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奥様の後悔

 取り敢えず魔力検査は終了で、ついでに魔力サンプルとして蓄魔石という名の通り魔力を溜める事が出来る石に魔力を込めて、今日の目的は達成したみたいです。本当はもっと細かく調べたいそうですが、そうなるともっと大掛かりなものになるし他者に感付かれるという事で今回はなしだそうです。


 幾つかの検査を受けてロルフ様の研究室から出ると、待ち構えていたらしきマルクスさんがにこにこと近付いて来ます。


「おいロルフ、本当に不埒な事は」

「断じてないな。エルネスタで下劣な妄想は止めろ。エルネスタを穢すな、そして近寄るな」

「雑菌扱いとか止めてくれない!? 俺あれだけ相談に乗ってやっただろ!?」


 何とも賑やかな方だな、と見守っていたのですが……相談、の一言に、固まります。


 ええと、もしかして、この人が……ロルフ様に、色々アドバイスという名の大胆行動を吹き込んだ人……!? あ、いえ何となく分かります、こんな人に相談したらあのようなアドバイスになるって何となく分かりますけど。

 ……この人がキスとか抱擁を吹き込んだのですね、つまり。い、嫌ではないですけど、あの時は本当に羞恥で死ぬかと思ったんですから……!


「マルクスさんが、ロルフ様に……」

「そうそう。こいつってばほんと、不器用だし色々正直過ぎて失礼な事とかしたりするだろ?」

「……それはまあ」

「そこで肯定をされると私が悪いように聞こえるのだが……」

「間違いなくロルフが悪いと思うよ、女の子は繊細なんだから」

「お前に女を説かれるのは複雑な気分だ」

「喧嘩売ってるの?」


 ヴェルさんも会話に混じって来るのですが、何だかロルフ様とヴェルさんは逆の意味で息ぴったり。こういった軽いやり取りは私達では出来ないので、何だか凄く新鮮であると同時に、ちょっと複雑です。

 ……これが、ロルフ様の素なのかな、って、思ってしまって。私との間には、あんな会話はないし、いつも気遣われてますから。過ごした時間が違うし性格も違うから、仕方ないとは分かっていますけど……。


 あと、ヴェルさんは見掛けから想像出来るようなおしとやかで儚げな女性という訳ではなさそうで、寧ろ溌剌として意見ははっきり言う気の強い方なのですね。


「まあそんな感じで、俺達はよくやらかすロルフにアドバイスしてたんだよ。つーかびっくりなんだぜ、ロルフが困った顔で『妻が悄気てしまった、どうしたら良い』とか『何をしたら喜ぶだろうか』とか相談してくるもんだから笑っちまったよ」

「笑ったマルクスは睨まれてたけどね」

「仕方ないだろ、研究一筋の無愛想な冷血漢と名高いロルフが、妻の事で悩んで奥さんの反応で一喜一憂してるんだぜ? これを他の奴等が知ったら失神するだろって」


 そうなったら見物だな、とけたけた笑うマルクスさんに、ロルフ様は不服そうに睨んでいます。私は真剣だったのだが、と文句を口にしているロルフ様は、若干拗ねているのではないでしょうか。


「あのロルフが奥さんにぞっこんって、誰が想像出来るかってんだ」

「そうそう。こんな相談するの初めてだよね、だからついつい」

「……お前らに弄られたくて相談してるのではないのだが」

「分かってるって、可愛い奥さんの為だろ? ……だからこそ気になるんだよな。ロルフはエルちゃんの何処が良かったんだ?」


 マルクスさんが最後にロルフ様に問うた言葉に、固まったのは私でした。


「女っ気ないお前が結婚したとか、聞いて腰を抜かしたんだぜ。アンネとか留学してきた姫さんにも靡かなかったお前の結婚って、本当に何があったか気になるんだよな。余程好きじゃないと結婚しないだろ」


 マルクスさんは、私達が親によって決められた結婚だとは、知らない。

 今だって普通に親しげに話したりしているし、ロルフ様も優しい態度だから、まさかそうだとは思わなかったのでしょう。私達が、そういう間柄ではない事を。


 ……違う、のに。ロルフ様は、好きで結婚した訳じゃないのに。


「馴れ初めとか好きな所とか、ちょっくらお兄さんに教えろよー」

「私に兄は一人しか居ないが」

「そういう真面目な回答は要らねえから。で、どんな所が良かったんだ? おっぱい大きかった所とか?」

「うわ女の敵」

「お前の減らない下品な口を縫おうか」

「止めろよお前ら二人でその実行しそうな目は、冗談に決まってるだろ」


 おっかねえ、と呟いたマルクスさん。それでも、お話を止めようとはしていはいらしく、ただ楽しそうにロルフ様に視線を向けています。


「だったらちゃんと言えよ、どうせお前の事だからエルちゃんにこういうの伝えてないんだろ。お前は女の子の扱いとことん下手だからなー」

「……や、止めて下さい、そんな……良いです、から」

「エルちゃんは聞きたくないのか、自分の旦那様が何処を好きになったのかとか。あの堅物が今やエルちゃんにぞっこんなんだぜ?」


 違う、違うのに。ロルフ様は、私の事を好きとかじゃないのに。ただ、家族として優しくしてくれているだけなのに。

 それを、ロルフ様の口から言って欲しくない、聞かないで。お願いですから、言わせないで下さい。分かっていますから、自分で分かっていますから、それを、ロルフ様に聞いたりしないで。


「いえ、私は……」

「恥ずかしいならこっそり聞いといてやるからさ、」

「お願いですから、止めて下さい!」


 声は、思ったよりも大きなものが出ました。


 静まるマルクスさん。驚いたように此方を見るのは、三人全員です。


「……っ、ロルフ様が私を好きとか、ないですから。ロルフ様は、アマーリエ様達に勧められて仕方なく私と結婚したのです。好きで結婚したのではありません、だからそんな質問答えられる訳がないでしょう」 


 ああ、言ってしまった。

 でも、言われるより、ずっとマシだったのも、事実です。自分で分かっていますから。自分でそう結論付けた方が、ずっと痛くない。分かりきった事でしょう、自分。


 三人とも固まって、静まり返って。

 ロルフ様は特に目を瞠っていて、それから私に手を伸ばして口を開こうとしていて……でも、何を言われるかなんて考えたくもないですし、誤魔化しの言葉なんて、良いのです。


「……ごめんなさい。ロルフ様、先に帰らせて下さい、馬車は戻して貰うので」


 頭を、冷やさなくては。皆さんにこんな気まずい思いをさせてしまうなんて、本当にどうかしてるのです、私は。

 ロルフ様だってこれから困るのに、何で私が傷付く前に自分で傷付いて自分を守ろうとしているのでしょうか。……本人の口から否定されたくなかったなんて、情けない。分かりきった事だったのに。


 本当はロルフ様から離れてはならないのでしょう。

 けれど、今は一人になりたいのです。我が儘だと分かっていても、放っておいて欲しい。


 だから、頭を下げて謝罪し、研究室を駆けて出ていきます。制止の声は聞こえなかった事にして。




 私の脚は遅いですが、それでもロルフ様が追い付く事はありませんでした。そもそも、追い掛けてきていないのかもしれません。


 フードを深く被り、人々の間をすり抜けるように駆けていく私に、魔導師さんは驚いていたようですが……私の顔を見て、固まってしまいます。私はそんな魔導師さんの横を通り過ぎて、受付に向かって走っていきます。

 道順は一応記憶しているから、此方で合っている筈。


 のろのろと走る私に、ふと進路にあの、赤い女性が立っていて。


「……どうして、あなたなんかが」


 すり抜け様にそう呟かれた気がして、私は余計に悔しくて俯き加減を強めて走ります。


 ……自分でもそれは思うから悲しくて、悔しいのです。私はこの女性みたいにグラマラスでもなければ、ヴェルさんみたいにお姫様みたいな美しさでもないし治癒術も使いこなせない。


 きっと、ロルフ様にとって、私は子供みたいな存在。小さくてただ守ってやりたくなるだけで、それは恋愛なんかではないのです。だからこそ、先程の女性は私の事が憎いのでは、ないでしょうか。

 こんな、ちんちくりんが妻の座に収まっているなんて。


 全部自分の勝手な想像だとは分かっていても、否定しきれない。

 涙を堪えて、角を曲がって……そこで、ドンと走る衝撃。硬い何かにぶつかったらしくて、危うく転びそうになり、そして転倒する前に、何かに引き寄せられます。


 鼻を打ったので地味な痛みを感じつつも、転んでお尻を強打するよりは全然ましです。でも、一体誰が……。


 恐る恐る見上げると、紫紺の瞳と視線が出会って。


「……クラウスナー夫人、研究所の廊下は走らないで貰いたいのだが」

「ご、ごめんなさい……」


 ロルフ様とは別の冷ややかさを感じる面差しのイザークさんに抱き留められていたのだと気付いて、私の顔から一気に熱が引きます。


「もし重要な機材を運んでいる人間にぶつかったならどうするんだ。壊したら取り返しが付かないのだが?」

「ま、誠に申し訳ありません……」


 非常にごもっともな指摘を頂いたので、私は謝るしか出来ません。

 もし貴重なものを抱えた人間とぶつかって壊してしまったなら弁償しなくてはなりませんし、それが手に入らないものだったなら大変です。それに、ぶつかって怪我でもさせたら……と思うと、自分の短慮さに悔いるばかり。


 ……本当に、自分って駄目な人間ですよね……勝手に悲しんで悔やんで逃げて、人にご迷惑をおかけして……どうしてこんなに浅はかなのでしょうか、私。


 支えて貰った体勢からしっかりと自分の脚で立ち直しつつ、慚愧に堪えない気持ちで一杯です。本当に、何してるんでしょうか私……。イザークさんが怒るのも無理ですよね。


「……もう少し言いたい事はあるのだが、止めた」

「……え?」

「その顔だと何かあったらしいな。反省はしているようだし、今回は問わないでおく」


 肩を落として俯く私に振り掛かったのは、思ったよりも優しい声です。

 てっきりもっと厳しい叱責を受けるかと思っていたのに、イザークさんは私を支えた状態から手を離し、そして少し窺うように顔を上げた私の顔を見て冷たさが幾分消えた眼差しに。


「怪我はないか」

「は、はい」


 ……やっぱり、思ったよりも、イザークさんは優しい気がします。ロルフ様とは、本当に仲が悪そうでしたけど、それは嫌悪感から来るものではなさそうでしたし……。

 イザークさん単体だと、別にそんな悪い人ではない気がします。


「エル!」


 少し安堵した私の背中に、声が掛けられて。

 思わずびくりと大袈裟なまでに体を震わせて、恐る恐る振り返って……どうして、ロルフ様が。

 追い掛けてきた事は分かりますけど、何で、追い掛けてきたのですか。だって、私空気を目茶苦茶にしたのに。そんな、悲しそうな顔で追い掛けて。


「……っ、イザーク、」

「俺は何もしていない。あと、奥方の面倒はちゃんと見ておくのだな」

「……言われずとも」


 今回は、火花は飛び散りません。ただ、イザークさんの方が優勢と言うか、ロルフ様はやや気まずそうに返事をするのです。まるで、悔いるような眼差しで。

 そんなロルフ様にイザークさんはふんと鼻を鳴らしては一瞬此方を気遣わしげに見た、気がします。私が勝手にそう感じただけなので、真実かどうかはイザークさんにしか分かりませんけど。


 私の横を通り抜けていくイザーク様。ロルフ様と擦れ違う時何か囁いてはロルフ様の顔を歪めていたのですが、何を言ったのかまでは分かりません。ただ、言葉を受けてロルフ様はより真剣な眼差しとなって私を見詰めるのです。


「エル」


 声を掛けられただけで、体が震えます。……怒ってないか、怖くて。気を害していないか、心配で。


 でもロルフ様はそんな私の不安や恐怖など吹き飛ばすように、縮こまってそのまま消えてしまえたらと思ってすらいる私の体を、抱き締めて、くれて。


「……ひとまず、落ち着け。私は怒ってなどいない。……今日はもう良い、家に帰ろう。その方がお前も落ち着くだろう」


 優しく包み込んでくれて、宥めるように頭を撫でられて……勝手に目の奥がまた熱くなります。ぐず、と鼻を鳴らすと子供をあやすように背中をぽんぽんと叩かれ、優しく、そして力強く抱き締められました。


 泣かないでくれ、そう悲しげに、そして気遣わしげに囁かれて、私は涙を堪えようとしても抑えきれず、ぽろりと瞳から零してはロルフ様の服に吸わせてしまうのです。


 ああロルフ様の服を汚してしまう、とか、お仕事の邪魔をしてしまった、とか、気遣わせてしまった、とか、沢山の後悔が押し寄せては、どんどん視界が洪水となっていく。


 そんな私に、ロルフ様はただ静かに抱き締めては「大丈夫だ」と言い聞かせてくれました。

夜にもう一度更新します。

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