旦那様と王子殿下の密談
ロルフ視点です。
「……今日はあれの相手をして来るから、エルは先に寝ていると良い」
夕食後に入浴していざ寝よう……と思ったものの、レオナルドの話がある事を思い出して些かげんなりしつつエルにそう告げる。
途端に寂しそうに眉を下げてしょんぼりとした表情になるから今すぐにでも一緒にベッドで語らいたい。
しかし、レオナルドの約束をすっぽかすと後々煩いし、今回は何やら重要な話だそうでどうしても外せない。
ひたすらに名残惜しいのだが、許してくれとエルの頭を撫でてエルと別れる。
……どうせなら職場に顔を見せれば良かったではないか、自分の住まう離宮でひたすらに研究に励んでいて偶に顔を見せたと思ったら突撃訪問。計画性を持てと言いたい。
「で、用事とは一体?」
レオナルドに宛がった部屋を訪れて、そう尋ねる。
妻との貴重な語らいの時間を邪魔してくれたのだから、相応の用事はあるのだろう?
「ん? 遊びに来る口実」
「殴るぞ」
「物騒だなあ。冗談だよ」
本当に用がないならただ遊びに来たと言うよ、と朗らかに笑う王族。
在り方としてはおかしいとは思うものの、それがこの男なのだから仕方ないとも思う。それに、それが悪い事だというのは今更だろう。昔から頻繁に来ていたのだから。
私が結婚してからは控えていたらしく、今まで訪問で晴らせていた鬱憤も溜まっていたのだろう。
そこはまあ考慮するとしても、エルとの時間を地味に奪われるのは複雑だ。
「まあ幾つかあるけど、一つはエルネスタ夫人を見に来た事かな?」
「何故」
「そんな怖い顔しないでよ。興味本位だよ? ロルフがそこまで入れ込むから知りたくなっただけ。だってロルフ、女に興味とかなかったじゃん。最初は冷えた夫婦生活だったって言ってたし」
寧ろ何でああなったの、と言われて、どう話すべきか迷う。話すかすら迷う。
きっかけがエルの能力だった、とはとても言えない。家族以外知らないあの力を、幾ら知己とはいえあまり軽々しく話すものではないだろう。
「……色々あった」
「色々ねえ。ま、良いけど」
ひとまずはそれで納得してくれるようではあるが、その碧眼は此方に探りを入れている。まず、色々と疑っているのだろう。
……そんなに私は女と仲良く出来ない人間だと思われているのだろうか。いや、否定はしない。別に良い仲になりたいとも思わなかったし、女遊びをしようとも思わなかったが。
そう考えると、エルが全て初めてだ。知りたいと思ったのも、触れたいと思ったのも、口付けたいと思ったのも。
一人で寝室に行かせたエルの事を思うと、申し訳ない。去り際の寂しそうな姿が思い浮かぶ。……恋しげに見てくれるのは有り難いし可愛らしいので、あれはあれで良いとは思うが。
「ちょっとロルフ、奥さんの事思い出すのは良いけど僕の話も聞いてね」
……何故ばれたのだろうか。
「それで、本題に入るけど、古代魔術の再現おめでとう。積年の願いが漸く叶ったね」
こほんと咳払いをしたレオナルドが改まって告げたのは、先日報告書を出した古代魔術の事。
流石に森の一部を一掃したまま何も報告をしない訳にはいかなかったので、ある程度ぼかして報告をしたのだ。イザークとアンネはもう余計な事は口にするなと命じておいたし破るつもりもないだろう。
レオナルドにはあの誘拐事件も含めて報告は、してある。ただ、古代魔術の発動云々でエルがキーとなったとは言えずに、術式も多少誤魔化してはあるのだが……。
……恐らく、こやつの事だから、それを鵜呑みにはすまい。
「……ありがとうございます」
「いつかはやると思ってたんだけど、まさかこんなにも早くなんてね。もう少し老けた頃とばかり」
「若々しくて悪かったな」
「いやいや。……で、どうしよっか?」
「どうしようか、とは」
「や、これ報告は僕にだけに留めてるでしょ?」
にこり、と愛想の良さを遺憾なく発揮するレオナルドに、やはりお見通しか、と舌打ちをしたくなる。
「イザークとアンネの報告も一緒にされたけど、あれらは口を噤むだろうし。んで、古代魔術の顕現が可能となったのに喧伝しないって事はそれ相応の理由があるでしょ」
「別に言い触らす事でもない」
「まあ君は昇進したいとかなさそうだけどね。……さて、と。ロルフ、聞いても良いかな」
「何だ」
「うまーく誤魔化してるつもりなんだろうけどさ。報告された術式と消費魔力と威力と規模が一致してないんだよね?」
ああ、こやつは確信を持って、私に問い掛けているのだ。
何を隠しているのだ、と。
「君の意図は分かる。だから僕だけに言ったんだよね? 僕は兄上達に知れる前に握り潰すって分かってたから」
……そうだ。知れ渡ったら困るからこそ、私は聡明なレオナルドにだけ報告をした。他には繰り返しの実験の結果だ、と言い張って。
幸い誰も所有していない上に魔物が住み着いて近寄らない場所だからとやかく言われる事もなかった。後に詳しく魔術跡が分からないように周りから魔術で焼き払って誤魔化してはおいたのだが、それでもレオナルドにはお見通しなのだろう。
知られて困るのは、私よりエルだ。扱うのは私ではあるものの、あの威力を出すにはエルの協力が不可欠で、それを他人に知られては困る。特に、権力争いに夢中なレオナルドの義兄達に知られては、私ともども道具として利用されかねない。
以前エルにその危険を説いたが、まさか実感させられる羽目になろうとは。
「やれやれ。悲願だったとはいえ何てものを再現してくれたかなー……。あんなもの知られたら絶対に兄上達が黙ってないんだもん」
「だからお前に知らせたんだ」
「軽く言ってくれるね。ロルフが僕の子飼いって認識されてるの知ってるだろ。面倒な事をしてくれる。父上に知られたら尚の事面倒になるし」
僕は王位なんて興味ないんだけどね、と肩を竦めるレオナルド。
本人がそれを望まないし寧ろ勝手に兄達に王様にでも何でもなってくれというスタンスでは居るものの、レオナルド自身はとても優秀で王たる資質は持ち合わせている。寧ろ、上で醜い権力争いを繰り広げる王子達より余程相応しい。
国王陛下の耳に古代魔術の再現が耳に入れば、とても面倒な事になるのは同感だ。私はレオナルドの臣下のような扱いをされているから、尚更。
レオナルドとしても厄介事は避けたいのだろう。
「頑張ってくれ」
「他人事だねえ本当に。まあ、何とか上手くやっておくよ」
「助かる」
私がしでかしてしまった事ではあるが、あの時は仕方がなかったのだ、ああでもしなければ一々魔物に襲われねばならなかったからな。
私ではどうにもならない部分での隠蔽は、レオナルドに任せねばならない。流石に情報を制限するとかその辺りは研究所を束ねるこやつにしか出来ぬ。
ひとまずは丸く収まりそうだ、と一息ついたところで、レオナルドの碧の双眸が私を貫く。
「……ねえロルフ。そうまでして隠そうとするのは、夫人が関わっているからかな」
「何の事か分からんな」
「まあ誤魔化すなら良いんだけど。……ねえロルフ。もう一つ聞くけどさ……君、いつからそんなに魔力が多くなったのかな? 結婚する前は、報告にあったものすら発動出来る魔力があったとは思えないんだけどな」
本当に、勘の良い奴だ。加えて、聡い。
「……さあ、気が付いたら増えてたな」
「そうかい。じゃあもう一つ。……夫人が関わってるってコルネリウスから報告が来てるって言ったら?」
「っ」
兄上には口止めをかけているし兄上もエルの事は他人に知られる訳にはいかないとも思っている。だから余計な人間には伝えない。
だが、レオナルドは余計な人間と判断は出来ない。寧ろ情報を共有しても良いくらいには信用のある人間だ。
だから兄上が伝えている可能性も、大いにある。
それが真実なら出来ればまだばらさないで欲しかったと歯噛みをする私に、レオナルドはふっと息を吐くように笑った。
「カマかけただけなんだけど本当になんだね」
「……レオナルド」
「分かった分かったそんなに怖い顔するな。僕は彼女を利用しようとか考えてないから。ただ純粋に気になっただけ」
引っかけやがった、とは思ったものの引っ掛かったのは私だ、レオナルドを責められまい。
ただ、その好奇心がエルに害をなすなら、私はそれを取り除かなければならない。エルの能力的に誰かを害する事は出来ぬ、私が守るべきだ。たとえ、それが旧友であろうとも。
「そんなに睨まないの。彼女が大切なのは分かってるから」
「分かってるなら手を出そうとするな」
「出してないよ失礼な。人のものに手を出そうなんて不届きな事はしないよ。ま、そこまで惚れ込んでるならエルネスタ夫人も幸せだろう」
それだけ愛情を注がれているんだから、と喉を鳴らして笑ったレオナルドに、私はまた黙る。
幸せ、か。
「……エルは本当に幸せなのだろうか。私は幸せに出来ているのだろうか」
いつも、儚げに微笑むエル。結婚当初と比べれば明るく、そして張りのある笑顔にはなった。幸せだと笑う姿は可愛いとも思う。
だが、本当に心から幸せなのだろうか。いや、疑っている訳ではないのだが、望みがあまりにも薄すぎる彼女は心から満足しているのか、分からない。いつも側に居たいとかばかりで、それ以外を口にしないのだから。
もう少し我が儘になってくれても良いんだがな、と溜め息を零した瞬間、コンコンと控え目なノックの音。……誰だろうか、兄上……にしては、遠慮がちすぎる。
「あの、エルネスタです……宜しいでしょうか」
聞こえてきたのは、予想外の声。
レオナルドの「構わないよ」という返事に、小さく扉を開けて顔を覗かせるのは、申し訳なさそうなエル。寝巻きの上からストールを羽織っている。……少し安堵してしまったのは、レオナルドに肌を晒さなかったからだ。
やや瞼が下がって気弱そうな感じが強調されたエルは、おずおずといった風に部屋に入ってくるものの、体をもじもじとさせている。そのいじらしさに今すぐ抱き締めてレオナルドの目から隠したかったが、そうもいくまい。
「おや夫人、どうかしたかな?」
「……その……眠れなくて……。ご一緒しては、駄目でしょうか」
眠れなくて、そう言う割にはうとうととした表情。
……先に寝ておけと言ったのだが、私を待っていたのだろう。……それは可愛くて嬉しい限りだが、こうも眠そうにされると先に寝ていてくれれば良かったのに、とも思う。
「ふふ、僕は構わないよ」
「私も構わないが、聞いてて楽しい話はしていないぞ」
「ロルフ様の側に、居られれば……」
小さく呟いたエルに瞬きを返すと、対面するように座っていたレオナルドはにやっと口の端を吊り上げた。
「好かれてるねえ、ロルフ」
「……エル、おいで」
やかましい、とレオナルドには言いつつ、健気な妻には手招きを。
するとぱあっと表情を輝かせて小走りしてくるものだから、その愛らしさに顔が緩みかけて、レオナルドが居る事を思い出して唇を噛み締める。しかし眼差しが和らいでしまったのは隠せなかったらしくて、レオナルドのにやにやが強くなる。
やかましい、もう一度唇の動きで不満を示しつつも、エルを隣に座らせては頬を撫でると、心地好さそうに瞳を細める。柔らかな頬を撫で、顎を擽るように指の先で触れると「んぅ」と甘えるような声。
……完全に眠気が勝っているな、人前でこんなに油断した姿は見せないのに。
信頼と愛情に満ちた、安心しきった顔。触れるだけでとろりと溶けていく頬に、えもいわれぬ感覚がした。
例えるなら……そのまま、まるごと溶かして食べてしまいたいような、そんな飢えにも似た何か。気のせいかと思うには、やけに、鮮烈で。白い喉に噛み付きたいと思ったのは、錯覚なのだろうか。
自分でも訳の分からない感覚を何とか振り払おうとしたのに、エルは眠そうに私の肩に凭れてうとうととしている。これを拒める訳がない。
「え、エル、眠いなら先に寝ていれば良いのだぞ。私を気にせずとも……」
「……ロルフ様と一緒が良いです……」
か細い声にどくっと心臓が高鳴る。エルが甘えてくるのは、嬉しい。しかし、どうしたものか。
自分でも訳の分からない感覚が胸を渦巻く。甘ったるく、しかし心地好く、その癖焦燥感を伴ったナニカ。
私はエルに何をしたいのだろうか。エルは、私に何を求めているのか。
「ロルフ、女心を勉強しろって言っただろ。寂しいから一緒に寝て欲しいんだってさ」
「……エル、そうなのか?」
レオナルドの助け船に聞き返せば、返事は返ってこないものの密着が増す。腕にぎゅっと抱き付いてぴったりとくっついてくるエルに、もうレオナルドとの会話なんて後回しで良い、と即座に切り捨ててしまった。
「レオナルド」
「はいはい。続きは明日で良いよ。良いもの見れたし」
その良いものがエルだというのなら、見るなと言いたい。勿体ない、このエルを人目に晒すなど。
「睨まないでよ。違うって、確かに夫人は可愛らしくて良いんだけどさ、ロルフのそういう柔らかい顔が珍しいからつい」
……どうやら良いもの、というのは私の顔だったらしい。恐らく、今私の顔は普段では考えられない程に軟化している。それは全部、エルのせいだろう。
「……エルだけです」
「だろうね。ほら、夫人寝かせて上げて」
「言われずとも」
半分夢の世界に入りかけている可愛い妻を抱えると、私の胸が近付いたのが嬉しかったのかいつものように頬を擦り寄せて来る。……一層にもどかしさと愛おしさが絡み付いていくのを感じながらも、私はそんなエルを好きにさせた。
子猫を抱えたような気分だが、違うのは愛しさだけではないという事だ。……どうかしているのだ、自分も。もっとぐずぐずに溶けた顔が見たいだなんて。
「ロルフ」
「何だ」
「……まあ僕が見た限りだけど、エルネスタ夫人は君の側が一番幸せそうだよ」
「……そうか」
「もっと幸せにしたいなら送った参考書もきっちり読んでみなよ。あ、エルネスタ夫人の居ない所でね。役に立つ筈だよ」
参考書、というのはこの間送られてきた本の事だろう。女向けのものばかりで読む必要があるのか分からず手を出すのは止めておいたのだが、エルの気持ちを理解する為にも読んだ方が良いのだろうか。
……しかし、そのにやにやが気になる。
「……その怪しい笑顔を信用して良いのか分からないが、恩に着る」
「はいはい。じゃあお休み」
ひらりと手を振ったレオナルドには軽く会釈だけして、エルを抱えたまま部屋を出た。
そのまま自室……いやエルの部屋だが最早二人の寝室と言っても良いだろう、ベッドにゆっくりと下ろす。
軽く寝かけていたエルだが、温もりがなくなった事に気づいたらしく寝惚け眼で私を見上げてくる。視線が合えばふにゃりととろけて揺れる瞳。
その姿が愛おしく、横になって抱き寄せれば更に緩む頬。すりすり、と胸元に擦り寄って来るエルには額に口付けを。
それだけで甘く微笑むものだから、私がどうにかなりそうだ。
「寂しかったのか?」
「……はい」
「そうか。寂しがらせてすまないな。……私は此処に居る、安心すると良い」
腕の中で大人しくしているエルの髪を梳いて微笑む。
始めの頃は分かれて寝ていたのに、今では隣で寝るのが当たり前になった。ただそれだけで、嬉しくて堪らない。エルの隣には私が居なくてはならないと定着しているという事だろう?
ぴっとりと寄り添って離れない愛しの妻に、私も遠慮はせずに抱き締めて首筋に口付けを落とす。それでも足りないと思ってしまうのは、私が強欲だからだろうか。
「お休みのキスは、要るか?」
「……はい」
「……お休み、エル。良い夢を」
エルがして欲しいから、という名目を携えて口付けると、至福といった顔で瞼を落とすエル。
すぅ、すぅ、と寝息を立て始めたから、安心で呆気なく夢の世界に旅立ったのだろう。……それが少し、羨ましい。私は、何だかもどかしくて堪らない。
物足りない、と言えば良いのだろうか。もっと口付けて、もっと触れたい。
しかし、今のエルに求めるのは、間違っているだろう。
だから私はエルを抱き締めて首筋に顔を埋めながら、明日は沢山口付けてしまおうと誓って、視界を闇に染めた。




