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奥様の危機

 一日に二回も気を失う事を体験するとは、朝には思ってませんでしたよ。


 また気を失う……というか気絶させられて、起きた時にはまた周囲の光景が変わっていました。


 最初は、恐らくイザークさんかアンネさんのお屋敷で、室内。誘拐というか軽い保護レベルの扱いでしたし、何だかんだ客間のような所で丁重に寝かされていました。

 では、今回はどうでしょうか。


 ……周囲を確認して、まず真っ先な感想がまさかの野外ですか、というものです。

 てっきり何処かに閉じ込められるのかと思いきや、まさか着の身着のままで外に追い出されているなんて想定外でした。


 鬱蒼と茂る木々、まだ太陽は高い位置に居るというのに薄暗く、恐らく森の中です。木々が密集してるのか、天を隠しそうな勢いで枝や葉が空を深緑に染めていて、光も限られた量しか地面に到達していません。


 鼻をスンと動かせば生々しい土と緑の香り。木に凭れ掛かるように寝かされていたので、地に着いた手はひんやりと、そしてじっとりとした硬い感触を教えてくれます。


 ……取り敢えず、見知らぬ森の奥深くだという事は、理解しました。


 立ち上がるとチリッとした痛みが首筋に。気を失わせる度に電撃を使われては堪ったものではないのですが、本人は此処には居ませんし文句も何も言えません。

 微妙に湿っていた土に座っていたせいでやや濡れたスカートについた土を手で落として再度辺りを見回すと、ふと何とも言えない濁ったような獣の鳴き声が、して。


 思わず身を竦めて周囲に何か居ないか急いで確認して、何も居ない事を確かめるとふぅと随分と重くなった息を吐き出す余裕が出来ました。


 ……どうやら、此処にロルフ様が助けに来たら、私の勝ち……という事なのでしょう。こんな森の奥深くまで探しに来たのなら、絆は本物だ、そう、言いたいらしいです。

 でも、幾らなんでも条件が不利すぎないでしょうか。


 森はかなり深そうというのもありますが、そもそもロルフ様が私が連れ去られた事を知っているかが危ういです。連れ去られてから日の傾き具合的にそこまで時間は経っていませんし、アマーリエ様が気付いてもそれが誘拐かどうかなんて分かる筈がないのです。


 気付いたとしても連絡するのに時間がかかるのです、ロルフ様が今此方に向かってる確率なんてほぼ無に等しいのではないでしょうか。


 やけに自分が冷静なのは、多分、命が掛かっているからでしょう。こんな時こそ落ち着かなければ、危険ですから。


「……ひとまず、何処かに向かった方が良いでしょうか」


 恐らく、森の中心部に置き去りにされたのだと思います。私が早々に脱出出来ないように、そして見付けにくいように。


 この森が何処のものなのか、どのくらいの広さなのか、私には分かりませんけど、誘拐した時に馬で移動したと仮定して、そこから日の傾きで時間経過を考えても極端にクラウスナー邸から離れている訳ではなさそうです。


 そもそも、誘拐先その一だったアンネさんかイザークさんの家が研究所からかなり離れているという訳はないかと。一応通える距離みたいですからね。


 よって、そこまで街から離れている訳でも、ないでしょう。歩いていけるかは、分かりませんけど。

 生憎と街周辺の地理は細かく頭には入ってないのでどの辺りの森かは見当がつきませんが、兎に角歩けばいずれは抜け出せるのではないでしょうか?


 来るか分からないロルフ様に助けて貰うのを期待してじっとしているより、自分でまずは帰る努力をしましょう。

 ……それに、大人しくしてたら、頑張ってぎりぎりの所で耐えている恐怖が、自制心も何もかも台無しにして喚かせてしまいそうなので。


 震えそうになる体を抱き締め、それでも負けてなるものかと歯を食い縛って、私は足を動かします。

 泣くのは、出てから。ロルフ様に会ってから幾らでも泣けば良いのです。




 自分を奮い立たせて森の脱出目指して歩いていくのですが、森は昼だというのに薄暗く、足場も悪い。木の根も地面から露出していて、大きな段差となっていたりするのです。


 光の少なさも相まって、転びかけるのもしょっちゅう、実際転んだりもします。治癒術が使えるから治せはするので事なきを得ていますが、このまま傷を負い続けてしまえば歩くのが難しくなります。


 服も木の枝に引っ掛けたり転んだりで破けたりほつれたりして散々な事になっていて、これは見付かったらかなり心配されるだろうなあ、なんて。


「……ロルフ様……」


 早く、帰りたい。早く、会いたい。


 時間が経つにつれて、疲労も、心細さも増していく。日だって暮れてきて、薄暗さも増しているのです。歩けど出口は見付からない、道なき道を歩いているからインドア派の私にはかなり脚の負担になっていました。


 せめて、灯りがあったなら、もう少し希望も持てるのですが……。暗いと、それだけで精神が削られていく気がするのです。闇は、怖いから。暗いのは嫌、一人で居るのも、嫌です。


 私が炎の魔術を使えたなら、もう少し何とかなったのでしょうけど……と光属性のみという自分の適性を少し呪いつつ唇を噛み締めるのですが、……ふと、思い出して。


 そう、私は治癒術しか扱えない、それは確かです。けれど、魔術で光らせる必要は、ない。


 取られていなければある筈、とポケットを探ると、朝植えようと思っていた燐光花の種を入れたケース。……私がロルフ様のように咲かせられるかは分かりませんが、試す価値はあるでしょう。


 一粒取り出して、それから精神を集中。

 あの時咲かせたように、今度は魔力だけで花を咲かせるようにイメージします。私の魔力で足りるかは分かりませんが、一生懸命に魔力を込めて……。


「咲いて」


 瞳を閉じた私の瞼からでも突き刺さる、光。

 ゆっくりと目を開ければ、朝世話してきた物よりは流石に光も淡いですが、ちゃんと掌には燐光花が咲いたものが乗っています。


 本当は土に入れてあげたいところですが、今は植木鉢も何もないのでそのまま直に持ち歩くしかありません。それでも、灯りとしての役割を果たしてくれるみたいで、一安心です。


 薄暗いからこそ燐光花の光はよく見え、美しい輝きを放っているのが良く分かりました。これを本当はロルフ様と一緒に夜に見たかったのですが、この際贅沢は言ってられません。

 兎に角、今はそんな事よりこの森を抜け出す事を最優先にしましょう。




 何とか転ばないようにしつつまた暫く歩いていると、少し開けた所に出ます。

 まだ森は続いているみたいですが、それでも大分進んだ気がして、少しだけ安堵の溜め息を零して……そして、低く唸る声が聞こえたのに、気付きます。


 前回の、遠吠えのようなものではなく、もっと近い距離から威嚇するように放たれたもの。思わずびくりと体を揺らすと、それを合図としたかのようにがざりと茂みを掻き分ける音。


 音がした方向を見れば、茂みを掻き分けて現れた、狼のような動物。それだけでかなり危険だというのに、尚の事頭に警鐘を鳴らすのが、血走ったような、アンネさんとはまた違う、妖しく輝く紅の瞳です。


 ……禍々しい紅の瞳は、魔物の証。


 それを認識すると同時にさっと顔から血の気が引いていくのが、自分でも分かりました。

 体が勝手に震えだして、気付けば後退りしていて。


 何故こんな所に魔物が、……いえ、分かっていて、アンネさんはこんな所に置き去りにしたのでしょう。魔物は人里には滅多に現れませんが、森の奥深くや人の手が入っていない山などには生息しているのです。


 助けに来たら勝ち。負けは、つまりこういう事でしょう。だからこそ、あんなにイザークさんは渋っていた、命の危険があると分かっていたから。……アンネさんが此処まで私を恨んでいるとは思いませんでしたけど。


 どうしよう、私攻撃魔術なんて使えないし、あの魔物を撃退出来る術を持っていないのです。魔力はあってもそれは癒やす力で、傷付ける力は何一つ持っていないのに。

 こんな時、私は役立たずです。一人では何も出来ない能力なのだから。誰かが居ないと駄目な力だから。


 ただでさえ狂暴な狼、その形をした魔物ならより狂暴で残忍でしょう。襲われたら、一たまりもありません。

 爛々と輝く紅の瞳に捉えられていると思うとそれだけで背筋が震えてしまい、つい花を握って……。


「来ないで……っ」


 きゅ、と茎を握ると、花びらから放たれる光が強くなります。私の魔力に反応するという特性を持ったこの花は、私が恐怖から魔力を漏らした事に反応して一際強く光りました。


 それから、怯んだようにきゃうんと甲高く鳴く魔物。

 飛び掛かってくるのかと思った私は、一向に此方に寄ろうとしない魔物の姿に目を瞠りつつ、頭の中で仮説を組み立てます。


 魔物はこの光が苦手、らしい、です。

 確か魔物は光属性がよく効くとか魔術書に書いてあったのは覚えています。けど私は治癒しか出来ないし攻撃の光魔術なんて使えません。

 もしかして、この燐光花そのものが私の魔力で光属性を帯びている?


 もしそうならば、私には光を産み出す光魔術は使えないので、この花だけが魔物のへの対抗策となります。私には、これしかありません。


 魔力を注いで光らせると後退りする魔物。やはり、この花の光が嫌なようです。私自身の魔力は無属性らしいですが、花を通すと光属性として扱われる、みたい。


 そんな推測は今はどうでも良い、これで何とか逃げれば、とこの場を切り抜けようとしたら、ふと暗闇に赤く光る瞳が幾つも浮かんでいる事に気付くのです。


 グルル、と低い唸り声が重なる。幾重にもそれは重なりあって、不気味な歌のようにも聞こえてきました。


 囲まれた、と悟った時には、両手で数えられない程の魔物が茂みから姿を現して。


 ……絶体絶命、ですね。

 この花に、こんな魔物達を退ける程の力はありません。あくまで嫌がるというだけで、退治出来る訳でもないですし。私に光属性の攻撃魔術が使えれば良かったのですが、生憎と治癒に特化しているので。


 魔力を込め、花の光を強めるものの、大勢だと効力も薄いらしくじりじりと寄られる。


 ……自分は魔物達にとっては住み処に入って荒らした存在で、間違いなく敵です。そして、それと同時に餌でもある。


 それが分かっているからこそ、この魔物達が遠慮なく襲い掛かるであろう事も理解しているのです。


 距離が、縮まる。

 様子見をしているのか飛び掛かってくる事はありませんが、それでもにじり寄ってくるのです。じわじわと恐怖を煽るように、少しずつ輪を狭めて来て。


 命が徐々に削られていきそうな感覚に震える体を押さえ付け、それでも私は最後まで抵抗しようと花に魔力を注ぎました。これでもかという程に、強く発光させて。


 それにたじろいだのかやや動きは鈍くなるものの、それでも寄ってくる魔物達。今襲われたら、とろい私など簡単に鋭い牙と爪に引き裂かれてしまうでしょう。


 無数の血に濡れたような赤い瞳に見つめられて、もう駄目か、なんて絶望がよぎります。


 ……死にたくない。ロルフ様に言ってない事も、ある。ちゃんと好きですって、言葉で伝えたかったのに。未練なんて沢山ある。まだ、死にたくない……っ!


「……助けて、ロルフ様……っ!」


 花を持ちながらも祈るように手を組んで、精一杯叫んで。


 私の声を合図としたように魔物達が強く地を蹴った瞬間、一陣の風が吹き抜けました。

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