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在りし日の自分と変わった自分

「エル」

「はい、おとうさま」


 それは、懐かしい記憶でした。

 まだ、何事もなかった頃。のろくて要領の悪い私は両親の期待には沿えなくて、でもちゃんと子供に対する愛情は完全には失せていなかった。抱き付けば仕方ないなあと抱っこしてくれたし、一生懸命に勉強をする私の面倒を見てくれた。お出掛けだってしてくれた。

 決して、情に欠けた両親では、なかったのに。


「お前は部屋にこもっていなさい。傷に響くだろう」

「でも……」

「良いから必要以上に出てこないでくれ」

「お母様、」

「……言い付けは守って頂戴。これもあなたの為なのよ」


 何処で、狂ってしまったのでしょうか。

 気付いたら、皆周りから居なくなっていて。いつも遠巻きにされて、影で何か言われて。


 何故生きているのだ、それは私が聞きたかった。こんな思いをするならあのまま死んだ方が幸せだったのではないか、そう思った。仲の良かった兄姉も優しかった両親も、家のお得意様も、皆私を怖がった。虚ろな目をした私に、怯えた。


 自殺も考えたけれど、結局死ぬのが怖くて止めました。


 そして、ある日諦めてしまえば良かったと気付いたのです。

 この傷のせいで私は忌避され嫌悪されるのだ、傷があるから仕方ない。愛されないのは仕方ない。

 そう自分に言い聞かせて諦めたら楽で、愛されようとするのも止めて、ただ一人で過ごして……。


「……エル、エル!」


 ……そこで、呼び声に起こされるように、私の意識は浮上します。

 体を揺すられて重い瞼を動かすと、ぼやけた視界は薄明かりに照らされたロルフ様を映し出します。何だかロルフ様の輪郭は滲んでいて、でも焦っている表情なのは何となく分かりました。


 ロルフ様は私が起きた事に酷く安堵したようで、横になったままの私の頬を撫でては、深々と吐息。


「お前は魘されていたのだ。……大丈夫か?」


 ……魘されて、いた。

 その理由は、あの夢なのでしょう。あまり思い出したくなかった、実家に居た頃の事。ヒルデちゃんの事で思い出して、しまったみたいです。


 別に、暴力を振るわれていた訳でも、ご飯を抜かれていた訳でも、面と向かって罵倒されていた訳でもありません。ただ、恐怖と忌避の眼差しで遠巻きに見られて、基本的に居ない者扱いだっただけ。

 気付いたら、私の周りからは誰も居なくなっただけ。


 ……一人は、怖い。

 今更のように、それを思い知らされるのです。

 温かい場所を得てしまったが故に、此処から突き放された時を考えると、怖くなる。そんな事はないって、分かっているのに。


「……大丈夫、じゃないです」


 此処で素直に助けを求める事が出来るようになったのは、進歩なのだと思います。

 抱え込むな、頼ってくれ……ずっとロルフ様が言い続けてくれたから、私は、ロルフ様に頼るという手段を選べるようになりました。受け止めてくれるって、分かったから。


「……私はどうすれば良い?」

「……抱き締めて下さい」

「分かった」


 言うや否や、強く抱き締めてくれるロルフ様に、私は安堵感と幸福感で漸く嫌な汗も落ち着いてきます。

 ……此処に居る、私も、ロルフ様も。ロルフ様は、私を忌避したりはしない。側に居てくれる。私の大きな救いとなっているのです。


 起き上がった私を腕に収めて背中を撫でてはあやすように触れてくるロルフ様。……子供みたいですね、私。怖い夢を見て震えてしまう、幼い子。……今は子供でも良いです、ロルフ様にこうして抱き締めて貰えるなら。


 ロルフ様の腕の中はどきどきしますけど、今は、とても落ち着く。やっぱり私は温もりを求めていたんだと思うと苦笑してしまうのですが、笑った拍子の震えがどうやら泣いているのだと誤解されたらしくて強く抱き締められます。


 ……温かい。此処に来て初めて知った、温もり。私が欲しくてやまなかった、温もり。昔とは比べ物にならない程、私はこの家に嫁いで満たされています。


「私は、一人じゃないですよね」

「ああ。私が居るし、父上母上兄上も居る。なんならあの馬鹿二人も付け足してやろう」

「ふふ、馬鹿って言っちゃ駄目ですよ。……そっか、一人じゃないですよね」

「当たり前だろう」


 エルにはエルを大切に思う人が居る、そう囁かれて、押し潰さんばかりに圧力をかけてきた孤独感や不安感が、ほどけては外に流れていきます。

 ……ちゃんと、私には居場所があるのですから。一人じゃ、ない。もうこの劣等感も、孤独感も、抱えておかなくて、良いのですよね……?


「……ロルフ様、少しだけ昔話、聞いてくれませんか?」


 これは言うべきか悩みましたが、結局周知の事実ではあるのです。ただ皆優しいからそれを詮索しないだけで。


 今まで蓋してきたこの気持ちと過去。ずっと仕舞い込んでは内側をどろどろと腐らせていたそれ。でも、今なら、すすげそうな気がして。

 ……本当は聞いて貰う事で楽になりたいのかもしれませんけど、それでも、言葉にしたら私が変われる気がしたのです。


 ロルフ様は私が何を言いたいのか分かったらしく、微かに瞠目しながらも「聞こう」と静かに頷いてくれました。


「……さっき魘されていたの、昔の事を思い出したからなんです。楽しいお話じゃないですけど」

「聞いてエルの気が楽になるなら聞こう。お前の事を知りたいしな。話したくなければ話さなくても良い」

「ありがとうございます。……ロルフ様も多分知ってはいると思いますけどね」


 急かす事も嫌がる事もしないでただ私が話し出すのを待つロルフ様に、私は心から感謝をしつつ、目を背けてきた事に漸く向き合います。


 ……全てを聞いたらロルフ様は怒ってしまうかもしれません。ロルフ様は優しい人だから。でも、私は今更両親達を責めるつもりも、怒るつもりもありません。……ただの、過ぎ去った日々なのですから。


「ロルフ様は両親の事どう見ているか分かりませんが、最初は優しい人だったんです。兄姉だってそう。最初は遊んでくれたし、私は頭は良くなかったけど勉強を教えてくれたし、色々な所に連れていってくれました。優しい家族だったのです」


 極普通の家族だった、どんくさい私にも愛情を注いでくれた、何て事のない家族だった。


「けど、私がこの傷を受けてから、態度は一変しました。兄姉達も傷口を見て助からないって思っていたのでしょうね。……けど、私は助かってしまって……皆、喜ぶ前に不気味がったのです。あんなに血が出て裂けた状態で放置されていたのに、どうして生きて数週間後には平然と起き上がって歩き会話が出来るのかと」


 今思えば私が魔力によって自身に無意識に治癒術……とまではいきませんが生命力を活性化させていたからこそ、生き残ったのでしょうが、両親達が知る筈もありません。

 下手すればゾンビか何かのように思われていたのではないでしょうか、笑い事じゃないですけど。


「それから、私は両親に言い付けられ部屋にこもることになりました」


 まあ、自主的に、というのもありましたが。だって、顔を見せたら引きつった顔をされるのですから。


「……最初は寂しかったし、辛かった、苦しかった。顔を見せたら避ける家族を見て泣きもした。何で生き残ってしまったのかと自分を責めもしました。……けど、諦める事を覚えたのです」

「諦める?」

「この傷があるから私は嫌悪されるんだ、化け物みたいな回復力があったから忌避されるんだ。だから愛されなくても仕方ないんだって。……そう考えると楽で、現状にも納得出来るようになったのです。隔離するのも仕方ないなって」


 諦めてしまえば、楽でした。期待を持たなければ裏切られる事もなくて、孤独でも耐えられた。


 そう、とつとつと呟く度に、ロルフ様が私を大丈夫だと言わんばかりに抱き締めて来るので、思い出してもそんなに苦しくはないのです。ロルフ様はとっても心配してくれていますが、……思ったよりも、ダメージはありません。

 昔の事だと、割り切る事が出来ているから、でしょうか。


「それから数年間、基本的に部屋か誰も居ない時に庭に出て過ごして……ある時、本当に珍しく父様が来たのです。お前に結婚話を持ってきたって」


 あの時は驚きでした。傷持ちの私に縁談だなんて。相手はそれを知っているのか、とか色々心配になってしまいましたが、断れる筈もありません。


「体のよい厄介払いだったってのは、分かってます。それに巻き込まれたロルフ様には申し訳ない気持ちで一杯でしたが。こんな女を嫁がせるなんて、って」

「……私は嫌がった事はない。お前が良い」

「ふふ、ありがとうございます。……あのねロルフ様、今私、幸せなんですよ。こうして、大切にして貰って、抱き締めて貰って。生まれて良かったなって、ちゃんと思えるのです」


 こんな女と罵られる事を覚悟で会って、嫁いだのですが……結果として、良かったのです。ロルフ様と出会えた、受け入れて貰った。奇跡のような出会いだった。

 あの申し出がなければ、私は今こんなに幸せではありませんでした。ずっと、あの部屋にこもって一人ぼっちで居たと思います。この温もりも、自分の価値も、笑顔も、幸せも、知らないまま。


「……正直、家族なんて私を捨てた人だから嫌いだった。こんな私は、最低な人間でしょうか」

「エルが最低ならばお前の元家族は人間ではないぞ」

「そんなにですか? 人として当たり前の反応では?」

「自分の家族が生きていて素直に喜べない人間など性根が曲がっている」


 やや怒り気味の声は、私の両親や兄姉に向けてなのでしょう。ロルフ様は優しいから、昔の事でも心配して怒って下さっているみたいです。

 ……もう、気にしていないのに。


「……ロルフ様」

「どうした?」

「私、考え方を変えたら、凄く楽になったんです。あの人達は私を愛してはくれなかったけれど、代わりに私に新しい家族というものを与えてくれました。与えてって言ったら失礼ですね、私に暖かい家庭に入らせてくれました。……ずっと、どうしてって泣き付きたかったけど、もうその感情も消えました。私には、もう新しい家族が居るのですから」


 ……思えば、話したら随分とすっきりしました。言って良かった。ロルフ様に重い過去を背負って貰うのは気が引けますけど、……ロルフ様は、それごと私を受け入れて下さったから。


「もう、魘される事もないと思います。だって、私にはロルフ様が、皆様が居るんですから」

「……そうだな」


 ……もう、私は昔あった事をずっと引きずり続ける気が、失せてきているのです。今、とっても幸せですから。……昔があるからこそ、今の私が居る。それで、良いのだと思います。

 完全に割り切れてはいないかもしれないけれど、こうして昔を受け入れてそれも一つの自分の構成要素だと考えられるようになったのは、ロルフ様の、そして私に優しくしてくれた皆様のお陰。私の大好きな、新しい家族。


「……エルには私が居れば良いだろう?」

「嫌です」


 きっぱり断ると、ロルフ様は私がまさか嫌がるなんて思ってなかったらしくて目を剥いてしまって、ついつい笑ってしまいます。……早とちりしちゃ駄目ですよ、ロルフ様。


「ちゃんとアマーリエ様達も居なきゃ、嫌です。……私の、大切な家族なんですから」

「……そうだな」


 これは失念していた、とちょっと冗談めかして笑ったロルフ様に、私も笑って。

 ……私の家族。ロルフ様にとっても、私は大切な家族、で良いですか?


 私の家族は、この家の人だけ。きっと、両親もそういうつもりで、私を嫁がせたのでしょう。……それは少し悲しいけど、感謝もしています。でなければ、ロルフ様と出会えませんでしたから。


「だから……ちゃんと、けじめをつけに行かなきゃなって」


 誰にけじめを、というと、私を遠ざけた両親達と、そしてずっと内側にこもっていた自分に。……いつまでもうじうじしていると、またコルネリウス様につつかれちゃいますし。

 応援して下さっていたアマーリエ様やホルスト様、コルネリウス様達、それにロルフ様も、私が過去の傷から立ち直る事を、ずっと待ってて下さっていましたから。


「会いに、行くのか」

「はい」


 けじめという意味を正確に理解したロルフ様は、気遣わしげに私を見詰めてきます。


「わざわざエルが傷付く必要なんてないだろう」

「大丈夫です、ロルフ様が居るから平気ですよ。それに、もう私にはあの人達とはやり直せないけれど、ちゃんと伝えたい事はあるのです」


 生んでくれてありがとう、ロルフ様と出会わせてくれてありがとう。少しの間だけど家族で居てくれてありがとう。

 怖くないと言えば嘘になるけれど、目を背けていた事から逃げるつもりも、もうありません。


 思えば、私ってこの家に来てから、本当に変わった気がします。

 ……昔より随分と前向きになったし、何より、我が儘になった気がしたり。だって、何もかも受け身だった私が自分に必要な繋がりを取捨選択するようになったし、ロルフ様にもっと抱き締めて欲しい、触れて欲しいって望むようになってしまいましたから。


 ……私は変わった。その変わった事と昔の自分を受け入れると共に、昔の象徴に、さよならをしにいきたい。


「……エルがそう望むなら、私はその意思を尊重しよう。ただ、その際は私も同伴させて貰いたいのだが」

「ロルフ様がですか? 両親に何かするつもりなら駄目ですよ」

「それは向こうの出方次第だが、喧嘩しに行く訳ではない。ただ、エルの選択を見守るだけだ」


 夫である私には見届ける資格があるだろう、と顔を上げた私の額に口付けるロルフ様に、慣れたようで全然慣れていない私は、頬を染めるものの……やっぱり嬉しくて、そのままロルフ様に身を任せます。


 ……夫と宣言してくれたロルフ様。……私の、大切な旦那様。私はその隣に胸を張って立つ為にも、過去に区切りを付けたい。


 ロルフ様の肩口に顔を埋めては、静かに瞳を閉じました。




 そして、私は先に書簡を出してから、実家に向かいます。

 当然快く受け入れられるものとは思っていませんでしたが、私がロルフ様をお連れしていたからか追い返される事はありませんでした。まあ、何で来たんだという眼差しと微妙な表情でお出迎えはされましたが。


 ロルフ様は、何も言いません。ただ私の顔をちらりと窺うだけ。私は歓迎されないだろうという予想はしていましたし、ロルフ様が隣に居る事が心強く、傷付いたとかそういう感覚はありません。

 今までちょっとの事で傷付いてきた分、耐性が付いているのかもしれませんね。


「……今日は何の用事があって帰って来たのだ」


 客間で会話が始まるのですが、父様は私とは目を合わせません。微かに罪悪感が見て取れるのは、娘を体よく追い出した、という事を自覚しているからでしょうか。

 それでも父様は、私の事を疎んでいる事も変わらないでしょう。私はそれを嫌だと言うつもりもありませんし、責めるつもりもありません。


「言いたい事があって。今日は少しお時間を頂きたいのです」

「何だ。……私達に不満か? それとも、まさか家に帰りたいのか?」

「そのどちらでもありません」

「では、何だ」


 父様には私が何を言いたいのか分からないでしょうね。昔の私からも考えられませんから。


「……お礼を言いたくて」

「お礼、を?」

「はい」


 私の言葉が意外だったのか、父様は瞠目。

 それもそうでしょう、今まで隔離してきて突然嫁に行かせた娘から、お礼が来るなんて思ってもみなかったと思います。私も、漸く一つ前向きに捉えられるようになったからこそ、感謝の気持ちを抱けるようになったのですから。


「正直に言いますね、私は父様達の事、嫌いです。掌を返して拒絶した父様達が、嫌で仕方ありませんでした。……憎みはしていませんけど。私は疎まれて当然だったから」


 胸を片手でそっと押さえると、こっそり繋いでいた手をきゅっと握ってくれるロルフ様。私もそっと握り返してちらりと窺って、微笑んで。

 そんな私達に父様は有らん限りに目を見開いています。……決して、家では見せなかった表情ですから。


「それでも、ロルフ様と出会わせてくれたから。……今、私は幸せです。この家に居た時より、ずっとずっと幸せです。今となっては、あれで良かったのかもしれません。傷を負わなければ、ロルフ様とは出会えなかったから」


 傷は、好きではないけれど、疎んでいるけれど、そこには感謝しているのです。だって、これが私とロルフ様を繋いでくれたのですから。


「だから、生んでくれてありがとうございます。ロルフ様と出会わせてくれて、ありがとうございます。少しの間でも家族としていてくれて、ありがとうございます。……きっと、父様や母様はあの時から私の事を家族だなんて思っていなかったでしょうけど、言いたくて」


 今、私はちゃんと笑えているでしょうか。

 私はあなた達の元を巣立った、幸せになった、傷を受け入れてくれる人が出来た。そう、伝えられたでしょうか。


「……私は、もうこの家の人間ではなく、エルネスタ=クラウスナーとして生きて行きます。私の居場所は、此処ではないのだから」


 初めて名乗った、私の新しい名前。

 一方的な決意表明であり決別だとは分かっていたけれど、自己満足だったとしても、それでも言いたかった。不出来だった私を少しの間でも愛してくれていた事に、お礼を。そして、私はもう居なくなった者と扱ってくれたら良いと。


「さようなら、父様。今までありがとうございました」




 帰りの馬車は、行きよりは空気もほぐれていました。私が緊張から解放されたからでしょうか。

 思っていた事全て言い切って、もう胸の重石は全部なくなりました。


 ……案外、呆気なかった、ですね。もっと重くて陰鬱な雰囲気になると思ったのに、父様はただ私の言葉を受け止めて「そうか」と一言だけ返して、初めて私の瞳を見たのです。

 その時に瞳に宿っていた感情を何て表現して良いのか、そして何と名付けて良いのか分からなかったけれど、それは父様が初めて私に見せた瞳でした。


 ロルフ様は宣言通りただ見守って見届けただけ。口出しはしませんでしたが、隣で見守って、繋いだ掌から力を分けてくれました。隣に居てくれるだけで心強かったのです。


「……強くなったな、お前も」

「そうですか? ふふ、ロルフ様に言われるなら、そうなのかもしれませんね」


 ……強くなったのかな、私。確かに、昔よりは強くなったとは、思いますけど。

 強くなったならきっとロルフ様のお陰ですね、と笑って……ふと、ぽろっと頬に滴る雫。馬車の中だから、雨は関係ないし、お外は晴天なのに。


「……あれ」


 頬に触れると、しっとりと濡れていて……。


「……エル、一つ良いか?」

「は、はい」

「……此処は私だけしか居ない。強くなったのは事実だが、……泣くなとは言わないぞ」


 ロルフ様のその一言に、自分が泣いていた事に気付かされるのです。

 自分では割り切ったと思っていたのに、私から突き放したのに、何故私がショックを受けているのでしょうか。自分勝手ですよね、自分から決別しておいて、傷付くなんて。


「……泣き顔を見せたくないのなら私が隠してやろう。ほら」


 涙が止まらない私を見かねたロルフ様は、私の事をそっと抱き締めては胸で顔を隠してくれます。


 ああ、やっぱりまだ私は弱いな。……ロルフ様の腕の中だと、直ぐに弱気になってしまう。

 背中をぽんぽんと叩かれると、目頭が熱くなるのです。自覚してしまえば、次々と零れてくる涙。けれど、それは苦いものではありません。


 私はただ、嗚咽を堪えて静かに涙を流しました。




 馬車が屋敷に着く頃にはすっかりと涙も引っ込んでいて、寧ろ泣いてすっきりしたくらいです。全部、流してしまったのかもしれません。不安も葛藤も、何もかも。


 相変わらずロルフ様は私を宥めてくれて、泣き止んだら止んだで濡れた頬をぺろっと舐めては「やはりしょっぱいな」と感慨深そうに呟くので、もう何だか笑ってしまいました。

 普段の私はよく分からないですが甘いそうです。偶に吸い付かれたり軽く噛み付かれたりした時に味見されているようです。……ロルフ様、私食べ物じゃないですからね?


 ちゃんと気持ちを伝えられた事と泣いて全部吐き出した事からか、家を出たときよりもずっと爽やかな気持ちの私。馬車から降りると、私が生家に行くと聞いて心配だったらしいアマーリエ様やホルスト様、コルネリウス様が出迎えてくれて。


 何だか図らずも家族全員が揃ってしまった事に、笑みが零れます。

 ……私の、家族、なんですよね、皆。私の居場所は、此処にあるのですよね。


「ただいま帰りました」


 もう、私はあの家には戻らない。

 私の家は、此処なのだから。

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