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旦那様は勇者様

 その風は私にはそよ風のようで、けれど魔物には蹴散らすように、強く吹き荒れて……そして、襲い掛かろうとしていた魔物達を、一瞬にして木々に叩き付け切り裂いていました。

 瞬時に目の前から消えた魔物の姿に硬直した私に、青白い光が、もう一つ、見えて。


「……エル!」


 ……ああ、此処には居る筈のない、のに。来てくれたらってずっと思ってて、でも半分諦めていたのに。


「ろ、るふ、様?」


 私の名前を呼んで必死の形相で駆け寄ってくる人は、私がずっと求めていた人で。


 来て欲しい、けど間に合うなんて思ってなかった、本当に現れるとは思っていなかった、大切な人。髪を額に張り付けて息も乱しながら何だか泣きそうな顔で此方を見て走ってくる、ロルフ様。


 片手で魔物達が吹き飛んだ方を軽く薙いで雷を落として止めを刺しつつ駆け付けたロルフ様は、花を取り落とした事すら気にならない呆然とした私を、強く抱き締めました。

 存在を確かめるように、優しくも強く、しっかりと腕の中に収めて。


「……エル、無事か……!?」


 私の顔を覗き込んで、ロルフ様は怪我した訳でもなさそうなのに、痛みを堪えるような、しかし歓喜も混じった複雑な表情で私を見つめては全身に触れてきます。

 ……怪我はないか、と至って大真面目に触診してくるロルフ様は、私が服をぼろぼろにしている事に気付いて酷く衝撃を受けているようですが。


 そういえば転んだり引っ掛けたり切ったりして纏う服は結構悲惨な状態で、細々とした傷も体に幾つも出来ています。

 最後の辺りは擦過傷くらいなら良いかと治すのを止めていたのですが、ロルフ様としては私が傷を負っている事が許せないらしく私を掻き抱いて「痛くないか?」と問い掛け。


「……すまない、私がもっと早くこれていたら」

「ううん……ちゃんと、助けに来てくれた、のですね」


 賭けには勝ったのだと、私は助かったのだと、それを今更ながらに実感して、目頭が直ぐに熱くなってひとりでに涙が零れ落ちます。

 私、生きてる。ロルフ様が、側に居るんですね。


「い、痛かったか!?」

「いえ……嬉しく、て。私、ロルフ様にとって、ちゃんと、意味があったのですね……」

「大有りだこの馬鹿者、居なくなったと思ったら死にかけるわ勝手に凹んで……っ!」


 探し出してくれるか、いえ、探そうとしてくれるかすら分からなかったからこんな言葉が出てきたのですが、それがロルフ様の怒りに火を付けてしまったらしく眉尻を吊り上げて私の肩を掴むのです。


 ただ、それは単純に私に怒っているというよりは、罪悪感と後悔と、私にではない犯人に向けられた憤りが絡み合ったもの。

 私が死にかけたせいもあり憤懣やる方ないといった表情で、でも私が怯んだのを見てまた心配と怒りの混ざった表情に変わりました。


「私がどれだけ心配したのか分かってるのか、お前に意味がなければこんなに探したりしない!」

「ご、ごめん、なさ」


 これだけ怒って探し回ってくれたのは私を大切に思うからだと分かるからこそ、心配をかけた事が申し訳なくて眉を下げる私に、ロルフ様は瞳を細めて。それから顔を近付けるのです。


 接近に気付いた時には、吐息が重なり合って。


 唇に触れたものは、柔らかくて、でも私のものよりは硬い。隙間を作らまいと体ごと密着させては私を確かめるように擦り付けて、後頭部を掌で支えて逃げる事も許してくれないロルフ様。


 あまりにも突然で瞳を繰り返ししばたかせては喉を鳴らすと、それを抗議だと受け取ったらしいロルフ様は背中を片手で擦っては宥めつつ軽く啄みます。

 暫く唇での触れ合いを続けて固まった私の唇全てに触れてから、ゆっくりと顔を離しました。


 当然何をされたのかもよく理解していますが、感触も未だに残る唇に指で触れてくるロルフ様に、私は「ふ、ぁ……」と意味のない音が口から零れます。そんな私にキスした本人はゆっくりと私の唇をなぞっては切ない吐息を吐き出す、その姿がやけに色っぽくて更に恥ずかしい。


 ……き、キス、された、のは、一体。口移しを除けば初めて、そして自分の意思で、ロルフ様はキスして。


 こんがらがる思考のまま、瞳をぐるぐるとさせながらロルフ様を見上げると、ロルフ様は至って真剣に私を見つめ返すのです。


「エル、この大馬鹿者。誘拐についてはお前に責がある訳ではないし責めるつもりはないが、……本当に、心配したのだ。……お前は私の大切な存在なのだ、自分を軽視するな。お前は、私にとってどれだけ重要な存在か、自覚してくれ。一番大切なんだ、何者にも代え難い存在だし代わりは居ない」

「……ロルフ様……」


 もう一度強く抱き締められて、ロルフ様の言葉の意味をゆっくりと理解すると、自然と涙がまた零れて来る。

 ……そっか、私、ロルフ様の、一番になれたんだ。ロルフ様の中に、私の居場所はちゃんとあるのですね。私、ロルフ様にとって、一番大切に、なったんだ。


 泣きたくないのに、ロルフ様の言葉のせいで心が喜びに震えて、余計に泣いてしまうのです。そんな私の涙を拭いながら、少しだけ困った顔をする、ロルフ様。


「泣くな。泣くのは後にしてくれ、帰ったら幾らでも胸を貸すから」

「……はいっ」


 ぐしゃぐしゃになった顔を手の甲で拭って精一杯の笑顔を浮かべると、ロルフ様は少しだけ安堵したように眉を下げ、私のまだ濡れている頬に口付け。

 それだけでもう大丈夫、何があっても怖くないと思えます。


 腕の中で幸福感と安心感で全部ロルフ様に委ねてしまいたくなる欲求に逆らいつつ、胸に頬を擦り寄せて少しの間だけ甘えさせて貰う私ですが、本来ならばこんなに安心していてはいけないのでしょう。


 実際、私を取り囲んでいた魔物は蹴散らしましたが、また私達を囲むように、赤い瞳が此方を見つめているのですから。


 それでも怖くないのは、ロルフ様が居るから。ロルフ様が居たら大丈夫だという絶対なる安心感があるからです。

 ロルフ様も大して魔物自体は脅威に思っていないらしく、ただ周囲を一瞥しては鼻を鳴らしました。


「取り敢えず、こいつら殲滅しきって、それからエルを連れ去ってこんな森の奥に放り込んだ屑に仕返しをして……」

「……ろ、ロルフ様、怒っていますか」

「お前には怒っていない。怒るのは連れ去った奴等だ」


 ……ロルフ様はかなりお怒りのご様子です。魔物なんかどうでも良いというレベルで、誘拐犯に激怒しているみたいで。

 顔にはまだ表れていませんが、多分、物凄く怒っています。


 ……この様子だと誰が私を連れ去ったかまでは知らないようですが、顔見知りだと判明しても怒りは変わらないでしょう。ううん、知ってるからこそ、怒り狂いそうな気がします。

 こ、これは犯人について言うべきなのか悩むのですが……。

 いえ、私も酷い目に遭わされたという点では怒っていますが、ロルフ様の怒りを見てたらなんかもう自分は良いかなって気になってしまいます。


 お怒りのロルフ様に戸惑いつつ、魔物達が接近している事に気付いてロルフ様の胸にぎゅっと抱き付くと、ロルフ様は事も無げに「数だけだから大丈夫だぞ」と軽く頭を撫でて。

 そんな私達に、魔物の数は更に増えていきます。


「しかし、数が多いな。倒せなくはないが、時間がかかるな」

「大丈夫、ですよね?」

「勿論。……仕方ない、ぶっつけ本番というのはしたくなかったのだが……エル、力を貸してくれるか?」

「……え?」


 私の力を? と言葉の意味が分からなくて目を丸くした私、次の瞬間にはまた唇を重ねられて、別の意味で目が丸くなります。


 んん、と喉を鳴らして羞恥に頬を染める私に、ロルフ様は気にした風もなく口付けを続けながら、魔力を練っていました。

 術式は、私の知らないもの。それでも魔術書に載っていたどんなものよりも複雑で難解な術式だとは、感じ取れます。


 唇が離される前に体内で組み上がった術式。それは、驚く程に、大量の魔力が込められていて……。


「……消えろ」


 呟いた刹那、世界が白く染まる。

 光にも似た純白、染まる視界。眩いそれに思わず瞳を閉じて、ロルフ様に抱き付きました。膨大な魔力と強大な術式に、少し気圧されてしまったのもあるでしょう。


 数秒経てば、魔物の唸り声も、止んでいて。

 ロルフ様のぽんぽんと背中を叩く合図。もう大丈夫だ、そう言外に伝わってきて、恐る恐る胸から顔を上げて瞳を開いて……。


 そして、私が見たのは、何もない光景でした。


 いえ、正しくは、大分傾いた太陽の光を浴びてきらきらと光る粒子と、まっさらな大地。宙を舞う細かい結晶は、私達の周囲には飛んで来ずただ陽光を反射して宝石のように輝いています。

 鬱蒼とした森は、私達を中心とした半径数百メートルに限り何もない大地に変わってしまい、光が全てに降り注ぎ浄化されたような、そんな錯覚に陥ってしまいそうで。


 あまりに突然の変貌を遂げた光景に、一体何が起こったのかさっぱり分かりません。ただ、確かなのはロルフ様がこの光景を作り出した事だけ。瞳を閉じてしまったのが、惜しく感じてしまいます。


「……綺麗」


 多分、この感想は不謹慎なのでしょうが……今一番感じたのは、美しさ。綺麗、その一言に限るでしょう。煌めく粒子に囲まれて光を浴びる、幻想的な光景に、思わず見入ってしまいます。

 まるで天から祝福を受けたような、そんな光景で。


「……はは」

「ロルフ様?」


 襲われた恐怖すら吹き飛んで目の前の光景に目を奪われていた私の耳に、ロルフ様の笑い声が届いて。


 堪えきれないと言わんばかりに、いきなり声を上げて笑いだしたロルフ様に目を丸くしつつどうしたのかと問うと、実に爽やかで満足そうな笑みが返ってくるのです。


 それは、まるで長年の夢が叶ったような、清々しい笑みで。


「いや、……エル、お前の望みは叶ったか?」

「え?」

「私としては叶ったつもりなのだが」


 ロルフ様が懐を探って、私に一枚の紙を手渡します。

 急いで仕舞ったのか、皺がついてぐしゃっとなったそれ。そこには、短くこう書かれていました。


『お姫様は深い森の奥に居る』


「まさか勇者と魔法使いを兼任するとは思っていなかったぞ」


 その一言に、ロルフ様が何を言いたいのか、そして何を成したのか、遅れ馳せながら理解したのです。


 ロルフ様の夢は、あの物語の魔法使いのように、強大な魔術を再現する事。誰もが不可能だと笑った夢、それを諦めず挫けずひたすらに追い求めて。

 憧れた幼き頃の夢を抱き続けて、そして今目の前の光景として努力を昇華した。


 そして、私の願いも、同時に叶えてくれたのです。


『この物語のように、都合良く救われる事なんてないのです。何があっても、現実は非情で誰も助けに来てくれないのですから』

『お前が何であろうと、もしお前に何かあれば、私がお前を助けに行こう』


 お姫様に憧れて結局諦めた私を笑いもせずそう言ってくれた、ロルフ様。諦めていた私に優しく語りかけてくれたロルフ様。……あの時の会話を、ちゃんと覚えてくれていたのですね。


 そして、実際に、助けてくれた。

 勇者様ではなく、魔法使いとして。私にとって、ロルフ様は勇者様でもあり、そして偉大なる魔法使いに、なった。


 お姫様という柄ではないですが、ロルフ様にとっては物語と重ね合わせて助け出したお姫様、という事になるのでしょう。魔王は二人の誘拐犯に変わって、その誘拐犯に放り出されて逃げてきた、実に変で危なっかしいお姫様でしょうけど。


 夢は叶っただろうか、と問い掛けるロルフ様に、私は今出来る精一杯の、心からの笑みを浮かべて、ロルフ様に抱き付きます。


 ……ロルフ様は、私の願いを、全部叶えているのですよ。

 心優しい家族が欲しいという願いも、幼い頃の夢も、大切にしてくれる人が欲しいという望みも、受け入れて欲しいという我が儘も、全部叶えてくれて。

 溢れんばかりの感謝と、そして愛おしさが、込み上げてくるのです。


 ありがとうございます、と小さく囁いて抱き付く私に、ロルフ様も丁重な仕草で抱き締め返してくれました。大切に大切に、労るように、慈しむように、愛おしむように、触れてくれて。


「本当は一人で発動したかったのだが、少し威力が足りないと思ってな。エルに魔術の威力を増強してもらった。これでは及第点をやるには色々足りないな、要改良だ」


 こんな時でもそんな事を言い出すロルフ様に、つい吹き出してしまいました。……ロルフ様らしいんですから、本当に。


「……まあ、今回は私のお陰というよりはエルの協力あってこそだな。姫と手を取り合って窮地を脱するというのも悪くはない。手を取り合ってというよりは、唇を奪ってだが」

「そ、そういう事言わないで下さい」

「事実だろう」

「恥ずかしいのです!」


 お、お姫様扱いもそうですけど、平然とキスをした事も問題です! そ、そりゃあ嬉しいですし、凄く幸せで、どきどきが止まらなくて大変なんです。……ロルフ様自らしてくれるなんて、思わなかったから。


 今更二度もキスされたのだと実感して羞恥がぶり返す私に、ロルフ様は実に不思議そう。ちょっと寂しげな顔で「駄目だったのか?」と問われて、嫌ではないけど恥ずかしくて、でも駄目だなんて有り得ないので首を横に振ります。


 ただ恥ずかしいのは確かなので「ちゃんと、する前に言って欲しかったです」と希望を出すと「では次からそうする」と返ってきて、まだするつもりはあるんだと感じ取らされて逆に恥ずかしさが強まってしまいました。


 うう、と唸る私に、ロルフ様は宥めるように頬に口付け。それが逆効果だなんてちっとも分かっていないようで、一気に顔を真っ赤にした私に、ロルフ様は背中と膝裏に手を回して軽々と抱えます。


 所謂、お姫様抱っこ。

 ……今でも物語云々を意識しているのか、それとも怪我をしている私を気遣ってなのか。多分そのどちらともでしょうけど、ロルフ様は平然と私を抱えて森の出口に向かっていくのです。

明日の更新で完結予定です。

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