お兄ちゃんの心配と新たな夫婦の日課
恐らく、私達の仲を一番心配して下さっていたのはコルネリウス様です。アマーリエ様達も気にかけてくれてはいましたが、直接ロルフ様を唆し……もとい応援したりつついたりしていたのは、コルネリウス様です。
私達が、というか私が臆病でうじうじしてたから悪いのですけど、本当に上手く行くかと心砕いて下さったらしく、私達の距離が縮まった今漸く胸を撫で下ろしたみたいです。
「いやはや本当に良かったよ、一時はどうなるかと」
「その、心配お掛けしました……」
「まあ雨降って地固まったって感じかな? 結果的に丸く収まって良かったよ」
この間は母上から聞いてどうなるかとひやひやしていたよ、とからかうように笑ったコルネリウス様。……収集がついて良かった、心から思います。私も、あの時を思い出して笑えるくらいには余裕も出来ましたし……。
「それもこれも、ロルフ様のお陰ですから」
ロルフ様が受け止めてくれたから、傷ごと受け入れてくれたから、私はこの傷とちゃんと歩んでいく気持ちになれたのです。
……本当に、ロルフ様のお陰です。ロルフ様が受け入れてくれなかったら、私はずっと、過去に囚われたままでしたから。
だから感謝で一杯です、と微笑むと、コルネリウス様は少しだけ瞠目。
「うん、エルちゃんの笑顔も綺麗になったね」
「そうですか……?」
「昔は遠慮がちって言うか、他に追従するように曖昧に笑ってた感があるんんだけどね。今は、ちゃんと嬉しそうに笑ってるよ」
……もしかして、ロルフ様が笑ってないと仰っていたのは、それだったのでしょうか。
自分に自信が持てなくて、いつも誰かの気に障らないか気を付けながら周りに溶け込もうとしていた、のかもしれません。
今なら、分かります。……私って、周りから見てかなり陰鬱な雰囲気を纏っていたのかもしれませんね。さぞや暗かったでしょう。今が明るいとも言いませんけど。
癇癪みたいな事を起こしてたりうじうじしていた昔を思い出すとお恥ずかしい限りで、肩を縮めているとコルネリウス様は「良いの良いの、気にしなくて」とあっからかんと笑うのです。
……私、コルネリウス様にも救われているのですよね。アマーリエ様や、ホルスト様にも。本当に、有難い限りです。
「まあ良かった良かった。これでロルフも漸く自覚してくれたんだろう。ロルフはちゃんと愛を囁く甲斐性があるのか心配なんだけどね」
「え?」
「え?」
「ロルフ様は、好きとか愛しているとか、言いませんよ?」
ああ、コルネリウス様は知らないですよね。ロルフ様、私の事は大切にしてくれるけど、愛かどうかまでは自身で判別ついてないって。
「……言われた事ないの?」
「はい」
私としては別に、無理に愛してるとか好きだとか言って貰えなくても、充分に幸せなのです。ロルフ様はそういう事に縁がなかったでしょうし、分からないって言っていましたから。
今ロルフ様が私に抱いている思いが恋や愛なのかは分かりませんけど、好意的に見て貰っているのは確かですし……急かしたり、答えを無理に出して貰おうとかは思っていません。
私としては受け入れて貰っただけで幸せですし、家族としての愛でも充分です。お情けでも良いからその、いずれは家族を増やせたらとは、思いますけど。
「……エルちゃん、ちょーっと待っててね、今から問い詰めて来るから」
「いいいい良いです、大丈夫です! それに、私もお慕いしているとは言っていないので……」
「は?」
「……その、愛して欲しいとかは勢いで言ってしまいましたけど、好きとか、愛していますとは言ってないのです」
コルネリウス様は意味が分からないと言いたげな表情ですけど、そもそも私にも原因があるのです。
確かに愛情が欲しかったとか、求めて欲しかったとかは言いましたけど、そもそも私がロルフ様にお慕いしていますと直接は言っていないのです。いえ、普通なら分かって下さるとは思うのですけど、ロルフ様ですし……。
「なんで言わないのさ……」
「だ、だって、ロルフ様、好きとか愛とか分からないって言ったし……」
「あの馬鹿」
「い、良いのです、ゆっくり知っていけたら、とは言っていましたから!」
今は分からないかもしれませんけど、これから時間をかけてでも知っていただけたら、嬉しいです。急かすつもりなんてありません。
「私、これだけで充分幸せです。ロルフ様、とても大切にしてくれるんです。言葉には出来ないでしょうけど、それだけで、満足ですから……」
コルネリウス様はなっとくがいかないかもしれませんけど、拒まれ疎まれる恐怖から解放されて、好ましく思っていると分かっただけで、私は幸せです。それ以上をいきなり求めるのは、ロルフ様には酷だと思うのです。
……ロルフ様は、多分、軽く女性不信だったのではないでしょうか。そんな方が大切にしてくれて愛を教えて欲しいと願うようになったのですから、とても、進歩でしょう?
「……それで良いのかい?」
「……はい」
「敢えて言うけど、時には言葉が欲しくなるんじゃないかな」
コルネリウス様は、私の事を心配して下さっているのでしょう。けど、此所でロルフ様に何か言っても、それはロルフ様の意思ではありません。
私は、ロルフ様が心から好きって言ってくれたら、幸せです。そんな日が来たら良いって思いますし、来るまで待つつもりなのですから。
「ロルフ様、今愛を理解しようと頑張ってますし……」
「頑張ってるとかじゃなくて、何でエルちゃんもエルちゃんで言わないのさ……君達本当にややこしい夫婦だね……どう考えても好き同士じゃないか……」
「……そうだと、良いのですが」
……コルネリウス様から見てそう思っていても、ロルフ様にとってはそうなのか分かりません。
「そこは自信持とうよ。人嫌いのロルフがあんなに積極的に触りにいくんだからさ」
「そ、それはそうですけど……」
コルネリウス様の言う通り、特別扱いされているのは、分かります。多分、誰よりも大切にしてくれてるんじゃないかって、そう自惚れてしまうくらいには、丁寧に、そして大切にしてくれています。
ロルフ様はスキンシップを他人とするのは嫌みたいですが、私には進んで触ってくれる。手を繋いだり、抱き締めたり、頬に口付けてくれる。……そこで完全に好かれてるって思えたら、楽なのですけど……。
「私としては早く二人には子供を生んで貰って跡継ぎ問題から解放されたいんだよねー」
「こ、コルネリウス様……」
そ、それは幾らなんでも時期尚早ですし明け透け過ぎませんか……!
「いや、だって跡継ぎはロルフが相応しいだろうし……そもそもあいつがうちの魔術覚えてるよね? ならロルフが継ぐのが手っ取り早いと思うんだけど」
「……御存知でしたか」
あっさりとロルフ様がこの家の魔術を知っている事をコルネリウス様が見抜いているって……ロルフ様、隠してたんじゃないのですか。
「まあ、何となくだけどね。あ、父上はまだ知らないから大丈夫だよ」
「そ、それなら良かったのですが……」
「ただ古代魔術のヒントになるとかで家でこっそり研究してるから見付かったら大目玉だね」
「ロルフ様……」
「まあロルフの知識欲を止められる訳がないよねー」
あれは欲望に貪欲だ、と笑うコルネリウス様。……そこは止めないのですね。
確かにロルフ様はしたい事はしちゃいますからね。研究に貪欲ですし、何がなんでも古代魔術の再現に必死になっていますから。
……まあ、したい事をするというロルフ様は、私に触りたくなったら普通に触っちゃうんですよね。良くも悪くも、正直な人なので。
「……ホルスト様にばれて怒られないと良いのですが」
「はは。まあ何だかんだ隠し通せてはいるよ。なんにせよ、君ら夫婦が上手くいって良かったよ。あとはロルフ次第かな」
「……はい」
「焦る事はないよ、ロルフはエルちゃんしか見ていないから」
他の女の子は眼中にないからね、と朗らかに笑ったコルネリウス様に、私としては嬉し恥ずかしで勝手に頬が朱に染まってしまいます。
……そうであって欲しいとは、思います、けど。……私しか見ていないのだとしたら、嬉しい。他の女性を見ていたら悲しいですが、……それもロルフ様の選択なら、私は受け入れます。そんな事はないと願っていますが。
本当は見て欲しいなら、自分から見て貰えるように努力しなければならないのでしょう、けど。でもどうやってアピールしろというのですか、……構ってって言うの、恥ずかしいし。
「いっそエルちゃんから攻めても良いと思うよ?」
という事を相談したらコルネリウス様はあっさりそう言うので、私の臆病さを知ってるのに無理な……とか実行する前に尻込みです。
「せ、攻めっ」
「ほら、甘えたりおねだりしてみたりとか。今のエルちゃんなら出来るよ」
「むっ、むむむ無理です。そりゃあ甘えても良いとは言われてますけど、急にそんな……」
頼って欲しいとか甘えても良いとか言われていますし、私が良いって言われてますけど、じ、自分から甘えるって……。どうしたら甘えた事になるのかも分からないのに、それは難しいのでは。
おねだりって、ものとか? でも欲しいものなんてないですし、一体どうしたら……。
唸るようにして考え事をするのですが、ふと外から馬の嘶きが聞こえてきて。
「あ、ほらロルフが帰って来たんじゃないかな」
「えっ」
「ほら、行っておいで」
ま、待って下さい、まだ、何にも考えてないのに……いえ絶対にしなければならないという訳でもないですけどね……?
でもコルネリウス様は実行あるのみと物理的に背中を押して部屋から押し出したので、私は何とも言えずに玄関に向かいます。
悩みながら進んでいたせいか少し玄関に辿り着くのは遅くなってしまいましたが、幸か不幸か丁度ロルフ様が玄関に姿を現した所で私もロルフ様に姿を見せる事となりました。
「ただいま、エル」
いつもの、声。ただ、昔よりもずっと親しげに、そして響きは優しく。瞳だって私の姿を見て柔らかいものになっています。
認められているし受け入れられている、大切にされている事は、よく分かります。望めば何だってくれる事も。……ただ、物は私としては必要ないから、口にはしませんが。
甘える。……私にとっての甘えるは、ロルフ様の側に居る事で。でもそんなのいつもしているから、どうして良いものか。……私からくっつくのは、甘える、に入りますか?
「エル?」
返事もなしに固まっている私にロルフ様からやや窺うような声が聞こえて、私は立ち止まって悶々していた事を思い知り、慌てて顔を上げて。
不思議そうな、ロルフ様。
私は、意を決して、ロルフ様に小走りで駆け寄って。
「お、お帰りなさい、ロルフ様」
そのままロルフ様に抱き付くと、受け止めてくれたロルフ様は微かに動揺したように体を震わせます。
甘える、というのがどうして良いか分からなくて、ただくっつきたいという思いだけでロルフ様に抱き付いてしまいましたが……それがロルフ様には驚きだったようで、恐る恐る見上げると鳶色の瞳は細まって此方を窺っているのです。
「どうした、兄上に苛められたか?」
……そこでコルネリウス様が出てくる辺り、ご兄弟は互いに変な方向では信頼してないのだと分かったり。コルネリウス様はコルネリウス様で何かあれば「ロルフが何かしたかな?」と疑ってきますし。
「ち、違います」
言われたのは否定しませんが、私の意思ですし。意地悪ではなくて、コルネリウス様も私の事を応援しての助言だったから、責めて貰っても困るのです。
ロルフ様がコルネリウス様を疑うという事は、私が普段の言動から離れた事をしているのだと思い知らされて、少し恥ずかしい。……嫌、だったのでしょうか?
「……その、駄目、でしたか?」
「いや、構わないが……私は疲れていてな」
「ご、ごめんなさい」
……やってしまいました、私の勝手な思いで疲れているロルフ様に、ご迷惑をかけてしまって。
やっぱりこんな事しない方が良かったのでしょうか、と眉を下げて離れようとしたら、慌てた気配。それからしっかり背中に手を回されて、ぽんぽんと宥めるように叩かれるのです。
「話は最後まで聞いてくれ。誰も嫌とは言っていないだろう」
「でも、疲れて……」
「だから、くっついてくれるなら寝る前の方が良い。立ちっぱなしはお前に悪いだろう。ゆっくりくっついた方が癒される。今くっついていたら私は離したくなくなるし、食事が摂れない」
「え、あの」
「エルを堪能するのは後が良い。寝室での方が、長く触れ合えるだろう」
わ、私を堪能……というと何だか恥ずかしいのですが、つまり、くっつくなら二人きりで、落ち着いた所で、という事でしょうか。
「……は、はい」
「今日の夕食はシチューではないのだろう? なら、寝る前を楽しみにしておこう」
いつも私に触れている筈のロルフ様は少し口の端を吊り上げて瞳を柔らかく細め、そう笑って。
……楽しみにして下さる、というのは、好かれているとちょっとくらい期待しても良いのでしょうか。
それが妻としてなら、良いのにな、なんて思いながらも、私はロルフ様の言葉に頷いては自分もひっそり楽しみにしておく事にしました。
当然夜はこれでもかとロルフ様が私にくっついて来たので、嬉しい反面、恥ずかしさとロルフ様の遠慮のなさに顔から湯気が出てしまう所でした。……甘えられた、のは良いのですけど……その、ロルフ様前よりスキンシップ激しくなった気がしますよ……?
それもロルフ様の変化なら、嬉しい限りですが。
因みに、出迎えの抱擁をいたく気に入ったらしいロルフ様が帰る度に軽く手を広げてくれるので、恥ずかしいながらもそれが夫婦の日課として一つ加わる事になりました。




