奥様と重なる過去
……まあ、私の貧弱な体力では長く持つ訳がなく、直ぐにへばってしまって庭の端っこでぜえぜえ息を乱す事になるのですが。
基本的におうちに居る私には、ちょっと走るだけで簡単にダウン。大人の私があっさり立ち止まったというのに、子供達は元気なもので笑顔で追いかけっこになってます。……最早説教とか関係なさそうな。
因みに、流石というかヴェルさんも余裕綽々で追い掛けたり逆に逃げたり。
ヴェルさんも基本は研究室に居るでしょうに、体力はかなりあるのですね……綺麗でも男性ですからね。
もう限界だと立ち止まって息を整えていた私ですが、ふと少し視線の先で男の子が一人転んだのが目に入ります。
慌てて駆け寄ると、直ぐに起き上がったものの膝小僧から血が流れていて。
「……大丈夫?」
「へ、平気だよ別に!」
転んだのを見られたのが恥ずかしかったらしくそっぽを向いた少年。私はその少年の足元にしゃがみ込んで、膝の具合を見ます。
……擦り剥いて血が出ているみたいですが、石ころで抉ったりしていないみたいで、出血の割に、傷は深くないみたいですね。
……私が治すべき、なのでしょう。いつまで経っても出来ないままなんて嫌ですし、この子が痛い思いをしたままというのも、嫌です。
「……ちょっと待っててね」
傷口に手を翳して、治癒術を発動。
掌から淡い光が放たれ、消えた頃には出血も止まっていました。持っていたハンカチで血を拭ってみると、すっかり消えた傷口。
これには少年も驚いたらしく、自分の膝と私を見比べてはあんぐりと口を開いています。
「……治った。ねーちゃんも、治癒術使えるんだな」
「まだまだ未熟ですけどね」
私は多分、というか絶対ヴェルさんの方が優秀です。私はまだ習い始めたばかり、使い始めたばかりですから。年季の入っている方とは違います。
それでもこれくらいの傷なら治せるという事は分かったので、ほっとしました。自分ではよくうっかりを発動して怪我する度に試して成功こそしていましたが、こういう土壇場で成功するかひやひやでしたから。
ふう、と胸を撫で下ろした私に、少年は少し考え込むような仕草。
「……なあ、治癒術使えるなら、あいつを治せないのか」
「あいつ……?」
「あの隅に居る、ヒルデ。……顔に怪我してから、塞ぎ込んでるんだ。皆からかうから、余計に。笑って欲しくてからかってるみたいなんだけど、逆効果みたいで……ヴェルねーちゃんが治そうとしても、近寄らせてくれないんだ。あいつ、男苦手だから……」
ヴェルねーちゃんは一応男だからな、と言う少年が指し示す先には、端っこでぽつんと佇んでいる女の子。俯いているから見えにくいですが、顔の片面を覆うように包帯が巻いてあるのは分かります。
項垂れ、降りてきた前髪の隙間から覗く瞳は、不安感で一杯になって此方を窺っていました。
……既視感を感じてしまったのは、きっと、在りし日の私に、似ていたからかもしれません。
傷付くのが怖くて前を見たくなくて、でも見捨てられるのは怖い、そんな意思が見てとれます。
……助けてあげたい、とは思います。私のような思いをして欲しくない、から。でも、私に出来るのでしょうか。
「……出来る、って無責任には言えません。……私はまだ、未熟です。治してあげたいとは、思います」
絶対大丈夫、というのは、言えないけど、全力で、頑張りたい。……私の時は助けはこなかったけれど、彼女はまだ間に合うのだから。
「ヒルデ、ちゃん」
一度唇を堅く閉じ、そして今度は笑顔を浮かべて、ヒルデちゃんに歩み寄ります。
当然ヒルデちゃんは殆ど面識がない私の接近に分かりやすく怯えましたが、私はなるべく警戒させないように優しい笑みを心掛けて、ヒルデちゃんの目線に合うように中腰になって話し掛けます。
「……あのね、お姉ちゃん治癒術ちょっとだけ使えるんだ。……治せるかは分からないけど、傷を見せてくれないかな」
優しく声を掛けて暫く待つと、ヒルデちゃんは酷く躊躇いがちに私に視線を合わせてくれます。
とても、怯えた眼差し。それでも一縷の希望を私に見出だしたように、弱い視線を送ってきました。
「……化け物、って言わない……?」
「っ」
「……これを見た人が、気持ち悪いとか、言ってくるんだもん……」
「言わない、絶対に言わないから」
……そんな事、絶対に言う訳ないです。そんな事、有り得ない。その言葉の呪縛に囚われてきた私が、言う訳がありません。
真剣に言うと、ヒルデちゃんはおずおずと顔を上げてくれます。包帯が巻かれていて僅かに血が滲んでいるそれは、傷口を見なくても痛々しい。
幼い子が痕が残る程の傷を負ったのだと考えると、胸が痛くなります。特に女の子が大きく残る程のものを負ったなんて。
どうしても自分と重ね合わせてしまって、私は同じ目に遭って欲しくないとヒルデちゃんの手を引いて、カミラさんに許可を取り施設の一室をお借りします。多分、この子も他の子には見られたくないでしょうから。
緊張と不安が入り交じった眼差しを向けるヒルデちゃんにもう一度笑い掛けて頭を撫で、包帯をゆっくりとほどいていきます。
中から現れたのは、治りきっていない獣の引っ掻き跡のような傷。女の子の頬に残すには、大きな傷です。皮膚が引きつっているのか、強張った顔で。
「……こわくない?」
「怖くないよ」
何処までも不安そうなヒルデちゃんをそっと抱き締めます。
……私みたいに迫害なんてさせないし、これ以上傷付いて欲しくない。私の時は間に合わなかったけど、ヒルデちゃんはまだ治りきっていないし、逆に治癒術で完全に修復出来る範囲だと、思いたい。
まだ未熟な私が出来るかなんて、分かりません。けど、治してあげたい、この子が私と同じ気持ちを味わう必要なんて、ないのです。
今にも泣きそうなヒルデちゃんの頭を撫でて、私は血の塊になっている傷口の部分に、そっと掌を翳します。
先程の少年とは必要とされる集中力や魔力も違います。擦り傷や軽い切り傷と違う、未熟な私が治すには大きな傷。此処までの傷は治した事もありません。
けれど、それがしない理由にはならないです。私が出来得る限り、力を注ぎます。
「……治って」
習っても行使する事のなかった、上位の治癒術。
裂けた肉を作り繋ぎ合わせ寸分の違いもなく元に戻すというのは、想像以上に集中が必要で、慣れない術に頭が一瞬だけくらり。けれどそこで止める訳もなく、そのまま術式を思い浮かべて慎重に魔力を通していくのです。
暖かい感覚が掌を包み、掌が光る。それは先程少年に使った時よりも、目映いもので。
「……あ」
暫く光り続け、そして光が収まると……ヒルデちゃんの頬は、逆側の頬と同じ、艶やかな肌に。
そっと指先でなぞっても引っ掛かりはなく、羨ましい程にしっとり滑らかな子供の柔らかい肌に戻っていました。
痛みも消えたらしく、ヒルデちゃんは瞳を丸くしながら自分の頬をなぞっては「……なお、った?」と何処か呆然と呟いています。
今まであった傷が綺麗になくなっている事に徐々に実感してきたのか、驚愕の表情はみるみる内に歓喜の笑みに。あどけない笑顔が弾け、本来のヒルデちゃんのものだっただろう明るい表情になったのを見届け、私は一息。
「……良かった……」
それだけ呟いて、ちょっと慣れない事をしたせいか力が抜けておまけに目眩がして、へたんとその場に座り込んで。
「お姉ちゃん……!?」
ヒルデちゃんが慌てたように顔色を変えたのをぼんやりと見ながら、私はちょっと休憩と呟いてそのまめ意識を飛ばしました。
気付くと、見慣れた天井。毎朝毎晩見ている、模様の描かれた天井が視界に入るのです。
「……あれ」
孤児院で倒れた記憶はあるのですが、どうして自宅に戻っているのでしょうか。
「起きたか」
「あ、あれ、ロルフ様……?」
そして起きたらロルフ様が居るものだから、私の頭が突然の事態に混乱してしまいます。あれ、気を失う前は孤児院に居たし、日も明るかったのに……ロルフ様が帰ってくるのは日暮れ後だから、今は太陽も沈んだ夜……? というか、私何で自宅に。
疑問符が沢山浮かぶ私に「治癒術使い過ぎて倒れ、ヴェルが連れ帰ってきたらしい」と心を読んだように説明してくれるロルフ様。
……あの後気を失って、そのまま目覚めなかったからヴェルさんも家に連れ帰ってくれたのですね。本当にご心配とご迷惑をお掛けした気が……。
「全力で慣れない治癒術を使ったから、適切な魔力消費より遥かに多く使って反動で倒れたのだろう。……ヴェルが心配していたぞ。それから、無理をするなと」
「う、ご、ごめんなさい……でも、しなきゃと思って」
だって、辛い思いをあの子にして欲しくなかったし……。……そういえば、あの子は。
「あの、その、あの子は」
「……お前が治癒をした子は、無事に治った、と言っていた。それと、ありがとうと伝えてくれと」
「……良かった……」
薄れ行く意識の中で治った事は確認したのですが、夢だったらどうしようとひやひやしていました。そっか、治ったのですね……ちゃんと。これで、ヒルデちゃんも怪我する前の笑顔に、戻りますよね。
私のようにならなくて、良かった。怪我の事を言われたり、怪我の事で忌避されるなんて、恐ろしい事ですから。
ほぅ、と安堵の吐息を漏らして心から一安心した私に、ロルフ様は少しだけ複雑そうなお顔で此方を覗き込むのです。……何というか、ちょっと、不服そうな眼差しで。
「無理はするな。倒れるまで使うな。治癒術師が怪我人より先に倒れてどうする。己が身の限界を弁えろ」
「その、一生懸命で……」
「心配したのだぞ」
「……ごめんなさい」
「全く」
お前は危なっかしいのだ、という言葉と共に抱き締められて、全体的にロルフ様が言ってる事は正しいですし否定も出来ないので黙って大人しくします。ロルフ様は、そんな私を強く抱き締めて。
……申し訳ない、とは思っているのですが、やっぱり止められても私は治癒術を使ったのだと思います。……あのままなんて、あの子には地獄でしかないでしょうから。
だからロルフ様の心配だけは有り難く受け取っておき、私は心配をそのまま抱擁で表すロルフ様の胸に顔を埋めては小さくごめんなさい、ともう一度呟きました。




