奥様と燐光花
自分の居場所が此処にある、と胸を張れるようになってから、何だかとても毎日が明るいというか、私自身が明るくなった……と言っても良いのでしょうか。昔の事でうじうじする事もなくなりましたし、ちょっと、変われたのかなって思います。
私の変化は目に見えていたらしくて、アマーリエ様やホルスト様、コルネリウス様は穏やかに見守ってくれます。いえ、コルネリウス様は直接「吹っ切ったみたいで良かったよ」と言ってきますけど。
私はその言葉に「ご心配お掛けしました」と笑って返せるくらいには本当に自分の中で踏ん切りはついています。……何とも思わないくらいには、私の中で整理はつきましたよ。それもこれも、ロルフ様のお陰です。
……私、こんなに幸せで良いのか悩むくらいに、幸せです。
「ロルフ様、今お暇ですか?」
休みの日はロルフ様も私と過ごす事を優先してくれるのは分かっているのですが、やはり貴重なお時間を頂くというのはちょっぴり申し訳なさがあります。
ロルフ様は気にしないと分かっているのですが、やはりこればかりは性分なのでどうしようもありません。
おずおずと窺うと、ロルフ様は何故そんな畏まるのだと言わんばかりの表情。
「暇だが……どうかしたのか? 何処か行きたいのか?」
「いえ、そういう訳ではないのですが」
そりゃあお出掛けというのも素敵ですけど、お出掛けするなら計画的にしたいですし……暫くは家でゆったり出来たらな、と思っているので。
「この前のお出掛けの時に買って頂いた種を植えて育ててたんですけど、漸く蕾まで育ったんですよ。折角だから見て頂けたらと思って」
前回のお出掛けで燐光花の種を私に買い与えて下さったロルフ様。
私はあれからお庭にまずは少量種を蒔いてお世話していたのですが、漸く花咲く前、丁度蕾の状態まで成長したのです。
花弁の色はがくに完全に覆われているので分からないのですが、数日中に咲きそうなのです。
どうせなら咲いた姿を見せたくはあるのですが、出来れば開花する瞬間を見て貰いたいものですね。狙って花咲かせるのは私には恐らく不可能だから、 取り敢えずロルフ様にも見て貰えたらなって。
頑張って御世話した……といっても水遣りとか雑草を取るくらいの作業ですけどね。それでも自分で一から育てた花というのは、感慨深いしとても大切なのです。
駄目ですか? と問い掛けるとロルフ様は断り素振りすら一切見せずに二つ返事で了承して下さって、ついつい笑みが勝手に零れてしまいます。
良かった、断られなくて。……いえ、ロルフ様優しいからそれくらい全然時間を分けて下さるとは思うのですよ?
ありがとうございます、とロルフ様に笑いかけると、ロルフ様は少し瞠目してから、穏やかな笑みに。眼差しは、擽ったさすら覚える程に優しく、甘い。……何というか、微笑ましそうというか。
「……どうしてそんな微笑ましそうにしているのですか」
「いや、やはりお前は明るい笑顔の方が似合うな、と思って。そっちの方が、可愛らしい」
ひゅ、と息を飲んでしまった私に、ロルフ様は木漏れ日のように淡く暖かい微笑みを浮かべては頬を撫でて。……ロルフ様は嘘をつかないと知っているから、お世辞を言わないと知っているから、色々と恥ずかしい。
そ、そりゃあ、暗い顔してるよりは明るい顔の方が良いですし、比べれば明るい方が多少は可愛く見えるでしょうけど!
「……あ、ありがとう、ございます」
「何故照れる? 素直な気持ちだぞ」
「だから恥ずかしいんですっ」
褒められる事に慣れてないのに、お慕いしている方に可愛いとか褒められたらそりゃあ嬉し恥ずかしで頭一杯です。ロルフ様、基本的に容姿とか言及しないから、尚更。
顔に熱が集まるのも当然で、羞恥にぷるぷると震える私ですが、褒めた当人は不思議そうというか、ご自身の賛辞の破壊力を理解していない顔です。
私にとって、ロルフ様のお言葉は多大なる影響力を誇ってるのに。
「そうか? しかし褒めるのは良い事だろう。良い所は褒めると言ったが。前向きなお前の方が私は好きだぞ。今までの後ろ向きなお前も嫌いではないが、笑った方がずっと良い」
「……す、すきっ、ですか」
「何故そこまで狼狽えるのだ?」
い、いえ、好ましいという意味なのは、分かりますけど……っ! ロルフ様はまだ明確に好きとか愛とか、定義付けていないと思うのです。
それでも、優しくしてくれるし甘いし特別扱いしてくれるから、愛情というものの欠片くらいは抱いてくれてるとは、思いたいですが。これでもし好きとか本気で言われたら、私キャパシティーオーバーで倒れてしまいそうな。
「エルはもう少し自信を持つと良いぞ? ……私にとって、エルは可愛いと思っている」
何て事のないように言ってのけて頬を撫でるロルフ様に、もう何か色々限界で、私は口から唸り声や奇声が漏れないようにきゅっと唇を噛み締めてロルフ様を見上げます。
……何故か誇らしげなロルフ様と視線が合うので、やっぱり見なきゃ良かったとも思うのですが。
「……さ、先に庭に行ってます!」
あまりに顔が火照って一人で落ち着く時間を作ろうと身を翻して。
ただ、静止状態から急に動こうとしたのが負担だったらしく、重心が前にかかり、体勢を崩してそのまま床に転がり……そうになった所を、ロルフ様が支えてくれたので惨事は防げました。
「……エル、急に走ると転ぶだろう」
「ううう」
「お前は、本当に危なっかしいのだ」
「め、面目ないです……」
ロルフ様の言う事はごもっともです。……毎回倒れたりこんなドジをしていたら危なっかしいと言われても仕方ありませんし。いつもロルフ様にご心配をお掛けしていますね……。
しゅん、と肩を縮めた私にロルフ様は「抱えていく方が安全な気がする」と呟いたので、有り難くも辞退すべく首をぶんぶん振っておきました。
お、お姫様抱っこで運ばれるのは、かなり抵抗があります。丁重に運んで下さるでしょうけど、転びかけたから輸送して貰ったとか羞恥と申し訳なさに下ろして貰った後立てなくなりそうです。
私の拒否にロルフ様はちょっぴり残念そうに吐息を唇から漏らした後、ならばと手を差し出して来ます。それは、紳士のするエスコートのようで。
「お手をどうぞ」
言葉遣いまでエスコート用に変えたロルフ様。……ロルフ様って、普段は結構強引だったりしますけど、こういった動作も様になるのですよね。
おずおずと掌を乗せると、ゆったりとした笑みに。
「ゆっくり行こうか。時間はあるのだ、焦らなくて良い。もし今日が駄目でもまた別の日にすれば良いだろう、私達はこれから長い時間一緒に居るのだから」
「……はい」
焦っていた訳ではないのですが、でも、ロルフ様の言葉は嬉しかったので、黙っておきました。……羞恥は残ったままですけど、心臓を落ち着けるよりもロルフ様と手を繋いでいる事の方が、重要で。
……長い時間一緒に居てくれるんだ、って思うと、羞恥とはまた別に胸が暖かくなるのです。夫婦として、ずっと側に。そんな未来を予想すると、体がぽかぽかしてくるのです。
いつか、妻として、女として愛してくれたら、言う事はありません。今はこのままでも、充分に幸せですから。
「エル?」
「いえ、何でもありません」
笑って、私はロルフ様の掌を握り返しました。
ロルフ様に手を引かれ……というか庭に招いたのは私なので私が引いて、燐光花を植えた一角に。
私が貰ったのは、クラウスナーの敷地の中でも端っこの方にあって人目につきにくい場所の花壇です。此処は人の目が届かないし植えるものもなかったそうなので放置されていたらしく、私が手入れして使わせて頂きました。
綺麗に整えた花壇、その中に、ロルフ様から頂いた燐光花が蕾の状態で私達を待っていました。
「ロルフ様、見て下さい。ほら」
本で調べた所、育てるのは本来魔力がないとかなり育ちが遅いとかなんとか。幸いな事に私には魔力があったのでちょっとずつ注ぎながらお世話をしていたら、思ったよりも早いスピードで成長したのです。
「ふむ。がくに完全に包まれていて花弁の色が判断できないのが惜しいな」
「何色の花が咲くのでしょうね。これって開花する時って一気に咲くのでしょうか?」
「基本はそうだな。発光しながら咲くから一気に花弁が広がる筈だ」
名の通り、咲く時に光を放つ花。がくに包まれた花が光ながら一斉に広がるというのは想像出来ません。私が見せて貰ったのは種からぽんっと成長させた姿ですし。
「……恐らく魔力を一気に流せば咲くとは思うぞ?」
「ま、魔力をですか……意識的に流すのって苦手なんですよね」
「試してみろ。練習にもなるだろう」
「は、はい」
そこでいきなり実践させるのはロルフ様らしいというか。いえ、花咲く瞬間を見て頂きたかったから丁度良い言えば丁度良いのですけど。
出来るかは確約出来ませんが努力はするつもりです。
花に近付いてしゃがみ、蕾に手を翳します。多分この花壇にある燐光花を一気に花咲かせるには少量とはいえ私には出来なさそうです。一本ずつしていくのが得策でしょう。
ロルフ様達に習った事を意識して魔力を通すと、花が光り始めます。目映くはない、澄んだ青白い光。
成功かとその花を見てみれば、どうやら成功したらしくがくに包まれていた花は一気に花開いていました。
ロルフ様が咲かせて下さったのは、淡い黄色の花。私はそれとは対照的というか、青白く、花びらが薄いのか硝子のようにやや透き通った花弁です。
それ自体が淡く光を放っているのか、花弁に手を翳して影を作れば青白く光っているのがよく分かりました。手を近付ければ、微妙に光は強くなります。
「わぁ……綺麗ですね」
私が青白い色というのは不思議な気分ですけど、綺麗なのには違いありません。開花に成功して良かった、てっきり失敗してしまうものだとばかり……。
ちゃんと咲きましたよ、と笑顔で振り返ると、何だか渋そうなお顔というか、驚愕と困惑が一緒になったような、そんな表情。……し、失敗だったのでしょうか。
「ロルフ様?」
「……いや。……何というか、私はお前のする事に度肝を抜かされる事も多いな、と思っただけだ」
「え、だ、駄目なのですかこれ」
「いや、ある意味では想像していたのだが……本当に、魔力が特殊なのだな」
「そ、そうですか……?」
私としては普通に魔力を込めたつもりでしたが……そんなに、驚く事なのでしょうか。
「色もさる事ながら、普通淡いとはいえ光を放ち続ける筈がないのだ。あくまで花咲く時だけで、後は普通の花だ。魔力を蓄積するという傾向はあるが、花自体が光る事は二度とない。正直、初めて見た」
花自体が変質したのだろうか、と興味深そうに淡い光を灯した花を眺めるロルフ様。
ロルフ様の専門は植物ではないですが、研究者気質なロルフ様には見た事もない現象に興味が引かれているみたいです。見せて良かった、みたいですね。
「一株貰ってはならないだろうか、研究所で観察と検査したいのだが」
「元はロルフ様に頂いたものですし、お役に立てるならどうぞ」
「助かる」
了承すればロルフ様の顔が綻ぶので、私はそれならとにっこり笑って、ちょっと離れた所にある小さな物置、というか園芸品を置いてある場所に行って植木バチと小さなスコップを手に戻ります。
しゃがみこんで根を傷付けないようにしながら掘り出して植木鉢に土と共に植え替えるのですが、私が素手で土弄りをしているからかロルフ様は「手が汚れるぞ」と微妙に心配そう。……これくらいお世話してたら当たり前だから気にしないですよ?
私が触れるとやけに光っている気がする花を植木鉢に移し替えて「出来ました」と笑顔で差し出すと、何故かロルフ様は受け取らず頭を撫でてきます。……あの、とても子供扱いされてる気がするのですけど?
むう、とちょっと口を尖らせつつも困惑する私に、ロルフ様はとても微笑ましそう。私から植木鉢を受け取るとひとまず側に置いてから私の手を水の魔術で綺麗にしてくれました。
……こういう時に魔術使えると便利ですよね、ほんと。治癒術しか使えないから、生活に利用出来る魔術が使えるのが羨ましいです。
しっかり乾燥までさせてくれたロルフ様の至れり尽くせり具合に感謝をしつつ、鉢に移した燐光花をつつきます。そっと触れただけで弾けるように光が強まるので、キラキラして綺麗なんですよね。
「綺麗ですね、これ」
「そうだな。お前に近付けると光が強くなるのだな、不思議なものだ」
「私の魔力に反応しているのでしょうか?」
「かもしれないな」
ロルフ様が触っても何ともないのに、私が触ると光がより強くなるのです。となると私の魔力に反応している、という事になります。
私が育てて変質させた(?)せいで変な特性を得てしまった燐光花。……これ、魔力をもっと込めたら、また光の度合いも違ってくるんじゃないかなあ、と。
それはまた他のも咲かせてからお試しですね、と私も若干ロルフ様に毒され……というのは失礼ですから影響されているのも自覚しつつ納得し、ふとロルフ様を見上げると、じっと私を見ていて。
「どうしましたか?」
「いや、エルは花が似合いそうだと思ってな。暖かな雰囲気が、そう思わせるのだろうか」
私に手を伸ばし、頬にかかった髪を耳にかけてはそっと微笑むロルフ様。
少し頬と耳に触れられただけなのに、擽ったさと、胸の高鳴りが襲ってくるか、本当にロルフ様って怖いです。いつも、私はロルフ様に翻弄されてますから。
「どうした?」
「……ロルフ様はずるいなって」
「私がか? 何か不公平でないなら謝るが……」
「いえ、その……いつも、私ばかり、心乱されてるから」
ちょっとくらいロルフ様だってどきどきしてくれたら良いのに、ちっともそんな表情見せてくれませんし。ロルフ様の一挙一動に振り回されているのです。
……そりゃあ、ロルフ様をどきどきさせるなんて私には無理かもしれませんけど、少しくらい動じてくれる事があっても良いのに。
そんな思いを込めてロルフ様を見ると、ロルフ様は「ふむ」と少しだけ考え込んで。
「私が感情を動かしていないと思っているなら間違いだぞ」
「そう、なのですか?」
「当たり前だろう。私を何だと思っているのだ」
心外だな、と言葉は批難するようなものの声は面白そうにしているから、怒っている訳ではないのでしょう。
「その、ロルフ様はいつも冷静だから……」
「顔に出ないだけだ。色々思う事はある」
「たとえば?」
「そうだな、今だと……この花の事だな。性質変化も気になるし、もしかしたら研究にも役に立つかもしれないから期待している」
「……ふふ、ロルフ様らしいですね」
……うん、実にロルフ様らしいです。このお花にわくわくしてるのですね。まあ私の事を何か考えてはいないというのは残念なのですが、もうロルフ様らしくて笑ってしまいます。
それがロルフ様ですし、そんなロルフ様を好きになったのも私です。何だか微笑ましいというか、ああロルフ様らしいなって。
ふふ、とつい笑みを零してしゃがみ、移し変えた花にそっと手を添わせる私です。
少し魔力を通してみると、光が強まるのです。やっぱり、私の魔力を通すと輝きは強まるのですね。ロルフ様の研究用に少し魔力を込めておきましょう……っと。
「……まあ、それ以外にも、お前の事は色々考えているのだがな」
「え?」
「いや、何でもない」
花に魔力を通す事に集中して上手く聞き取れなかったので聞き返すと、ロルフ様は気にするなとぽんぽんと撫でては静かに微笑むので、私は首を傾げるしかありませんでした。




