とあぶらで不快だったので、一階にある洗面所に行くことにした。
洗面所で顔を洗い、鏡に映る自分の顔を見つめた。
わたしはある決心をしていた。最近の顔色に比べ、少し色つやがよくなっていた。
目覚ましがなる前に目が覚めた。
わたしはベッドから起きあがると、カーテンを開けて、朝日を全身に浴びた。
清々しい朝だと普通ならそう思うだろう。今のわたしはそんな情調に浸る余裕などはない。
こころの中で、よし、と気合をいれ、制服に着替えた。今日はわたしにとって、重要な日になる。
一階に下りて、洗面所で顔を洗った。鏡に映る自分の顔を見た。少し緊張した顔立ちだった。
リビングに行くと母がいた。いつものように朝食の準備をしていた。
「あら、おはよう。体調はもういいの?」
「うん、もう大丈夫」
「無理しなくていいのよ」
「大丈夫だって」
わたしはそういって、ダイニングテーブルの上に用意されたトーストとサラダを食べた。
「いってきます」わたしはこれから戦場に行くような心情で家を出た。もちろん生きて帰ってくるつもりだ。
学校に到着し、緊張した足取りで教室に向かう。いつもは教室に入るのが憂鬱で仕方なかったが、今日は違った。
教室のドアを開けると、皆な一斉にわたしに視線を向けた。
わたしは皆の視線に逃げ出したい思いになったが、なんとか耐えることができた。これでは先が思いやられる。
自蓆につき、朝のホームルームが始まった。
担任が順番に出席を取る。わたしの名前が呼ばれた。
財布が盗まれる事件について、なにか言われるのではないかという心配はしていたが、それについて言及されることはなかった。はい、と返事をして、次の生徒の点呼に移った。
午前中の授業が終わり、昼休憩になった。わたしはいつものように、自分の荷物を全部持って、屋上に向かった。
屋上はかなり暑かった。日陰がほとんどないので、さほど広い空間でもないのに陽炎が見えた。わたしは今日は無理だなと思い、後ろを振り返った。
わたしは一瞬立ちすくみ、動けなくなる程驚いた。
なんとそこには山辺恵子が立っていた。後ろにはあと三人の女子がいた。そこでさらに驚いたことに、その中の一人が小向沙緒里だった。
わたしは何も言わず、立ち去ろうとした。
「ちょっとどこいく気? シカトしないでよね」
山辺恵子はわたしを通させないようにからだを寄せた。
「昨日はなんで学校休んだの?」ととぼけたような態度をして、わたしに詰問した。
「その体調が……悪くて……」わたしは彼女を刺激しないように言葉を選ぶのに必死だった。
「そうなんだ。わたし、てっきりこの間のこと気にして休んだんじゃないかって心配しちゃった。だって宮本さん、あの後に飛び出してから戻ってこないんだもの」
山辺恵子のねちっこく、悪意を込めた言い方が、わたしの胃の内容物を全部吐き出したくなるような思いをさせた。
わたしはうつむいて黙った。そんなわたしの姿を見て、山辺恵子は苛立っている様子がわたしにひしひしと伝わる。
「どうして、小向さんの財布を盗んだの?」
「わたしじゃない」その言葉がさらに山辺恵子を苛立たせる。
「しらばっくれんじゃねーよ、じゃあなんでお前の鞄の中に入っていたんだよ」
「そんなのしらない。誰かの嫌がらせでわたしの鞄に入れたんじゃないの?」
わたしは山辺恵子に対して少しでも反論できたらと思い、皮肉を込めて言った。
「ひとのせいにすんじゃねーよ」すると山辺恵子はわたしの髪を掴んだ。
「──どうして、そんなことをするの?」わたしははっと気がつき、自分が何を言ったのか理解するのに一瞬時間がかかった。
「はぁ? なにいきなり。質問してるのはこっちなんだよ!」
「だからわたしじゃないって言ってるじゃん。どうせあなた達が仕組んだことなんでしょ」
今日、決意していたことは、山辺恵子から、わたしをいじめる理由を聞くことだった。さっきわたしが発言したことがきっかけだったのかは定かではないが、それほど興奮していたのだろうか、事実、ここから先のことはよく覚えていなかった。
「へえ、なんでわたしたちがそんなことしなきゃならないの?」
「なんでって、わたしをいじめて楽しむためでしょ」
「わたしたちがあんたをいじめてるって? 勘違いしないでよ」
「勘違いなんかじゃない。あなた達がしていること周りが気づいてないとでもいいたいの? みんな知らないフリしてるだけじゃない。なんで、なんでわたしなの? わたしがなにかした? だったらちゃんと言ってよ!」
わたしは堰を切ったように感情が爆発して、興奮が抑えられず、声が震え、今にも泣き出しそうだった。
「ねえ、もう行こうよ。これ以上ここにいると不味いよ」山辺恵子のとなりにいた女子が焦った様子で言った。
わたしたちがただならぬ様子だと感じ、まわりにいた生徒たちがざわざわし始めていた。
山辺恵子たちはそのままわたしに何も言わずに立ち去った。
わたしは緊張の糸が切れたのか、腰が砕けるよう廊下に座り込み、溢れる涙を堪え切ることができなかった。
結局、理由は聞けなかった。家を出る時の決意は虚しく散り、生きて帰れそうにはなかった。
わたしは震えた足でなんとか立ちあがり、流れる涙がこれ以上に出ないよう堪えるのに必死だった。
ちょうど職員室の前の廊下を通った時に、一人の男子生徒がドアから出てくるのに気づいた。
わたしは泣いている姿を見られたくなかったので、下を向いて通り過ぎようとした。
「宮本さん?」
それはどこかで聞いた声だった。利口そうで、すこしプライドが高い人を連想させるような声。
わたしは振り向いて彼の顔を確認してみた。そして思わず立ちすくんでしまった。
──信じられないことが起こった。
そこに立っていたのは夢で見た、あの上條空斗だった。




