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旦那様、料理をする

三人称です。

「ロルフ、怖いからその包丁の持ち方は止めてくれるかしら」


 鬼気迫った表情で包丁を獲物に突き刺さんばかりの格好を取る息子に、アマーリエはどう教えたものかと深い溜め息をひっそりと落とした。




 事の始まりは、ロルフの一言だった。


「私もクリームシチューを作ってみたいです」


 あまりに想定外の、唐突な言葉に、一家の家事を仕切るアマーリエは当然何を考えているのかと不審そうな眼差しを息子に向けた。


 ロルフに料理をさせた事はないし、したがらない。ロルフの興味はどこまでも魔術の方向に向いていて、他には向かない。料理なんて以ての他だ。

 最近は妻にベタ惚れな為に妻と研究がロルフを占めているのだとは思うものの、料理に興味が向くなんて全く思っていなかった。


 だからこそその原因は何だとまず興味の元を突き止めるべく「何でそんな事を言い出したの?」と聞く事にした。


 普通に料理がしたくなったなんてまずないだろうという、ある意味の信頼での問い掛けだったが、ロルフはその問いに少しだけ悩ましげに眉を寄せる。

 これは言いにくい時の仕草だ、と長年の付き合いで理解していたアマーリエは、何を考えているのやらと息子を見つめた。


「いつもエルにクリームシチューを作って貰っているでしょう?」

「ええ、そうね」

「……マルクスに言われたのです。わざわざ私の為だけに特別に作ってくれるなんて優しいな、普通の食事とは別に作ってくれるなんて、と」


 確かに、ロルフは当たり前だと思っているが、エルネスタはわざわざロルフの為だけにクリームシチューを食べる分用意している。それはアマーリエ達に同じ味に飽きさせない為のエルネスタの気遣いであるし、妻の料理を独り占めしたがるロルフたっての願いだ。


 並行して別の料理を作る為、手間がかかるのも当然だし、下味を付ける行程がある為時間もかかる。だが、エルネスタは文句を言わず、寧ろ嬉しそうに旦那様の大好物を作っていた。


「いつも笑顔で作ってくれるエルですが、負担になってないかと思って。それで、自分で作ってどれだけ大変かを知ってみようかと思って……エルにも、食べて欲しいし」


 至って真面目なロルフに、不覚にもアマーリエは感動してしまった。

 ()()ロルフが、研究以外にも興味を持った。それも、妻を労って理解しようとして。二十一年間息子と過ごしてきたが、そんな試みは初めてなのだ。

 愛は人を変えるのだな、と改めて思い知らされた瞬間で、不器用ながら妻を想う姿に微笑ましさを覚える。……これは、手伝ってあげねばなるまい、と。


「分かったわ。じゃあエルちゃんに美味しいクリームシチューを振る舞えるように頑張りましょうか。いつもはあなたが作って貰っているのだから、今度はロルフの番よ」

「はい」


 宜しくお願いします、と折り目正しく頭を下げたロルフに、当然アマーリエも快諾した。




 そして冒頭に戻るが、少しばかり早まったのではないかと一時間前の自分に問い掛けたかった。


 ロルフのある意味でいじらしい願いを叶えてあげようとしたアマーリエであったが、ちょっと失敗だったのではという気持ちも否めない。


 ロルフのこんな試みは初めてだ。重ねて言うが、ロルフは料理が初めてだ。

 それだけで大惨事を予想するのは容易くあったのだが……此処まで酷いとは思わなかった。


「ロルフ、この鶏は屠殺しようとしなくても既に死んでるから。その持ち方は今にも滅多刺しにしそうだから止めましょうね?」


 因みにお料理初挑戦のロルフの格好はアマーリエの予備のエプロンであり、フリルのあしらわれた清楚なデザインとなっている。真顔且つ包丁を逆手に握ったロルフと相俟って、何ともシュールな光景を構成していた。

 こんなロルフの姿、他人が見たら泡を吹いて引っくり返りそうである。


「持ち方はこう。そんな今にも突き立てそうな持ち方は止めなさい」


 何ゆえ調理作業は初めてのロルフ。持ち方指導から始まるのも仕方ないのだが……危なっかしいにも程がある。誰が包丁で滅多刺ししろと言ったのか。

 この分だと怪我するのも想像に容易く、いざとなれば治癒術を使えるエルネスタの出動を願わざるを得なくなるだろう。


 初っ端から頭の痛くなりそうな事を仕出かそうとする研究以外からきしな息子に再度嘆息し、それから余計な事を仕出かさないように注視しなければと心に決めた。


 そして調理再開するものの、やはりというかロルフはやらかしてくれた。


「ロルフ、ベタな事しないで頂戴」

「ベタ……とは?」

「皮どころか大量に身まで剥いたり、勢いよく包丁を振り下ろして野菜を吹き飛ばす事かしら」


 皮剥きが出来るとは思っていなかったが、此処まで酷いともう呆れを通り越した感慨深さがある。教えると言ったのは自分だが、時期尚早だったのは否めない。


 沢山用意した野菜は身を殆ど削り取られた上大雑把に切られて哀れな姿を晒しているし、鶏肉は最早細切れになっている。下手したらミンチになりそうで、急いで止めて正解だった。


「ロルフ、私も綺麗に切れとは言わないのだけど……せめて指示に従ってくれるかしら?」

「はい」


 流石にこのままロルフの暴走を見逃せば完成などしないので、アマーリエはちょっと語気を強めてにっこりと微笑んだ。

 途端に縮み上がるロルフ。

 色々と母の強さを身に染みて理解しているが故に、無視すれば後でどうなるか分かったものではないというのも体感しているので、従順な姿を見せる。母は強いのだ。


「エルちゃんを喜ばせるのでしょう? なら、頑張って作りましょうか。煮るものなのだから、余程指示を聞かないとかしない限り食べられるものになるわよ」

「母上……はい!」


 然り気無く目標が美味しい料理から食べられる料理にグレードダウンしている事に気付かなかったロルフは、アマーリエの言葉に意気揚々と頷いた。




「あのー……さっきから凄い音が厨房からしてるのですが……? あと、焦げ臭い気が……」


 とても料理をしているとは思えない音をたてる厨房に、流石に普段おっとりしているエルネスタも異常に気付かない訳がなかった。


「あっエル、入ってきては駄目だぞ!」

「ロルフ様!? というかその格好……ええと、……凄いですね?」

「素直に似合わないって言っても良いのよ、エルちゃん」


 仮にも立派な成人男性が、フリルの可愛らしいエプロンを着けて武器か何かを持つかのようにおたまを握っている姿は、最早似合う似合わないの以前にシュールである。

 しかしアマーリエの言葉を聞いたエルネスタは、困惑気味にロルフを見たものの何処か微笑ましそうに表情を和らげた。


「いえ、何だか見なれない姿で可愛いと思います」

「そう思うのは多分料理中の姿を見ていないからよ?」

「あっ、料理していらっしゃったのですね。でも何で急に……?」

「それは、」

「母上、ストップです。……エル、此処は私に免じて退いてくれないだろうか……? 此処は私達だけで切り抜けるから」

「えっ? は、はい……?」


 まるで戦場に居るかのような発言であったものの、強ち間違いでもない為アマーリエは口を挟むのは止めておいた。何との戦いなのかと言えば、ロルフの想定外の暴挙を止める時間との戦いである。


 ロルフに厨房には入らないでくれと頼まれたエルネスタは、よく分かっていなさそうな顔で首を傾げたものの、気分を害した様子はない。

 ただ不思議そうな表情は隠さないまま、厨房を後にする。


「……ロルフ、可愛いですって。良かったじゃない」

「私にとって褒め言葉なのかはさておき、悪い気はしないです」

「しないのね」

「エルが褒めてくれたのですから。……さて、エル成分も補充したし頑張らねば」


 なんとも現金なロルフに、息子夫婦は馬鹿が付来そうな程に仲睦まじいのを再認識して、母親としては微笑ましい。ただ、偶にエルネスタを振り回している気がするので、ほどほどにしてやって欲しいとも思うが。


 俄然張り切り出したロルフ。ただ頑張れば頑張る程空回りしているロルフをどう制御したものか、も思いつつもロルフの奮闘を見守る事にした。




 ……そして、鍋底を焦がしてシチューを別鍋に移し変えるという、ある意味想定していた失敗をしたものの、紆余曲折の後に何とかシチューは完成した。


 色が付いてしまったので決してホワイトシチューとは言えないものの、食べられなくはない出来になって、色々と奔走したアマーリエは安堵の吐息を零す。


 ……味はとてもエルネスタには及ばないが、まあ、食べられなくはない。多少焦げた味がするのはご愛嬌というものである。要は愛が籠っていれば良いのだ……と信じたい。


「エル、私が作ったのだぞ」


 胸を張って所謂ドヤ顔をするロルフは、未だエプロンを付けたまま。夕食の席に着いたコルネリウスは座ったまま机に突っ伏して声を殺しつつ大笑いしているのだが、ロルフは気付いた様子がなかった。


 もう、とエルネスタは悶絶しているコルネリウスに苦笑しつつ、出されたちょっぴり香ばしい匂いのするシチューに瞳を瞬かせる。胸元には先日の誕生日に貰った翠玉の美しいペンダントが飾られており、エルネスタの瞳と同じように揺らめいていた。


「これを、ロルフ様が?」

「ああ、いつもエルには作って貰ってばかりだからな」

「ありがとうございます、ロルフ様。嬉しいです」

「此方こそいつもありがとう。さあ、遠慮せずに食べてくれ。忌憚なき感想をくれると助かる」


 厨房であったアマーリエの受難の全貌を知らないエルネスタは、ただ夫が手ずから作ってくれたという事に感涙しそうだ。

 幸せそうに微笑むエルネスタに、ロルフも嬉しそうで。……この可愛らしい義娘には、完成に至るまでの数々の苦労を知らせない方が良いだろう。


 ロルフに促されたエルネスタは、そのままスプーンでロルフお手製のシチューを口に運ぶ。

 それから、瞳をぱちくり、と瞬かせる。


「ちょっと焦げた味がしますね」


 エルネスタは、正直だった。

 ロルフの願いもあったのだろうが、何よりアマーリエと共に厨房を預かっている者として、そこは譲れなかったのだろう。


「……すまない。私が下手くそなばかりに」

「……でも、ロルフ様、愛情込めてくれたのでしょう?」

「そ、それは勿論。たっぷりだぞ」


 そこは揺るがない、と妻馬鹿なロルフは自信を持って答える。


 実際、妻への愛がたっぷりとこもっているのは間違いない。エルネスタの為に怪我をしても調理を続行して完成まで辿り着いたのだから。その時の苦労たるや、アマーリエが頭を抱える程である。


 しかしその甲斐あって、食べられるものまで昇華した。アマーリエの尽力はかなりのものだが、それを口にする程野暮でもない。


 エルネスタもそこは察しているのであろうが、それでも旦那様が作ってくれた料理を口にして、嬉しそうに微笑む。


「だから美味しいですよ。ロルフ様、頑張ってくれたみたいですもの。……指、切ったり火傷したりしてます。無茶ばっかりして」


 能力柄傷には敏感なエルネスタはロルフの指や腕にある切り傷や火傷を見付けては、苦笑。

 そんなに頑張らなくても良かったのに、と無駄に傷だらけになっている手を取り、それから愛おしげに撫でる。流石に、エルネスタの為に怪我してまで作ってくれたロルフの事を、本人が責められる訳がない。


「喜んで欲しかったんだ」

「ふふ、ありがとうございます。凄く、嬉しいです。……ほら、治しますね」


 奮闘の勲章を消す事にはやや渋ったロルフであったが、エルネスタの「私が覚えてますから」という微笑みには勝てずに治されるがまま。

 淡い光に包まれたロルフから傷が消えていくのを見守ったエルネスタは、それから側に居たロルフの腕を抱き締める。まるで世界一幸福だと言わんばかりに、うっとりととろけたような微笑みを浮かべて。


「……いつもありがとうございます、ロルフ様。幸せ者ですね、私」

「私の方こそ、いつも美味しいご飯をありがとう、エル。私はお前と結婚出来て幸せだ」


 食卓でなかったならそのまま口付けてしまいそうな程に熱っぽい視線を送るロルフに、エルネスタもまた同じように潤んだ瞳でロルフを見詰める。

 座っているエルネスタを覆うように抱き締めるロルフに自ら身を寄せ、幸せ一杯そうに頬を緩めたエルネスタ。


 嫁に来た当初からは考えられない程明るく、そして瑞々しい美しさに満ちたエルネスタに、心配していたアマーリエ他二名はほぅと吐息を零した。


 きっと、これからは幸せで満ち溢れた笑顔を見せ続けてくれる事であろう。

 ずっと彼女の境遇とトラウマを心配してきたアマーリエは、この光景が見れるようになって感無量といった気持ちだ。


 これなら遠くない未来に可愛い孫でも見られるかな、とちょっとお節介気味な想像をしては、幸福に包まれた息子夫婦を眺めて熱い熱いと顔手で扇ぎつつ素直に祝福した。




 まあ、それはさておき。


 二人だけの世界を作っている息子夫婦に微笑ましさを感じつつも、まだまだ沢山ある焦げた匂いと味のするクリームシチューの処理はどうしたものかと、残された家族で顔を見合わせては苦笑いする事になった。

(この後家族で残さずおいしく頂きました)

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