奥様の誕生日 中編
そうして翌々日、私は誕生日を迎えました。
本当に何も思っていないというか、誕生日なんだなあってくらいの認識だった訳で、少々感慨深いだけでそんな嬉しいと言う訳ではない日だったのです。少なくとも、今までは。
けど、今年は……ちょっとだけ、違うみたいで。
「……おはようございます、ロルフ様」
朝起きるとやっぱりロルフ様が私の寝顔を観察していて気恥ずかしいのですが、これも日常と化した事。逆に私が早起きしたらロルフ様を見てますし。
昨日は帰ってくるのが遅かったロルフ様、きっと今日お休みの分仕事を済ませておいたのかもしれません。……ならもう少し寝てても良かったのに、ロルフ様は私よりも早くに起きて、私を飽きずに眺めているのです。
ロルフ様と視線が合うと、ゆるりと緩む口許。それは、お互いに、です。
「おはよう、エル。誕生日、おめでとう。お前がこの世に生まれてきてくれた事に感謝しているぞ」
「お、大袈裟では……」
約束は守って下さって、起き掛けにおめでとうの一言を頂けて、朝から胸がじんわりと熱くなってしまいます。……ただ、何だかロルフ様の言葉が大仰と言うか。
「何を言うか。お前が居なければ今の私は居ないし、夢も叶う事はなかった。自信を持ってくれ。でなければ離してやらないぞ」
お前は自信を持つべきだ、とちょっと不満そうなロルフ様。横になったままの私を抱き締めて、離しません。……ロルフ様が私の事を好きで、大切にしてくれて、尊重してくれているというのがよく分かるので、嬉しいし恥ずかしい。
けど、嬉しさが結局買って「ありがとうございます、ロルフ様」と返事をして私も抱き締め返すと、満足げに頷いたロルフ様が額に口付け。
……そういえば最近ロルフ様にはキス癖があるという事が判明しました。お部屋に限りますけど。
昔から頬にキスは良くしてたな、とは思っていたのですが、こうして想いを交わしてからそれが顕著になりました。いえ、嬉しいのですけど……たまーに、変なところにしようとするので全力で阻止してます。
今日は普通に額と頬だったので、恥ずかしいですけど私もお返しに唇を頬に触れさせると嬉しそうに綻ぶロルフ様の唇。……朝からその笑顔を見れただけで、幸せだなって思っちゃうののですよ、ロルフ様。
暫くくっついて互いの体温を感じ合ってから、漸く私達は体を起こします。結構長い間べったりしてたので朝御飯の準備に遅れてしまうかもしれません、アマーリエ様が待ってないと良いのですが……。
「ええと、取り敢えず着替えてご飯に……」
「ご飯は私が持ってこよう。エルはその間に着替えてくれ」
「え?」
……え? あの、私ご飯の準備が。
「今日は基本的に部屋から出すつもりはない」
「ええ?」
「私の側に居て貰う。母上も了承済だ」
そこは抜かりないぞ、とやや自慢げなロルフ様。
……ね、根回しはしてらっしゃったのですね。ロルフ様らしいというか。
「ろ、ロルフ様が仰るなら」
私の事を独占したいのでしょうか? いえ、多分誕生日だから一緒に居たいという私の願いを叶えてくれようとしたのでしょう。
首肯しつつちらりと窺えば、何故だか安堵したような、瞳に安心の色が僅かに覗いていて。……断ると思っていたのでしょうか? 私が断る筈がないのに。
「私は着替えて食事を用意しよう」
ロルフ様の反応が不思議だったのですが、それを問う前にロルフ様が目の前でシャツを脱いでいくのです。男性にしては白めの肌や、いつも私を受け止めてくれる引き締まった胴体が見えてしまったものですから、慌てて目を閉じて顔を背ける事しか出来ません。
……なるべく着替えは見ないように見られないようにしてきたので、目の前でされると凄く、恥ずかしい。夫婦といえど、伴侶の肌を見るのは……その、慣れないというか、殆ど見た事がないですし。
顔に熱が集まるのを自覚しつつ、ロルフ様が着替えるのを顔を掌で覆って見ないようにする私。数分もせずに着替え終わったロルフ様が「……そんなに恥ずかしいのか?」ときょとんとした声を上げるまで動けませんでした。
その辺り無頓着なロルフ様が食事の用意をすべく出ていったので、私も帰ってこない間に着替えます。……ロルフ様に見られるのは、恥ずかしいので。
そんな訳で今日は寝室で食事を取る事になりました。食事の前に身支度を済ませるつもりで顔を洗いに行こうとしたらロルフ様に見付かって何故かついて来られましたけど。
手早く身支度を済ませてご飯なのですが……何だかロルフ様はやけにそわそわしていらっしゃいます。誕生日だから、なのでしょうか。本来そわそわする立場は私なので、代わりにそわそわしてるのかもしれません。
食事をとった後も、ロルフ様は部屋に引き留めてべたべた。一日中側に居るというのは本当らしく、私がお花摘みに行く以外は側に居てくれます。
これだけで素晴らしい誕生日だな、とは思うものの……ロルフ様がたまーに挙動不審なのが気になりますね。問い掛けても答えてくれず、はぐらかされますが。
「……エル、私に他にして欲しい事はあるだろうか」
今日の定位置はロルフ様の膝の上。横抱きにされた状態で、これは恥ずかしいのですが、ロルフ様が「お前の顔が見えるし抱き締められるからこれが良い」との事で断るに断れずお膝の上に居ます。
「ロルフ様に、ですか? そうですね……特に。側に居て下さるだけで、私は幸せです」
「……お前は無欲過ぎて困る」
「そんな事はありませんよ、私はとっても欲張りです。お仕事行かないで側に居てくれるのがとても嬉しいですし、こんな日が続けば良いのにって思うのです」
流石にそれは無理でしょうけど、こうして偶に一日をロルフ様と過ごすのは、至福の一時なのです。
無理を言うつもりはありませんが、お休みの日は側に居たいなあ、くらい願ってもバチは当たらないでしょうか?
「ふむ。……仕事の休みを増やすか」
「こら。ロルフ様、そうして無理に作らなくてもいいのです。今、側に居て下さるだけで幸せです」
「……エル」
お前は欲が薄いな、と苦笑の後に頬に口付けられ、頬が緩むのを自覚しつつ首を振って否定しておきました。
……私、結構我が儘なのに。時間はお金では買えないんですよ、ロルフ様。だから、私はとても高価なものをねだっているのです。
そう言ってもロルフ様は聞いてはくれないのですけど。
「……私もお前が居てくれて、幸せという気持ちを理解出来た。愛する事の喜ばしさを覚えた。エルが居てくれて、良かった」
「ありがとうございます。……私、凄い恵まれてますね。昔は不幸だって思ってたんですけど、今その分幸せになってる気がします」
「まだまだ釣り合いは取れていないぞ。もっと幸せになってくれ、いやもっと幸せにしよう」
「ふふ、楽しみにしてます」
「私もお前の側に居られたらそれで幸せ……ああいや、そうでないな」
「え?」
「側に居て、触れて、お前を感じたい。側に居るだけで足りなくなってくるのは、きっと欲深いのだろう」
そんな私を嫌うだろうか、と躊躇いがちに問い掛けてくるロルフ様には笑顔で首を振りましょう。
……そう思ってくれたなら、妻として冥利に尽きます。それに、私も同じ思いですから。ロルフ様の側で満足してたのに、触れ合うと、もっと抱き締めて欲しい、口付けて欲しいと願うようになってしまって。
昔の私からすれば、はしたなくて、大胆なのだと思います。
「……私もロルフ様に触れたいです」
「存分に触れてくれ。私もエルに触れられるのは好きだ」
「……え、と。……で、では、失礼します……」
触れてくれ、と言われても何処に触れて良いのか分からず、取り敢えず目の前にあった胸板に指先でそっと触れてみます。
シャツ越しの感覚ではありますが、やはり、引き締まっていて硬い。ロルフ様はインドア派そのものではありますが、体はそこそこに鍛えていらっしゃるみたいです。
……それが最近顕著なのは、私が誘拐されたせいでもあるみたいですけど。
私とは大違いの感触に嘆息すると、されるがままのロルフ様はちょっと擽ったそうです。
「別に私の胸に触れても楽しい事はないと思うが」
「そうですか? 私と違って、硬くて、しっかりしてて、好きです」
「そういうものなのか。私はお前の胸の方が柔らかくて好きだが」
「そ、それはロルフ様が男性だからであって……その、男性の方は皆好きだと思いますよ?」
「エルのだから好きなのだ、他の女などどうでも良い。エルだから触れたいし、ふかふかしたいと思う」
ふかふか、が顔を埋めて頬擦りする事なのはよく分かっているので、思い出すと顔から熱いものが流れ出てしまいそうです。
……他意はないのでいつも好きにさせてますけど、あれ恥ずかしいのですよ。顔を半分埋めたまま見上げてくるし、私が恥ずかしがると満足そうに擦り寄って来るのですから。
「……枕にするの好きですよね」
「良い匂いがするし柔らかいし、心地好いから仕方ない。お前は何処もかしこも、柔らかくて気持ちいい。職場に連れていって抱えながら仕事をしたいくらいだ」
「そ、それはちょっと……」
「だから、家で思う存分触れている」
口惜しいな、と本気で残念がっているロルフ様に、許可が出たら実行しそうでちょっと怖いです。……私が居たら仕事にならな……いえ、私の応援次第ではロルフ様が120%の力を発揮してくれるかもしれません。
コルネリウス様曰く、私はロルフ様の原動力……だそうで、私次第では恐るべき集中力と能力を発揮するそうな。流石に頻繁に職場にお邪魔する訳にもいきませんので、こうしてロルフ様に私成分(ロルフ様談)を補充するに留めているのですが。
「……しかし、今日はエルの誕生日なのだからエルの望みを叶えたい。こうしているだけで良いのか?」
「はい。ロルフ様、こう見えて私は我が儘なんです。多忙なロルフ様のお時間を頂けるだけで、私は幸せです」
偽りなき本音だったのですが、ロルフ様は何故か小さく溜め息。
「……エル、そういうのは無欲に等しいぞ? 側に居るのは当たり前だから、望みではない」
「……ありがとうございます」
「別にものをせがめと強要するわけではないが、私はお前の為なら基本何でも買い与えるぞ」
「物が欲しい訳ではありませんよ。ドレスとか、宝石とか、装飾品とか、私には必要ないですから」
「……要らないのか!?」
「えっ?」
別に着ける用事もないですし、という意味なのですが、愕然とするロルフ様。衝撃を受けているらしく、鳶色の瞳をあらんばかりに開いてわなわなと唇を震わせています。
……あ、あの、ロルフ様?
「え、ええ、だって勿体ないというか似合うという訳では」
「似合う。エルは着飾っても良い、似合うから」
「え、ええと、そんな力説しなくても」
「兎に角似合うんだ」
「は、はい……」
真顔で……いえ、鬼気迫った顔で力説されては、否定出来る筈もありません。手を握られて言い聞かされる私は訳も分からずこくこくと頷いておきます。
……ええと、ロルフ様は私が自身を卑下するのがお嫌いだからなのでしょうが、此処まで言わなくても……。
戸惑うしかない私に、ロルフ様はとても大真面目に「エルは可愛いし美人だから似合うぞ」と言ってくるので、それは惚れた欲目というやつでは……と思いつつも首肯だけしておきました。




