奥様の診察と旦那様のやきもち
魔力増幅能力こそ意味を失いつつありますが、治癒能力の強化までも止めるつもりもありません。これはこれでロルフ様のお役に立てますから。
実際偶に軽いものですが傷を負って帰宅する事があるので、その時は私が治しています。
ヴェルさんに治して貰えば良かったのに、と素直な気持ちで聞くとロルフ様は「エルの訓練にもなるし、私はお前に治して欲しかった」と言うから止めても無駄でした。出来れば傷を負ったら直ぐに治して欲しいものですが、上記の理由とヴェルさんに貸しを作りたくないとの事。……ロルフ様、もしかしてヴェルさんに弱いのかも。
そんな訳でヴェルさんとの修行は続いています。因みにこれは貸しではなく正式に依頼している事で賃金をヴェルさんに払っているそうな。
私の為にお金を使うのは勿体ない気がするのですが、ロルフ様的には安いものだそうです。あと貸しは作らないとか。どれだけヴェルさんに弱味を握られたくないのですか。
当然ヴェルさんにもお仕事がありますので、週一、二回程度の修行です。
ヴェルさんは研究こそしてますが治癒術師が本分だそうで、治癒術師として弟子を取るならお仕事の内らしいです。治癒術師の後任を育てるのも重用な責務とか何とか。
なので勤務時間を私との修行に当てても良いそうな。……良いのですかそれで、案外緩いですね国立研究所。
正式にヴェルさんの修行が認められているので、ヴェルさんのお仕事にも同行させて貰っています。診療所巡りして私にも軽いお怪我から治療させて貰ったり。
治癒術師の育成は大体師に付いて回って経験させて貰う事だそうで、患者さんからも嫌がられずに寧ろ「立派な治癒術師になってね」と応援のお言葉を頂きました。
……私、ロルフ様の為にという自分勝手な理由で治癒術を覚えようとしているのに、こんな優しい言葉を掛けて貰っても良いのでしょうか。
少し胸が痛みつつも、ヴェルさんのお仕事を手伝っている内に治癒術の使い方も上手くなって、大分大きな怪我も治せるようになってきた、そんな時のお話です。
「あ、お姉ちゃんだ!」
私とヴェルさんは、揃って前に来た孤児院を訪ねていました。
ヴェルさんの仕事の関係上私が此方に来る機会もなかったので、此処に来るのは二月ぶりです。自分で行こうかと思ったのですが、色々あり今日まで訪ねる事はままならなかったので……。
私達の姿をいち早く見付けて駆け寄ってきたのは、あの時治癒術をかけたヒルデちゃん。あどけない顔に笑顔を満開にさせ、私の腰に抱き付いてきます。
幾ら子供が軽いとはいえ走ってきたままに突撃されたので軽くよろめいてしまいますが、隣に居たヴェルさんがさっと背中を支えてくれたので転ぶ事はありませんでした。
「こんにちは、ヒルデちゃん」
「こんにちはお姉ちゃん」
顔を上げてにっこりと笑ったヒルデちゃん。
ヴェルさんの姿を見ると微妙に顔を強張らせたのですが、肝心のヴェルさんは穏やかな笑みを浮かべつつ「こんにちはヒルデ」と挨拶しつつ、ちょっと離れています。
ヒルデちゃんが男が苦手って言ってたから気遣ってるみたいです、そういう機微を理解出来るからこそヴェルさんは素敵なじょせ……もとい男性なのですよね。
「この前はありがとうございました!」
「治ったみたいで良かった」
「うん、お姉ちゃんのお陰!」
傷一つない玉の肌、あの時刻まれていた深い爪痕はもう何処にもありません。だからこそ、こんなにも笑みを輝かせているのでしょう。
本当に、治って良かった。完全に塞がる前なら痕なく綺麗さっぱり治せるみたいですね、私はもう塞がりきって治ってるし皮膚もこれで定着してるからどうにもならないみたいですけど。
それでもロルフ様はこれを気にしないから、私も気にしません。これも私の一部で、ある意味個性みたいなものですから。
「お姉ちゃん……と、お兄ちゃん、は、今日はどうしたの?」
「ん? エルネスタさんがヒルデの事気にしてたからね。顔を見せに来たんだ」
「あの後様子見に行けなかったから……ごめんね」
「ううん、治してくれたのにそんな事! ありがとう、お姉ちゃん」
治してくれただけで凄く嬉しい、と喜んでいるヒルデちゃんに胸を撫で下ろしていると、ヴェルさんと視線が合って。
ぱちんとウィンクされては「心配する事もなかっただろう」と笑われて、私もゆっくりと頷いては微笑むのでした。
その後少し孤児院で子供達と遊んでから、帰宅です。まだ時間はありましたし一息という事で客間でヴェルさんとお茶を飲む事になりました。
お気に入りの紅茶を入れつつ子供達とはしゃぎ回った疲れを癒す私達。……いえ、全然ヴェルさんは疲れてないみたいですけどね。
「ヒルデに笑顔が戻って良かったよ、私じゃ近寄らせてくれないから」
長い脚を組んでゆったりと紅茶を飲むヴェルさんも絵になるな、なんて事を思いながら、私も真向かいに座って微笑みます。
「あの笑顔を見れただけで救われますね。私が治せるか不安だったのですけど」
「自信持って良いよ。それに、あの頃よりかなり上達したと思うから。こんな早く伸びるなんて思ってなかったよ」
「……ありがとうございます」
ヴェルさんは見掛けの穏やかさによらず評価はかなりはっきり言う方なので、褒められた事が嬉しい。仕事でもある治癒に関しては妥協しないヴェルさんが賛辞してくれた、それだけでついつい口許が緩んでしまいます。
ふふ、と口許を手に当てて笑うと、ヴェルさんは少しだけ目を丸くして、それから何とも言えないほどけたような笑み。
「変わったよね、エルネスタさんも」
「そ、そうでしょうか?」
「うん。なんというか自信が出て明るくなったというか」
最初に会った時はおどおどしてて泣きそうだったよ、と否定出来ない評価を頂いて、私は苦笑しつつも今の自分はちゃんと笑えてるんだな、と頬に手を添えます。
……変わった、のかな。変われているのかな。もしそうならば、これは私だけの力じゃありません。
「……それならロルフ様のお陰だと思います。傷も過去も全部含めて今の私を作ってるんだ、って、教えてくれたから」
ロルフ様が居なければ、私はいつまでも自分の作った殻にこもっていて、人目を窺って震える毎日だったと思います。
……もう怖がる事はないって、ロルフ様が教えてくれたから。温もりをくれたから、受け入れてくれたから、私は笑顔で此処に立てるのです。あ、今は座ってますけどね。
心の底から感謝してますし、それを表に出したのですが、ヴェルさんは何故だかちょっと困ったように微笑んでは指でちょこちょこと頬を掻いています。
「……ねえエルネスタさん、ちょっと聞きにくいんだけどさ……エルネスタさんには、大きな傷があるんだよね?」
ごめんね、ロルフから少し事情を聞いてるんだ。
そう申し訳なさそうに眉を下げるヴェルさんですが、色々と相談に乗って貰ったみたいですし、私があの時の取り乱した事についての説明とかもあったでしょうし、ヴェルさんが傷について知っている事は別に何とも思いません。
それに、ヴェルさんは治癒術師で、傷なんか見慣れていそうですし……ああそっか、ヴェルさんも怖がったり気味悪がったりしないですよね。
あの時のお医者様の顰めっ面は、治せなかったからこそなのかもしれません。単純に傷口がおぞましかったのもあるでしょうが。
「そうですね、それがどうかしましたか……?」
「……えーと、その傷はちょっと見せてくれる事って出来る? あ、いや疚しい気持ちとか全くなくて、診察って意味でだよ」
「そ、それは分かりますよ?」
「流石に全部見るとかはロルフに殺されそうだから、服を少し捲ってお腹の辺りまでで良いから」
ロルフは案外独占欲強いからね、絶対怒るし、と肩を竦めて私の苦笑を引き出すヴェルさん。
……最近は、何となくロルフ様も妬いてくれるのかなあ、なんて思うようになってます。だってヴェルさんと出掛ける日は朝から微妙に不機嫌ですし。暫く抱き締めてからでないと朝ベッドから解放してくれないロルフ様も、あれはあれで可愛らしいのですけど。
それが嫉妬だったら嬉しいな、とは思うのです。
「それは構いませんけど……どうして?」
「あんまり見せたいものじゃないって分かってるけどね。確認の為に。あ、引いたりとかそういうのは絶対ないよ、傷は見慣れてるし」
疚しい気持ちも嫌悪とかもないよ、と念押ししてくるヴェルさんは、私達夫婦にかなり気遣っているのだと思います。本当に、あの時の失態のせいで私は卑屈なんだとヴェルさんとマルクスさんに思い知らせてしまいましたから。
今は、そうでもないと思いますけど。
大丈夫ですよ、と笑って、私はブラウスを軽く捲ります。
女性のようにしなやかで細い腰をお持ちのヴェルさんに見せるのは別の意味で複雑でしたが、あくまで診察目的なのでその辺りはじろじろと見られる事もないでしょう。
胸が見えない程度に鳩尾の辺りまでシュミーズごと上げた私に、ヴェルさんは向かい側から此方に回ってきてしゃがみ込みます。立った方がいいかと思ったのですが、気にしないで良いよという事でそのまま。
顔をお腹の辺りに近付けて、それから傷痕にそっと触れては「うーん」と唸るヴェルさん。
「……エルネスタさん、これ前より薄くなったとかってある?」
「え?」
「常に自己治癒が働いてるのかな……そんな魔力の気配がする。服の上からでも何となく感じてたんだけど、やっぱりそうだ。治癒術師って傷の治り早いんだよ、自分に無意識に適用してるから、わざわざ使わなくても魔力そのものが勝手に治してくれるんだよね」
治癒術師は基本的魔力が光属性を帯びているからね、と私の傷を眺めながら呟くヴェルさん。
……私の魔力は何の属性もない、筈です。それでも、自己治癒には心当たりがなくもありません。だって、致命傷を負っても無意識に命を保たせていたのですから。
「それで、多分だけどね、治癒術を覚えだしてからちょっとだけ、傷が薄くなってると思うんだ」
「……うそ」
「確証はないよ。それと、そうだとしても此処までだと体に刻み込まれてるし傷痕として固定されてるから、流石に完全には治らないと思う。ただ、皮膚の凹凸とかはその内少し小さくなるんじゃないかな」
治癒術を正確に理解した恩恵かもね、と傷をなぞりつつ答えるヴェルさんに、私は衝撃から立ち直れないでいます
これが、もう少し薄くなる? 確かに昔、傷を負った頃よりはかなりマシになりましたが、これ以上はどうにかなるものでもないと思っていたのに。
「……エル、此方に居ると聞いたのだが」
思わず口許を押さえて瞳を潤ませた瞬間、客間の扉が開いて。
あ、と思った時にはロルフ様が入ってきて、それから私とヴェルさんの接近を確認して、ひくりと眉を動かすのです。瞳が、ゆるりと細められたのは、間違いなく好意的ではない感情でしょう。
「……お前」
「待って待って、私はいやらしい事とかしている訳じゃないからね!?」
慌てて傷痕から手を離したヴェルさんの顔はかなり焦っていて、それがロルフ様が怒っているのだと私にも分かりやすく伝えてくれます。いえ、ロルフ様の顔を見れば分かりますけどね。
「離れろ」
「だから診察だってば!」
「エルネスタの肌を見て良いのも触れて良いのも私だけだ」
あまりに堂々とロルフ様が宣言したものですから、一瞬何を言われてるのか理解出来なくて固まった私。ロルフ様はそんな私を見て歩み寄り、然り気無くヴェルさんを押し退けて私の手を引き、立たせて抱き締めるのです。
簡単に腕の中に収まる私。ロルフ様は背中から私を抱き締めては、やれやれと立ち上がったヴェルさんと向き合っています。当然、私もヴェルさんと向き合っていて。
……ヴェルさんがにやにやしているのが見えるので、改めてロルフ様になにを言われたのか遅れ馳せながら理解して、一気に顔が赤くなってしまいます。
しれっと大胆な事言ってますよロルフ様。……そりゃあ、見せるのは旦那様だけで良いとは思いますけど……診察は例外ですって。
「仲良しで何よりだよほんと。私帰るねー」
「えっ、ご、ごめんなさい! お、お見送りします!」
「いやいや良いよ。うん。お腹一杯だし」
「お腹一杯……?」
「こっちの話。それとロルフの目もあるから遠慮しとくよ」
振り返ると、ロルフ様はムスッとした表情でヴェルさんを見ています。……ロルフ様、これくらいで怒っちゃ駄目ですよ……?
面白くなさそうにヴェルさんを睨んでいるロルフ様ですが、対するヴェルさんはへらりと飄々とした笑みで「心の狭い男は嫌われるよ」と然り気無く棘を刺しています。
その言葉を受けたロルフ様は更に眉を寄せましたが、それも笑って流すヴェルさん。
「ま、それだけ執着が持てたって事は良いんだけどね。……エルネスタさん、エルネスタさんには今更かもしれないけど、ロルフはそれなんか気にしないから安心してて良いよ。いやもうほんとお熱い事で」
「えっ」
「じゃあねー」
お、お熱いって一体、とヴェルさんに聞こうにも本人は実に愉快そうに笑って、お部屋を出ていってしまいました。
……そ、そう見えているのでしょうか、私達。いえ、そうだとしたら、嬉しいですけど……でも基本クールなロルフ様がお熱いって言われるのには、違和感が。
ちらりと見上げれば、不機嫌そうなロルフ様。ただ私と視線が合えばふっと和らいで、それから抱擁も優しくなる。
この変化に毎回ついていけないのですよね、冷ややかな印象を抱かせる綺麗な顔が、私には穏やかな春の陽射しめいたものになるのですから。大切にしていると、眼差しが語るのです。
ふわりと淡く微笑んだロルフ様がそのままソファに座って私を横抱きで膝に乗せてしまって。
もう恥ずかしさやら嬉しさやらで顔を押さえるのですが……ロルフ様はそれが気に食わなかったらしく、べりっと掌を剥がしてしまいました。ひどい、ロルフ様。
何故隠すと問われて、恥ずかしいからと答えると「隠さずとも可愛らしいから問題ない」と真顔で言うロルフ様。何か最近頭を打ってしまったのではないかと思うくらいに積極的で、私の心臓とロルフ様の思考が色々と心配です。
「あ、あの、ロルフ様、あれはあくまで診察ですからね……?」
「……分かっている」
ぎゅーっと抱き締めてくるのは分かった内に入るのでしょうか。
まあそれだけ、その、大切にしてくれているとは分かるので、良いですけども。
抱き締めつつブラウスを整えてくれるロルフ様。言い付けは守るらしく、そのまま肌に触れたりとかはないので一安心です。ヴェルさんに触診されるのと、ロルフ様に触られるのではどきどきの質も量も大違いですから。
「……もしかしたら、傷、ちょっと薄くなるかもしれないですって」
捲れた所から少し見えていた傷をまた隠す私、先程ヴェルさんに言われた事をロルフ様にも伝えます。
ただ、ロルフ様の反応は「そうなのか?」と思ったよりもずっとあっさりで薄かったですが。
「……まあ、どうでもいい……という言い方では誤解されるな、どちらでも良い、だな。私はお前に傷があろうとなかろうと態度は変わらない」
「ふふ、知ってます」
「エルが消えて欲しいと切に願うなら私はそれを応援するが」
「そうですね……私も、どっちでも良いです」
「そうか」
……こんな風に考えられるようになったのって、やっぱり変わったからなのでしょうか。傷なんてどうでも良い、なんて。
そりゃあ女として愛されるならない方が良いのかもしれませんけど、ロルフ様はそんな事気にしないでしょうから。
だから良いです、と笑うと、ロルフ様も私と同じように、穏やかに微笑んでは労るように抱き締めてくれました。




