旦那様、心臓に悪いです
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昨日真っ二つになった魔力測定石ですが、やはり直る事はなかったようで綺麗に二分されたままの状態で私の前に再び姿を見せました。
ころん、と旦那様の掌に載った状態でお目見えですが、相変わらず断面はつるっつるで見事に平らに真っ二つです。刃物を使ったとしてもこう綺麗には割れないでしょう。
私としてはまだ少し申し訳ないのですが、旦那様は気にするなと視線で訴えかけてくるので口に出す事にはしません。ただ、ちゃんと旦那様の研究対象としての役目を果たさなくては、という思いはしっかりと抱き直しました。
「一応この石も調べたのだが、痕跡は残っていなかった。お前も心当たりはないのだろう?」
「はい。……その、旦那様。私、お恥ずかしながら魔術すら使えないのです。なので、私の魔術ではないと思います」
魔術を使えないと言われて驚いている旦那様ですが、私としては魔術が使える方はとても優れた人という認識であり、凡庸な私ではとても使えません。
魔力があるというのは確かに比較的珍しいのですが、魔術を行使出来る程の魔力を備えた人間はもっと稀有です。魔力があるとは言われている私ですが、自分の中でそれを知覚出来ませんし、本当に極少量の魔力しかありません。
「周囲に教わる人間もおりませんでしたし、魔力の絶対値が限りなく小さな私は、魔術を扱えるような才もないのです」
それに、たとえ私が強い魔力を持ち合わせていたとしても、旦那様のような優秀な魔導師にはなれません。魔力を持っているだけでも表に出せなければただの原石であり、鍛え磨く事で宝石になる。
強大な魔力を持ち修練を重ねて漸く、魔力を導く者、すなわち魔導師と呼ばれる存在となれるのです。故に、魔導師は社会的立場を確立され、珍重されるし重宝もされます。
……その事実を知っているからこそ、優秀な魔導師を輩出するこの家に、才を持たぬ私なんかが嫁いで本当に良かったのか、と常々思ってはいるのですが。
旦那様は私の話を聞いてふむ、と一言。
「私はお前の正確な魔力値を知らないから何とも言えないのだが、感じ取れないような程の魔力ではないぞ」
「え?」
「魔力を感じ取り、そして自身の魔力を隠すというのは魔導師を志す者が最初に行う修業だが、お前はその修業すらやっていないだろう。隠せるとは思わない。感じ取れる程には、ある。才が全くないとは言わないぞ」
あっさり言った旦那様ですが、私からしてみれば寝耳に水です。
「で、ですが、私は魔力がある実感など……」
「それならこれで試してみれば良い。魔力を流せば反応する」
ぽい、と乱雑に渡されたのは、真っ二つになった魔力測定石の片割れ。旦那様ですら適当に扱ってますね、……良いのですかそれで。
綺麗に二等分されたそれは、つるりとした手触りで、特に変哲もない石に見えます。石というよりは最早ガラス玉みたいですが。
旦那様は私が目を丸くした事に大して「片方でも測れる」とずれた返答。そこは心配してはいないのですが……そうなんだ、とも納得。割っても支障はなかったから、旦那様は気にした様子がなかったのですね。肩の荷が降りた気分です。
「どう、魔力を込めれば……?」
「……どう、と言われてもな。これは感覚的なものだから……そうだな、取り敢えず頑張ってみろ」
アドバイスになっていません、旦那様。
それでも旦那様が微妙に期待していらっしゃるので、取り敢えず挑戦だと瞳を閉じます。
魔力を込める、というのは良く分かりませんが、神経を集中させて掌に載る石に血液を流し込もうとするような感覚で、石に意識を集中させます。すー、と息を吸い、ゆっくりゆっくり感覚を石に向けて、瞳を開くと……。
「何も変わらないな」
旦那様の声は、落胆でも焦燥でもなく、ただ事実を認めるように素っ気ないもの。旦那様の言う通り、石には何の変化も見られません。
どうして、と本人としてはがっかりなのですが、旦那様は「魔力の反応はあったのだが……謎が深まるばかりだ、興味深い」と微妙に声音が高くなった気がします。
旦那様は物珍しいのでしょうね、私みたいな存在が。
「普通は、こうなる筈なんだか」
さも不思議そうな旦那様、私と同じように石を掌に載せると……直ぐに、透明な石が真っ青に染まります。
何という事なのでしょう、水晶のような透明さだったそれは、一気にサファイヤと見紛うばかりの美しい青色に姿を変えました。手品でも見せられているみたいで、何にも出来なかった私にはこの変化がとても目まぐるしく、とても凄い事のように思えてしまいます。
「旦那様、凄いです……私は変わらなかったのに。さ、触っても、良いですか?」
「これが普通なのだが……。触るのは構わない」
旦那様の普通は私にとっての普通ではないので、魔力というものを感じ取っていない私からすれば尊敬するしかありません。魔導師の名家に生まれた旦那様は、幼い頃から魔力を操る修練を積んできたのでしょう。だからこそ、こんなにも当たり前に、それこそ息をするように魔力を操っているのです。
つい旦那様を見る瞳に熱がこもってしまい、旦那様を困惑させてしまっているようです。旦那様は、私の態度に戸惑いを覚えているのか、何とも言えない困った表情。
流石に落ち着かなければと「申し訳ありません」と今更ながらに恥ずかしさを感じつつ謝罪し、それから先程までの自分の言動を誤魔化すように旦那様の掌に指を伸ばして……。
指先が石と旦那様の掌に触れた瞬間、旦那様によって青色に染められた測定石が深く、そして先程よりも透き通った強い青に変貌を遂げたのです。その上、淡く発光しているというか、光を帯びたような美しい石になってしまって。
「……え?」
何が起こったのか、訳が分からなくて……ただまじまじと旦那様の色に染まった石を見つめる私に、旦那様は、沈黙。
「……お前は」
「は、はい」
「お前は何をした!? 今、私の魔力が膨れ上がったと思ったら、普段の私では有り得ない反応が出たぞ!?」
と、思ったら、旦那様は私の両肩をいきなり掴んで、揺さぶらんばかりの勢いで顔を近付けるのです。
だだ、旦那様、近いです! あとちょっと痛いのですが……!
「あ、あの」
「お前の魔力が流れ込んだのか? 仄かにお前のものが感じられる、という事はお前の魔力が私の魔力に影響を及ぼしたという事になるのか? より強い魔力を検出したからこのような変化が起こったという事ならば、つまりお前の魔力は他者の魔力への介入という性質を持っているのか? お前の魔力に石が反応しなかったのは魔力自体に介入以外の性質がないから色で表せなかったという事なのだろうか、ならば魔術を使えないという事ならばそれで納得がいくが。そもそも介入、というよりは増幅と言った方が良いか? しかし検証もまだで不確定要素が多過ぎるのに断定するのは良くない、もっと検証と実験を重ねて改めて結論を出すべきだろう。何にせよ常人とは違う性質を持っている事だけは確かだ」
だ、旦那様は早口で捲し立てていて、形相も鬼気迫った物から徐々に思案顔になっていって、明るくなったかと思えばまた思慮に耽ってしまっています。肩を掴まれたまま考察をぶつぶつ呟かれては、私も身動きが取れずただただ旦那様の言葉を必死に噛み砕くしかありません。
取り敢えず、私は旦那様の魔力に影響を及ぼした、という事らしいです。その後の言葉は旦那様のお顔がとても必死で、その上一気に言葉を流されて何が何だか分からずよく聞き取れていません。
ひとまず、旦那様は非常に興奮なさっている事だけは分かります。瞳がきらきらしていて、そう、新発見だ、とでも言いたげな瞳で。前例になかった、という事なのでしょう、か。
「エルネスタ」
「は、はい」
「私は俄然、お前に興味が湧いた。お前の事をもっと知りたい」
とても真剣で熱烈な眼差しというオプション付きで情熱的な告白をされてしまったのですが、中身が研究で頭が一杯なようので、非常に複雑です。も、求められるってこういうのを望んでいた訳じゃないのですが……いえ、嬉しいですけど……。
「良いか?」
「わ、私では良ければ……?」
「本当か!?」
承諾の一言に旦那様はぱあ、と明るい笑顔を……そう、笑顔を浮かべて、瞳を輝かせながら、私の事を抱き締めて。
感極まった故の抱擁、なのでしょうが……だ、旦那様が、笑った、し、抱き締めて、来た……!? 今までクールな表情をするだけだった旦那様が、あんなに嬉しそうに……!
え、あ、う、とか母音だけで意味を伴わない声を上げて、旦那様の胸に顔を埋める事しか出来ない私。今にも、意識が飛びそうな程に頭がくらくらして、全身が熱い。
指先まで、ぴりぴりしたような痺れと熱が広がって、心臓がこれでもかという程に音を立てて仕事をしています。
「エルネスタ。……こうして抱擁するだけでも魔力の増えている気がする。前はお前が魔力を上手く自覚出来ていなかったから、触れてもこうはならなかったのだろうか?」
「わ、わ、分かりません……っ」
「石が割れたのはお前の魔力に何かしらあったからだろうか? 兎に角、お前を知ればもっと詳しく分かる気がする」
抱き締めたまま耳元で囁くので、吐息と低音が直接耳に注がれて、もう訳が分かりません。あまりに混乱とどきどきと羞恥が絶え間なく押し寄せてきて、口許をぱくぱくと酸欠の魚のように開閉するしかないのです。
私はもう無理ですと旦那様の胸元に沈み込んで、二日連続で逆上せて意識を失うという失態を犯す事で現実から一旦逃避する事にしました。……興奮具合を見るに旦那様が私の事に気付くのは、もう少し後になりそうですけど。