奥様と来訪者
「こんにちは、エルネスタさん」
庭で丁度お暇だったらしいコルネリウス様と水遣りをしていたら、突然に背中に飛んできた穏やかな声。それは此処に居る筈がない中性的な低さの声で。
先に振り返ったコルネリウス様は「げ」と分かりやすく声で嫌そうにしていて、……何でそんな嫌そうな声をしているんですか。
私もコルネリウス様に遅れて振り返れば、陽光を照り返す艶やかな金髪を風に遊ばせながら「やほー」とひらりと手を振っている、ヴェルさんの姿。……あれ、此処クラウスナーの屋敷ですよね。我が家ですよね。何故ヴェルさんが。
「……ヴェルさん?」
「何しに来たんだよヴェル」
待って、何でコルネリウス様は突っ慳貪というか素っ気ないというか、突き放すようにしているのですか。
眉間の辺りに嫌な線が刻み込まれていて、眼差しは酷く億劫そうというかかなり険のある感じです。いつも柔和なコルネリウス様が、こんなにも不満を露にしているのは初めてで……どうして良いか分からない私でしたが、肝心のヴェルさんはへらりと緩い笑み。
「その言い種はないんじゃないかなーコルネリウスくーん。ちゃんとアマーリエさんからは許可貰ってるしぃー」
「止めてくれないかわざとらしくしなを作るのは。君は男だろう」
「似合ってると思うんだけどな」
「止めてくれないか、本当に」
女性の私から見ても美しく、そして目を瞠るような可愛らしい仕草でコルネリウス様に近付くヴェルさんですが、対するコルネリウス様はとても冷たく、対応もすげないです。
でもこういう態度を取るって事はそれなりに交友があった、という事ですよね……?
「……あの、ヴェルさんとコルネリウス様ってお知り合いで……?」
「まあね。コルネリウス君は私の親友だよ」
「ざけんな」
「……こ、コルネリウス様?」
あの、コルネリウス様、お顔がとても怖いのですけど。
「……ごめんねエルちゃん。あー……治癒術指導でお前が来たのかよ……ロルフのやつ……」
ヴェルさんがやって来た理由を私よりも早く気付いたコルネリウス様は頭をがしがしと掻いています。
……そっか、ヴェルさんは私の為に来てくれたんですね。それはとても有り難いのですが……何でコルネリウス様は此処まで嫌がってるのでしょうか。ヴェルさんと何かあったみたいですけど。
「コルネリウス君、好青年の化けの皮が剥がれてるよ」
「うるさい。エルちゃん、今からでも他の人探した方が良いよ? これと関わるとロクな事ないよ?」
「人を疫病神みたいに言わないでよ」
「お前のせいで誤解されたり刺されそうになったの何度もあるからね」
誤解は解いたけど良い迷惑だ、とお怒りなコルネリウス様。
……何となくですが、事情は飲み込めてきました。つまり、あまりにヴェルさんが美人で女と見紛うばかりの美貌を誇っていたから、コルネリウス様と親しくしていた女性達が嫉妬したのですね。
確かに、ヴェルさんってとんでもなく美人ですし、初見で男性だと見抜ける方なんてそう易々と居ないと思うのです。
それに、こんな綺麗な方が女性じゃないなんて誰も思わないだろうし、その可能性が頭をよぎったとしても敗北感を覚えてしまいそうで女性だと思い込みたくなる気がします。
コルネリウス様にはヴェルさんと居て良い思い出はなかったようで嫌そうな顔をしていますが、それでも嫌悪感とか不快感までは覚えていないようなので一安心だったり。
「それは相手が勝手に勘違いしたんじゃないか。そもそも君の女好きというか博愛主義が悪いんじゃないの」
「女の子に優しくして何が悪いのかな。そもそも手出しは一切してないよ」
そこは弁えていると堂々と宣言したコルネリウス様。
……そういえば女好きだとかアマーリエ様は言っていましたもんね、普段優しいし弟の妻である私には何らそういう感情は向けてこないので、失念していました。
「エルネスタさん、ロルフの女性に対する興味関心その辺の感情や衝動、全部コルネリウス君に吸いとられたと思って良いよ」
「誤解を招くような事言わないでくれ」
「大丈夫ですよ、コルネリウス様は優しくて素敵な人です。その、多少、女好きでも優しくて良い人には変わりありません」
「それは喜んで良いのかな……」
大丈夫です、個人の嗜好に口出しするつもりもありませんし、殿方なら多少色を好まれるのも仕方ないというか。そもそもコルネリウス様は手出ししていないから大丈夫でしょう。
……まあコルネリウス様が普通の殿方の衝動を持っている分、ロルフ様が色々な意味で規格外という事も思い知らされましたけどね。
私は理解がある方です、と胸を張ったのですが、何だかコルネリウス様はやや疲れたように額を押さえてしまいました。
「あのねエルちゃん、私は正常だからね? 考えなしに直ぐに手を出すようなだらしない男ではないからね?」
「はい、存じております」
「まあそこはマルクスの方が酷いんだけど。マルクスは顔はまあまあなのに中身が下品だからね。コルネリウス君とは違う女好きだよ」
「お前はどうしても私を女好きと決めつけたいんだな……?」
「好きでしょ?」
「女性は大切に愛でるものだろう」
「ほらー」
これを女好きと言わずして何と言うのか、と私に主張してくるヴェルさんですが、確実に楽しんでいます。コルネリウス様、分かってますからそんな必死に語りかけるような眼差しをしなくても良いですよ。
「本当に大丈夫です、理解はあります。ただ、ロルフ様もコルネリウス様の五分の一くらいそういう感情があったら、良かったのになって」
そうすれば、ロルフ様は恋愛感情とかもっと理解してくれたのかなって。ぎゅっとしてくれた時にどきどきしてくれたのかなって。触れた時に、少しくらい女として意識してくれたのかなって。
ロルフ様は私を大切にするし慈愛の眼差しは送ってくれますが、基本的にそういう眼差しでは見てくれません。いきなり見られてもそりゃあ困りますけど、全く意識してくれないのも、複雑です。
……でも最近はちょっと触れ方とか視線が変わってきたので、何か思うところもあるのかな、なんて。
私のちょっとした悩みというか思っている事に、ヴェルさんとコルネリウス様はいがみ合う(というか一方的にコルネリウス様が嫌がってる)のも忘れて顔を見合わせるのです。
「……エルネスタさん、ロルフ様はほら、朴念仁だから……ね?」
「あ、いえ大丈夫です、最近のロルフ様は優しくて、その、楽しそうに触れてきますから」
慰めて頂かなくとも、大きな不満はありません。実際ロルフ様はそういう感情は薄くとも、くっついて愛で……愛でて? きますし。
最近では寝室に限りかなり触れて来ますし、大切に大切にされてるのです。触れる場所はまあ偶に腿とか首筋とか変な所を触ってきますが、いやらしさは全然ないしただ肌に触れたがるだけなので構いません。
なので、さっきのは私のほんのちょっとの我が儘ですよ。
という事をお伝えすると、何故か二人が微妙な顔。
「……ロルフ、何気にむっつりだよね」
「むっつりというか、興味の赴くまま、欲望に正直に生きてるから」
「それをむっつりと言うのでは?」
「ち、違いますよ、ロルフ様はそういう感情とか一切ないですから!」
だから決してそういう方では、と主張すると何故か哀むような眼差しを向けられました。
「ま、まあ、触りたいとかそういう衝動もエルちゃんと過ごすようになって初めて生まれたものだから、私としては止めるつもりもないよ、うん」
「ロルフ、エルネスタさんにぞっこんだもんねー」
「……ぞっこんというか、大切にはされてます」
ぞっこんというのは意中の人に対して使う言葉だと思うので、違う気が。
「ふふ、いやほんと仲良くなって良かったよ。ロルフの趣味はエルネスタさんみたいなおっとり系小動物タイプって分かって楽しいね」
「いや、エルちゃんみたいなじゃなくてエルちゃんが良いんだと思うけど。ほら、数年前留学にきてた何処ぞのお姫様とかおっとり系だったじゃないか。見向きもしなかったけど」
「それもそうだね。アンネは論外みたいだったし。アンネも美人には美人なんだけどね」
ヴェルさんは肩を竦めていますが、私はアンネ、という名前を聞いて、どうしても心臓が嫌な音を立てます。
アンネ、さん。ロルフ様の、幼馴染。……ロルフ様を小さい頃から知っている人。私が知らないロルフ様を知っている人。
「……その、アンネさんって、ロルフ様の幼馴染の……?」
「そうそう。アンネはこう、激情型というか、良くも悪くも気が強くてね、ロルフの苦手なタイプだったんだよ。あの子も名家の出だから、うちに嫁入りとかもあったのかもね。実際そういう話持ち上がった事あるから」
……え? ロルフ様と、アンネさんが?
「や、大丈夫だよ? そもそも母上とロルフが断ったし」
「……はい」
「寧ろエルちゃんはロルフに嫁として認めて貰った事誇って良いから。べったりくっついたり研究室に入れるのはエルちゃんくらいだから」
「はい」
だから大丈夫と宥めてくれるコルネリウス様。
……私はロルフ様の妻って誇っても、良いのですよね。女嫌いなロルフ様に認められたって、誇っても良いのですよね。
私はロルフ様が女性に素っ気ない所を見た事がない、というかそもそもロルフ様が他人と話している所なんてヴェルさん達が初めてですし。結婚当初は素っ気ないというか興味関心がなかったですし。
今では、ロルフ様は優しいし、私を甘やかしてくれる。この事実だけで、充分ではありますが……どうしても、アンネさんという存在が気になってしまうのが。気にしなくて良いって、分かってるのに。
「……まあ二人が仲良くなったのは分かるんだけど、色々懸念事項があるんだよね」
「懸念事項?」
「アンネが動かないか心配なんだよ。ロルフに惚れてたからね」
「……横取りした形です、よね」
……そっか、私ってアンネさんにとって恋敵ですよね。
なら私はアンネさんに何か言われてもおかしくありませんし、敵視されてもおかしくありません。私はアンネさんがどんな方なのか、容姿は知らされていませんが……何となく、前に擦れ違った赤髪の女性なのではないかと、思ったり。
「や、そもそもアンネのものになる予定もなかったけどね。それでもアンネは激情型だし本当に気が強いから、エルちゃんに何かしないか心配だよ」
「何かするって」
「もしもだよ。流石に直接手出ししたら私達も動くし、ロルフが黙ってないだろうから」
コルネリウス様曰く、今のロルフならエルちゃんに手出しすると確実にキレるから、との事。
果たしてキレるまでいくのでしょうか、怒ってはくれそうな気もしますが……ロルフ様が激昂するなんて、想像がつきません。だって、いつも冷静ですし、ちょっぴり無愛想ですが最近は笑顔も見せてくれるし、優しいですもん。
そんなロルフ様が我を忘れる程怒るなんて、本当に想像出来ませんね。そもそもそんなに怒ってくれるのでしょうか。それも、幼馴染相手に。
「エルネスタさんはあんまり研究所に出入りはしないだろうし、アンネと会う事もそうそうないとは思うから多分大丈夫だけど……」
「アンネさんって、赤い髪の女性だったりします?」
「……もう会ってたのか」
「いえ、姿をお見掛けしただけで……そっか、あれがアンネさんですか。だから……」
ああ、やっぱりあの方がアンネさんだったのですね。視線がとても鋭くて、恨みがましげで、悲痛なものだったから。
……そっか、私が幸せそうにしていたのが、許せなかったからですよね。ぽっと出の私が、ロルフ様に優しくされて笑っているのが、腹立たしくて仕方なかったのでしょう。
「何もされてない、んだよね?」
「はい。ちょっと睨まれはしましたけど」
二人が心配するような事は何もありません。ただ、睨まれただけ。アンネさんの気持ちを考えれば睨まれても仕方ないとは思いますが……。
「まあ気持ちは分からなくないんだけど……アンネもそろそろ諦めて欲しいものだねえ」
「恋する女の子はそう簡単には諦めきれないのも分かるけどな。まあロルフにも言っておくよ。エルちゃんが傷付いたらロルフも傷付くだろうから」
「……そう、ですか?」
「そうそう、エルネスタさんはもう少し自信を持っていいよ」
折角可愛いんだから自信持っていいよ、と笑ったヴェルさんに、流石に肯定するのも恥ずかしいので曖昧に笑っておきます。
いえ、ヴェルさんにそう言われても、その、ヴェルさんがどうしても美人なので自分が可愛いとか全く思いませんし口が裂けても言えませんしそもそも言うつもりもありません。
ロルフ様のお陰で醜い、とは思わなくなりましたが、可愛いとも思えません。周りが美男美女だらけなので、そう思える程自惚れられませんし。
「まあ何かあっても困るし、エルネスタさんはしっかりと治癒術の腕も磨こうか。いざという時の為にもね」
「はい」
その為に私が来たんだから、と微笑んだヴェルさんに、今度は私も微笑み返しました。




