奥様のささやかな反撃
ロルフ様との生活にも慣れ、抱き締められて寝る事にも慣れ……きってはいないのですが、まあ緊張で眠れないとか、どきどきで死にそうになるとかはなくなりました。
未だにどきどきはしますけど、ロルフ様は何にもしないのである意味で安心ですし(複雑でもありますが)ロルフ様の体温は心地好く、抱き締められると寝入ってしまうのです。
お陰で最近起きるのがロルフ様より遅くて起きたらロルフ様に寝顔鑑賞されてますし、起きたら起きたで暫く離してくれませんし。……いえ、嬉しいですけど寝顔を見られるのは恥ずかしいというか!
兎に角、ロルフ様と一緒に寝るようになってからかなりの時間が経ったのですが、当初の目的は魔力増幅の為。今は何だか軽くスキンシップになっている気がしなくもないですけど、そもそも私はロルフ様の為にくっついていたのです。
肝心の魔力増幅はどうなったのでしょうか。最近そのお話はしていませんでしたけど……。
「ロルフ様、そういえば魔力の増幅はどうなったのですか?」
あれからどうなったのか分からないので一応聞いておかねばと思うのです。どきどきしたら魔力が増えやすい、という事でしたが、抱き締めたり頬にキスされたりも慣れ……てないですね。
寧ろ回数を重ねるごとにロルフ様がやけにべったりしてくるしキスも甘いものになってるからどきどきが増えてる気がします。
最初が羞恥と驚愕の意味でのどきどきが強かったのに、今は……もっと、熱くて、切ないどきどき。唇にされたら、どれだけ胸が震える事でしょうか。口にはしませんけど。
「最近はあまり伸びなくなってきたな。この辺りが成長限界なのかもしれない」
「そう、ですか……止まってしまうのは残念ですね」
「これだけ伸びたなら充分過ぎる程だ。元の魔力とは比べ物にならないからな。お前のお陰で、私は最初より遥かに魔力が増えたのだ。感謝してもしきれない程だ」
「お役に立てたなら良かった」
ロルフ様の魔力が増えなくなってしまうのは残念ですけど、それだけ今まで増えてきたという事ですから、お役に立てたようで嬉しいです。
本来成人してしまえば止まってしまう事を私の魔力が覆したのですから、私も喜ばしいのですよ。お力になれただけで満足です。
「お前にはその内何か礼をしなければな。本当に、お前のお陰で研究も捗っているし、魔力も増えた。シチューも美味しいしお前と話したり触れ合ったりするのは楽しい、家に帰るのも楽しみになった。結婚して良かったと思うぞ」
「……そのお言葉だけで、本当に、嬉しいです」
結婚して良かった、その一言だけで、私は充分だったりします。欲を言えばそりゃあ愛して欲しいとか思いますけど、これはロルフ様の理解をゆっくり待つつもりですし。
ロルフ様が日々大切に、そして優しくしてくれているだけで、私は幸せで一杯です。受け止めて受け入れてくれただけで、幸せですもん。
これは紛う事なき本音なのに、何だかロルフ様は微妙に困ったような表情というか、悩ましげに「む」と唸るのです。
「……出来れば物の一つでも要求して欲しいのだが。無欲過ぎて逆に困るぞ」
「無欲、という訳ではないですよ。それに、今充分過ぎる程に幸せで、欲しいものは今の所思い付きません」
「……ふむ。取り敢えず保留にしておこうか」
「気にしなくて良いのに」
「私が気にするのだ」
微妙に不服そうなロルフ様。……別に気にしなくても良いんですけどね、だって、欲しいものはもう粗方手に入れてますから。……優しい家族も、受け入れてくれる素敵な旦那様も、居るのですから。
だから、私は結構幸せ者だったりします。
それなのに納得していないようなロルフ様なので、今度何か欲しいものを思い付いたら言ってみようかな、と思考の隅に置いておく事にします。
……欲しいもの……ロルフ様の新しいスープマグとか花の種くらいしか思い付かないのですけど、ロルフ様はそんなのでは納得してくれそうにないんですよね。
まあ今は良いでしょう、と気にしない事にして。
……よく考えれば、増幅しなくなってきているのなら、私はロルフ様にくっつく理由がなくなるのではないか、といった事に思い至るのです。だって、触れ合いを初めた理由が、増幅だったから。
「……ロルフ様、一つ聞いても良いですか?」
「何だ?」
「……その、増幅しなくなったら、くっついて寝るのは止める……のですか?」
目的はほぼ果たしたのだから、ロルフ様にとってこれ以上くっつく理由もありません、よね。
「何故だ?」
「だ、だって、ロルフ様にとっては増幅しなければくっつく意味はないですよね?」
「今まで通りに一緒に寝るつもりだが……お前は嫌なのか?」
「い、いえそんな! ただ、一人で寝るのに戻ったら寂しいなって……」
「私もエルと寝るのは日常になってしまったからな、それは嫌だ。お前は抱き心地が良い」
「……左様ですか……」
それは褒められているのか微妙で複雑です。気に入られているのは間違いないでしょうけど。
「それに、お前と横になって触れ合いながら語らう時間は、私にとってとても重要だし心安らぐ。お前が寝る時側に居なければ、落ち着かない。……エルは私にはなくてはならない存在なのだぞ?」
だからこれまで通りだ、と宣言したロルフ様。
ロルフ様に、なくてはならない存在。そこまで、私を大切な存在として、見てくれていたのでしょうか。私の事、必要としてくれているんですね。
そう考えるとついつい頬がだらしなく緩んでしまいそうになるのを堪える代わりに、隣に座っていたロルフ様の腕にむぎゅっと抱き付いてしまいました。
……直ぐに我に返って離れようとしたら「そのままでも構わない」とロルフ様のお言葉。おずおずと窺えば、慈愛を帯びた眼差しと出会って。
「随分と上機嫌だな。ありのままを言っただけなのだが」
「私にとって、とても嬉しいお言葉を下さったからですよ」
「そうか?」
「はい」
だって、なくてはならないって言われるまでに、私はロルフ様の内側に入り込めたんですよね。大切に思ってくれてるんですよね。
そう考えたら嬉しくない筈がないのです。結婚した当初と比べれば驚くべき仲の進展具合でしょう。……それだけ、色々と私もロルフ様も触れ合って色々乗り越えてきたって事なんですから。
照れ臭さを感じて穏やかに表情に表しつつ控え目にロルフ様に寄り添うと、ロルフ様は静かに私の掌に自分のものを重ねては優しく握ってくれます。
……こうして、最近は側に居ると手を握ってくれるのが、擽ったいけど、嬉しい。寄り添うのが日常になってきた事が、私の胸を温かくするし、自信にも繋がっているのです。
鼻歌でも歌えそうな程に気分が明るい私に、ロルフ様はただ此方を静謐な面持ちで見詰めてきました。
「……エル、聞いても良いだろうか?」
「何ですか?」
「お前は私と居て、楽しいのだろうか。正直、私は基本的に愛想も良くないし、研究ばかりしているし、好き勝手お前に触れている。嫌とかは思わないのだろうか」
何処か恐る恐るといった響きの問いに、思わず瞳を何度もしばたかせます。
……ロルフ様、何故そんな事を思ったのでしょうか。私、多分凄い態度とか表情に出やすいから、私が幸せなのも直ぐに分かると思うのですが。
ロルフ様も、不安になる事があるのでしょうか? それは、私にとって都合の良いように解釈しても良いのでしょうか?
ちら、と見上げると、ロルフ様は真剣な眼差し。……その時点で、もう私は充分に幸せだったりするのですよ、ロルフ様。
「楽しいというか、嬉しいし、心地好いですよ。ロルフ様の側に居るのは、幸せです」
ありのままの本音を口にすると、ロルフ様は何処までも真っ直ぐで真剣な表情をほどき、それから強張りも何もかも溶けるように、それはそれは甘い笑みを浮かべて。
チョコレートがとろけたよりも、甘いそれに、視線は釘付けで。
「……そうか、良かった」
心の底から安堵したように微笑んだロルフ様に、私の心拍数が一気に上がって、頬も赤に染め上げられる。
多分、立っていたらくずおれてしまいそうな程に、その笑顔は破壊力に満ちていました。
……私、未だにロルフ様にはどきどきさせられっぱなしで、いつまで経ってもロルフ様に振り回されてます。多分、慣れる事はなさそうな気がしなくもないのですよ。
私がロルフ様をどきどきさせる事なんて無理なのではないでしょうか。……失礼ながら、ロルフ様に羞恥心があるのかも分かりませんし。一回だけ照れてくれましたけど、ちょっぴりだったし。
「どうした? 顔が赤いが」
「……ロルフ様のせいですもん」
「熱でも出たか?」
「ロルフ様のせいで全身火傷です」
「……火の魔術を使った覚えはないのだが。どれ」
「捲るのはなしです!」
何気無い顔でスカート捲るロルフ様には他人の羞恥心を考えて頂く事を早急に覚えて頂きたいです! やましい思いがない分質が悪いですからね!?
うう、とスカートを押さえて唸る私に、ロルフ様はおろおろ。……そういう顔をするなら最初から捲らないで下さい。私が恥ずかしがるのなんて普通分かるでしょうに。
胸の高鳴りが違う意味でのどきどきに変わりましたよ、もうっ。
「……ロルフ様、今度無理に服捲ったりはだけさせたらお仕置きですからね」
「お仕置き? 具体的には何をするのだ?」
「えっ。……ええと、く、クリームシチュー作りませんっ」
ロルフ様に効くの何てこれくらいしかない、と思っての事でしたが、想定外にロルフ様は私の一言にショックを受けたらしく驚愕の表情。それからみるみる内に眉を下げて「それは嫌だ……」と悲痛な声音で呟くのです。
……そ、そんなにロルフ様嫌なんですか。流石にこんなにも凹むだなんて思ってなかったのですが。
「え、あ、その、べ、別にもし私が作らなくなっても、アマーリエ様が作ってくれますよ?」
「嫌だ。エルの作ったものが良い。だから、それだけは勘弁してくれないか」
私の両肩を掴んでとても真面目なお顔で懇願してくるロルフ様。私も此処まで真剣に言われてはからかいとかおふざけをするつもりもなくて「じゃあ次からしちゃ駄目ですよ」と咎めると、これまた真剣な顔で頷かれます。
……本当にクリームシチュー好きなんですね、ロルフ様。……私のが良いって、何だか凄く嬉しいです。ロルフ様の舌に馴染んだって事ですから。
「次からは許可を取ってする事にする」
……そこで何で捲らないという選択肢がないのですかロルフ様。
もう、と唇を尖らせると、ロルフ様は私がむっとしていたのに気付いて慌てて「嫌がる事はしないぞ」と念押しして頬に口付けて来ます。……ロルフ様、ご機嫌取りにキスすれば良いってものじゃないですからね? 嬉しいですけども。
私ばっかり慌てたり照れたり恥ずかしがったり、心臓が大忙しです。顔を離したロルフ様は満足そうですし。……偶には、ロルフ様も恥ずかしがったりどきどきすれば良いんです。
「……ロルフ様」
それは、ほんの出来心でした。
普段なら多分、小心者の私の私じゃ自分からは出来ない事。拗ねていたからこそ、こんな、突発的で大胆な事が出来たのです。
至近距離で充足感に溢れた顔をしているロルフ様に今度は自ら、唇を寄せて。
時間にして一秒も満たない、刹那。唇を滑らかな頬に押し付けて、直ぐに離します。
固まったロルフ様。私も、自分でしておきながら何て事をしてしまったんだと羞恥やら後悔やら戸惑いが頭の中をぐるぐると回っては顔を歪めていきます。
こ、これは流石に勝手な事をしてしまいましたよね!? 幾ら頬とはいえ、ロルフ様は好きにしているとはいえ、私からキス、するなんて。昔の私からは考えられませんし卒倒する事間違いないでしょう。
どうしよう、と涙目でロルフ様を見上げると、固まっていたロルフ様は漸く硬直がとけたようで私を見て、かっと目を見開いて。……それから、急に私の体を腕に収めて来ました。
本当に突然抱き締められてびくりと体を揺らすと拘束は緩くなった代わりに、優しく、そして離さないと意思が窺える抱き締め方に。
「……エル。……お前は色々と予想が出来ない女だな」
「ご、ごめんなさい……」
「いや、謝らなくて良い。……悪い気はしない」
その言葉は嘘ではないのでしょう、ぎゅうぎゅうと抱き締めては私の頭を撫でてきます。ロルフ様の顔を見ようとしたら割と力ずくというか胸に抱え込まれる体勢にされて見えません。
へぷ、と鼻から真っ先に案外逞しい胸板に着地して地味な痛みを覚えるも、直ぐに柔らかく包まれるような抱擁に変わるのです。……顔は上げさせてくれませんけど。
い、嫌がられてないのは良いのですけど、……顔くらい、見せてくれても良いのに。
「あ、あの、ロルフ様」
「……暫く此方は見るな」
「でも」
「良いから」
絶対に駄目だと言われて、私は心臓のどきどきをそのままに暫くロルフ様の胸に顔を埋めて時間が経つのを待つしかありませんでした。ひっついた胸から平常よりもかなり早い鼓動が聞こえたのは気のせいではないと、ちょっとだけ笑いながら。




