奥様に忍び寄る影
ロルフ様の職場に忘れ物を届けに行ってから、一週間程。
あれからロルフ様はかなりやる気を出したみたいで研究に没頭していたと教えに来てくれたヴェルさんから聞いて、ちょっと笑ってしまいました。ヴェルさんも「単純だよね」と笑ってましたしセーフという事で。
ヴェルさん曰くかなり研究は進んでいるそうですし、ロルフ様からも「もしかしたらもう少しで試作だが術式が作れるかもしれない」と言っていて、私としても誇らしい限りです。研究自体にはあまり役立ててはいませんけど。
今日は朝から晴れ晴れとした空。
出掛ける用事もないですし、ヴェルさんの特訓もないので、今日は一日ゆったりと過ごせます。
そんな訳で日課の、燐光花の手入れに。
お花の状態を見たり水をやったり、雑草を抜いたり。簡単なお世話ではありますが、毎日成長していく燐光花を見るのも楽しいものです。
実はあれからロルフ様に影響されて、ちょこっと実験しているのです。
実験と言ってもそう大したものではなくて、この燐光花は魔力を込めれば込める程光ってくれるという性質がある、みたいで。そして私の魔力に反応して共鳴するように光る、という性質もあるそうです。
なので、その性質を理解してみようと、毎日込めてどこまで蓄積するか、何処まで光の強さが出るか、そして私の魔力に反応する距離は何処までか、認識範囲を確認しているのです。
一つの花に集中してかなり魔力を込めたので、その花だけ結構光っているのです。昼間はあまり光っているように見えませんが、日が暮れてくると光はより鮮明に。流石に眩しいから通気性の良い被せものをしていますけど。
一番丹精込めて育てている燐光花は、私が手を翳すとより強く光るのです。
きらきら綺麗で私としては夜中に見たら幻想的なんだろうな、と思うのですが、ロルフ様が夜間の外出は危ないだろうと言ってお庭に出して下さらないのですよね。
まあ、もっと沢山咲かせてからにしましょう。ロルフ様も一緒に外に行って見たら怒りませんよね。
魔力を込め続けた一輪の燐光花は、燦然と輝いています。もう、淡い光とは言えません。
これならロルフ様びっくりしてくれるかな、と口許を緩めて、それから折角だからロルフ様にもう一輪の研究資料として提供するのもありですよねとか思ったり。
「移し変えて帰ってきたら見せてみましょうか……」
それだと判明した事をレポートとして纏めて一緒に差し出した方が良いかな、なんて考えつつ、燐光花を丁寧に掘り出して小さな植木鉢に移し変えます。
……夜に一緒にこれを眺めて綺麗ですねとかそんな感想を言いつつ、時間を過ごせたら良いなあ、なんて思ったり。いえ、ロルフ様だから興味津々に観察して触れたり私と近付けて実験しそうではありますが。
まあ、そんなロルフ様が私は大好きなのですが。……あともうちょっと情緒を感じ取れたら完璧です。
植木鉢を抱えつつ、そんな考え事をしていたら、背後から土を蹴り砂利を踏んだような音。
此処は屋敷の端で、私がお世話している庭と、倉庫代わりの小屋があるだけ。此方に来客が来るとも思えませんし、来客の予定もありません。
人気がないこんな場所に来るなんて、家族くらいなものです。じゃあ昼食だと呼びに来たアマーリエ様でしょうか? でもまだお昼ではない気が……。
「アマーリエ様? それともコルネリウス様? 何か御用で……」
来たなら声を掛けてくれても良いのに……と思いながら振り返ろうとした瞬間、走る衝撃。
バチンと弾けるような音と共に、熱と鋭い痛み。っあ、と息が漏れて、一気に体から力が抜けます。強制的に体が麻痺させられたように、体がいう事を効かなくなって、全身を痛みと虚脱感が襲うのです。
手から滑り落ちた植木鉢が音を立てて砕けるのを急速にぼやけていく意識で捉えながら、よろめく体を支えきれずにそのまま地面に転がって。
僅かに湿った土の感覚。硬い地面に体が無防備に倒れ込んだせいで、体を打ち付けて痛い。側には、一生懸命心を込めて世話した燐光花が、鉢から土ごと零れて転がっています。
折角育てたのに、とか一体これは何、とか考えるものの、思考はどんどん白い靄に侵されていくのです。
痛みを堪えながら何とか顔だけ動かして、私に影を差す人を、見上げて。
薄れ行く視界で最後に見えたのは、鮮烈な赤色が翻った姿でした。




