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旦那様と同僚さんの正体

 何年ぶりでしょうか、外聞も何も気にせず、衝動のままに大泣きしたのは。

 涙が滲むことがあっても、それを声に出して大人げなく泣くのは、久し振りです。


 暫くわんわん泣いて、その間ずっと抱き締めて背中を撫で続けてくれたロルフ様。溜まっていたものを全部吐き出して泣きっぱなしの私を拒む事なく、ひたすらにあやしてくれて……。


「……ごめんなさい、子供みたいに泣いて」


 どれくらい泣いたかなんて、分かりません。ただ今まで溜まりに溜まったものを吐き出しきった頃には、ロルフ様の胸元は涙で大きな染みが出来ていました。


 汚してしまった、と瞳を擦ろうとしたら目尻に口付けられて「しょっぱいな」と何故か感慨深そうに呟くロルフ様です。羞恥よりも先に、散々泣いて宥めさせた事にちょっと申し訳なさを感じて眉を下げたり。


 そんな私にロルフ様は背中を撫でておまけに頬に口付けて来るので、取り敢えず泣きたい衝動はしっかり泣いたせいもあって吹き飛びました。こうしたら元気になるのだろう、そう至って真面目に仰るロルフ様に、それはそうですけどともごもご濁すしかありません。


 ……元気というか羞恥で色々忘れるのです。


「今まで我慢してきた分、思い切り泣くと良い。まだ泣くか?」

「い、いえ、すっきりしましたので」


 流石にあれだけ泣けば今までの分全部泣いたと思うのですが、ロルフ様的には「あれだけじゃお前の今までの我慢分は清算出来てないと思うのだが」とちょっと不服そうです。

 私としては飲み込んできた分を吐き出したつもりだったのですが、ロルフ様はかなり多く見積もっているご様子。寧ろ足りないと言いたげです。


「お前は今まで辛い思いをして我慢したのだから、好きに外に流して良いのだぞ」

「い、いえ……その、もう充分ですよ?」

「そうか? 辛くなったらいつでも私の胸で泣くと良い」


 お前の為ならいつでも貸し出そう、そう何とも頼もしいお言葉につい、口許が綻びます。


「もう、平気です。ロルフ様は、私を受け入れてくれるのでしょう?」

「ああ」

「だったら、大丈夫です」

「そうか?」

「はい」

「そうか、それなら良かった」


 それで納得して下さったらしいロルフ様。同じように口許を綻ばせて私の頭を撫でてくれます。……子供扱いというよりは、大切なものに触れるような丁寧な触れ方で、何だかむずむずしてしまいますけど。


 ……大切にしてくれるんだ。

 そう思うと、何だか実感がなくて少しふわふわした感じ。甘えても、良いんだ。ぎゅっとしてって言ったら、ぎゅっとしてくれるんだ。


 本当に良いのかな、なんてロルフ様を見上げると、内側で小さく燻っていた不安に気付いたのかまたぽんぽんと背中を叩きます。


「直ぐに自信を持てとは言わない。ただ、私は、エルの事を大切に思っているし、お前が自分を卑下するのは、苦しい。……私にとって、お前はなくてはならない存在なのだとは、心に留めておいてくれ」

「……は、い」

「たとえこの傷があろうと、お前に対する見方は変わらないからな」


 この傷ごと受け入れるのだから、と優しく体を走る傷を撫でて……、……撫でて。


 ロルフ様のお言葉は、とても嬉しいですし幸せを感じます。忌避感なく触れて頂けたのも、嬉しいし、とても丁寧に優しく触って下さるのです。

 ……何故、肌に直接触れて……?


 ちらりと下を見ると、前はブラウスがこれでもかと開かれて前をリボンで留める形だった下着も肌を晒すように左右に開かれているのです。当たり前ですが、傷痕は丸出しで、つまり……臍どころか胸まで露になっている、訳で。


 あの時は不安と困惑で一杯で、羞恥など押し寄せる暇がなかったのですが……余裕が出来た今、状態を思い知らされて、一気に頬に熱が昇ります。


 ろ、ロルフ様は全く気にしてないみたいですけど、全部見えていたんじゃ……!? いえ、谷間の辺りくらいまでしか開かれてなかったから、まだ良い……いやいや良くないです、む、胸を見られるのはだめです……!


 悲鳴だけは堪えてロルフ様に背を向け、前を止めていきます。私の慌てっぷりにロルフ様はやや訝っていましたが、逆に何でロルフ様は平然としてるんですか……っ!


「あ、あのですねロルフ様、今度からは勝手にはだけさせないで下さい」

「別に気にしないが」

「気にして下さい! あと私が気にします!」

「何が問題なのだ。美醜の問題なら別に綺麗だったし細くて女性らしい体格で」

「ど、何処まで見たんですかっ」

「何処って、傷痕を主に見て……ああ、別に胸を注視した訳ではないぞ、見えはしたが」

「……ロルフ様のばかぁ……」


 見たんですね、つまり見たんですね。そして動揺すらしなかったのですね。……色々自信が砕け散りそうです……いえ元から大した自信などなかったのですが……。


「た、ただ見えただけなのだぞ? 決して、やましい事を思ったりはしていない」

「……それはそれで複雑です……」

「何故だ」

「だ、だって、女として見られてない気がして」

「ならば女として見るからもう一度見れば良いのでは?」

「良くないですっ」


 それはそれで問題でしょう! いえ多分問題ないとは思いますけど、寧ろ家族には喜ばれるでしょうけど!


 ロルフ様的には私の思いはややこしいらしくて「女心は難しいのだな」と一人で納得していますが、多分これロルフ様だから許されるのであって、普通駄目ですからね……? ロルフ様、裸を見せろと言ってるものですからね……?


 流石にそれだけの為に肌を再び晒すのはご勘弁願いたいので、首を振って拒否の体勢です。肌を見せたのは、というか見られたのは特別な事であって、その、良くないです、興味本意に見るのは。


「そ、そもそも、私なんか見ても女として認識出来るんですか」

「私を何だと思ってるのだ……あと、自分を卑下するなと」

「これは卑下じゃなくて事実です、私はヴェルさんみたいに美人でもないしスタイルも良くないし……男の人はああいう女性が良いのでしょう?」


 どうせ見るならヴェルさんみたいな、高貴な女性の素肌の方が望ましいと思うのです。自分の傷で醜いと思うのは止めますけど、……それとは別に、やはりヴェルさんの美貌の前には平伏してしまうのです。


 さらさらの金髪にぱっちりとした大粒のサファイヤにも負けない瞳。肌は陶器のように白くて、唇はぷっくりした淡いピンク。女性にしてはかなり高めな身長も、逆に美しさを際立てています。

 非の打ち所がないような外見に、思ったよりもずっと気さくで優しい性格。理想の女性像でしょう。


 私としては事実を言ったつもりだったのに、ロルフ様はみるみる眉を寄せてはぐしゃぐしゃと髪を掻き乱すのです。


「……待て、一つ、いや二つ間違いを訂正させてくれ」

「間違い? 述べた男性の好みは間違ってましたか……?」

「いや、そうではなくてだな……何と言えば良いのか。お前にとってかなり大きな勘違いをしているのだが……あれは男だ」

「……え?」


 今、何て。


「ロルフ様、私の耳は悪くなってしまったようなのでもう一度仰って頂きたいのですが」

「だから、ヴェルは男だ。紛れもない男だ」

「えっ、え、ええええ!? あんな美人な方が!?」


 え、いや、嘘でしょう? だってあんな綺麗な顔で、女性の言葉遣いで、女性らしい雰囲気で……!


「私はあれを女扱いした事はないだろう。存在が誤解を招くと言ったのはそれだ。あいつの趣味は女装だ。初見でまず誤解するだろうと思って近寄らせたくなかったのだが……先に言えば良かったな」


 何なら脱がせてみれば分かるぞ、と教育に宜しくないようなお言葉を下さるロルフ様に首を勢いよく振りつつ、一度見たきりのヴェルさんの姿を思い出すのです。


 金髪碧眼の、とても美しい人。……でも、よく思い返せば、背が女性にしてはかなり高くて、細い腰は分かったけど胸の辺りは服で隠れていて、首元も隠していて肌は見せないようにしていた。声もちょっと低いような気はしてました。掌だって大きくて、ちょっと骨張っていた、気が。

 で、でも、あんな柔和な笑みを湛えた綺麗な方が、男性だなんて。


「……女装に負けてる私って……」


 ……あんな綺麗で女性としての完成形だと思っていたヴェルさんが男性だなんて……。


「私はエルの方が良いぞ?」

「ありがとうございます……」


 ロルフ様の地味な慰めが身も心にも染み入ります。そりゃあ男性より結婚してる妻の方が良いと思いますよ……?


「もう一つの間違いなのだが、男性の好みはそうなのかもしれないがそれでも人それぞれだし、私の好みまでいっしょくたにしないでくれ」

「……ロルフ様にも好みがあるのですか……?」

「ないな」


 きっぱり言われて、思わず「ですよね」とか思ってしまったり。

 だって、ロルフ様女性に殆ど興味なかったみたいですし、見掛けの好みとかないのではないでしょうか。どんな人に言い寄られても靡かなかった、ってマルクスさんも言ってましたし……。


 ……だからこそ、私を側に置いて受け入れてくれた事が不思議なのですが。高望みなんて幾らでも出来たのに。

 まあ外見に興味を抱かないのはロルフ様らしいですし、その、私の内側を見て好ましいと思ってくれたなら、とても有り難いですけど。


「私は別に女性の体に特に拘りはないし、見るならお前のが良いし、触れたいのはお前だけだ。敢えて言うならエルが好みなのだろうか」

「えっ、ぁ、その」

「別に夫婦なのだから問題ないだろう?」


 堂々と言って問題ないな、と自信満々なロルフ様に、もう恥ずかしくて顔を両手で覆ってしまいます。……何でこういう時のロルフ様って凄く大胆なのでしょうか……他意はないと分かってますけど……。


 ……や、私が良いって言ったから、そういうつもりなのですか? いやでもロルフ様色恋沙汰は分からないって言ったし……その、少なからず好意的に見て貰えてるのは、分かります、が。

 ……好きか分からないから私に教えて欲しいって、今考えるととても凄い口説き文句ですね……!?


 思い返すと色々恥ずかしすぎて唸るしかないのですが、それを泣いたと勘違いしたロルフ様がおろおろとしながら抱き締めてきて余計に混乱しそうです。その上で元気を注入すべく頬に口付けて来るから、もう、もう……っ。

 それでも気を失わない辺り、徐々にロルフ様に慣らされている気もしますが。


 暫くロルフ様に好き放題触られて落ち着くやら落ち着かないやらでもぞもぞしていたのですが、ロルフ様はふと私の顔を覗き込んでは不思議そうな顔。 


「では、お前はどうなのだ?」

「え?」

「お前の好みだ。ヴェルのような男が良いのではないか?」

「な、何でですか? だ、だって男性でしょう?」

「お姫様に憧れると言っていただろう」

「……色々と目が覚めたというか」


 そもそもお姫様みたいな外見だと評している時点で異性の好みからは外れているのですよ、ロルフ様。


「あれは好き好んで女装している変人だからな。その癖好きなのは女という訳の分からない生き物だ」

「そ、そうなのですか?」

「あくまで自分の美貌を磨きたいだけで、心が女だという訳でもないぞ。だから、お前を近付けたくなかった」


 そう言って抱擁を強めるロルフ様。……なんだか、とても執着してくれているんだなと感じて、ちょっぴり嬉しかったり。

 それだけ、私の事を大切にしてくれるんだなって。


「……私はロルフ様から離れたりしませんよ」

「それなら良い。あれは見掛けだけは綺麗だから騙されないかひやひやしていた」

「違う意味で騙されましたけどね……」


 誰もあんな美人な方で女性の服装をしていたら男だなんて疑いませんって。


「兎に角、離れたりしません。……私の好みの男性は、ロルフ様です、し」

「自分で言うのもあれだが、物好きだと言われないか?」

「そ、そんな事ないです。ちょっぴり無愛想だけど優しくて、頭良くて、格好良くて、いつも諦めないで真っ直ぐな瞳してて、一生懸命なロルフ様は素敵です。その、見掛けも勿論素敵ですけど、私はロルフ様の中身が一番良いのです」

「……そうか。……エルに言われると少し恥ずかしいものだな」


 此処はちゃんと伝えておかなくては、と力説した私に、ロルフ様は軽く瞠目して……それから、ふっと眉から力を抜いて、なんだか弛緩したような笑顔。それは、きっとはにかみに近い、何処か照れ臭そうな笑みで。


 ……その笑顔に私はノックアウトされて、ロルフ様の胸にもう一度顔を埋めて「ロルフ様はずるい」と小さく唸るのでした。

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