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旦那様の本心と奥様の本心

本日三回目の投稿です。

 馬車ではロルフ様に抱えられて、車内でも無言のまま帰宅です。


 俯いて沈鬱な雰囲気のままに家に入ってしまったものですから出迎えてくれたアマーリエ様は目を剥いていましたが、ロルフ様が静かに「暫く二人にしてくれ」と告げた為それ以上は何も言いませんでした。

 ただ、私に心配そうな眼差しを向けてきてくれて、アマーリエ様の優しさにまた泣きそうです。こんなどうしようもない卑屈な女だというのに、いつも、優しくしてくれて。


 私を気遣わしげに見守るアマーリエに見送られ、私はロルフ様と共に寝室に。


 ロルフ様は私のローブを脱がせ、そのままベッドに腰掛けさせます。

 いつもなら此処で抱き締めてくるのでしょうが、今日ばかりは隣に座って、それからそっと手を握ってくるのです。労るように、優しく包んで。

 その温もりにまた泣きそうになってしまう私は、かなり涙腺が緩んでいるのだと、思います。


「……エル、お前は、私の事が嫌になったのか?」

「……何故そうなるのですか……? 寧ろ、愛想を尽かしたのは、ロルフ様ではないですか……?」


 だって、私、あの空間を壊して、不仲なんじゃないかという疑念を同僚の皆さんに植え付けてしまったんですよ。それに仕事を早退させてまで私を家に戻したし、邪魔ばかりしているんです。


 だからロルフ様が怒っても仕方ないのに、ロルフ様は首を振ってそっと私の顔を覗き込むのです。瞳は、どこまで優しい。


「……俺は、お前の事を嫌ったり、どうでも良いとか、思っていない」

「私も、ロルフ様に本当にどうでも良いと思われているとは思いません。ロルフ様の研究対象としてとても好都合だと思いますし、」

「そうじゃない」

「……では、どうなのですか。私には分かりません、ロルフ様の考えている事が分かりません……」

「私にもお前の考えている事が分からない。だから、話すべきだろう。お互いに何を考えて、どう思っているのか」


 真っ直ぐに私を見詰めるロルフ様に、私は射抜かれたように動きを止めてしまいます。


「エルネスタ、お前は何を恐れているんだ。私が怖くなったのか」

「違います! ……ロルフ様の興味が薄れてしまったら、研究が終わってしまえば、増幅しなくなってしまえば、また前みたいに戻るんじゃないかって」


 ロルフ様は優しいしいつも気遣ってくれる、だからそんな事ないと思いたいのに……どうしても、その可能性が頭をよぎるのです。


 都合が良いから優しくしてくれてるんじゃないか、上手く掌の上で転がす為に大切にしてくれているんじゃないか、そんな最低な想像をしてしまう。


 ロルフ様の人柄はこの半年でよく分かっていますしそんな事をする人なんかじゃないって分かってるのに、小さな疑念が突き刺さって私を蝕んでいて。

 分かってる、分かっているのです、ロルフ様はそんな酷い人じゃないって。

 疑いたくないしそんな人じゃないって理解してても、私の心は弱くて、小さな黒い染みがじわじわと心を汚していく。


 嫌われたくない、前みたいに無関心に戻って欲しくない、そう願っているし、そんな利己的な人でも非常な人でもないと信じている、のです。なのに、どうして、こんなにも怯えているのでしょうか、私は。


「そんな事はない、私はお前に興味津々なままだ。寧ろ興味は尽きないぞ、増えていくばかりだ」

「……そんな事言っても、ロルフ様は研究対象として、価値を見いだしたのでしょう? 妻としては、何とも思ってないでしょう?」


 違う、こんな事言いたいんじゃないのに……。

 でも、これも本音なのが、自分の愚かさ。

 どうして私はロルフ様を信じきれないのでしょうか。こんなにも優しくしてくれているのに、大切にしてくれているのに。それが利益があるからなんて疑って。……こんな自分が、嫌でしかありません。


 ぎゅ、と唇を噛み締めた私に、ロルフ様は少しだけ眉を下げては困ったように瞳を揺らがせて。


「……最初の切っ掛けがそれに近かった事は、否定しない。こんな稀有な能力持ちが近くに居て幸運だった、素晴らしい人材が配偶者となって都合が良かった、そう思った。自分でも、最低だとは思っている」

「だったら」

「だが、今はエルの能力など極論どうでも良い」

「……え?」

「今の私にとって、エルの増幅能力などお前の付随物に過ぎない。お前自身が、私にとって大切な存在なのだ」


 私、自身が……? そんな、訳ない、のに。だって、能力さえなかったら、私はそこら辺に転がる小娘なのです。綺麗でも何でもない、ただの女で。


 それなのに、ロルフ様はただ私を真っ直ぐに見詰めて、それから綺麗な鳶色の瞳に私だけを映しては神妙な面持ちに。


「私はお前自身に興味が湧いているし大切なんだ。お前を手放す気もない。お前の全部を知りたい」

「……何で、そんな事を……」

「何故と言われても困るな。ただ、お前は何故良い匂いがするのだ、柔らかくて抱き締め心地が良いのは何故だ、何が欲しいだろうか、お前の料理はとても美味しく感じるのは何故か、もっと触れても良いだろうか。お前は何を考えているのだろうか、お前が喜ぶのは何だろうか、お前は何をしたら笑ってくれるだろうか。そう思うし、エルを見る度に、その感情は強まっていく。私はエルの事を知りたいし、理解したいし、触れたいと思っている。どれだけ知っても足りないだろう」


 どう言い表せば良いのか、と悩みつつも言葉にしたロルフ様に、色々な意味で言葉を失ってしまいました。


 ロルフ様は、何を言っているか分かっているのでしょうか。だって、これではまるで、甘い睦言を囁かれているようで。

 でも嘘をつくような人ではありませんし、瞳は真摯なもの。ならば、これは心からの言葉という事で……ロルフ様は、私を、増幅能力なんて関係なく、大切に思ってくれているのでしょうか……?


 あまりに大胆な言葉に何も言えない私に、ロルフ様はその真剣な顔のまま私の手を再度強く握りました。嘘じゃない、そう主張するように。


「……取り敢えず今一番の疑問は、お前は何を私に求めていたか、だ。まずそこから教えてくれないか」


 私が、ロルフ様に求めていた事。

 ……そんなの、言える訳がありません。だって、こんなの私の身の丈にあった願いでは、ないのに。


 それなのに、ロルフ様は私の瞳を覗き込んで、ひたすらに真っ直ぐに見詰めて来るのです。何処までも、私の事を大切に思ってくれているような、そんな澄んだ瞳で。


「……お願いだ、エル。決して拒んだりしない、嫌ったりしないから。お前のあるがままの思いを聞かせて欲しいんだ」


 ……本当に、言っても良いのでしょうか。拒んだり、嫌ったり、しないのでしょうか。私の我が儘な、この想いを。


「……ロルフ様に、妻として受け入れて欲しかった、です。女性として、見て欲しかった。けど、私は醜くて、ロルフ様にも望まない結婚を強いてしまって、」

「……お前が何を見て醜いと判断しているのかは知らないが、自分を卑下するな。私は美しいと思っている、身も心も」

「嘘です! だって、こんな傷」


 どうしてそんな事を言えるのですか。美人という訳でもないし、傷があるし、心だっていつも不安定で疑心暗鬼で後ろ向きで。そんな私がロルフ様に美しいだなんて思って貰える筈がないのです。

 ロルフ様だって傷を見たら、綺麗だなんて口が裂けても言えない筈です。


 この、体を走る醜い傷は、命こそ奪わなかったけれど滑らかな肌は奪った。

 他は白いのに、この傷の部分だけは色もくすんでミミズのように膨れ上がったり崖同士がずれてくっついたように凹凸がある、一筋の線が引かれているのです。左肩口から、胸を通って右の腰まで、長い軌跡が刻まれているのですから。

 これのせいで私は肌は出せない。見た人間は気味悪がった。何で生きてるのか自分でも分からない傷に、親ですら恐れ戦いた。遠巻きにして決して触れようとはしなかった、化け物を見る眼差しになった。


 長年過ごしていた親にすらそんな態度を取らせるこの傷が、どうして出会って半年くらいのロルフ様に受け入れられましょうか。


「そもそも傷を見ていないのに判断も何もないだろう、勝手に私が気味が悪い醜いと思うと決め付けるな。どれ、見せてみろ」


 なのに、ロルフ様は私の態度を見て、あっさりそう言って。


 一瞬耳を疑って、泣きそうになっていたのも忘れてロルフ様を見上げると、ロルフ様は何て事のなさそうに私に手を伸ばしては着ていたブラウス、その首元のボタンに手をかけます。


 あまりに自然な動作に固まった私を良い事に、ロルフ様は器用に片手で私の両手首を押さえつつもう片手でブラウスのボタンを次々外していくのです。

 流石に何されているのか遅れて気付いた私がさっと頬を染めて止めようとするものの、ロルフ様が先んじて手首を合わせて掴んでいるのでどうしようもありません。


 待ってロルフ様、勝手に脱がせるのは卑怯では。


 え、とか待って、とか力ない言葉だけが口から漏れるものの、ロルフ様を止めるには至りません。

 固まる私を余所に、ロルフ様はブラウスの前を開いて、そして前をリボンで留めていたシュミーズの結びを、ほどくのです。


 しゅるりと音を立ててほどかれたそれを左右に軽く広げて、そしてその奥に隠されていた私の忌まわしい過去を、鳶色の瞳に写して。

 心臓が、嫌な音を立てます。ロルフ様に、自分が必死に隠し続けてきたその醜い傷痕を、見られているのだと思うと……冷や汗が流れそうです。


 怖い、こんな事ってないです、どうして見てしまったのですか、何で、こんな醜い傷を知ろうとしたのですか。知らなくたって、良かったのに。拒まれるくらいなら、気味悪がられるくらいなら、知られない方がずっとましだったのに。


 じわりと涙が浮かびそうな私に、沈黙を破ったのはロルフ様でした。


「……思ったよりも全然普通なのだが」


 実に気負いなく、何て事のなさそうに、呟いて。


「お前が言うから余程のものかと思っていたのだが……。これで醜いなら戦場帰りの人間は人にあらざる化け物か何かか?」

「え、あ、あの、き、汚い、でしょう?」

「そうでもないが。そもそも本当に無傷な人間なんてそうは居ないし、これはお前の生きた証だろう。生きる為に頑張った証だ、気味が悪いとか醜いとか思う筈がないだろう」


 私を何だと思っているのだ、とちょっと不服そうに呟いたロルフ様は、ゆっくりと傷痕を撫でていきます。

 少し鈍い感覚になってしまった、その場所を大切そうに、慎重になぞっていくロルフ様。何となく、擽ったい。……そして、見られている事の恐怖から、解放された気がして。


「それにしても、何故これがそこまで卑下する原因になるのだ。たかが傷だし、お前の中身の価値を損なっている訳じゃないだろう」

「……っ」

「お前はもっと自分を誇れ。自信を持て。私はお前を否定したりしない、この傷ごとお前を受け入れるのだから」


 その言葉に、傷痕に溜まっていた、じくじくと私の体を苛んでいた膿が、少し流れたような錯覚。どろどろで汚いものが詰まっていたそれが、洗われたような、気がして。


「……こんな傷があっても……?」


 こんな私でも、ロルフ様は、受け入れて下さるのですか……?


「傷が今のお前を作り上げているのだ、否定する訳がない。私は全部含めてお前が欲しいと思うし大切にしたいと思うのだ。……そんなに自信がないのはお前を醜いと言った人間が沢山居るからか? ならば私がそいつらを懲らしめれば、お前は自信を持ってくれるか?」


 恐る恐る問うた私に、ロルフ様は真剣に答えてくれて、それどころか今まで嫌な思いをして来た事に共感し怒りを抱いてくれた。

 ……ああ、これだけで、もう充分幸せです。私を受け入れてくれたの、ですから。


「そこまで、しなくても良いです……ロルフ様の一言で、充分に救われました。……ロルフ様、ありがとうございます」

「……駄目だ」

「え?」


 けれどロルフ様は感謝の言葉に突然駄目出しをしてきて、私が固まるとロルフ様はとても複雑そうに、そしてやや悲しそうに眉をひそめるのです。


「お前はまだ、自分を認めきっていないだろう。私ですら信頼しきっていない。私ではお前の本音を受け止めるには足りないか?」

「……そんな、事は」

「どうしたら、お前は私を受け入れてくれるのだ? お前の方こそ、私を心から受け入れてくれてはいないだろう。お前は、望みの表層にしか触れていないだろう」

「……っ」

「お願いだ、エル。お前の本音を聞かせてくれ」


 それとも、私では受け止めきるに足りない器か?


 そう、寂しげに言われて……ボロっと、塞き止めていた堤防が、壊れていく音がした気がしました。


「……ロルフ様、私、……愛情が欲しかった、のです。名前だけの妻じゃなくて、ちゃんと心からの夫婦になりたかった」


 ああ、言ってしまった。

 一度タガが外れたら、もう止まりません。


 ずっとずっと溜め込んできた、言ってはならないと誓ってきた、内側に押し留めていた、この想い。我が儘だと言い聞かせて、ロルフ様には求めないように自分に言い聞かせて、本人には決して言えなかった、一つの願い。


 ……ロルフ様に愛して欲しい。


 ただ、それだけ。

 けれど、これはロルフ様の意思を強制してしまう願いだったから、言える筈がなかったのです。無理矢理愛してもらう振りをして貰ったって、虚しいだけ。だから、今まで言わずにただ側に居て、それだけで自分を満足させてきました。

 それなのに、今の私は……それ以上を、望んでいる。


「でも、ロルフ様は私の事見向きもしなかったし、研究ばかりで……私に興味を持った時だって、研究の為だって思ったら、悲しくて。ロルフ様は研究ばかりで。私の事、研究対象としてしか見てないんじゃないかって不安になって。……こんな私なんか愛してくれなくて当然だって、諦めて」


 可愛くなくて、綺麗でもなくて、魔力しか取り柄のない傷持ちの私が愛して貰おうなんて、無理だって納得させていました。

 きっと、今の私は初めの頃の私より、ずっと我が儘で贅沢なのだと思います。これ以上に、ロルフ様に求めて貰いたがって、それを口にしているのですから。


「……本当は、ロルフ様から求めて欲しかった。重くて身勝手だと言われるのが怖くて、拒まれるのが怖くて、黙ってました」


 ……こんな事言って、引かれないか、怖かったですが……ロルフ様は、ただ何も言わず静かに私の話を聞いてくれて。瞳に拒んだり嫌悪の色はなくて、それだけが安堵出来る材料でした。


 無理だ、そう言われても、受け入れるつもりです。ただ、この想いを聞いて頂けただけで、充分です。ただ側に居る事を受け入れて下さった事、この傷を見ても拒まなかった事だけで、私はとても幸せなのだから。


「正直、私は愛だの恋だの言われても、よく分からない」

「……はい」

「だが、理解出来ないものではないだろう。現に、私はお前を大切に思っているし、手放したくないと思っている。私にはこれを愛と定義して良いのか、まだ分からない」


 ロルフ様は涙を目尻に溜めた私に手を伸ばし、胸元に引き寄せます。

 背中にしっかりと回された手は、いつもよりももどかしそうに私の事を掻き抱く。ぴとりと密着した胸板からは、とくとくと、平常では有り得ない程の鼓動を叩き出していました。


「だから、お前が私に愛を教えれば問題ないと思う。私に、愛を教えてくれないか」


 そっと覗き込む鳶色の瞳は、やけに熱っぽさを帯びていて、そして真摯に私を見詰めています。


 艶のある瞳と声にぞくりと背筋が震えたのは、一瞬。


 次の瞬間には、言葉の意味を理解して炎が落ちたようにじわりと胸の内を熱くしていくのです。小さな種火だった筈のそれは、あっという間に勢いを強めて心ごと渦巻き燃え盛っていく。


「……私で、良いのですか……?」

「お前以外駄目だ。エルが、良い」


 その言葉は、耳元で囁かれました。

 顔こそ見えないですが、響きは甘さを伴って、溶け込んでいきます。ゆっくりと、温もりを全身に広げていくロルフ様の言葉。


 私で良いんだ、ううん、私が、良いんだ。ロルフ様は、私の事を受け入れて、くれたんだ。私の事を、傷ごと、受け入れてくれたんだ。……こんな私を、大切にしてくれるんだ。


 その実感が今更に湧いてきて、また視界がじわりと滲んでいくのです。

 泣いてはロルフ様に心配かけてしまうと分かっていても、安堵と充足感が押し寄せては、私の瞳から苦痛や葛藤や不安が押し出されて、一つ一つとまた零れていく。


 嗚咽を堪えようと必死な私に、ロルフ様はただぽんぽんと背中を優しく叩きます。

 もう大丈夫だ、怖がらなくて良い……そう言われている気がして、とうとう全部堤防が決壊したようにとめどなく涙と嗚咽が生み出されては、ロルフ様に受け止められます。


 その優しさに甘えるように、私はロルフ様の胸に顔を埋めては声を上げて泣きました。

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