10. 宮本葵(3)
目を開けると、そこは夢ではなく現実だった。
いつも見慣れている天井が見え、わたしは酷く落胆した。
わたしは気持ちが沈んだまま、部屋を出て階段を下りた。
リビングに行くと母が朝食の準備をしていた。
「あら、やっと起きたのね」
「うん、お父さんは?」
「今日は朝からゴルフに行ったわよ」
「朝からゴルフなんて、元気いいよね、お父さんは」
「そうね、葵も今日は休みだからといって、家でだらだらしたらダメよ」
「わかってるって」
そういって母はできた朝食をテーブルにい置いた。焼いた食パンと目玉焼きとサラダだ。
「サラダはドレッシングにする?」
「うん」
テレビを見ながら、朝食を食べた。今日は学校へ行かなくていいんだと思うだけで心が休まった。
テレビで流れている、朝のニュース番組を観ていたら、つい視線を逸らしてしまった。
いじめが原因で自殺した中学生のニュースが流れていた。
「いじめで自殺なんて、かわいそうよね」
わたしはなんて言ったらいいか分からなくなり、黙っていた。
「誰にも相談しなかったのかしら」
自殺なんてわたしは絶対にするものか。そう自分に言い聞かせた。
「葵は大丈夫よね」
わたしはドキっとした。もしかして母に勘付かれてしまったのか。心落ち着かせ答えるようにした。
「わたしは大丈夫よ。クラスみんなとも仲良しだから、何も心配することなんてないよ」
「そうね、それなら安心だわ」
母の顔色をちらっと横目で確認したが、どうやら気づかれていないらしい。
「今日はちょっと外に出かけてくるね」
「あら、何か用事でもあるの」
「うん、ちょっと友達とね」
「そう、あんまり遅くなっちゃダメよ」
「わかってるって」
友達と用事なんて嘘だ。
家に一日中いるということは、母と多くの時間を過ごすことになり、それはつまり、母との会話も自然と多くなってしまう。思わず、学校のことなどを話してしまい、そこから疑われてしまう恐れがある。
わたしは朝食を食べ終えると、外出する洋服に着替えるため、さっそく自分の部屋に戻った。いってきます、とだけ言って、足早に家を出た。
家から出たのはいいものの、何をして時間を潰すかをまったく考えていなかった。
外は暑いから、できるだけ汗をあまりかきたくなかったので、涼しいところに行きたかった。とりあえずここから近い場所だと電車一本でいける図書館に行くことにした。あそこなら、冷房が効いていて、本もたくさんあるから、時間が潰せそうだ。
家から最寄り駅までは徒歩十分といったところだ。駅に着いたころには額に汗が滲んでいた。
改札を通って駅構内に入った。地下鉄なら冷房も効いていて涼しい思いもできたのだが、あいにく駅構内は外にある為、ここもかなり暑かった。
十分ほど待ったら電車が来た。
電車に乗り込むと冷んやりとした空気が肌に感じた。ここから二駅先が図書館がある最寄りの駅になる。
そうして十分と経たないうちに、目的の駅に着いた。
車内から降りるとむわっとした生暖かい空気が全身にぶつかった。
「あっつ」あまりの暑さに、わたしは思わず声に出してしまった。
今日は全国でも猛暑だというニュースが流れていたことを思い出した。
やっぱり無理して外に出ないで、家で大人しくしていればよかったと後悔したが、ここまできて家に引き返す気にはなれなかった。
図書館は駅から歩いて十分ほどのところにある。この猛暑の中、歩くという行為がわたしを億劫な気持ちにさせる。
暑さを避けるため、わたしはなるべく日陰を歩くようにした。
途中まったく日陰がないところもあったが、図書館に到着した時は、家から駅まで歩いた時に比べると汗が少なくてすんだ。
図書館の中はひんやりと冷房が効いていて、生き返るような気分だった。
わたしは二階に上がり、いじめに関しての本を探した。
今朝に見た中学生が自殺したニュースのせいだろうか。わたしはいじめについて調べてみたいことがあったので本を探した。
「あった」
いじめに関しての本は思っていたよりもたくさんあった。やはりいじめに悩む人は本の種類からみて多いのだろうか。わたしもその中の一人だ。
いくつか気になるタイトルがあったが、一番に気になった本を手に取った。
『なぜいじめられるのか』この本の題名は、まさにわたしが手にしたいことが書かれているように思えた。
なぜわたしはいじめられているのか。自分にはどうしても分からなかった。小学五年生の頃を思い出してみる。
わたしがクラスメイトの女子に言われた時は、わたしが目立とうとして、その彼女が気になる男性の気を引くをやめてくれないかと言われたことだ。そうしないとクラスみんなでお前を無視するぞと言われた。
それは当時のわたしが、物事をはっきりというタイプで、クラスの中でも目立った存在であり、何より彼女の好きな男子がわたしに気が合ったことが一番に彼女がわたしを気に食わなかった理由だった。
今の高校では、わたしは目立つことはなく大人しくしているはずだ。そのことから考えてみても、やはり理由は分からなかった。それとも何か別の理由があるのだろうか。
本を読み進めるうちに、いじめられる人の特徴について書かれているところ見つけた。
『空気が読めない。気が弱い、言い返せない』などいろいろなことが書いてあった。
わたしに当て嵌るのは『言い返せない』とう点だろう。言い返せないというよりは言い返さないと言った方が正しいと思う。言い返した場合にまた何かひどいことをされそうな気がするからだ。
頁をめくっていくと、次はいじめる人の特徴について書いていた。
『家庭環境が原因、精神的に不安定、ストレス発散』などいじめる側の特徴に関しても様々なことが書かれていた。これを読んで、山辺恵子も、もしかしたら何か悩みなどがあるのだろうかと思った。
家庭での悩みがいじめに繋がっているのだろうか。いや、彼女の家庭環境がどういったものなのかなんて関係ない。仮にそうだとしても、それがわたしへのいじめになるなんて、考えたくもなかった。
わたしは本を閉じ、棚に戻して、そのエリアから出た。
そのあとは週間雑誌や、好きな小説家の本を読んだりして、時間を過ごした。
スマートフォンに表示されている時刻を見ると、ちょうどお昼時だった。お昼ご飯をどうしようかと思った。家に帰っても母に怪しまれるだけだ。わたしは地元の人がよく利用しているショッピングモールに行くことに決めた。あそこならお昼も食べれるし、時間も潰そうだった。ただひとつだけ気になることがあった。
そこのは地元の人たちがよく利用するので、当然、地元の学生も多い。以前母と来た時に、わたしと同じ高校の制服を着た学生を見かけたことがあるからだ。もしかしたらそこに山辺恵子がいるかもしれない。もしわたしがそこにいて山辺恵子に見つかった場合のことを考えると、ぞっとする。やっぱり別の場所にしようかなと思ったが、ショッピグモールはかなり広い、会う確率なんか低いし、山辺恵子がそこにいるとも限らない。
わたしはは山辺恵子がいないことをを期待しながら、図書館から出て、ショッピングモールに向かうことにした。
ショッピングモールは図書館がある駅のとなり駅にある。ひとつ先の駅なので、いつもなら一駅ぐらい歩いてことは多いが、この暑さの中、歩いて行こうという気がしなかった。ただひとつ先の駅とはいえ、電車賃を払わないといけないことが嫌だった。バイトをしているわけでもないので、お金はできるだけ節約したかった。
ショッピングモールに着くと、わたしは飲食エリアの方に向かって歩いた。
このエリアに約二十店舗ほどの飲食店がある。わたしはできるだけ、お金がかからない店に入りたかった。安くて美味しいファーストフード店やファミリーレストランなど、学生が好んでいくようなところは、はできるだけ避けたかった。というのも山辺恵子に遭遇する確率を可能か限り高くしたくなかった。
少し値段はするが、わたしは学生だけで行かないような和食店に入った。店構えも落ち着いた雰囲気で、なにより、お昼のランチが千円ほどだったので、ここから大丈夫そうだと思った。店内に入ると老夫婦や一人客が多く、学生の姿はなかったので、ほっとした。
わたしはメニューの中で、一番安い日替わりランチを頼んだ。
十分ほどで頼んだランチが来た。わたしは千円のランチをしっかりと味わって食べた。
店を出ると午後一時を過ぎたぐらいだった。あと一時間ほど時間を潰そうと思い、とりあえず目的もなく、ショッピングモール内をうろうろした。しばらく歩いていると、気になる店があった。いや、店ではなく何かを展示しているような、一見他の周りにある店舗とは少し違った雰囲気をしていた。
その店の外をよく見たら、そこはいくつも絵が出展されてた。
こんなところで絵を出展してるのをあまり見たことがなかったので少し困惑したが、勇気を出して中に入ってみることにした。
「あ、いらっしゃい」
絵の出展者なのだろうか。わたしは軽く会釈をした。
「自由にみてくださいね」
中に入ると壁にいくつか額縁に入った絵が掛けられていた。
見るといろいろな絵があった。風景画、人物画、抽象画と様々な種類だった。
どうやら個人の出展ではなく、複数の画家が出展しているようだ。画家の名前も様々だった。
展示会場内をぐるっと一周して、出口近くになると少し気になる絵があった。
それは真っ白に塗られたキャンバスにうっすらと木の枝が書かれたような絵だ。木の枝もいわゆる茶色ではなく、背景の白とはまだ別の色合いを持つ白で描かれていた。むしろ背景だけが白で塗られていて、木の枝の部分は絵の具を使わず、キャンバスの下地の色で表現しているようにも見えた。
この絵とは別に、店の壁に掛けてある他の絵は色が鮮やかだったりしてたのでより一層、その絵が目立つように見えた。
わたしにとって、この絵は明るく、眩しく見えた。わたしは今、暗闇の世界に紛れ込んでいるような気がしていた。毎日がつらく、どんよりとした色。それに比べてこの絵は真っ白で少し木の枝が書かれてる。そして枝が自由に伸びているような感じがする。
それが余計に眩しく感じられる。
わたしはこの絵を描いた画家の名前を見てみた。
画家の名前を確認した時、わたしの目は鳥のように大きく見開いた。
『画家 伊藤達也』
それはあの夢に出てくる伊藤さんと同じ名前だった。
いや、まさか。そんなのありえない。心臓の鼓動が耳に聞こえるくらい激しくなるのが分かる。
名前は聞いたが、漢字までは知らないので、きっと同姓同名に違いない。
「あの」と展示会の責任者らしき男性に声をかけた。
「はい、どうされました?」
「少しお伺いしたいのですか。この絵を描いた人ってどんな方なんですか?」
するとその男性は眉間に皺を寄せた。
「うーん、正直言って詳しくは分からないですね。年齢はたしか三十代後半ぐらいだったかな。いや、もう少し若かったような気もします。それ以上のことは、申し訳ないですが…」
「そうなんですか」
「すいません、ここにはアルバイトで入っているものですから、画家の方を詳しくは知らないんです」と
男性は申し訳なさそうに言った。
「わかりました。ありがとうございます」わたしはそのままお礼を言って、展示会場を出た。
三十後半ぐらいだったら夢で見る、伊藤さんと同じぐらい年齢だ。まさかね。
もう少し、時間を潰したかったので、とりあえず店内の案内板を見た。するとその先に目がいった。わたしは自分の目を疑い、何度もぱちぱちと瞬きをした。
そこには山辺恵子がいた。それに彼女はひとりではないようだった。彼女と一緒にいるのはわたしをいじめていた、女子二人だった。
十数メートル程先にいたので、彼女たちはわたしに気づいていないようだ。
わたしはすぐに後ろを振り返り、そのまま逃げるようにトイレに駆け込んだ。
しばらくトイレの個室に閉じこもっていた。すると彼女の声が聞こえてくるではないか。
まさかわたしがここにいることに気づかれたのか。胸の鼓動が大きくなる。
「ねえ、これからどうする?」
「どうしよっか」と他の二人のうちの一人がこたえた。
「これから、カラオケ行かない?」ともう一人の女子がこたえた。
「お、いいね」と山辺恵子が言う。
「よーし、決まり決まり」
「たしかここから、歩いて五分ぐらいにあったよね」
「うん、いこういこう」
少しして、トイレから彼女達の気配がなくなったが、わたしはまだしばらくそこに閉じこもっていた。生きた心地がしなかった。
トイレから出たるとショッピングモールを出て、急いで駅に向かった。
まさか本当に出くわすとは思わなかった。わたしはいつも以上に周囲を警戒しながら、足早に歩いた。
家に着いたらすぐに自分の部屋に閉じこもり、すぐにベッドに潜り込んだ。
わたしの心が休まる場所は、もう夢のあそこしかないのだ。




